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来ちゃうヒトたち

 

 そういうわけで、ネロはいまマチルダとともに問題のシュクレー修道院、その門前町に逗留を決め込んでいる。

 冬季ということで旅籠は閑古鳥が鳴いているのかと思ったが、意外に繁盛していた。

 ただ、客のなかに負傷している者たちがいることに気がついて、ネロは眉をひそめたものだ。

 

「客層が妙な感じだな」

「そうですね」

「十字軍が劣勢だというキミの話が、実感できる様相だ」

「恐ろしいことですが……これが現実なのです」

 マチルダから告げられた潜入任務を引き受けたネロは、道すがらその背景を語られた。

 つまり、現在の世界情勢を、である。


 それによれば、少女法王:ヴェルジネス一世の鶴のひとこえにより発動された第十二回十字軍クルセイドは、現在、アラム勢力であるオズマドラ帝国の猛攻によって劣勢を余儀なくされているという。

 重要な拠点を巡り、いくつか決定的な敗戦を喫した、との噂もある。

 未確認情報だが、十字軍において中心的な役割を果たしてきたエスペラルゴ帝国皇帝が、敗走中に命を落としたとの報も。

 届けられる情報の混乱は、戦線のそれを如実に現していた。


 道々、マチルダから語られる現在の世界のカタチに、ネロは背筋が寒くなるのを感じた。

 じぶんがあの遺跡の丘の密造蔵に篭っている間に、世界情勢はとんでもない方向に動いたいたのだ。

 

「あいつら、逃亡兵かもしれないな」

 ぽつり、ひとりごちる。

 だとしたら、そこにはかつて自分が所属していた従士隊の顔見知りがあるかもしれない。

 そう思いいたり、ネロは目を逸らした。

 なにしろ自分たちは旅の巡礼で通っているのだ。

 ここで昔の知己とうっかり出くわせば、これは面倒なことになる。

 任務の性格上、そしてマチルダの立場からもこれは避けるべきだった。

  

「それにしてもネロ……優しいのですね」

「え?」

 それとはなしに目端を利かせ、客を値踏みしていたネロに不意打ちでマチルダが言った。

「優しい?」

「それ」


 ネロの膝を占領する仔犬──実際にはそれはイヌではなくオオカミなのだが──ベルカを見てマチルダは言ったのだ。


「ご自分のお皿から、食事をわけてあげるなんて……大事にされているんですね」

「いや、そのっ、男やもめですから、やはり、なんというか、友がですね」


 ちなみに、この時代、旅籠の食堂のような場所でテーブルの下をイヌや猫がうろうろしている状況というのは、それほど珍しいことではない。テーブルの上からときおり落ちてくるおこぼれに預かろうと、それらがうずくまっていることも、ままある。


 ただ、膝に抱きかかえてわざわざ手ずから料理を食わせる酔狂な男というのは、珍しいかもしれない。


 すこしばかり成長したチビカミ:ベルカは、だんだんとオオカミとしての精悍さを容姿の端々に見せはじめていたが、まだまだ仔犬で通る可愛らしさである。また実際に、仔犬と変わらぬアホさも備えている。つまり反則的にかわゆい。

 だから、当然のようにネロは今回の旅にベルカを同伴した。


「か、かわいい♡」

 そうでしょうそうでしょう。親のひいき目ならぬ、ネロの思い入れを差し引いても、ベルカはすでに美オオカミ(?)である。

 そこに加えて、仔犬特有のあの無邪気な行動と仕草も持ち合わせている。

 ネロでさえ頬がにやけるのだ。

 これで心が動かぬ女性はいないと思えた。

 そして、それは事実、マチルダの反応が証明していたのである。


「でも、まだ触らせてくれないんですね……わたしには」

「なんというか……こんなに人見知りするとはしらなかった」

 だから、マチルダはベルカの反応に目に見えてガッカリしていた。


 ネロとメルロに対しては、ときおりうっとうしくなるくらい構ってくれと迫るベルカだったから、人懐っこい性格なのだと思い込んでいたのだが──外に連れ出してみて、ネロはベルカにとって自分たちが特別な存在なのだと実感した。

