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ムーンシャイン・ロマンス  作者: 奥沢 一歩(ユニット:蕗字 歩の小説担当)
第四話:バレル&スピリッツ(器と心)
21/45

堕落者の庭


「いやいやいやいや、そう固くなるなって、後輩くん……なあに、ナッシュヴルフの旦那に、ちょいと進捗の確認を兼ねて、様子見してこいと頼まれてねえ」

 精いっぱい慇懃を装ってトーポが言う。

 うさんくせえ、とネロは思う。


 スパイラルベインに入る前は詐欺師であった男であり、さらに己の《スピンドル》能力の発現をして、どこかの貴族のご落胤だと吹聴して回る、いまもまた詐欺師、という筋金入りの詐欺師。それがトーポという男であった。

 それでも黙認されているのは、スパイラルベインに許された一定の犯罪行為黙認基準、そのギリギリで、うまく法の目をすり抜けて生きているからだろう。

 どこかの貴族から賭けで巻き上げた衣服を着崩し(というかサイズが合ってない)、やたらとあちこちに金属製の装飾品を縫い留めた姿は、まあ、伊達者といえば伊達者なのかもしれない。

 基本的には舌先三寸で生きてきたような男だが、短剣の使い手としても聞こえた。


 そもそも、スパイラルベインは入営一年で四割が消耗する、という過酷な職場環境である。

 現場での殉職がもっとも多いが、足抜けを図って討伐されるものもおり、つまり、その職場で三年を越えて生き延びた手練、となればこれはもう、舌先だけのことではないと見なさねばならなかった。

 トーポはその数少ない例外、生き延びた側、つまりベテランであった。

 

 いっぽうで、ムッカとはいえば、大道芸師であった男だ。

 といっても、芸のほうはその怪力を見せつけるという、じつに単純明快なものであったのだが、あるとき娼館に属していないもぐりの娼婦をひとり、痴情のもつれから殺してしまった。

 そこで警衛に取り押さえられたのだが、そのときの大立ち回りにどうも《スピンドル》が絡んでいたらしく、スパイラルベインの預かりとなった。

 よくよく調べれば、例の大道芸もまた、その能力によって、なしえて来たものらしい。


 こちらは、小狡いといういうより、直情的かつ、やや偏屈な性格であり、教育面の不足もあってか、いつのまにかトーポに丸め込まれ、その用心棒的・相棒的存在に成り下がっているという男である。

 棍棒を得意とする、というかそのあたりの手短なモノを、掴むをさいわい得物とする、という男なのだが、あの巨躯と怪力で振われれば、たとえそれが棒切れであろうと充分な凶器となる。

 さすがに重甲冑を着込んだ騎士など出てくればこれはどうだかわからないが、おいそれとそのあたりを、そんなものがうろついているわけでもなく、武器を携行しなくともよいという強みは、市街地ではじつはかなりアドバンテージがあるのだ。


 巨躯とはいってもそこは前衛を務めるわけで、鈍重なわけではなく、意外に俊敏であり、侵入作戦などもこなす男である。

 ただ、おつむの回転は少しばかり鈍い。

 こちらは《スピンドル》ではどうにもならなかったのであろう。

 

 進捗うかがい、というトーポの言葉に、ネロは「へえ」とだけ返した。

 かぎりなく、軽くいなす「へえ」だ。

 

 そのあしらいに、ぴくり、とトーポの頬が動いた。

 ネロは続ける。

「進捗ってーのは、なんのことスかね?」

「いや、だから、オメーが持ちかけた計画の、だな」

「ああ、それなら明日、明後日にでも、ご報告に上がりますんで、どうもお気遣いありがとうございます。ナッシュの旦那にも、そのようにお伝えください」

 最初のやりとりでネロには事情が大筋、掴めてしまった。

 

 察するに、トーポたちはネロがナッシュにレポートを提出し、その活動資金が認められたことを、どこかで嗅ぎつけたのだろう。

 たしかに、ネロは数日前の夕暮れ時、大樽小樽を荷車に乗せ、ロバに引かせて木工ギルドを訪った。


 くどいようだが、樽は高級な輸送コンテナである。

 稼ぎがそれなりの商人でなければ、まず扱うことのない代物なのである。

 だいたい街中で露店を広げる者たちの使うものといえば木箱か、ずた袋が相場だった時代だ。

 スパイラルベインの新米が、技術レポートを上げたとたん、樽を荷車に乗せて運んで行く。


 これは金が動いている、と見て取ったのだろう。


 一枚噛むか、あるいは先輩風を吹かせておこぼれに預かるか、はたまた舌先三寸でだまくらかして、そのレポートの内容を掠めとるか。

 最悪、弱みを握って甘い汁を吸おう、とでも考えたのだろう。

 

