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ムーンシャイン・ロマンス  作者: 奥沢 一歩(ユニット:蕗字 歩の小説担当)
第四話:バレル&スピリッツ(器と心)
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ただ、誇り(プライド)のためでなく

「なんとも、妙な絵ヅラになったものじゃな」

 困ったようなあきれたような顔でメルロがつぶやく。

「オレも一時はどうなることかと思ったんだが……意外と筋がいい」

 同じく困惑気味に答えるネロの声には、しかし、どこか称賛の色さえある。

「まさか、ガイゼルロンの人狼の騎士……ナイトチルドレンが酒を醸すなどと、前代未聞の空前絶後じゃと思うぞ」

 それだけ言うとメルロは、ため息をついた。

 まじめくさった顔で件の人狼の騎士が振り返り言ったからだ。


「これでいいのか……くっ、し、師匠?」

「あ、ああ、火加減だけはつねに、よく見ておくんだぞ。タイミングを誤ると焦げ臭い酒ができちまうからな」

 応対するネロは、困惑しつつも火にかけられた陶器製の蒸留器のそばに行き、細かなチェックを、なぜそれが必要なのかを人狼の騎士=カダシュにレクチャしている。

 上背で長身のネロを軽く上回るカダシュが真剣な様子で背を丸め、そのレクチャを書き留める様は、なんというかコミカルを通り越して鬼気迫るものがある。


 その足下をチビカミ=狼の子供:ベルカがうろうろしているのは、悪い冗談のような光景だ。


 人狼の騎士:カダシュが、ネロたちの密造蔵カーヴを訪ったのは、当初、主君である夜魔の姫:バルベラを害したネロと反逆者:メルロへの復讐のためであった。

 それがいったいどうしてこんなことになっているのか。


 ことの始まりは、二週間をさかのぼる。


 夜魔の国にして北方の大国:ガイゼルロンをからこの地を訪った伯爵令嬢にして月下騎士:バルベラが、祖国に対する反逆者、そして自らの姉であるメルロを強襲した。

 二度にわたる死闘の末、ネロ捨て身の奇策によってバルベラを退けるも、そのときのネロは、そして、メルロは知らなかったのだ。

 ガイゼルロンのエリート集団である月下騎士が、従者のひとりも伴わずに行動していることなどない、ということを。

 そして、その従者とは夜魔のしもべとなった人狼の騎士であるということを。


 カダシュは、その身を引きずるようにして拠点に帰還したバルベラを迎えた。


 ちなみに拠点となっているのは法都:エクストラムの郊外、貴族が蒸し暑いエクストラムの夏を嫌い避暑に訪れる別荘のひとつだ。避暑地であるため冬は寒さが厳しく、訪うものはほとんどいない。

 管理人の老夫妻はバルベラが《魅了》の異能により隷属化している。


「あくまで目的は反逆者:メルロテルマの身柄の拘束。無駄な殺生、流血は慎め。いらぬ騒ぎを起こして、聖騎士どもに感づかれるは我が本位ではない」

 主君:バルベラのその命を、カダシュは非常な感銘をもって聞いたものだ。


 幼年期からカダシュはずっとバルベラに仕えてきた男である。

 バルベラがやや加虐趣味的なところを持ち合わせているものの、その実、優しい心根の持ち主であることを知っているのだ。人間社会にあって人狼病の罹患りかん者、その血族として忌み嫌われてきたカダシュを救い上げてくれたのは他ならぬバルベラ姫である。