 誰かが触れようとすると、スッっと身を屈めて手を避けるのだ。

 無理強いしようとすれば逃げ出す。

 マチルダにいたっては初対面のとき、唸られた。ぐぐぐ、と。


「ご主人様に忠実なんだな、あなたは」

 けれども、ベルカのネロに寄せる信頼を好ましいものを見るまなざしでマチルダは微笑んだ。

 その表情のまぶしさに、ネロは一瞬言葉を忘れて見入ってしまった。

 それから、まったくとつぜんに弾かれるように行動した。

「あ、あの、これっ、これッ」

「えっ、いやっ、わっ、ちょっとまってネロ!」


 ベルカを掴みあげると、マチルダに押し付けたのだ。

 もちろん、ベルカは暴れた。不本意な移転についての抗議だ。

 ぐぐー、ぐぐぐー、と唸りながら身をくねらす。


 だが、ネロはそんなベルカの顔を正面に捉えると、しきりに目をしばたかせた。

 不器用なウィンクである。

 そんなものが、なにの役に立つのか。

 立つのである。

 ベルカはおとなしくなった。しぶしぶというのがまるわかりの態度だったが、マチルダの膝に収まったのだ。


 きゃーあああああ、とマチルダは黄色い歓声をあげた。

 かわいい、かわいい、かわいいです、かわいいですー、とようやく触れさせてもらえたベルカに頬ずりせんばかりだ。

 もふもふです、ふわふわです、あたたかくって、かわいいです。そういいながらベルカを愛でるマチルダは、そこらへんにいる普通の女のコにしか見えない。彼女が聖堂騎士の精鋭だとは、だれも気がつくまい。

 いっぽうでベルカといえば、目を半開きにしてもうどうにでもなれ、というような悟りの境地の表情で、ネロを見つめ返している。


 ごめんなごめんな、とネロは内心なんども頭を下げ、ベルカの女心の静鎮を祈った。

 なぜ、そこまでしてマチルダにベルカを引き渡したのか。

 たとえ、チビカミといえども、自分を信頼しきっている女のコからの不興を買う危険を冒してまで。


 理由があった。

 いたのである。もう一匹。

 机の下に。本妻(仮)が。

 それが、マチルダの笑顔に見蕩れたネロの膝に、爪を立て噛みついたのだ。


 そう──夜魔の姫:メルロが、そこにはいた。

 ついてきちゃったのである。



 

 当然といえば当然の選択、メルロの言葉を借りるなら「当然である」となるわけだが、ことの経緯は説明しておく。

 