 短絡的、かつ、どうしようもない連中である。

 なにしろ、ネロのこの予測は、ほぼ的中していたのだ。

 

「じゅ、順調そうでなによりじゃねえか」

「滞りなく。ですんで、大丈夫だと、ご報告お願いします」

 件のレポート、その具体的な内容は、ほとんどなにも知らないらしい。

 ネロが会話のガードを引き上げ、あしらったとたん、トーポの口調に明らかな焦りが見えた。

 そちら方面では、有効なカードをほとんど用意してこなかったということだろう。

 詐欺師にしてはマヌケなことだ。

 

 ネロを従士崩れの新米の、与しやすしと見て取ったのか。

 そこにきて、ここ数ヶ月のネロの活躍と、先だってのルシルベルカの件がある。

 注目を集めてはいたのだ。

 

 ナッシュヴルフがレポートを認めてくれたのも、その流れだろう。それは良いことだ。

 ただ、それは同じスパイラルベイン内においては、すこし話が違ってくる。

 悪目立ち、という言葉がある。やっかみを買う、ということだ。ネロは以前、従士隊をそれでクビになっている。

 ヒトの嫉妬というものはやっかいなもので、どこからでも湧いてくるものなのだ。

 それにルシルベルカの件では、スパイラルベインと聖堂騎士団に殉職が出ている。

 そのなかで、ネロが生還しているのだ。

 なにかある、と考える連中がいてもおかしくはない。

 

 そして、ネロ自身、じつは冷静な対処に徹しているが、内心の焦りは相当なものがあった。

 

 まず、この蔵の位置を連中に把握されたこと。

 これは、対応を誤れば、留守中になにがおこるかわからない、ということでもある。

 スパイラルベインの構成員の多くは、それぞれの拠点をこのエクストラムの市中にいくつかもち、そこを転々として生きていることが多い。

 百万人の大人口と、旧市街地の入り組んだ街路が秘密を守ってくれる。


 けれども、ネロはそうはいかない。

 密造蔵はスペースが必要であったし、街中で醸せば、間違いなくその芳香で露見するのが密造酒というものなのである。

 振動も少なく、温度・湿度ともに良好な条件を備え、なおかつ家賃もかからない。

 なにより周囲に、ワイン醸造を可能とするだけのブドウが自生してくれている――こんな楽園は他にはない。

 

 うまくお引き取り願わなければ、たいへんなことになる。

 もちろん、スパイラルベインの構成員同士が、その素性を探り合うことは基本的に禁則事項なのだが、社会的弱者にとって法にはあまり実効性がないのが、この世界というやつだ。

 

 いや、それだけではない。

 ネロはいま、間違いなく危険な関係を、それも三つも結んでいるのだ。

 夜魔の姫:メルロ。

 人狼の娘:ベルカ。

 そして、人狼の騎士:カダシュ。

 

 その関係をどれかひとつだけでも、感づかれれば、もうネロは終わったも同然だ。

 こればかりは言い逃れのしようがない。

 

 そうするうち、正攻法では切り崩せないと見て取ったのであろう。

 トーポはネロの一番恐れていたこと――ネロ以外へと対象を移したのである。

 言いがかりといえば、もうその通りだ。

 ただの難癖をつけているだけだ、といえば、もうその通りだ。

 けれども、その行動こそが、ネロの抱える最大の弱点を突くことになるのだ。

 

「つれねえなあ、ネロよ。オレらは心配して、来てやったんじゃねえか。オメエ、例の人狼と拝病騎士団の一件のあと、ついこないだまでぶっ倒れていたんだろう。拝病騎士団の……なんつったか……そうフレアミューゼルとかいう女に絡まれて……余計なビョーキを感染うつされでもしたんじゃねえかってなあ」

