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フェル・アルム刻記  作者: 大気杜弥
第二部 “濁流”
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第八章 ティアー・ハーン (二)

二.


 空高く浮かび上がったハーン。意識はすでに彼の身体から離れ、どこか遠いところを彷徨っている。ハーンはそう感じていた。先ほど吸い込んだ“混沌”がそうさせているのか。それとも闇の衝動によるものなのか。ともあれ、彼の意識は遠く、遠く落ちていき――。それと同時に、彼の内面のもっとも深いところに存在する“知識”の部分に触れようとしていた。

 ハーンが内包する“罪”。それは六百年ほど前までにさかのぼるものだった。


* * *


 そこは――全くの闇。

 いや、闇よりも遙かに暗く、ねっとりとした重さを持つ“混沌”の欠片が黒い空間を創り出していた。アリューザ・ガルドの住民にとっては忌むべき場所だ。

 そんなまったき黒い空間において、人間の輪郭が四つ、ぼうっと浮かび上がっている。

 否。

 うちひとりは人間ではない。すらりとした長身の彼は、その髪の色と同色の漆黒のローブをまとい、三人の人間と対峙している。始源の力の一つ、“混沌”をもはらんだ、凄まじく重い闇の圧力を常に身体から発し続けていた。そのあまりの重苦しさ。並みの人間であれば、この場に居合わせるだけで瞬時に発狂してしまうだろう。

 天上がどこにあり、地面がどこにあるのか? それ以前に天地の別など存在しているのだろうか? 四人がいる、とてつもなく黒い空間は、闇と“混沌”に覆われ、他の色の介在を許さない。そんな人智の及ばぬ空間なのである。

 そんな中にあってただ一つ、闘気をまとって蒼白く光る剣のみが空間を照らしていた。


 戦いはいつから始まったのだろうか? つい数瞬前なのか、はたまた遙か遠い昔から連綿と続いているのか。だが、時間の概念など、この戦いの壮絶さの前には意味を持たなかった。

 黒いローブの男の手から波動が放たれた。黒よりもさらに暗い色が三人を覆う。

 若者は蒼白く光る剣でひと薙ぎし、闇をうち払った。そのまま人間離れした素早さで、闇を放つ男の胸元まで瞬時に間合いを詰めた。剣を振り上げ、そしてローブ姿の男の頭めがけて振り下ろした。その速さのため、蒼白い光が残像をつくる。しかし。

 瞬時であるはずなのに、若者と対峙している男はかすかに笑い、朗々たる声をゆっくりと響かせた。

「私の胸元にまたもや入り込むとは! 大した腕前だね。だがな!」

 男は時を同じくしてことばを放った。


【レゥヒィーン!(まったき闇よ! そのちからもて、剣を象れ)】


 およそ人間には発音不可能なことばが発されると同時に男の右手には剣が現れ、若者の振り下ろした剣の一撃を捉えた。

「……やるね。名を訊いておこうか?」

「“名も無き剣”の所有者、デルネア」

 言いつつもデルネアは剣先をやや戻し、再び力任せに自らの剣を男の剣に叩き付けた。

「こちらも訊きたいことがある。なぜ! 御身がこのような真似をするのだ?」

「なぜ? 私は愚かしい人間が引き起こした“魔導の暴走”を消し去ったんだ。むしろ感謝して欲しいものだけどねぇ」

 男は薄笑いを浮かべつつ、剣を徐々に押し戻していく。力技で勝てる相手ではない。デルネアは間合いを少し取った。

「感謝など言えるものか! 御身が為したことは何か?! “混沌”を呼び込んだのだぞ?!」

「始源の力、“混沌”は私に力を貸してくれた。それは絶対的な力だよ。さっき言っただろう? 絶対的な力に支配されてこそ、アリューザ・ガルドは平穏を保てる、とね」

「絶対的な力……か」

 それを聞いた途端、デルネアの表情がなぜかやや翳った。

「ともあれ、御身は目を覚ますべきだ。冥王にさえ屈しなかった御身だ。“混沌”に魅入られているのが分かっているのならば、それを断ち切っていただきたい!」

「君も分かっていないね! 私は“混沌”すらものにしてみせるよ。それはザビュールをも越える力になる」

 そう言って男は再び“混沌”の波動を放った。が、デルネアはすんでのところで身をかわした。

「ねえ、後ろの魔導師達。さっきから呪文を編んでいるようだが無駄だよ。ここの空間はまったき闇に覆われている。“色”によって発動される魔導など、まったく無意味なんだ」

