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オペレッタ

         ※


「ふッ!!」

 鋭い呼気とともに、ネロは抜き打ちでスモールソードを振るった。

 スモールソードの短い刀身は、このような場合には利点として働く。

 室内戦闘・宮殿内戦闘などにおいて長柄の武器が被る取り回しの悪さからは無縁だ。

 

 そして、ネロはその一閃に、すでに《スピンドル》を乗せていた。

 強力な光の刃を生じさせる異能:《オーラ・バースト》。

 入門編ともいえる《オーラ・ブロウ》の直系上位にあたる技で、間合いと破壊力において数段優れる。

 多くの武器型:《フォーカス》はいうに及ばず、通常の武具であっても破損は前提だが効率良く振うことのできる能力であり、騎士たちの最後の技として長く愛されてきた信頼度の高い異能だ。

 その光刃がスモールソード本来の間合いを倍以上にも増幅させて、薙ぎ払う。

 

 薄暗がりのなかに、突然、まばゆく光り輝く刃が現われ振り抜かれた。

 その見事さは、かつて月下騎士:バルベラを相手取ったときの人狼憑依状態であったネロと比べても、上手を行く。

 それはネロ自身、その精神と肉体とが《スピンドル伝導》に順応し、回路をより強固・強靭なものへと組み上げつつある証拠だった。

 

 そして、状況判断においても、ネロは卓越した戦士の勘を養いつつあったのである。

 

 このように呪いで括られてはいても《フォーカス》ではない武器は、それがどれほどの名工の手なるものであろうと、念入りな呪いであろうと、《スピンドル伝導》による異能の発現直後に砕け散る。

 この状況で主武器プライマリー・ウェポンであるスモールソードに《スピンドル》を通すことは、直後にその有利を失うということでもある。

 しかし、ネロは一瞬のためらいもなく、初撃に己の最大攻撃能力を投入した。

 取っておき、などというような発想をしていては、到底生き残れないのが戦場というものだ。

 そして、相手は拝病騎士、それもかつて聖堂騎士とスパイラルベインの精鋭を惨殺した女だ。

 様子見などと悠長なことをできるわけがなかった。

 

 ヴッ、と一瞬で熱せられた大気が起こす唸りともに、ネロは会心の抜き打ちを放った。

 それは不意を打たれた状況からの反撃としては、およそ考えられうるなかで、最速・最高の一撃であっただろう。

 無論、相手は全身を重甲冑で固めた騎士である。

 常識的に考えて、スモールソードのような武器で板金装甲に対して充分なダメージを与えることは、装甲の継ぎ目を狙いでもしないかぎり、難しい。

 しかし、《スピンドル伝導》された一撃であれば、これは前提が変わってくる。

 通常の防具では、この光の刃を防ぐことはできない。

 通常の二倍、いや三倍の厚みの鍛鋼を持ってさえ、だ。

 文字通り岩をも切り裂く。

 それが《スピンドルエネルギー》と、その伝導がもたらす異能の《ちから》なのである。


 だから、ネロの一閃は拝病騎士:フレアミューゼルを身にまとった甲冑ごと切り捌く──はずだった。

 

 ギィン、と光の刃が差し上げられたフレアの掌によって受け止められた。

 なんと、拝病騎士はいかに装甲化されているとはいえ、己の手で光の刃を掴んだのだ。

 火花が飛び散り、フェイスガードの下からのぞくフレアの艶花を思わせる魔性を秘めた美貌を照らし出す。

 刹那、その指が握り拳のカタチに固められ──光の刃が粉々に砕け散るのをネロは見る。


 繊細な硝子細工を床に叩きつけたときそっくりの音とともに、《オーラ・バースト》が、折れた。


「くっ」

 瞬間的にせり上がってくる驚愕と混乱と恐怖を意志の《ちから》でねじ伏せ、ネロは左手でパリィイングダガーを引き抜くと、ほとんど確認もせずに振った。


 ギャヒィ、と刃が甲冑の上をすべり火花をあげる。

 フレアは防御しようともしない。

 いかに呪いで括られてはいても《スピンドル》の通されていないダガーによる攻撃など、なにほどもない、という判断。

 それは正しい。

 このような武器で重甲冑で装甲された騎士を仕留めるには、もはや組み打ちしかない。


 そう覚悟し間合いを詰めにかかったネロの脛を、フレアの爪先が蹴り上げた。

 瞬間、まるで鋼鉄製の棍棒を受けたかのごとき衝撃と激痛に、ネロは吹き飛ばされた。

 

