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落第騎士


 バルベラが、そう告げた瞬間だった。

 

「待て!」

 大音声が降ってきた。

 同時に、なにか、かなり質量のあるものが転げ落ちてくる音も。

 思わず振り返ったバルベラが見た物は、真っ白な雪をまき散らしながら劇場の階段を転げ落ちてくる半裸の男だった。


「ネロ!」

「?!」


 思わず叫んだメルロを一瞬、振り返り、バルベラはまたそのネロと呼ばれた雪だるまを注視した。まあ、たしかに虚を突く、という意味では手練れの月下騎士であるバルベラのそれを見事に突いてはいた。

 むしろ、突き破った登場といってさしつかえない。


「メル、ロ、に、手を、だ、出すなぁ! あ!」


 転がりながら叫ぶものだから音声が途切れ途切れになり、コミカルさに拍車をかける。

 あまりの珍奇な登場にさすがのバルベラも状況を忘れ、言葉を失った。

 刹那、ドンッ、とその雪塊がバウンドした。

 それが跳躍だと気がついたときには遅かった。


 ビュン、と視界に光刃が生じた。


 ネロが回転落下の勢いを生かして五メテルを飛び越え、抜き打ちに払ったショートソードを突きのカタチにし、異能を使ったのだ。


 戦技に属するもっとも初歩的な異能:《オーラ・ブロウ》。


 もちろん、ネロの持つショートソードは業物でもなければ、《スピンドル》能力者専用の武具である《フォーカス》でもない。きちんと打ち上げられた物ではあるが、そのあたりの武器商で手に入るありふれた普及品だ。


 だから、たった一度の《スピンドル》による異能の行使で砕け散る。

 けれども、その一撃で充分だった。

 あまりにとっさのことで、また虚を突きすぎていて、さすがのバルベラも剣で受けるのが精一杯だった。


 キィン、とあっけなくフランベルジュがへし折れた。呪いで強化され、ネロの貧弱なショートソードとは比べ物にならぬ質量を持つ長剣が、である。

 それこそが《スピンドル》というエネルギーの強大さだった。

 光刃がバルベラの防御を打ち砕き、その肉体に突き込まれる。

 その寸前で、バルベラは《影渡り》を使った。

 びゅん、と十メテルほど離れた石柱の上に実体化する。


「《オーラ・ブロウ》――《スピンドル》能力者……まさか、きさま、聖騎士かッ!」


 バルベラの顔に驚愕が浮かんでいた。

 冷酷無比で鳴らす月下騎士にとってエクストラムの聖騎士はその天敵・仇敵といえる存在だ。夜魔を含む暗がりの十一氏族とすでに千年以上の時を明にも暗にも戦い続けてきた唯一の軍団なのである。


「だとしたら……どうするよ!」

 身体にまといついた雪片をまき散らしながら、ネロが見栄を切った。

 その掌中でガラス細工のようにショートソードが粉々の細片となり砕け散った。

 正確には聖騎士どころではなく、騎士でさえない。見習いから這い上がれず、人生を転落した落後者だ、とは言えなかった。

 こういうときは嘘でもいいから大口を叩かねばならない。


「メルロ、動けるか?」

「バカ、バカモノ、なんで、なんで、どうしてこんなときだけ早く来てしまうのじゃ!」

「《影渡り》だっけ。なんでもいいから異能使って逃げろ!」

「無理じゃ、この短剣……聖別されていて、わしでは抜けぬ。動けぬ」

「聖別武器? 夜魔が、かよ? 野郎! オレのメルロにひどいことしやがって。待ってろ、いま、抜いてやる!」

「ネロ、バカッ!」


 目を、逸らすなッ! そう叫んだメルロがネロを突き飛ばさなかったら、ネロはそこで確実に死んでいただろう。

 一瞬前までネロがしゃがんでいた場所に、石片をまき散らしながら大槍が突き立った。

 バルベラが十メテルの先から投擲したものだ。

 そして、その槍に続いて、こんどはバルベラ本人が飛んできた。


「いや、見込み違いか。死地の最中で女に気を取られるような腑抜けが聖騎士であるはずがない。せいぜいが三下の落ちこぼれ――スパイラルベインだな?」

 メルロとの会話で見せた妹としての言葉づかいではなく、冷酷な月下騎士としての口調にもどり、バルベラが言った。

「あまりに虚を突かれたもので戸惑ったが、なんのことはない。圧倒的な力の差を思い知るがよい!」


 言いながら、バルベラは槍を構え、落下したネロに狙いを定めた。

 確実に四メテルはあるだろう階下にネロは背面から落ちた。かなり雪が積もっているとはいえ、そこは瓦礫の山だ。よくても全身打撲から骨折、打ちどころが悪ければ死んでいる可能性もある。


 だが、その姿がもぞり、と動くのをメルロもバルベラも見逃さなかった。


「死ね!」

「待て!」


 バルベラが落下攻撃を仕掛けるのと、メルロが制止の声をあげるのは同時だった。

 メルロの声もむなしく、バルベラは弓弦から放たれた矢のように、一直線にネロに向かい飛翔した。

 終わった、とメルロが絶望した瞬間だ。

 ゴウ、と大気が渦巻き、豊饒な薫りが大気に舞った。


「うぬ!」

 ネロを仕留める直前だったバルベラが《影渡り》で間合いを取った。

  空中で軌道を変える変則的な回避運動を《影渡り》で行った《スピンドル》が通っていないただの武具相手ならば、月下騎士は人類相手に躊躇したりしない。相撃ち覚悟で激突しても、夜魔は死なないからだ。だから、一度繰り出した攻撃を途中で引き戻すことなどない。それが月下騎士が恐れられる理由のひとつでも あった。


