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フェル・アルム刻記  作者: 大気杜弥
第二部 “濁流”
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第九章 それぞれの思いと (五)

五.


 スティンの麓ラスカソにて黒い雲に襲われ、命からがら逃げ出してから一日が過ぎた。ルード達はサイファとジルに出会い、さらに一日を経てスティンの丘陵を下り、夜も遅くなった頃にここ、ウェスティンの地に辿り着いたのだ。

 しかしここから先、街道を進むことが出来なくなっている。街道を西に進むと、やがてかの決戦の地、ウェスティンの地に行き着く。そこでは二千の烈火が街道をおさえており、そこから先、サラムレに向かうことが困難なのだ。かといって、街道からはずれて道無き草原を南下したとしても、セル山地の手前には断崖があり、結局のところサラムレを経由せずして南に逃げることは出来ない。

 つまり、烈火と相まみえずには先に進めないのだし、ルード達の旅に終止符は打たれない。もはやウェスティンの地に向かうしか手段はないのだ。

 そして――そこにはデルネアがいる。“力”ある者の到来を待ちわびている。どのような展開となるのか、ルードにも〈帳〉にすらも見当がつかない。だが、ことがそう易々とすすむような安易な考えは持ち合わせていない。

 場合によっては戦いすらあり得る。しかし、デルネア個人ならまだしも(それであってもきわめて強力な相手であることには変わりないのだが)、二千の烈火達と戦うことになった場合、勝ち目などとうていあり得ない。累々と死体の山が積まれ、クレン・ウールン河が赤く染まるのだろう。


 目下のところ、黒い雲はスティンから動く気配をみせていない。また、中枢の騎士達と会うのに、夜は避けたほうがいいという意見が多数を占めたため、明日の朝、烈火の逗留地に向かうことがすでに決まっている。

 先頭に立つのは運命の渦中の者達――すなわち、ルード、ライカ、〈帳〉。そしてディエル、ジルとサイファ。その列のあとにはスティンの領主メノード伯、スティンの村々の長達が続く。

 北方の惨劇を目の当たりにしている人々は、何が最善なのかをよく認識していた。領主らの政治力を持ってしても引くような烈火ではないことを予期し、避難民の先頭を――すなわち烈火達と交渉するという任務を、ルード達に任せたのだ。


* * *


「あ……」

 ライカは思わず声を漏らした。

 どんよりとした雲がさあっと立ち去り、ウェスティンの地の夜空一面、晴れあがったがごとくに星が瞬きはじめた。今や夜の空は“混沌”が支配するものとなっているというのに、この情景は夢かうつつか。満天の星空はまるで太古の時からなんの変遷もないまま、煌めいているかのようだ。

 ともに避難をしている人々は寝静まり、虫の音と大河の流れる音が心地よく調和して聞こえる。魔物の気配など、みじんも感じられない。今、ここにあるのはまったき平穏だった。

 ただ、風は止んでおり、幾分か空気のよどみを感じる。それが小さいながらも異質な圧迫感だった。デルネアの気配が近いためなのだろうか?

「星が見える?」

 ライカと身を寄せ合うようにして座っていたルードも、空の様子に気付いた。このような美しい夜空を見るのはいつ以来なのだろうか? ライカは星々を一つ一つ確かめるように見つめながら、思い出そうとしていた。

 〈帳〉の館にいた頃はどうだったろうか? 思えば空が漆黒に染まったのは、自分達が館をあとにする数日前のような気がする。それとてほんの二週ほど前の出来事であるのに、ライカにはひどく昔のことのように思えてならなかった。

 次に思い出したのは、〈帳〉の館で過ごしたひと月あまりの生活。〈帳〉がいて、ハーンがいて、そしてルードがいて――。色々なことを学びつつ楽しく過ごした毎日。今はもうあの頃に戻るなど出来はしないが、あの生活があったからこそ、自分達はこうしてウェスティンの地にいるのだ。

