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誤解と宿敵

 

 シュクレー修道院は旧イグナーシュ領の東端に位置する。


 降臨王:グランの死後に起きた動乱とその後の革命戦争、続けざまの天変地異によって多く周辺諸国が国境を封鎖したが、このシュクレーと隣国:エスペラルゴとのそれは山岳地帯であったことも影響してか、緩衝地帯のような役割を果たしていた。

 いわばエスペラルゴ側のお目こぼしと言ってもよいかもしれない。


 広大で急峻な山岳地帯を封鎖するという非現実的な手段に、東進に忙しいエスペラルゴが関わっている場合ではなかった、というのが実際のところかもしれないが。


 そして、一帯の中心地となったシュクレー修道院と街は難民たちを受け入れてきたのである。


 もともと国境に位置している地理的条件と性格上、修道院は城塞の様相を成していたし、イグナーシュ王国時代からそういう働きを期待され資金援助を受けていた背景があった。


 だが、なによりもかつての国王:グランが彼らを援助し続けた理由は、彼らが掲げた理念にあったのである。

 すなわち、異能に頼らぬ──医療による人命の救助技術の研究と確立がそれである。

 一般には白衣医師団という名称で知られ、いまでは西方世界全域に勢力を持つリンネル派のイダレイア半島における最大拠点こそ、このシュクレー修道院であった。

 

「白衣医師団……」

 マチルダの説明に登場した単語をネロは憶えていた。

 忌まわしき人体実験によってある娘の人生を踏みにじった許されざるテロリストのことを忘れるはずもない。

 危険極まりない病魔の信奉者たち。拝病騎士団がひとり、魔女:フレアミューゼル。

 その魔女が隠れ蓑に使った団体の名だったからだ。


「まさか、今回の任務というのは……拝病騎士団に関わることなのでは」

 説明の合間、一呼吸置いたマチルダにネロは思わず問いかけていた。


 マチルダは目を見開き、感嘆する。

「あなたは……わたしの心が読めるのですか?」

 世間擦れしていない素直な反応に、ネロは照れて言う。


「いや、そうではなく。過去に、それもつい最近、件の拝病騎士に遭遇したのです。ですから……」

 異能ではなく観察と洞察だ、とネロは遠回しに言った。


「聞き及んでいます。そのとき起きた事件の詳細も、すべて。人狼病に冒された娘を救うため、あなたが《ちから》を振ったことも」

 真摯な瞳を向けられた。


 そのあまりのまっすぐさに、ネロはドキリとしてしまう。

 まるで疑うことを知らぬかのようなマチルダの態度は、町娘というより修道女シスターのそれに近い。純真なのだ。


「大事な方、だったのですか?」

 唐突に、しかし、真剣に訊かれた。


 ネロは焦る。

 のちになって我に返ると、おそらくこの問いかけは不必要な、極論すればマチルダ個人の関心から生じたことだったのだろう。

 聖堂騎士である前に、マチルダが年頃を迎えた乙女であったということだ。


 けれども、このときのネロには冷静になる余裕などなかった。

 封じ込め必死に鍵をかけたはずの思い出に、マチルダの問いかけは触れてしまったのだ。


「いや、オレは……」

 無意識に胸を押さえ、またもネロは呻いていた。

 人狼病に冒された娘──ルシルベルカは、ネロを想ってくれていた。その魂はいまオオカミの子供に宿り、メルロとともにフォロ・エクストラーノの遺跡の丘で、いまもネロの帰りを待ってくれているはずだ。


 だが、ネロが人間として、ひとりの女として、彼女を、ルシルベルカというヒトを、どう想っていたのか。


 その問いかけは、ネロの心の傷に触れるものだった。


 たしかにネロは己の醸したワインとそこに通した《スピンドル》によって、ルシルの魂を救った。

 けれどももし、あの日にいたる前の自分が「聖堂騎士」であったなら、と考えなかったわけではなかった。


 もし、自分が聖堂騎士の叙任を受けていて、あの事件の事情、つまり、悪友:ガーミッシュの死を知っていたのだとしたら、名乗り出ていただろうと。そしてもし許されたもうたなら、正式に彼女を妻にと望んだかもしれない、と。

