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答えからすべては始まる


「しかし、こりゃあ、うまくしたもんだなあ」

「細かく刻んだ乾燥ポルチーニ茸と黒オリーブを油に漬け込んでおいてから擦り潰し……そこにトリュフを合わせるなんて……このソース、すごいです!」


 旅籠の名物だという半熟ゆで卵に次のひとくち分、特製ソースを落とし込みながらネロとマチルダは顔を見合わせた。

 殻つきのまま、上辺だけを切り飛ばし、トロリとしたところにトリュフのソースを加えてひとまわし。スプーンを引き上げ、舐める。

 リベイクしたパンを、ガブリ。

 地場産だという濃い赤ワインをぐびりとやる。

 口中に絡まるねっとりと濃厚な、それでいて芳醇な味わい。

 パンの香ばしい匂い。カリッと焼き上がったテクスチャが、濃厚と交わる。

 その共演をこれまた、濃密な地ワインが包み込む。


 ハッキリ言って──これはたまらない!


 じつは卵、それもこのように生に近い調理法の卵料理とワインは、あまり相性がよくないとネロは思っている。

 経験則的なものだから、個人差はあるだろうし断言はできないのだが……。

 どうしても卵の持つ匂いが、ワインを阻害する。

 ゴブレットの縁に残るそれが、ワインの薫りとぶつかる。喧嘩を起こす。

 だから、たっぷりのバターやチーズなどの仲介者の助けが必要なのだろうな、と常日ごろからワインのことばかり考えてきたネロは思っていたのだが……この料理には一本取られた。


 なんのことはない。半熟に茹でた鶏卵を上のほうだけ切り飛ばし、そこにこの特製ソースをたらしただけの単純な組み合わせなのだが……。


「こ・れ・わ! う・ま・い!」


 その組み合わせの妙に、ネロはおもわず唸ってしまった。

 卵とオリーブオイルの滑らかさに、半熟に保たれた黄身とポルチーニ茸の濃厚な旨味。

 そこにいままさに旬である冬のトリュフが蠱惑的な芳香を加える。

 そして、まるで熟成を迎えたチーズのような濃密な味わいに、地場産の濃い赤ワインが出合うと──甘い。

 いや、実際にそこには本当は「甘さ」などないのかもしれない。

 ひとつの料理とワインの奇跡的な出会いが、ふたりの口腔に、この「幻の味」を生み出しているのだ。


「「マリアージュ!!」」

 ネロとマチルダは揃って叫ぶ。

 “結婚マリアージュ”。

 それは食べ物とワインが織りなす奇跡──味覚の魔法の名。


「そうでしょう。このリチェッタレシピはもともと宮廷のものだったんです。それをこちらに伝えてくださった方がいらして。ええ、修道士さんなんですよ」

「宮廷の! なるほど、合点がいったよ。いや、でも、今日ばかりは坊主の食い意地に感謝だな」

 なにしろ自慢の料理だ。褒められて悪い気はしないのだろう。看板娘らしき女給がネロたちの席に次なる皿、豆とソーセージの煮込みを出しながら由来を話してくれた。


 ちなみに、ネロの合いの手にあっけにとられ、それから思い出したように苦笑する眼前の美女、というか美少女:マチルダは聖堂騎士団の精鋭だ。

 ここでは、旅の巡礼ということになっている。

 ネロは慌ててフォローを入れる。


「すまない。法王庁を皮肉ったわけじゃなかった」

「いえ、いいんです。たしかに、坊主の食い意地は……張ってるかも、です」

 帰属する集団を揶揄したかもしれないネロの言葉に、マチルダはムリをした様子もなく、にこやかに答える。

 ネロはこの出会いをありがたいと思えばいいのか、それともこんないいにいまから行う汚れ仕事の片棒を担がせていいのか、わからなくなって複雑な表情になる。


 法都:エクストラムから馬車を乗り継いで十日以上。法王領の東端、その山あいに位置する街にネロたちはいた。


 むろんバカンス、などではない。厳冬期にわざわざ辺境の山間部に出向こうなどと、まともな人間の考えることではない。

 だからネロたちが、このシュクレーの街を訪ったのはまともではない事情──つまり、汚れ仕事ウェット・ワークスが背景にあった。

 そして、その同行者こそ、マチルダだったのである。


 ことの発端は二週間ほどを遡る。

 忘れもしないあの事件の直後のことだ。

 夜魔の国:ガイゼルロンに仕える人狼の騎士:カダシュとともに蒸留酒グラッパを醸したあとのことだ。


 ネロはその際、図らずも同僚二名が怪物化する現場に立ち会い、己の異能をもって、これを取り押さえた。


 トーポとムッカ。

 人狼の騎士や夜魔の姫との関係からネロを強請ろうとした卑劣漢たちは、事件に関する記憶をきれいさっぱり失って発見された。フォロ・エクストラーノの荒れ果てた丘のなかで。ひどい二日酔いに低体温症を起こしていた。