 突然、砕けた調子でトーポは言った。

 馴れ馴れしくうざったい物言いだが、その内容は剣呑だ。

「いや、検疫は受けましたし」

「《スピンドル》での検査か?」

「ええ」

「ふうん」


 言いながらトーポは視線をネロから外して、周囲を見渡した。

 メルロに目を止める。


「おー。お美しい。いずれの貴族令嬢か。わたくし、ロミオゼルフト・ダシュクーケンと申します。ぜひ、お見知り置きを」

 跪き、伊達男を演じて帽子を取る。

 本名か偽名か、ロミオゼルフトとはトーポの渡世用の名である。

 だが、その視線は女性を愛を捧げるべき対象としてではなく、己の性的欲求を満たすための玩具としか見ることの出来ない下卑た男のそれだ。


 メルロは黙して応じない。

 もし、許されるなら鼻をつまんで、顔をしかめたことだろう。

 振りかけられた安い香水の奥から、どうしようもない腐った《夢》の匂いがする。

 粗造乱造のひどい安酒の匂い。反吐と排泄物と下水の入り交じった匂い。

 大胆にも手を取ろうとしたトーポのそれを、メルロは振り払った。


「へへへっ、見たか? 気丈なお嬢さんだぜ?」

 おどけながら傷つけられたプライドを隠し、トーポは立ち上がる。

「ネロ――どこの娼館から、かどわかしたんだ?」

 その報復のように、下劣な言葉をぶつけてくる。


 だが、トーポの指摘は的外れではない。

 公営の娼館――ランクはいろいろあるが、スパイラルベインの稼ぎと社会的信用で利用可能なのは、せいぜい最下層のものだ。

 しかし、メルロの美貌は飛び抜けていた。

 まあ、その正体は夜魔の伯爵令嬢なのだから当然といえば当然なのだが、身に纏う衣装も高級娼婦コルテジャーナに匹敵するかそれ以上のモノだったのである。

 とても、ネロごときに手が届くような女性ではなかったはずなのだ。

 それが、なぜ、いまこの遺跡の丘で、ネロとともにあるのか――これは当然、訝しむべき状況であった。


 絶世の、そして、まだ外見的には少女の域にあるかのような美女をスパイラルベインの構成員が囲っている。

 私生活は自由とはいえ、追求されればマズイ状況ではあったのだ。

 たとえば、報告の義務だ。


「なあ、教えてくれよ――ネロ。オマエの稼ぎで、こんな美人とねんごろになれるんなら、オレもそうしてえんだよ」

 そしたら、一番にアンタを指名するからよ。トーポが言う。挑発するように。

「わしは、娼婦ではない。自分の意志で、ここにおる」

 そして、トーポの挑発に、メルロが応手した。ネロは目をつむることしかできない。

「ほ? それはそれはなるほどなるほど。つまり、愛ゆえに、ということですかな、お嬢さん」

「いかにもそうだ」


 メルロッ、と喉元まで出かかった制止の言葉をネロは飲み込まなければならなかった。

 スパイラルベインの規約に、娼婦・男娼と関係を持つことを禁じる条項はない。

 また、所帯を持つことを禁じるそれもない。

 ただ、特定の異性と関係を結び、所帯を持つなり、同棲をはじめるなり、あるいはそれに匹敵する関係性を結んだときは、これをスパイラルベイン本営に報告する義務があるのだ。

 ネロはそれを怠っていた。

 いや、正確には告げられなかった。

 なにしろ、その後、徹底的な身元調査が行われるのがわかっていたからだ。

 そして、そうなれば、メルロのことは必ず露見する。

 誤魔化すことなどできない。もう、それは確実だった。

 