 それどころか、バルベラ姫はカダシュの忠節に対して、自らの血族に迎え入れるだけではなく、その血肉をも分け与えてくれたのだ。


 姫の肉体の一部を咀嚼し、味わい、飲み下したとき覚えた快感と官能をカダシュは忘れてなどいない。

 いかなることがあろうとも、たとえ、この世界すべてを敵に回そうとも、このお方にお仕えしよう。

 そして、このお方を守り抜こう、と決意したのだ。


 それなのに。


「なんということだ……姫、バルベラさま!」

 根城となった貴族の別荘に帰り着いたバルベラに駆け寄り、カダシュは叫んだ。

 主:バルベラの顔は蒼白で、恐ろしく憔悴しており、なによりその頬からは止められぬ涙がこぼれ落ち続けていた。


 いったいなにがあったのか。


 カダシュはバルベラの命に逆らってでも同伴しなかったことに強い後悔を覚えていた。

 それでもガイゼルロンへの帰投命令に背いて数日、密かにバルベラのもとに留まるを選択したのは正解であった、とカダシュは思う。

 一夜目に反逆者:メルロテルマの投降を受け入れたと語ったバルベラが、なぜ、いまこのような状態になって帰還してきたのか。

 その身は血まみれだったが、それは返り血であり、バルベラの肉体に傷はなかった。

 衣服にも、損傷を受けた形跡のないことから、戦闘状況になったのだとしても、それは一方的にバルベラの圧勝で終わったのだと推察される状況だった。

 だからこそいっそう困惑、狼狽した。

 バルベラが陥っていた状況が理解できない。


 いや、カダシュは思い当たることがひとつだけあった。


 昨夜、いったん帰還したバルベラはカダシュに奇妙な技を使う人間の男の話をした。

 なんでもワインを毒霧のような状態にして浴びせかけてくるというおかしな技を使う男の話だ。

 知っておりさえすればどうということのない技だが、なかなか面白い座興だった、と語ったバルベラを憶えている。


 バルベラの肉体からは血臭とともにワインが香った。


 人間ならすさまじい血の匂いに、とてもそんなものを判別できなどしなかっただろうが、カダシュは違う。


 人狼の嗅覚はすさまじい。

 普段は感度をわざと絞っているからそれほどでもないが、いったんその能力を解放し、高鼻=(狼や猟犬たちが獲物の匂いを嗅ぎ取るため、鼻を高くかざすこと)を使い始めたなら、これはもうどのような相手でも逃げ切ることはできぬ驚異的な嗅覚をカダシュは備えている。


 その鼻が、血に混じるワインの芳香を捕らえていた。


 そして、それが昨夜帰還したバルベラの肉体にまるで香水のようにまとわりついていたものと、同質のものであると気がついた。


 うぬ、と低い唸りがカダシュの咽から漏れる。

 まさか、これは昨夜バルベラ姫が語った、安い奇術のような技を使うという男の仕業か。メルロテルマの愛玩動物として飼われているという下等な家畜=人間の男による仕業であるか。

 まさか、こともあろうに姫さまの玉体に、一服盛ったのではあるまいか。

 その男の使う毒によって、バルベラ様はこのような状態に陥ったのではあるまいか。

 うぬ、ゆるせぬ、とカダシュは歯ぎしりした。

 けれどもまず、優先すべきは主たるバルベラの様態と、汚れた衣服を着替えさせることであった。


 下僕となった老夫婦に命じて湯を沸かし、風呂を点てさせた。


 夏の間、水を張り涼を取るためであろう施設に湯を注がせ、バルベラの玉体を丁寧に洗った。

 むろん、カダシュ自身は目隠しをしたままである。

 騎士としてのカダシュは視覚を失った状態であっても戦えるよう、つねに訓練を怠らない男であった。

 その精妙な動きで、血に濡れ重くなったバルベラの衣装を脱がしていく。

 そのとき胸中に起こった奇妙な感情と衝動的な昂ぶりにカダシュは戸惑った。


 もとより裸身であることを誇りとする人狼の一族は、他者の裸身に対して、たとえばそれが素晴らしいものであれば称賛を、貧弱なものであれば嘲りを感じるが、それ以上の感情を覚えたりすることはない。

 しかし、見えていないにもかかわらず、カダシュに抱きかかえられ、放心したように涙を流すバルベラの肌に己のそれが触れたとき、言い知れぬ官能を感じ、困惑していたのだ。

 その昂ぶりをねじ伏せ、壊れてしまったように泣くバルベラの混乱した言葉を辛抱強く聞き取り、時系列と事件のあらましを筋道立てて整理していく過程で、ネロ、という男の存在に、カダシュはたどりつくことになる。


 そうして、バルベラが帰還してより三日後の晩、カダシュはネロとメルロが隠れ住むという遺跡群の密造蔵を強襲したのだ。


「反逆者:メルロテルマ、そしてその下僕たるネロ・ダーヴォラ、我こそはバルベラシュテ・カーサ・ラポストールが第一の騎士:カダシュガル・ベルトラン! 約定を違え、我が主の温情を踏みにじったばかりか、卑劣にも毒を盛るとは許せぬ! 姿を現し、我と勝負せよ! 尋常の立ち合いを所望する! 断るならば、キサマらが隠れ住むその廃屋ごと滅してやるからそう思えッ!」


 雪雲はすっかり晴れ、溶けた雪が遺跡のくぼみに流れ込み、いたるところに大きな水たまりを作っていた。

 そこに月が映っている。


 人気の絶えた遺跡に、カダシュの大音声が響き渡った。

 しばらくの沈黙の後、月光の作る影から滲むように現れたのは、他にだれあろう夜魔の姫:メルロであった。


「人狼の騎士:カダシュよ、我が妹:バルベラから事情を聞かされなかったのか? わたしは約定を破らなかった。そして、我が主:ネロは騎士としてあやつに挑み、これに勝利して、わたしを取り戻したのだ。あやつは騎士としての勝負で負けた。この事実は揺らがない。

