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フェル・アルム刻記  作者: 大気杜弥
第二部 “濁流”
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第七章 スティンを目指す (六)

六.


 黒い雲の到来。それが何を意味するのか、人々はすでに分かっていた。クロンからの避難者達は南に向けて村を去る支度をはじめていた。

 どよめき、逃げ惑う人々をかき分け、ルード達はようやく魔導の行使に十分な静かな場所を見つけた。

《ウォン!!》

 〈帳〉は息を整えつつ、喚びだしのことばを唱えた。“遙けき野”越えの際にルードが目の当たりにした魔法の力場が辺りを覆う。


《マルナーミノワス・デ・ダナッサ・フォトーウェ!》


 大いなる力よ、我らがために現前せよ。

 そういう意味を持つ古代語を〈帳〉が言い放つと、深緑の力場は半球を象った。〈帳〉は奇妙な呪文を唱えつつ周囲の切り株や雑草、がれきなどから魔力のもと――“色”を抽出して半球に張り付かせていった。


《マルナ・ハ・フォウルノーク、スカーム・デ・ダナッソ!》


 大いなる力よ、我らを誘いたまえ。

 転移の魔導を発動させるこの言葉を唱えた瞬間、半球に張り付いた雑多な色は紡ぎ合わされ、一つの色にまとまったかと思うと、半球は凝縮して一点に集い、光を放った。


* * *


 魔導が形成した透明な球状空間の中にルード達はいた。が、それもつかの間。たちまちのうちに球は消え失せて、見慣れた風景の中にルード達はたたずんでいた。

 そこは森の中の小径だった。ルードの勘からすると、高原の中の林ではなく、スティン山地の山の中のように思われた。あてどなく小径を歩きつつ、ルードはきょろきょろと辺りを見回した。

「ここにハーンがいるんですか?」とライカ。

「間違いない。この近くにいるはずだ」〈帳〉が答えた。


 ここは、果たしてどこなのだろうか? ルードが感じ取れるれるのは、懐かしい風景である、ということ。ここで日がな一日ケルンら友人と遊んでいたのは遠い昔のようだ。

「どこかで見たような景色かしらね?」

「……そうか! ここはムニケスだよ!」

 ルードの顔色がぱあっと晴れ、彼は早足で歩き始めた。

「ついて来なよ。俺とライカが始めて会った場所がここだったんだ。……間違いない。もう少し行ったところに野原があって、そこでライカが倒れてたんだ」

 ルードの言葉どおり、うっそうと生い茂る木々の向こうに、ちらちらと広場が見え隠れし始めた。やがて風景は開かれて、ルード達は野原に辿り着いた。ルードとライカが出会った野原に。そして――。


 そこには二人の人間がいた。ひとりは剣を杖の代わりにして座り込んでいる子供。もうひとりは――草むらに埋もれるようにして伏している若者であった。

「ハーン?!」

 紛れもなく、金髪の青年はティアー・ハーンである。ようやく友人に会えたという喜びを隠さずに、ルード達はハーンの元へと駆け寄った。

 だが喜びもつかの間。ハーンは動く気配を見せないのだ。

「ハーン! 大丈夫か! ハーン!」

 ハーンの容態が尋常でないことを見て悟ったルードは、ひざまずいてハーンの身体を揺すった。

(まさか?!)

 最悪の事態すらも考えたルードは、おそるおそる背中に耳を当てて鼓動を確かめた。

「どう……なの?」ライカが不安そうに訊いてきた。

「何とも言えない……けどハーンは生きてる……」

「そう。……だけど、オレはそれが恐い」

 言葉を発したのは、ぐたりと疲れ切った表情をした子供だった。

「兄ちゃん達って、ハーン兄ちゃんの知り合いか?」

 よっこらせ、と起き上がった子供はルードに訊いてきた。

「ああ、そうだよ」

「もしかして、ルードってのはあんたなのかい?」

「そうだよ」

 子供の言葉遣いをやや気にしながらも、ルードは答えた。

「そっか……」

 子供は周囲を歩きながら、腕組みをして考える様子をみせた。そしてうなずくと再びルードの元に歩いてきた。

「オレの名前はディエル。ハーン兄ちゃんとは北の……ええと……クロンってあたりで知り合ったんだ。ルードの名前は兄ちゃんから聞いてたよ」

「ハーンと一緒だったのね?」

 ライカは膝を曲げ、ディエルの目の高さに合わせて言った。

「そうだよ……姉ちゃん達、黒い雲って知ってるかい? 多分知ってるだろうけど」

「知っている。全てを飲み込む、禍々しいもんだろう?」

 ルードの言葉にディエルは顔をしかめた。無理もない。ディエルはかの地クロンでまさにそのさまを目の当たりにしているのだから。

「俺達は見たんだ。黒い雲はついさっきまでスティンの山――つまりここらへんまでやって来ていたんだ。けど、雲は今、山の向こうまで下がっている……どういうことなんだ?」