「があっ」

 皮膚が裂け、骨が折れたのではないのか、という激痛に思わずネロは叫び声を上げた。


 装甲化された兵との近接戦闘においては、相手の肉体をまず鋼鉄の装甲が覆っているということを根本的に理解しなければならない。

 素手素足での攻撃は、よほど工夫しなければ打撃を与えるどころか、こちらが負傷することになる。

 そして、逆に敵兵の攻撃は、たとえそれが無手であっても、装甲化されていないこちらにとっては恐るべき脅威なのだ。

 相手に武器を抜かせまいと必死になったネロの、そのおろそかになった足下に、フレアの狙いすました一撃が見舞われた。


 そしてそれは、単なる蹴りではなかった。

 まるで脚そのものが鋼鉄製であるかのような、ずしりと芯に響く重さは、断じて女のそれではあり得なかった。

 上背でも筋肉の総量でもあきらかに勝るネロを吹き飛ばすほどの威力を、さして溜めた様子でもないフレアの蹴りが持っていたこと自体、驚嘆すべき事実であった。


 ネロはこらえ切れず床面に転がる。

 パリィイングダガーが左手を離れ、耳障りな音を立てながら滑っていった。


 転がりながら距離を取り蹴りを受けた左脚をかばうネロを、慌てた様子もなくフレアは歩いて追う。

 

 生理的な涙で滲む目で、それを目の当たりにしながら、ネロは足の骨が無事であることをかろうじて確認できた。

 富農とはいえ農民の息子として暮らした年月が己の肉体に与えてくれた頑丈さに、今日ほど感謝したことはない。

 だが、当分まともに立ち上がることはできそうもない。

 動かそうと負担をかければ、その瞬間、しびれるような痛みが脳天に走る。

 つま先が食い込んだ部分はすでに皮膚が裂け、血が滲んでたが、問題は外傷より打撃によるダメージだ。

 おそらく、そう間をおかず酷い腫れが襲ってくるはずだ。

 

 直後、ネロは思い出した。

 そうだった、と。

 拝病騎士:フレアミューゼルの四肢は、すべて義手・義足であったのだと。

 そして、さらに理解した。

 もうすこし、深く。

 彼女の四肢こそは……《フォーカス》であったのだ。

 だから、ネロの振るった異能は通じず、刃は砕けたのだ。


 なんということだろう。


 この狂える理念を掲げる女こそ、四肢を病魔に捧げ、その代償に《フォーカス》を得た拝病騎士がひとり——フレアミューゼル・ガルフラン。

 エクストラム法王庁が悪魔の使いと断じ指名手配し。また、カテル病院騎士団の精鋭たちが怨敵・仇敵とつけ狙う拝病教団の幹部にして、異形の《フォーカス》:〈アラキュレ〉の使い手。

 すべてを理解し、驚愕に目を見開くネロの眼前で、その四肢が、《フォーカス》が、〈アラキュレ〉が展開し、蜘蛛ののごとき異形へとフレアを変じさせる。

 折り畳まれていた四肢が、ネロにはまったく理解できない理屈によって質量を増し、その数を倍に長さを三倍以上のものにする。

 

「なんだ……これ……オマエは……いったい……」


 〆られるガチョウの断末魔のように、ネロのうめきは絶望に彩られていた。

 気がつけば、床面に転がされ、喉を、手足をその蜘蛛のようなおぞましい脚に拘束されていたからだ。

 

「我々がだれか、これがなにか、という問いかな? ネロ? いいとも、じっくりと詳しくレクチャしよう。そして、わかりあおう。キミとは、特に深く、わかちがたくなるほどに、理解しあおう」

 

 魔物じみた四肢に繋がる異形の甲冑。

 その奇怪なフォルムを持つ髑髏どくろのごときヘルムの奥に息づく魔性の美が、ネロを見下ろして告げた。

 圧倒的質量とパワーで、ネロを押さえつけて。


「我々は、同志になるのだから」と。


         ※

         