 そう、よほどのことがないかぎり。


 それほど危険だ、とバルベラが判断したのだ。

 がくり、とふたたび離れた場所に実体化したバルベラが片膝をついていた。


「なんだ、これは。く、呼吸が、胸が」

 胸を押さえるバルベラの肉体から、武装が溶けるように解除された。

「きさま、なにをしたっ」

 もちろん、ネロの仕業だった。ネロは体勢を立て直すより早く、持ち出した革袋のワインに《スピンドル》を通したのだ。下級妖魔であるゴブリンには効果があった。

 だが、夜魔に効くかどうかは賭けだった。けれども、死を目の前に賭けるかどうか躊躇しているヒマなどなかった。


「おのれ、家畜の分際で、怪しげな術を」


 しかし、相手は夜魔のなかでも最高の戦闘能力を誇る月下騎士だった。たしかに効果はあったが、かかり方が不完全だった。もし、あとバルベラが二秒でも技の効果範囲にいたならば話は違っていただろう。

 苦しげに胸を抑えながら、バルベラがあえいだ。異能で維持されていた甲冑が消え失せ、鎧下の衣類と外套姿になっていたが、それでも影から石弓を呼び出した。半円を描く弾倉に太矢が六本つがえてあり、連続で打ち出せる機械式のものだ。


「むやみに近づくのは危険。返り血も面倒だ。死ね」

「待て、待ってくれッ!」


 こんどはバルベラが引鉄を引くより早く、メルロが叫んだ。


「たのむ、お、おねがいじゃ、その者だけは、その者の命だけは、許してくれ!」

 数秒、冷酷な眼差しで階下のネロを睨つけていたバルベラが、ふうん、とメルロに瞳を向けた。


「この貧相な男が、お姉さまを虜にした男ですの?」

「……そうじゃ」

「やっぱり殺しますですわ」

「やめい! やめよ、バルベラッ!」

「やめて、ください、ですわ。言葉づかいがなってませんの」

「やめて、やめてください。お願いです。お願いします」

 自らの傷の痛みさえ忘れてメルロは言った。ぶるぶると震えて。


 チッ、とバルベラは舌打ちした。


「まさかとは思いましたが、本気だったのですね、お姉さま」

 こくり、こくり、とメルロは泣きながら頷いた。

「……いいでしょう。他ならぬお姉さまの頼み。叶えてさしあげましてよ」

 バルベラの言葉に、メルロは顔を上げた。安堵して。


「ただしッ!」

 そうバルベラは、切りつけるように言った。

「お姉さまが、わたくしとともにおとなしくガイゼルロンにお帰りになられる、と約束されるならば、ですわ」

 がくがくがく、とメルロの震えが大きくなった。ぼろろっ、と涙がこぼれて落ちる。


「だめだ、メルロ」

 階下から苦しげなネロの声がした。もやはほとんど意識はなく、朦朧とした声だ。

「お黙りッ! 家畜がッ!」

 ガチン、と音がして太矢が放たれた。風鳴り音とドスッ、となにかに矢が突き立つ音はほとんど同時に聞こえた。

「や、やめっ」

「お返事は?」

 こくり、こくり、とメルロは無言で頷いた。太矢はネロの頭のすぐ脇に着弾していた。


「お姉さま、お誓いになって? 言葉でッ!」

「ち、誓います。わたくし、メルロテルマ・カーサ・ラポストールは、妹・バルベラヴェイルとともに、そ、祖国に、ガイゼルロンに戻ります」

「よくできましてよ、お姉さま」


 すっ、とバルベラが照準をネロから外した。


「お姉さまが約束を守られるのですから、バルベラが守るのは当然ですわ」

 では、この豚は助けます。

 もはやネロのことなどどうでもよい、という感じでバルベラは言った。

「手当てを、手当てをさせてくれ」

「ああ、もちろんですわお姉さま。ごめんなさい、こんな無粋で不浄なものを御身脚に突き立てたままにして」

「そうでは、ない。あれの、ネロの手当てを」


 ふー、とバルベラはあきれたようにため息をついた。

 手袋を呼び出し、一本目を強引に引き抜いた。


「まだ、ご未練がおありですの? あんなゴミに」

「ああああああああッッッ!」

 痛みに痙攣するメルロの耳朶を噛みながらバルベラは聖別武器を一振り、瞬く間に血が燃え尽きる。それを鞘に戻す。

「くうっ、おねがいじゃ、せめて、一晩、あれの手当てを」

「おねがいします、でしょう? お姉さま」


 もう一本を、ぐいぐいとかき回すように動かし、バルベラが引き抜く。苦痛が大きくなるようにワザとだった。

 メルロの悲鳴が払暁の空にこだました。


「お姉さまの悲鳴、すごく艶っぽい」

「お、おねが、おねがいします、あのひとを、あのひとを手当てさせてください」

 それなのにメルロの口からは、ネロを案ずる言葉しか出ないのだ。


 感慨に水を差されたように、バルベラの愉悦に蕩けた顔が冷めた。

「仕方ありませんわね。ご随になさいませ。ただし、バルベラとの約束を破ったときは、容赦しませんことよ? 生き延びたことを後悔するようなやりかたで、ひどい目に遭わせますから」


 では、いまよりきっかり一両日後、明日の払暁に、ここでお待ちしております。


 そう言い残し、バルベラは溶け消えるように去っていった。



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