 それに自ら毒杯をあおったのは、バルベラのほう。あらゆる戦闘能力で夜魔にも人狼にも、はるかに落ちる人類が、一騎打ちに臨むにあって、捨て身の賭けにでることをよもや貴様は卑劣だなどと呼ぶまいな?」

 朗々とメルロがカダシュに言葉を返した。

 うぬ、とカダシュは唸った。

 たしかに、バルベラは言った。カダシュはそれをはっきりと聞いている。


「わたし、わたしが、殺してしまった。騎士さま。人間の騎士さま——ネロ・ダーヴォラ」

 その名を口にするたび、胸をかきむしるようにしてバルベラは泣くのだ。


 なぜ、どうして、いや、どうやってかは知らないが、人間の騎士であるというネロという男が、バルベラの心に棲み着いてしまったのだと、カダシュは理解に及んでいる。


 たしかに、その命を賭してメルロのために戦い、我が身を犠牲にして愛する女を守り抜いた男の生き方には、下等種族といえど、同じ騎士、男として敬意を感じないではなかったカダシュである。

 だが、それよりもバルベラの心を奪われ、穢されたという怒りが、このときのカダシュを突き動かしていた。

 激情が言葉となって迸り出る。


「バルベラ様の温情、さらには、その優しさにつけ込むようにして時を稼ぎ、姑息な策を弄したことは明白! 尋常の立ち合いとは申せぬ!」

「それは見解の相違であろう。少なくとも、ネロは——傷を押して戦い、その挑戦をバルベラは受けた。決闘の条件は成立しているではないか!」

 咆哮するカダシュに対し、メルロもまた、一歩たりと引かなかった。


 固められたまなじりに強い光がある。ネロを守る、と決めた、そういう決意の光だ。

 見ればその髪は結い上げられ、全身は甲冑で鎧われている。

 その手にはすでに刃が、握られている。

 左右に一本ずつ。多刀流は、夜魔の特徴的な剣技だ。


「なれば、我も決闘にて、勝利を捥ぎ取るのみ」

 カダシュは言う。

 メルロはそれに応じる。

「カダシュよ——人狼の騎士よ、相手が純血の高位夜魔=上級の月下騎士ならばともかく、それ以下の相手にわしは遅れはとらんよ? いかに貴様の戦闘力と再生能力が優れておっても、高位夜魔にはそもそも勝てん。いくら貴様がわしを切り刻んだとて、わしは幾度でも蘇る。……そして、必ず貴様を滅する」

 命を賭けて、わしの自由のために戦ってくれたネロのために。


 メルロの瞳に宿る揺らがぬ光に、カダシュは背筋が泡立つのを感じた。

 争いを嫌い、それどころか戦技教練を怠り、果てには夜魔の血統を裏切った背信者だと、カダシュはメルロを捉えてきた。

 だが、この芯の強さはどうだ。

 カダシュを前にして、相撃ち覚悟であろうとこれを葬ると断言するこの女の強さはなんだ?

 それは、信ずるものを持たない惰弱な性根からは決して発されないもの——強い《意志》の現れだ。

 そして、この世界において、強い《意志》の《ちから》は、その発現である《スピンドル》の強さに通じる。


 その認識が、武人としてのカダシュの肌感覚として伝わり、戦慄させているのだ。

 また、メルロの言葉が単なる虚勢だけではないことも、事実だった。


 たしかに、ことはメルロの言うほど簡単なことではあるまい。

 スピードと戦技では、月下騎士に肉薄すると言われたカダシュである。勝算は六対四でカダシュにあるだろう。

 けれども、カダシュには、ひとつ弱みがあった。

 それが、メルロには、ない。

 死に物狂いでかかってくる相手ほど恐ろしいものはない。

 そこにカダシュはあらためて戦慄したのだ。


 じっと、遺跡の水たまりに映り込む無数の月に見守られたまま、ふたりの魔物はにらみあった。


 その均衡を崩したのは、声だった。

 絞り出すような、苦しげな声。

 そうであるのに、隠された事実を射貫く、《意志》に満ちた声。


「相打ちで困るのは、そっちのほうなんじゃないのか——カダシュ、人狼の騎士よ」

 オマエが死んだら、だれがバルベラの面倒を見るんだ?


 遺跡の柱にもたれながら姿を現したのは、死んだとカダシュが聞かされていた男——ネロだった。  




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