 さきほどから若者の後ろでは、男女二人の魔法使いが魔導の呼び出しのことばを唱えていた。男の言葉を聞きながらも彼らは諦めることなくさらに詠唱を続けた。

「無意味などではない! 人間の力だ!」

 デルネアは再度駆け寄り、男の胸元に剣を突きつけた。

「無意味なんだよ! ディトゥアの――ディトゥアを超越した私の力の前にはね!」

「ぐはぁ!!」

 デルネアは波動をまともに食らい、闇の中へと吹き飛ばされていった。

 男はそのさまを一瞥すると、魔法使い達に向かって言った。

「……さて、長い戦いだったけど、もういいかげん終わりにしようじゃあないか。デルネアは確かに凄腕の剣士だった。さらにあの剣も凄まじい力を持っていたよ。ガザ・ルイアートに比べたら力は劣るけどね。デルネアの助力がない今、君達には何も出来ない。身体に内包している“色”を用いる程度では、大した魔導も練れまい!」

「ならば、“色”の力場をここにもたらしてくれる!」

 “礎の操者”のふたつ名を持つエシアルルの魔導師は、男を見据えて凛と言い放った。


《ウォン!》


「させないよ!」

 男は凄まじい速さで近づいた――が、魔導師のすぐ手前で身体がはじかれた。微弱ではあるが、魔導による障壁が形成されていたのだ。

「さっき唱えていた呪文は、これを作るためだったのか!」

 攻撃を阻まれた男は、エシアルルの魔導師と女魔法使いをぎらりと忌々しげに睨みつけた。

 女魔法使い――正しくは魔法使いではなく、預幻師なのだが――は、エシアルルの魔導師が唱えていることばに呼応するように舞い始めた。彼女の身体が揺れるたびに、身体からきらきらとした結晶のような粒が放たれ、ゆっくりと舞い降りていく。

 黒いローブの男はその様子を見ていた。

「まあいいさ。この程度の障壁など私の力で消滅してやる。その時が君達の最期だからね」

 そう言って、透明な障壁に対して片手をかざす。見る見るうちに障壁の力が損なわれていく。

 不意に。女は舞うのを止め、低い姿勢で男に対して身構えた。と同時に、今まで詠唱を続けていた魔導師は、発現のことばを放った。


《マルナーミノワス・マルネガインザル・デ・デル・ナッサ・レオズサン・フォトーウェ!》


 煌めいていた結晶の粒は、ぱっと魔導師の周囲にまとわりつく。それは魔力を帯びた様々な“色”だ。魔導師は、幾重にもわたって積み重ねあげようとしていた。必殺の魔導を放つために。

 その時、障壁はついに破られ、男が魔導師に対し攻撃を仕掛けてきた。それを見た預幻師はフェイントの足払いをかけ、次には光弾を放ったが、男にはさして効いていないようだ。預幻師の攻撃のたびに男はしばし足を止めるが、ついに魔導師の前に辿り着いた。

「終わりだよ!」

 男はねっとりと重い“混沌”の波動とともに、剣を見舞った。しかし――


「……御身がな」

 男の背後から低い声が聞こえた。

 デルネアだった。デルネアは重傷を負いながらもかろうじて意識を保ち、男の背後まで忍び寄っていたのだ。そして彼は男の背後から深々と剣を突き立てた。

「がはっ」

 男は信じられない面もちで、自分の胸元を見つめた。蒼白い刀身が彼の身体を貫通している。剣から発される蒼い闘気はやがて男の全身を包み込み、実体を伴う蒼い炎がめらめらと身体を燃やし始めた。

「滅せよ!」

 すいっと剣を引き抜くと、デルネアは言い放ち、人間離れした速さで何回も剣を振り払った。

「ウェイン! さあ!」

 デルネアに呼ばれた魔導師は静かにうなずくと、彼の持てる最大の魔導を行使した。魔導師は、結晶が象る“色”の膜に手を触れて、呪紋を刻み込みながらも、素早く詠唱を続けた。そして膜はまるでしゃぼん玉のように膨らみ、はじけた。

 その時、とてつもなく大きな火柱が空間の底から立ち上った。火柱は不気味に色を変えつつ、徐々に魔導師の目の前に凝縮していった。とうとう一点にまでまとまったその魔力を、魔導師は男めがけて放った。