 ネロはあのとき「落後者である」という免罪符によって、その夢想と後悔をあり得ないと笑い飛ばすことができた。


 けれど、いまは違う。

 もしかしたら、そんな未来があったかもしれない。


 それを現実の数字、評価として見てしまった。

 どうしようもないとわかっていても、止めようのない後悔が、塞がりかけた傷跡から滲む汁のように、じくじくと湧いた。


 俯いて歯を食いしばったネロは、またも驚かされることになる。

 テーブルを回り込んで駆け寄ったマチルダが、ネロの手を取り跪いたからだ。

 許しを乞われた。


「ひどい問いをしました。ゆるしてください」

 懇願された。


 ネロは事件の経緯と己の葛藤の理由をうまく説明できなかった。

 なぜなら、夜魔の姫:メルロはおろか、オオカミの子供に転生したルシルのことを報告するわけにはいかなかったからだ。

 そうなるとおのずと見えてくる事件の概要は、ひとつしかない。

 落第騎士の自分が、それでもネロを想い続けてくれていたルシルベルカに引導を渡したことになるではないか。

 

『わたくし、わかっておりました。

 あなたなのでしょう? ネロ・ダヴォーラ。あのお手紙は――

 でも、この手紙をあなたが読まれるとき、

 きっとわたくしは、もう、この世にいないから……』

 

 いまもネロの手元にあるルシルの絶筆は、当然だが一度、スパイラルベインの検閲を通っている。

 そのとき当然、写しも作られている。

 ネロのことをこれだけ調べてきたマチルダだ。

 目を通していないほうがおかしい。


 とすれば、いまマチルダのなかで作り上げられているネロの人物像というのは……ネロは混乱する。


 なぜなら、第三者の視点からメルロとルシルとの関係・その事実を隠蔽したまま、ネロを見たときそれは──悲恋の姫君と騎士の物語──その主人公そのものではないか。

 卑劣な罠によって正当な評価から遠ざけられ、人生の落後者として生きながらも騎士として戦うことを選んだ男と、業病に冒されながらもたったひとりの騎士を想い続け、その手によって己の悲惨な人生に終わりを望んだ姫君の……これはまるで完全に「物語」ではないか。


 そして、これではネロは完全に「主人公」ではないか。


 もしかせずとも、これは、美化されてしまっているのではないか。

 いや、されてしまっているのだろう。


「あなたの過去と心に、無遠慮に踏み込んだわたしをゆるしてください」

 涙を、その瞳に浮かべていうマチルダに、ネロは戸惑うしかない。

「いや、オレ、じゃない、わたしは、そんなカッコよいものでは……。ゆるすとか、そういう上からの物言いができるような上等な人間では……ないんです」

 思わず口を突いた否定の言葉さえ、すでに「転落した先であってなお誇りを失わない高潔の騎士:ネロ」としてのキャラクターを刷り込まれてしまっているマチルダには、別の響きかたをする。


「謙遜の徳。ネロ……あなたこそ真の騎士です」

 ちがいます、とはさすがに言えないネロだった。

 

 ともかく、マチルダの言う任務を要約すれば、

「シュクレー修道院に潜入し、白衣医師団=リンネル派が拝病騎士団の母体である証拠を掴め」

 ということになる。

 あらためて考えるまでもなく、これは危険極まりないミッションである。


「なぜオレが」

 という問いかけには、ネロ自身が提出した技術レポートが返ってきた。


 人狼病との戦い、そしてジャグリルズと化した従士隊や、それどころか微弱とはいえ《スピンドル能力者》であるトーポとムッカをたったひとりであしらい打ち勝ったという実績が、そこに加点されていた。

 これは純粋な戦闘能力だけ見るのであれば、すでに聖騎士に匹敵すると持ち上げられた。


「いや、ですからそれは」

 と、口から出かかった釈明をネロは飲み込まざるを得ない。


 夜魔の姫:メルロや、人狼の騎士:カダシュの助力のおかげであり、自分ひとりではとてもそんな芸当はムリだった、などという説明はできるはずがないではないか。

 そして、自らの功績を誇るどころか恥じ入るように、困った様子で(いや、実際に困っているのだが)顔をしかめるネロに、マチルダはますます感じ入るのだ。

「わたしは、真実を述べているに過ぎません、ネロ」

 いえ、ですからそれが過大評価なのです、とはネロは言えない。

 そんなことをすれば火に油なのはもうわかりきっていた。

 言葉を失い、顔を片手で覆う。


「それに、あなたには動機がある」

 マチルダがネロの仕草をどう取ったのか。それはわからない。


 しかし、ネロのためらいを吹き飛ばす奥の手のように、スケッチが現われた。

 

 息を呑んだ。知っていた。憶えていた。

「拝病騎士……フレアミューゼルッ!」

 瞬間的にネロは己のはらわたが煮えくり返るのを感じた。

 こいつだ、コイツが、ルシルの人生をメチャクチャにした。コイツが!


「この女が、今回の問題に関わっているとしたら……どうですか」

 マチルダがあのまっすぐな瞳を向けてきた。


 ギュッと、ネロの拳が握りしめられる。掌に食い込んだ爪が、血を滲ませるほどに。

 返答はそれで充分だった。




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