 あの日、事件の釈明に出向いたら逆に依頼を受けて帰ってきたネロを、メルロは一晩、まんじりともせずに待っていてくれた。

 夜はとっくに明けていた。

 うれしくも恥ずかしくもないが、朝帰りである。

 扉替わりの布をくぐると、とたんに抱きつかれた。

 口づけの雨が降ってきた。メルロは泣いていた。自分の妹であり、そして、ネロを二度も殺しかけた月下騎士:バルベラの命を救うため、己の人生を賭けてくれたネロに。


「おまえさま、おまえさま、おまえさまー」

 なんどもなんども呼ばれた。

「よかった。よく帰ってきてくれた!」


 不意打ちの驚きが去ると、同じ愛しさがこんどはネロの胸にも湧いた。

 生きて帰ってこれたこと、なにより、この密造蔵とメルロを守りきれたことがなにより嬉しかった。


 そういうわけで、その日は、そのままベッドになだれ込むことになったふたりである。

 昼なお暗い密造蔵のなかで、ネロはなんどもなんども愛を誓われてしまった。

 幾度目だっただろうか。短い微睡みから醒めたネロは、引き受けることになった依頼の子細をメルロに語って聞かせた。


「潜入任務……それは、危険なのではないのかえ」

「ああ。たぶん、これまでオレが受けてきたもののなかで、最高にヤバいヤマだと思う」

 正直に答えるネロに、メルロの裸身がびくりと震えた。

 小さなランプが照らし出す世界のなかで、エメラルド色の瞳が揺れている。


「もしかして……わ、わしのためか? わしとバルベラがかけた迷惑のせいで……強請られたのか?」

 メルロの問いかけと不安は、厳密に言えばたしかにその通りなのかもしれなかった。

 けれどもネロは、はっきりと断言できた。  

 ちがう、と。


「技術レポートが認められたんだ。例の《スピンドル》と酒を触媒に使う方法が、さ」

 それに、とネロは枕元をまさぐった。

 そこにはあのネロの試験結果、聖堂騎士昇格試験の結果表があった。これは、特別にマチルダが持ち出しを許可してくれたものだ。

「見てくれ」

 差し出されたそれを、見たメルロが鳥肌を立てるのが触れているネロにはありありとわかった。

 寒さからではない。

 感動で、だ。


「おまえさま!」

 また抱きつかれた。口づけされた。

「やっぱり、そうであった! おまえさまは、騎士であった! みたか! みたかッ!」

 我がことのように喜んで、これまでネロを見下してきたなにかに対して吼えるように、メルロは言った。

「そうであったろう! そうであったろう! な、な、わしの言った通りであったろう? わしの見立ては間違っておらなんだろう?!」

 ふたたび泣かれた。ネロももらい泣きしそうになって困る。


 というか、自分のためにだれかが泣いてくれるというのは、どうして、こんなにも照れ臭く、それなのに嬉しいのだろう。  

 うれしいときにもヒトは泣くのだな、としみじみネロは思う。

 そして、どうしようもないメルロへの愛しさがぶり返してきて、肉体が反応しそうになり慌てて押しとどめる。

 話が前へ進まないからだ。


「たしかに危険な任務だ。だけど……報酬はでかい。なにしろ……この背中の刻印を、消してくれるんだ」

 ネロは己の背中を彩る、スパイラルベインの刻印を指して言った。

 それは、もしネロがスパイラルベインからの足抜け、つまり、エクストラム法王庁のからの離反を企てたなら噛みついてオマエを殺す、と脅された呪いの印である。


「では、では、おまえさま!」

「そうだ、メルロ! オレは、自由になれる! それどころか!」

「それどころか?!」

「聖堂騎士に推挙する、と!」

「せ、聖堂騎士に?!」


 メルロは両手で口元を覆い、目を瞠った。

 驚きと喜びと……戸惑いに。


「……それは、うれしいが……」

「どうしたんだ? メルロ?」

「おまえさま……それでは……おまえさまは、聖騎士パラディンを目指されるのか?」

「んんんッ?」

 そこまで聞いて、ネロはようやくメルロの曖昧な反応に合点がいった。


「だって……聖堂騎士の上は、そうであろ? 聖堂騎士までは無能力者でもなれるが、その先に進むには《スピンドル能力者》であることが必須。その条件を、おまえさまは満たしておるのだぞ?」

「……ほんとだ」

 呆然とメルロの顔をネロは見た。

 いろいろなことが一度にあり過ぎて、そこまで考えられなかったネロである。


「いや、いくらなんでも、そんなことは……ない、だろ?」

 しかし、ネロの半笑いのつぶやきに対して帰ってきたのは硬い沈黙だった。

「おまえさま……もしかして、法王庁は早急に戦力の増強に走らねばならんような状況にあるのではないか?」

 ぎくり、とした。メルロの指摘は、スパイラルベイン本営でのやりとりのあと、別れ際にマチルダがネロに言った言葉が裏付けていたのだ。

 つまり、

「いまの我々には、あなたのような才能を在野に遊ばせておく余裕がないのです。ネロ、わたしと来てください」という。

 マチルダのあの言葉は、つまり、そういう意味だったのだ。

 今度はネロが口元を押さえる番だった。


「そ、そうなったら、わ、わしは、わしは……捨てられてしまうのか?」

「そ、そんなことできるか! するかッ!! 怒るぞ!」

 即答でネロは怒鳴った。考えもしなかったことだ。

 もとを正せば、メルロのためならば、と賭けた命である。

 それが結果として、こんな幸運をたぐり寄せた。

 いや、結果が現われるまでネロを生き延びさせてくれた。


「けれども……《夢》……であったのであろ?」

 怯える仔鹿のように震えてメルロが言った。

 《夢》──そのひとことがぐさり、と突き立つ。

 図星だったのだ。

 マチルダから報酬の話を聞かされたとき、ネロは思わず立ち上がってしまった。

 勢いよく立ち上がりすぎて、椅子が後ろに倒れるのも構わずに。


「いや、オ、オレの《夢》は──」

 メルロと、この密造蔵で──。

 喉元まで出かかった言葉を、メルロの指先が止めた。

 言わずともよい、と気遣われたのだ。

 それは、ほんとうの《夢》ではないであろう、と言われたのだ。

 卑怯なはかりごとによって転落した先で見出した慰めであったろう、と。

 ちがう、とは言えなかった。たしかにそうかもしれなかった。

 ネロは密造者になりたかったわけではない。

 だが、たったひとつ違うことがあった。 


「ダメだ、メルロ。オレは、聖堂騎士になろうが、たとえ、もし万が一にも間違いで聖騎士になっても」

 絶対におまえとは別れない。断言して、メルロを抱きしめた。


 強く抱き返したメルロの喉から子供のような鳴き声が漏れた。

 ネロはそんなメルロの背中を撫でさする。

 言葉は無用だった。


「それじゃ、あれだな、大公息女と熱愛中の聖騎士どのと同じか! 絶対秘密の関係、というやつじゃな!」

 泣き笑いで言うメルロに、ネロは苦笑するしかない。

 そうか、オレたちはとんでもない関係になるんだな、もしかしたら、と。

「いかん、なんか、燃えてきたの!」

 たぶん、恋というものは、決して表ざたにできないほうが燃えるのだろう。

 それは狂気であり、官能だからだ。秘されているときこそ、もっとも強くそれは燃え盛るからだ。

 

 と、ここまでだったなら、美しい恋の話であっただろう。

 若き聖騎士候補生と美しき夜魔の姫のラヴストーリーであったろう。

 

 問題はふたつ。

 ひとつは、この夜魔の姫君が騎士の帰還をただ待つようなタマではなかったこと。

 もうひとつは、翌朝、ネロの密造蔵を訪った人物による。

 

 その人物とは、そう、ほかにだれあろう──聖堂騎士:マチルダだった。




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