 そしてまぶしい光に全ては包まれ――。

 永遠とも思われた戦いに、終止符が打たれた。


* * *


 ハーンは、さらにその後の知識が、自らの記憶として甦ってきたのを知った。やがて記憶は一つの光景を象っていく。


 そこに居並ぶのは、長たるイシールキアをはじめとしたディトゥア神族達。彼はディトゥア達を前にしてひざまずき、深く頭を垂れていた。


「……そなたの罰は決まった。これは我ら、ディトゥアの総意である。もはやそなたはディトゥアを名乗ることは許されない。その身をバイラルと化し、また長きに渡るそなたの“意識”を、バイラルの体内に封じ込める」


「絶対の力を求めるなど――それを考えることさえ許されることではないこと。お前さんほどの者が、どうしたことか。……とはいえ、アリューザ・ガルドに“混沌”が紛れ込んだ。これは事実じゃ……」


「かつてのあなたの働きを考えても、また、やむなく“混沌”に魅入られてしまったことを考慮しても、あなたの犯した行為は……罪です。残念ながら」


 居並ぶディトゥア達は彼に対して、めいめい言い放った。同族とはいえ、彼の為したことには同情の余地など無かった。

「だが、そなたの存在そのものを消されなかっただけ、まだ救いがあったと知るがいい。そなた、罰を受け入れるか?」

 イシールキアの問いかけに対し、ひざまずく彼は言った。

「全て、受け入れます」


 こうして彼の意識は封じられ、ディトゥアではなくバイラルとして幾多の転生を続けた。バイラルたる彼が生まれ育っていくのが常にフェル・アルムであったことは、運命なのだろうか?


 この災いから数百年を経た今――ついに彼は覚醒した。


* * *


 意識がハーンの身体に戻り――彼はゆっくりと目を開いた。彼は今、フェル・アルムの空高く浮遊していた。ずきんと、胸の奥が痛くなる。スティンで吸い込んだ“混沌”が、身体を苛んでいるのだ。


 ――“混沌”がこの地にある。それをもって再び世界を掌握するか?


「そんなことはしない!」

 その声に抗うように、ハーンは頭を抱えて叫んだ。


 ――そうすれば絶大な力を持ち得るのだぞ? 滅び行くこの世界も安定するというのに。私自身の手によってね。


 ハーンは、この声が自分の中から囁く声であることを知った。今までは単なる“知識”としてしか認識していなかった、“混沌”に魅入られていた時の自分が覚醒したのだ。

「だめだ! 僕はもはや過ちを犯さないと誓ったんだ! 〈帳〉やライカ、ルード達にね!」


 ――人間に対して誓うなどとは、笑止。ならば……その脆弱な意識が吹き飛ばされるまで、本来の私が持っている闇の力にせいぜい抗うがいいさ!


「があっ!!」

 途端に、ハーンは五体が張り裂けて飛び散ってしまうかのような激痛に苛まれた。心の奥底からわき上がる誘いに身を委ねてしまおうか? だがハーンはかたくなに拒絶し続けた。悶絶する中で、ハーンは今までの出来事や、人々を思い出していた。〈帳〉、ディエル、ナスタデンをはじめとするクロンの宿りの面々、ライカに――新たなる聖剣所持者ルード。彼らの想いを踏みにじるわけにはいかない。

「ルード! 君達は、色々と頑張ってきたんだ! 僕も……それに応えなきゃならない……そうか!!」

 ハーンは突如悟った。

 痛みや誘いに抗うことすら止めた彼は、目をつぶって押し黙り、内なる自分に話しかけた。

「……全てを受け入れよう」


 ――全てを、だと? どういうことだ?


「“混沌”に魅入られていた時の僕を含め、僕の“記憶”に甦っている全ての僕自身を。結局のところ僕はただひとりの僕でしかないのだから、僕は全てを受け入れる」


 内なる声はもはや押し黙り、それ以上語ることはなかった。と同時に、ハーンを苛んでいた激痛も収まった。


 ハーンはゆっくりと目を開けた。

「僕は――“宵闇の公子”――」

 負けたわけでもなく打ち克ったわけでもない。ハーンは臆することなく、自分が何者か、全てを受け入れたのだ。と同時に、ハーンの意識は再び深いまどろみへと落ちていった。そこに不安や不快感はなかった。

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