 得たものは、知識とたくましさ。それをもって、混乱の彼方にある平穏をつかむのだ。あと少しで、その時が来る。

「館以来、なんだろうな。こんな星空を見るっていうのは」

 ルードは言った。

「この夜に限って、どうしたってんだろうか? 俺達は幻を見てるっていうのかな? 俺も子供の頃からよく星を見てたりしたけど……どうも星の位置がどこか変に思えるんだ」

「多分、幻じゃないわね。私がよく見たことのある空だもの」

 ライカはそう言って、南天、ユクツェルノイレ湖の方角にひときわ明るく、青白く煌めいている星を指さした。

「エウゼンレーム。あれは、アリューザ・ガルド南方を護る聖獣の名前を持つ星よ。そのとなりに小さく瞬いてるのがツァルテガーン。エウゼンレームの子供の星ね」

 ルードはきょろきょろと星々を見渡した。

「ていうことは……アリューザ・ガルドの星々を、俺達は見てるってことなのか……どうりで俺の知っている星が見あたらないと思ったけど、でもどうして? あ……」

 その時、彩っていた星々はかき消すように見えなくなり、夜空は再び漆黒に覆われた。そこに見えるのはただ星なき暗黒の世界。“混沌”が統べる世界。

「戻っちまったな……」

「ひょっとしたら、今の瞬間だけ、フェル・アルムはアリューザ・ガルドと繋がっていたのかもしれないわね。私とルードがはじめて会った時のように」

 世界にもし意志が存在するというのなら、本来あるべき自然の姿への回帰を求めているのだろう。

「あの星空は、俺達のことを祝福してくれたのかもしれないな、俺はそうも思いたいぜ。何せ……いよいよ明日だからな」

 ルードは横に立てかけてあったガザ・ルイアートを見つめつつもライカの銀色の髪を撫でた。

「デルネアと、二千の戦士――明日彼らに会うっていうんだからな。ほんのちっぽけなことでもいい。なんであれ、うまく行くような良い兆しが欲しいんだ、俺は」

 ルードはライカの肩を抱いた。

「……大地が唸っているのが俺には聞こえる。まるで、決戦を待ちわびているかのように。ライカは?」

「風は止まっているわ。空気が何か忌々しい感じね。闘気すらはらんでいるようにすら感じられる……」

「デルネア……世界を元に戻す方法なんて、そう易々と教えてくれないんだろうな。やっぱり……」

 この先にあるのは、やはり戦いなのだろうか?

 自分達の、人々の、そして世界の運命を決定づける、あまりにも大きな戦いが待ち受けているというのだろうか。

 ルードとライカは、お互いの不安をうち消すために、生への渇望を得るために、そしてお互いの想いを確かめるために、しっかりと抱きしめあった。

「ルードも強くなったものね。ほんとう」

 目をつぶったままライカは言った。ルードは何も語らない。

「わたしは――どうなのかな? 〈帳〉さんの館を出てからずっと、ルードと〈帳〉さんに頼りっぱなしな気がするの。わたしは……どこも変わってないのかな?」

「強くなったかどうかなんて俺自身も分からないさ」

 ルードは言った。

「俺の剣技はガザ・ルイアートのおかげで途方もなくすごいものになってるって、その実感はあるけどさ」

「……じゃなかったら、竜なんてとても倒せないものね」

「ああ、でもあれは〈帳〉さんやディエルがいてくれたから倒せたようなもんだ」

 ルードはライカの両肩に手を置いた。

「つまり、ひとりで気張っていても限界がある。だから助け合っているんだ。みんなが集まって頑張っているからこそ、強さが生まれてるんだと思う。それに、俺自身は何ら変わってないよ。土の民セルアンディルになって、聖剣を持つ資格を得たとしても。……もし、それでも変わったというのなら、それはライカのおかげだろうな」

「わたしの? でも、わたしは何もしてないわよ」

「ライカを護りたい。そんな俺自身の思いが俺を変えていったんだろう。面と向かってこんなこと言うと、正直ちょっと恥ずかしい気もするけどさ、これは本当だ」

 ルードの強さ。それは強大な“力”である聖剣を我がものにしてなお、己自身を保っていることなのかもしれない。強大過ぎる力は時として人を狂わすことが往々にしてあるのだが、ルードは力に屈することなく、自分の行うべき道を進んでいる。

 ライカを護る。そしてライカを故郷に戻す。ルードをルードたらしめ、彼の強さの源となっているのがライカの存在であることは、ルード自身も分かっていた。

「ライカは、そのままでいてほしいよ。強くなるどうのこうのなんて関係ない。無理に自分自身を変えていく必要なんて、どこにもないだろう?」

 ライカは再びルードの胸に顔をうずめると、こくりとうなずいた。

「ルードがわたしを護ってくれているように、わたしもルードを護りたい。約束するわ」


 その時、がさりと草が揺れる音がしたので二人はびくりと驚いた。

「……失礼した。おどかすつもりはなかったんだが」

 ばつが悪そうに暗闇の中からサイファの声がした。

「――というより、もう少しあとで来たほうがいいのかな? ご両人」

「もう、いいですよ」

 やや不満げな口調でライカが口をとがらせた。そしてルードの横に座り直す。サイファは苦笑を漏らすとルードの横に立った。ルードはそんなサイファの様子を黙って見ているだけだった。