 適切な処置で命はとりとめたものの、なぜか犬の遠吠えを聞くだけで恐慌を起こすようになり、稼業への復帰は絶望的と言われている。

 稼業とはつまり、エクストラム法王庁をその胴元とする裏社会ギルド:スパイラルベインの仕事には、という意味だ。


 一方でネロは当然のように、ことの経緯を事細かに追及された。


 もちろんそれを見越しての自主的な出頭であったのだが、それでもなお、相応の処罰をネロは覚悟していた。

 いや、ネロに個人に対する処罰で済めば、万々歳だと思っていた。つまり、仲間内での暴力沙汰に対するそれであれば、と。

 なぜなら、ネロには決定的な弱みがあった。


 ネロを慕い想ってくれる夜魔の姫:メルロテルマの存在がそれだった。

 スパイラルベイン本営の暗い取調室で供述するネロを、フォロ・エクストラーノの密造蔵でじっと待ってくれている愛しい姫のことだった。

 露見したなら、と身体が震えた。


 もし、なんらかの手違いによってふたりの関係が露見すれば、これはもう、処罰などというような生ぬるい表現ではすまされなくなる。


 処刑。その二文字しかありえなかった。


 だが、ネロをほんとうに震え上がらせたのは、死の予感ではなかった。

 こわかった。

 メルロと別れなければならないかもしれないという、そのひとつことだけが、どうしようもなく怖くてしかたがなかった。


 もうひとりの夜魔の姫にしてメルロの妹:バルベラの窮地を救うべく、決死の想いで飛び込んできた人狼の騎士:カダシュの献身を目の当たりにした直後だったということも関係していたかもしれない。


 己にとってなにが一番大事なのかを、ネロは直視してしまっていたのだ。


 あの娘とともに生きたい。

 あの娘に自分の醸したワインを捧げたい。

 そして、笑ってほしい。

 おいしい、と頬をほころばせてほしい。

 そう願ってしまった。


 だから、スパイラルベイン・ギルド統括者マスターであるナッシュヴルフと二名の査問官、そして書記官に引き続き、漆黒のフードをかぶった人影が入室するのを見て、ネロは心臓が凍りつくのを感じた。


 処刑人エクスキューショナーは、世襲制の職能であった時代だ。


 人体の解体方法に精通し、罪に対してしかるべき拷問と適切な死を下す。治世にとって必要不可欠な暗部を託された特殊技能能力者である。

 そして、ネロのような《スピンドル能力者》の処刑には、当然のように《スピンドル能力者》の処刑人が立ちあう。


 土壇場では人間はどのような行動に出るものか、ほんとうにわからない。

 そのとき、暴れ出した能力者を鎮圧できないようでは話にならない。

 だから《スピンドル能力者》に死を授ける処刑人たちは、必ず、飛び抜けて優れた《スピンドル能力者》でなくてはならない。


 もしかして、オレは詰んでしまったのかもしれない。

 その事実に思いいたり、フード付きの黒衣を無意識にも目で追ってしまいながら、ネロは思った。

 一瞬走馬灯のように脳裏を駆け巡った記憶がすべてメルロのもので、狼狽する。


 いや、とも思う。

 いや、もしかしたら、この一年間が本来ならあり得ない幸運だったのだ。


 夜魔の姫に出逢い、愛し、愛された日々──それはもはやお伽噺の領域だ。

 自分はいつのまにか日常を踏み外して、物語の側に足を踏み入れてしまっていたのだ。

 ネロはそう理解に及んだ。

 そして、合点した。

 物語の側から帰還した男の末路は、決まっている。

 夢のなか──文字通り夢中から醒めた男の末路など決まっている、と。


 とたんにすとん、と肝が据わった。


 ああ、とわかってしまった。オレは、ネロ・ダーヴォラという男は、今日、終わるのだ。

 だとしたら、だとしたなら。


 もう自分の命運など尽きたと、すでに終わってしまったのだとわかったなら。

 あとは、あの素晴らしい《夢》を──メルロと葡萄畑を──オレにできるのは、そのふたつを守ることだけだ。

 気がつけば、査問官たちの質問に、ネロはスラスラと答えていた。


 これは尋問であるから、なんども同じ質問が繰り返される。

 風見鶏のようにその場その場で適当な嘘を並べていると、矛盾を突かれて返答に窮することになる。


 だから、ネロはメルロとその妹にして夜魔の月下騎士:バルベラ、そして人狼の騎士であるカダシュのことだけをキレイに塗りつぶすと、あとはすべてに答えた。


 だが、あまりに覚悟を決めすぎていたのだろうか。

 話の流れがどうも違うと気がついたのは、査問官たちの質問があらかた終わったときだった。

 それは尋問というより、子細なデータ検証と検体からの聞き取りに近かったのだといまにして思う。


「これまでのオマエの供述に誤りはないか」

 それまで沈黙していたナッシュヴルフが念を押すように訊いた。

 間違いありません、と頷くとナッシュヴルフと査問官たちは顔を見合わせ、それからそれまで部屋の隅に控えていた処刑人に視線を向けた。


 どうですか、と問うように。

 そして、問いかけられた処刑人の口からは、意外なほど澄んだソプラノが言葉になって返ってきた。


「たいへん有望なように思います」

「では」

「これまでの職歴から、素行も優良。従士時代の成績も見ましたが──立派なものです」

 今回の任務に適任と判断します。処刑人はフードを外しながら答えた。


 ネロはこのときになって処刑人の背丈が、この場にいる誰よりも小柄で華奢なことに気がついた。

 いや、それどころではない。

 処刑人は女性、それも少女と言っても通ってしまうような年齢で、美貌で──そして、もっとも重要なことは彼女は処刑人ではなかったのである。

 

 それが、ネロと聖堂騎士:マチルダの出会いだった。

 



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