 ルードが訊いた。

「“あれ”は当分こっちにはやって来ないよ。オレ達が――んにゃ、兄ちゃんがくい止めたんだからな」

 ディエルは元気なく答えた。

「この兄ちゃんが、“混沌”の侵攻をくい止めたんだ」

「“混沌”……」

 それまで後ろで黙っていた〈帳〉が口を開いた。

「確かに……恐ろしいことだ……」

 〈帳〉はそう言ってハーンの横でひざまずいた。

「ハーン。あなたが“混沌”を追い返したのは素晴らしい。が……しかし……」

 〈帳〉は険しい表情をして、目を伏せた。

「ぐ……」

 その時。ハーンがうめき、ぴくりと体を動かした。


「ハーン!!」

「やあ、ルード……だね? ようやく会えて嬉しいよ……」

 ハーンは弱々しく声を発した。

「無理するなよ、ハーン」

「だいじょう……ぶ」

 ハーンは震える手を伸ばし、ごろりと仰向けになった。その顔色からは溢れる生気など、みじんも感じられない。

「こんなざまを見せてしまって……申しわけがないね」

 ハーンはディエルに顔を向けた。

「ディエル。僕の剣を取ってくれないかい?」

「ダメだよ!」ディエルは手に漆黒の剣を持ちながらも、大きく首を横に振った。

「じきに僕は闇に囚われてしまう。……その前に、僕しか為せないことをしなければならない……。だけど僕の力だけではだめだ……力を補うために漆黒剣が必要なんだ……さあ……」

 ハーンが弱々しく手を伸ばし、ディエルはおずおずと漆黒剣レヒン・ティルルを手渡した。

「よし……ルード?」

「なんだい?」ルードはハーンのもとにひざまずいた。

「聖剣を……ガザ・ルイアートを貸してほしい……。剣に……“力”を与えるんだ……」

「“力”だって?」

「時間がない……はやく……」

「わ、分かった」

 ルードは聖剣を差し出した。ハーンは満足げにうなずくとゆっくりと目を閉じた。

「ふう。感じる……僕の“知識”が、僕自身の記憶として甦ってくるのを……。そして、僕の役割が分かった……。聖剣の覚醒だ……。それが僕の使命なんだ……」

「ハーン」

 心配そうに〈帳〉が声をかけた。

「大丈夫ですよ。〈帳〉。僕はもう……大丈夫です。あの時のようには……」

 何が大丈夫なのか? そしてあの時とは? それはハーン当人と〈帳〉にしか分からなかった。

 ハーンはガザ・ルイアートの刀身に手を置いて――。


《レック!!》


 力強く言い放った。ハーンが唱えたそれは、〈帳〉のものと発音は違えど、明らかに喚びだしのことばだった。


《ルイアートス・デル・マルナーン、ダナズス・リー・イェン・フォトーウェ!》


 その瞬間、ガザ・ルイアートの刀身中央部に刻まれていた紋様が色をなしてぼうっと浮かび上がってきた。紋様の色は、ハーンが言葉を紡ぐたびに、さまざまな色に変わっていく。

 ルードはただ、その様子を見つめるしかなかった。なぜハーンがこんなことを出来るのだろうか。疑問を持ちつつもなお、剣の変化に冷静に見つめている。そんな自分に戸惑いながらも、答えは出せそうになかった。

 そして、ハーンの呪文は完成した。


【…………!!】


 ハーンが発した最後の言葉は短いものであったが、およそ人間には発音不能と思われる奇妙な言葉であった。

 そして――。

 聖剣の刀身がまばゆく光りはじめたかと思うと、ついには剣の全てが光に包まれた。太陽を間近に見ているかのようなまばゆさに、ルードは目を閉じた。


 ようやく光が収まって、ルードは目を開けた。ディエルやライカはまだ目をつぶっている。

 見ると、手にしているガザ・ルイアートの中心の紋様は、それ自体が光を発していた。何より感じるのは――あまりに強大な聖剣の“力”。

「……ハーン!?」

 ルードは我が目を疑った。ハーンが宙に浮かんでいるのだ。漆黒の剣をしっかと握ったまま苦悶の表情を浮かべている。

「……え?」

「ハーン!」

「兄ちゃん!」

 ようやく目を開けたライカ、〈帳〉、ディエルも、目の前の事態の異常性に言葉を出せないでいた。

 ハーンは全身をわなわなと震えさせながら口を開いた。

「聖剣の“力”は発動させたよ……でも僕自身は……耐えられるのか? この……闇の衝動に!」

 ハーンの身体はゆらゆらと空中を揺れていた。が。

「かはっ!!」

 鮮血を吐き出したハーンは空中でがくりと倒れ込むかたちとなり、意識を失った。

「ハーン!」

 意識を失ったハーンの身体は――急にぐうっと空高く舞い上がり、いずこかへと飛び去っていった。

「ハーン!」


 ルードの声はむなしく周囲に響き渡るだけだった。

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