「ここに座っていいかな?」

 サイファはそう言いつつもルードの横に腰を下ろした。

「え、ああ、………はい」

 ルードはしどろもどろになりつつ、ただサイファの様子を見るだけだ。

「私の顔に何か付いてるというのか?」

 ルードの狼狽する様子をサイファは半ば面白がっているようだ。ドゥ・ルイエの名は、フェル・アルムの民にとっては神聖かつ絶対的なもの。そんな絶対的な存在が自分のすぐ横にいるというのだ! 今までさまざまな変動を目の当たりにしてきたルードとはいえ、ドゥ・ルイエ皇に対しどのような接し方をすればいいものか、分からない。

「もう。あんまりルードを苛めないでやってくれないかしら、サイファさん」

 対するライカはあっけらかんとしている。サイファが国王であるというのは本人から聞いたものの、サイファ自身が『サイファと呼んでほしい』というものだから、それを受け入れている。何より、フェル・アルムの住民でないライカにとって、ドゥ・ルイエ皇とは何なのか、今一つぴんと来ないのだ。国家元首であるのだが、サイファ自身がそれをまったく匂わせないため、友人のような感覚すら湧いてくる。

「ああ、そうだな。ルードも、私のことはサイファと呼んでほしいものだけど――」

 サイファはルードの顔をのぞき込んだ。

「やれやれ、そう驚かれてしまってはこっちが困ってしまう」

「そうは言っても……驚くなって言うほうが無理ってもんですよ、サイファさん」

「まだちょっと堅いな。ルイエであることは意識しないでほしいな。敬語も使う必要なんてないし、呼び捨てでもまったく構わないんだぞ?」

「はあ……努力します……いや、する」

 ルードの様子を見て、サイファはくすりと笑った。


 サイファのことをルードが知ったのは、つい先頃だった。ルードら、運命の渦中にある者達が寄り集まって話をしている時、サイファが自身の口から明らかにしたのだ。すなわち、ドゥ・ルイエ皇であるということを。もっともこの事実を知っているのはルード達のみであり、他の避難民達の知るところではない。よけいな騒動を招くだけだからだ。

 サイファは、〈帳〉達が話すことがらについて、衝撃を受けつつも真摯に聞き入っていた。フェル・アルムの真の姿。そして歴史の成り立ち、デルネアという人物、この春から起きてきた一連の事件と経験談、そして今はいないが同じく鍵を握っている人物――ティアー・ハーン。数々の事実を彼らは語った。

 サイファのほうは、烈火に勅命を下したこと、そしてエヤードとルミエールとの旅の道中のことについて話した。

「私もあなた達についていこう。何より、烈火に対して為すべきことをなさねば。そして自分自身の目で真実を、フェル・アルムの行く末を確かめたいのだ」

 最後に、サイファは決意のほどを明言したのだった。


「……烈火については、私なりの考えがある」

 ルードの隣に座ったサイファは、前を見据えながら言った。

「私なりのやり方で、きちんとけりは付けさせてもらうつもりだ。むろん、君達の行うべき事柄の邪魔にならないように、立場はわきまえるけれど」

 『わきまえる』など、およそルイエらしくない言葉を平然と言ってのけるあたり、本当に国王なのかとルードは勘ぐりたくなる。その一方で、確固たる決意を胸に秘めている。友人のような気さくさと、上に立つものとしての意識を併せ持っているのだ。

「あなたも……強いんだな」

 ルードは言った。

「強いってわけじゃあない。私個人は無力な存在でしかないもの。ここまで旅をしてきて、私自身よく分かっているつもりだ」サイファは言った。

「でも、もしそれでも強くみえるって言うのなら、それは私を支えてくれているみんなのおかげ。――それは忘れちゃいけないことだと思ってる」

 彼女はすっと手をさしのべた。

「ルード、ライカ。頑張ろう。私達の相手とする者が――デルネアがいかに強大であったとしても、挫けてはいけない。お互いを助け合えば、きっと道は開けるに違いない」

 ルードとライカはサイファに手を重ね、強く握りしめる。

「デルネアに惑わされはしない。あなたもそうだし俺達の目指すところっていうのは、そこを乗り越えないと決して手に入れられないからな!」

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