「おんやあ? オメエ、ネロさんよ、このこと、報告されてましたかね?」

 引っ張るべき相手の足に手をかけたと確信したのだろう。

 トーポが舌なめずりをしそうな表情でネロに言った。


「いや、まだです」

「まだ。ほーう、それじゃ、オレらが報告してやるよ」

 にんまりと笑って、トーポが告げる。

 ただし、と付け加える。

「ただし、身元の聞き取りだけは、いまここでしとかねえとなあ。犯罪の可能性があるからねえ。それと、お嬢さん、いつから、こいつと関係を?」

 そうトーポが言った瞬間だった。


 ヴウヴウヴッ、とベルカが飛び出し、ブーツに噛みついたのだ。

 成狼であれば、ブーツごとトーポの足首を噛み千切っていただろう。

 けれども人狼の血統とはいえ、ベルカはまだあまりに幼かった。


「なんだ、こりゃあ」

 もし、そのベルカをトーポが蹴飛ばそうとしたなら、ネロは確実に殴り飛ばしていたはずだ。

 だが、トーポは弄ぶように首根っこを掴むと、ベルカを掴み上げ、まじまじと観察した。

 それから、言った。

「オメエ、コイツ、狼だ……ぞ」

「違う。犬だ。野良犬の子だ」

「バーカ、オレが見間違えるわけがねえ。なあ、オイ、コイツは、狼だよなあ」

 そう言ってトーポがベルカをムッカへと投げ渡そうとした瞬間、メルロが疾風のごとく動いて、ベルカの身柄を取り返していた。


「おお? おおお? お嬢さん、素早いねえ。だが、ちょっとソイツを返してくれるかな? こないだの人狼病騒ぎがあって、間があいてねえところに、狼だ。こりゃあ、ちょっと真剣な話なんだぜ?」

 なあ、ネロ、とメルロに話しかける口調とは完全に別物の調子で、トーポは言い募った。


「わかるよなあ。こりゃあ、いますぐ検疫・防疫行動が必要だ?」

「そんな必要はない。オレが――オレが検査した」

「それを決めんのは、オメエじゃあねえんだよ!」


 その通りだった。

 いかにスパイラルベインとはいえ、身内の調査を行うことはできない。

 いや、行うことはできるが、その結果を信用できないのだから、つまりこれは完全な第三者にまかせる他ない。


「とりあえず、《スピンドル》だけは通しておかないとな」

 トーポはその内規を盾にとり、尊大に言った。

「ネロ、オメエもだが、そのワンちゃんと、お嬢さん、それから……ああ、お兄ちゃん、アンタもいたんだっけな。ちょっと悪いが協力してもらうぜ? なーに、後ろ暗いところがねえなら、なーんにも問題はねえ。オレらも嘘は報告できねえ。本営で再チェックがあった際に、嘘だとわかると、罰されちまうもんでねえ」

 すっかり上手を取ったつもりなのだろう、トーポの長広舌はとどまるところを知らない。


「そんじゃ、お嬢さん、脱ぎ脱ぎしちゃってくれるかなあ。ああ、こりゃあ、なにか欺瞞をかまされてないか、それを防ぐための通常の対応なんだよ。すまないねえ」

 たしかにそのとおりだが、あきらかに下卑たトーポの口調に宿る汚らしい湿り気に、ついにネロの堪忍袋の緒が切れかけた。


 このバカどもは知らないのだ。

 いま、自分たちが挑発している相手が、上手を取ったと勘違いして恥辱を与えている相手が――本物の高位夜魔と、人狼の騎士だとは、考えもしないのだ。

 あと半歩でも踏み込んだら、どれほど悲惨な運命が自分たちを待つか、想像さえできないのだ。

 そして、想像できないままに、ネロの懸念は現実のものとなるだろうという予感があった。

 ならば、いま、オレがその口火を切る他ないのではないか。

 本当の最悪、そんな結果を手繰り寄せてしまう前に。

 

 一瞬、ネロの脳裏を、あらゆる未練が駆け巡った。

 騎士にもなれず、正しい意味での醸造家でも、ワイン農家ですらない。

 それでも密造酒の作り手として、ここまで積み上げてきた全てを、オレはいまから手放さなければならない。

 ぜんぶ、ぜんぶぶち壊さなければならない――オレの、オレ自身の手で。

 追っ手がかかるだろう。

 流浪の生活となるだろう。

 それが人間である自分にとって、いかに苦しいかは、ネロは知っている。

 野宿の繰り返しが、どれほど人体を蝕むかをネロは知っている。

 いや、いざとなれば、メルロの眷族となるのも選択肢としてはある。

 ふたりで永劫の夜を歩むのだ。

 

 だが、それにしたって、心残りは――酒だ。ワインだ。

 

 人間としての心を失ったら――ワインは醸せなくなるのではないか。

 そういう恐れが、ネロにはあった。

 なぜなら、夜魔たちはワインを醸したりしない。

 それは心の問題だけでなく、それをたたえる器が、永劫に属するようになるからだろう。

 変わることのできない種族に、ワインは醸せないのではないか。

 徐々に、心が死に絶えていってしまうのではないか。


 いや、そもそもブドウ畑のある場所へ、定住できるのか?