 抗うことは許されなかった。

 自然石を使い作られた手枷をはめられ、ネロは奈落の底、つまりあのおぞましき実験体たちが保存された硝子の柱廊に引き出された。

 見ればそこは劇場というよりは祭壇、むしろ神殿めいた場所だった。

 ただし、異形・異端・異貌の神の。

 

「必ず、キミが来ることだろうと思っていたよ。そう信じていたからこそ、我々は、彼女に接触を持ったのだ」

 

 柱廊の中央、ひときわ巨大で、これだけはおそらく石材であろうと思われる柱に鎖で繋がれたネロはフレアの言葉を聞いた。

 得体のしれないことでは周囲の材質も同じだったが、純白でありながらどこかぬめるような質感。

 表面に、それこそ偏執狂的に刻まれた彫刻のひとつひとつがすべて病魔であろうと知ったとき、ネロは背筋といわず、首筋といわず、肉体全体におぞけとともに鳥肌が走るのを止められなかった。

 それほどに禍々しい、こういってよいのなら常軌を逸したオーラを、ネロはその奇怪な柱から感じたのだ。

 そういえば、ネロの腕を捕らえる縛鎖は、この巨大な柱に施されたスリットの内側へと消えている。

 イヤな予感がした。

 それも人生においてそうはないレベルで。

 おそらくネロ史上最大の。

 

「気になるかね?」

 己の話よりも、恐ろしい想像が脳裏を占めていたであろうネロに対し、あごで巨大な柱を指し示しながら、フレアが言った。

 古い伝承に現われる蜘蛛女アルケニーを思わせる姿の彼女からすれば、それは自然な態度なのだろう。

 来歴を知りたいとも言えず、ネロは奇怪なフォルムと美貌が融合したおぞましい生き物を血走った目で睨みながら、つばを飲み込むので精いっぱいだった。

 正体を知ったとき、正気を保てるかどうか、自信がなかったのだ。

 

 そんなネロの心中を斟酌しんしゃくした様子もなく、まったくの好意だという口調で、

「これはね。神像だよ。ネロ・ダーヴォラ。我々の到達点を示し導いてくれる、ひとつの指標、シンボルだ」

 にこり、と無垢な笑みを浮かべ、フレアは告げた。

 

 穢れのない、心からの、その微笑み。


 それで、ネロにはわかった。

 この女は真に狂っているのだと。

 同時に、もうひとつわかった。

 この笑みを、オレは知っていると。

 わかりたくなかった。

 だのに、わかってしまった。

 これは、この──笑みは。

 

 だが、ネロが「微笑みの正体」を真に理解するよりも早く、舞台にもうひとりの女優が上がる。

 

「ネロッ?! ネロなのですかッ?!」

 肉体に縄が食い込むほどきつく縛り上げられたマチルダが、目隠しされたままネロの名を呼んだ。

 両脇をフレアと同型の異形の甲冑に固められ、抵抗できない状態であるにも関わらず、身体を前方へ投げ出し、声の方角を探ろうとしながら。

 意味などほとんどないと知りながらも、すこしでもネロの声を聞き取ろうというのだろう、健気に限界まで伸ばされた白い首筋が痛々しい。

 

「マチルダッ! オレは、ここだッ!」

「ネロッ! ネロッ!」


 呼びあうふたりの様子に、だが、フレアは笑みを広げ、満足げに頷きを繰り返した。

 

「すばらしい。すばらしい出来栄えではないか」と。

「なんというオペレッタ。控え目にいっても、ブラーヴォだ」と。


 もし、ヒトのなりを保ったままであったのなら、必ずや拍手喝采の雨を降らせただろうという面持ちで、フレアが声を震わせる。

 その瞳には、涙さえ浮かんでいる。


「誰が、誰が、見抜けよう? いや、これはオリジナル以上! これこそ、真の愛、ヒトの心のカタチを凌駕するものではないか!」

 歓喜に堪えぬという表情で異形が背を反らし、言葉を漏らす。


「そうだろう? ネロ・ダーヴォラ?」


 これ以上ない笑顔で問いかけられたネロは、そのとき、どう答えればよかったのか?

 いったい、どうすれば?




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