 夜魔となったオレは、陽の光に耐えられるのか?

 

 無理な気がした。

 

 もう、メルロにワインを造ってやれない。

 それだけが、ネロの決断を鈍らせた。

 

 夜気を切り裂く咆哮が響き渡ったのは――そのときだ。

 

 気がつけば、一匹の巨大な銀狼が姿を現していた。

 ネロにはわかる。あれは――カダシュだ。

 ネロが怒りをぶつける前に、人狼であるカダシュが、この卑劣極まる来訪者どもに、憤怒を叩きつけたのだ。


 ナイフのような犬歯が剥き出しとなり、その喉から恐ろしい雄叫びが迸り出た。


 恐慌を引き起こすその咆哮に、居並ぶ人間たちのたちのなかで、ネロだけが耐えることができたのは、すかさず《影渡り》でその腕に飛び込んできてくれたメルロが、生じかけた恐怖から《スピンドル》で心を守ってくれたからだ。

 

 形勢は一気に逆転した。

 

 クモの子を散らすように、トーポとムッカ、そして、取り巻きたちは潰走した。


「手加減なしでやった。ヤツらは夜の来るたび、月を見るたびに思い起こす。この恐怖の刻印を。もしかしたら、心が壊れたものもいたかもしれん。だが、徒党を組んで恐喝におよび、レディを辱めようとした――その報いはなければならん」

 すまなかった、とカダシュが頭を下げた。軽率なマネをした、と非を認め、謝罪する。

 当然の報い、というのではないところに、ネロはこの男が憎めない理由を、もうひとつ見つけた気がした。


「いや……オマエがしてくれてなかったら、オレがやっていただろう。そのときはきっと流血沙汰――殺し合いになっていたはずだ。礼を言う」


 言いながらも、ネロはへたり込んでしまった。

 失った、なにもかも。

 そのショックで、立てなくなってしまっていた。

 もう酒を醸すことはできない。

 もう、ここにとどまることはできない。

 

 ただ、本当の最悪を、紙一重で回避できたということだけ。

 

 覚悟していたことだ。

 メルロとの関係を続けていくなら、いつかこんな日がくるとわかっていたはずだ。

 

 それなのに、いざ、それが現実のものとなったとき立ち上がることもできない自分が、そこにはいて――なんて、なんて情けないんだ、オレは。そのことにネロは打ちひしがれる。

 連れて、さらって、逃げちまえよ――カダシュに言いかけた言葉の浅はかさに、涙が出た。

 

 未練などないと思っていた。

 愛する女のためなら、もはや失うものなどなく、そんな恐怖などないものだとタカを括っていた。

 ちがうのだ。

 人間を支えている寄辺は、その根底を支える基礎としての居場所は、そんなに簡単に引き剥がして捨てて行けるものではないのだ。

 

 それを思い知らされて、ネロは打ちのめされたのだ。

 

 だれも、声をかけなかった。

 ただ、そっとメルロが寄り添い、胸に抱いてくれた。

 子供のように頭を撫でられた。

 ネロは無言で泣いた。

 

 風のない冬の晩、静かに月がその様子を見ていた。

 

 どれくらいしただろう。

 とつぜん、トーポとムッカが逃げ去った方角から、激しい物音がした。

 ガラガラガラガラッ、という木々の打ち鳴らされる音だ。

 

 ぬ、とカダシュがその方角を見やった。なんだ、とつぶやく。

 それで、ネロはようやく自分を取り戻した。

「鳴子……オレがしかけたやつだ……マズイぞ! あの方角は――〈ジャグリルズ〉! 堕落者たちの庭だ!」

 ネロが言い、三人は顔を見合わせた。

 

 そこは、春のあの日、ネロを訪ねてきた従士隊の面々がゴブリンに変貌したあの場所、それと同様の危険極まりない《ちから》に満ちた場所だったのである。




すいません、トーポ、こういうゲスは生まれて初めて書いたんですが、胸悪くなるようなヤツです。

ほんと、だめだ、オレ。

こういう悪役、書けるけど、気分悪いス。

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