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フェル・アルム刻記  作者: 大気杜弥
第二部 “濁流”
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第六章 サイファ達の出立 (一)

一.


 七月五日夕刻。午前中まであわただしかった宮中も、烈火が進軍を開始した今は、いつもの平穏さを取り戻している。


 ぱたり、と音を立てて、フェル・アルムの千年が綴られた歴史書が閉じられる。

「『全ては神君ユクツェルノイレの思し召しのままに』……。よく使われる言葉だからといって、思し召しとやらを全て鵜呑みにしてしまっていいんだろうか?」

 図書室の中、誰に言うでもなく、ルイエはこぼした。

「アリューザ・ガルド、とか言ったかな、ジルは……」


 言語の変化、化け物の襲撃、司祭の神託、そして烈火の決起――この数日めまぐるしく彼女の周りに起こった異変。

 現ドゥ・ルイエは、政治家としての才覚こそ凡庸であったかもしれない。しかし彼女には、伝統と常識を重んじてきた歴代ドゥ・ルイエ王にはない資質があった。

 ルイエは隙を見ては城を勝手に抜け出し、近隣都市で色々見聞を深めていた。王宮の図書室では決して感じ取ることのない、町中の喧騒や、旅商達の世間話、農作物の出来映えや、ユクツェルノイレ湖の魚の捕れ具合など。侍女や側近の者達をはらはらさせながらも、二日や三日戻らないことはざらにあった。だが彼女が城外で体験したことによって、社会の雰囲気を読みとる鋭敏な感覚を自然と身につけていったのだ。

 そして彼女はその感覚を信じて、国王ルイエとしてではなく、フェル・アルムの住民サイファとして行動を起こそうとしているのだ。


 図書室を後にしたルイエは、決意を胸に自分の部屋に向かっていた。

(確かめなければならない。烈火がどのように行動するのか、そしてデルネアの思惑は何なのか……。自分の目で!)

 ルイエは思った。フェル・アルムに何が起ころうとしているのか、確かめたかった。そのためには、ルイエの名は邪魔でしかない。今、王の居室に向かっているのは、サイファというひとりの女性だった。

 デルネアも、〈隷の長〉こと司祭も、彼女の行動は予期出来なかった――。


* * *


[ええっ!?]

 扉の向こうから聞こえてきたのは、普段は冷静なリセロの声だった。

『人を払い、ルイエの部屋の中での会話をほかの者に聞かせないように』

 と、ルイエから命令を受けていたキオルは、自分自身も話の内容を聞かぬように律していた。今のリセロの大声を聞いたキオルは、大声が聞こえないようにと扉からさらに遠ざかった。

(陛下……。また無茶をおっしゃってるに違いないわね……)

 無茶を聞かされているであろう執政官に、内心同情した。

 今回はただの無茶ではなかった。ルイエは――サイファは、こんな折だというのに旅立つと宣言したのだから。


[へ、陛下それは……あまりにも無茶というものです]

 こうも狼狽えるリセロは見たこともない、と王の部屋に立ち入ったもう一名、近衛隊長ルミエール・アノウは思った。対するサイファは椅子に深々と腰掛けて、そんなリセロの様子を見ていた。

[そんなに無茶か?]

[当たり前でしょう!]

 間髪入れずにリセロは言い、大きく息をついた。

 リセロは『言葉』を変え、

「このように失われた言葉をしゃべるようになったり……」

 また戻し、

[化け物の出現が報告されるようになっているという時期なのですよ?!]

「それなのに陛下は、このアヴィザノをお離れになるとおっしゃる。なぜです!?」

 興奮するあまり、失われた言葉――アズニール語――をしゃべっていることにリセロ自身はまったく気付かなかった。

「なぜ……か」

 サイファも言葉を変えて話した。不思議なことに、こちらのほうが話していて違和感が無いように感じられるのだ。

「フェル・アルムに起きている異変を見るため。それと、烈火達の行動をそれとなく見るため……かな」

「そのようなこと、陛下がわざわざ出向かずとも、疾風などに任せればよいことではありませんか?」

「いや、違うなリセロ。私自らの目で確かめる、というところに大きな意味があるのだ。混乱している今だからこそ、椅子にふんぞり返るのではなく、外に出て状況を確かめるべきだと、私は考えるのだ。何より、実情を知らなければ、どうするのが最善の策なのか、判断がつくはずが無かろうに?」

 その言葉を聞いて、リセロはぐっと押し黙った。

「それに……」

 サイファは言葉を続ける。

「私が一番心配しているのは、ほかでもない烈火だ。彼らが――何よりデルネア将軍が何を意図して行動を起こしているのか、私がアヴィザノに留まっていては何も分からない。だから私は旅立ちたいのだ。いざとなれば、将軍を差し置いて烈火に指図出来る立場にあるのがドゥ・ルイエだからな。そのためには身をやつして、遠巻きに烈火を監視しなければならない」

 今度は、リセロは反対をしなかった。サイファの決意が固いものであり、それを覆すのは容易なことではないというのが分かっているから。何より今回の勅命に関しては、執政官という立場を離れた一個人としては、心中納得出来ないものがあった。それはサイファも同じだろう。自らの意思と反する神託を受け入れ、命令を下したのだから。だが、一家臣の立場上としては、やはり今回の決意には反対せざるを得ない。

「陛下がご不在とあれば、行政はどうすればいいのです?」

「……ルミ、そなたドゥ・ルイエの代行を務めてみる?」

 サイファはさらっと言ってのけた。

「え……」

 いきなり話を振られ、当惑するルミエール・アノウ。しかも、サイファはあえて『ルミ』と呼んだ。今のサイファは、君臣の間柄ではなく、友人として彼女と接しているのだ。

「私がルイエ代行……そんなの駄目に決まってるでしょう?」

「やっぱり駄目か?」

「無理です」とリセロ。

「陛下とアノウ殿が親戚の間柄だとはいえ、アノウ殿は近衛隊長。近衛隊長は政治を取り仕切る権限を持ちませんし、もともとドゥ・ルイエ皇をお守りする職務であるがゆえに、ドゥ・ルイエ代行を務めるなど許されていないのです」

「私が命令を出してもか? 近衛隊長にドゥ・ルイエ代行の権限を与える、と……」

「え……!?」

 顔を引きつらせたまま顔を見合わせるリセロとルミエール。どうやらお互いの考えるところは一緒だったようだ。

(この人はどこまで無茶を通す気なのだろうか)と。

「……冗談だ。私とて、しきたりをねじ曲げるまでの横暴はしないよ」

 二人の心配をよそに、サイファは言ってのける。

「まあ、どのみちドゥ・ルイエの代行は立てられないということか。……ならばこれはどうだろう? 私は病床に臥せってることにして、ルイエ抜きで行政をする。凡庸な私などより、そなたのほうがよほど優れていよう?」

 リセロはかぶりを振った。

「陛下のお考えの中には、旅を取りやめて、ご自分が政を取り仕切るというのは無いのですか?」

「無い。さっきからそう言っている」とサイファ。

(やはり、この方は考えを曲げないか……)

 執政官クローマ・リセロはついに折れた。

「分かりました。中枢の行政については私が取りまとめます」

 言葉を聞いてサイファは、ぱぁっと表情が明るくなった。

「すまないな、助かる!」

「……今、御身がドゥ・ルイエ皇としてではなく、サイファ様として私に話しているように、私も執政官としての立場を置いてお話をしたく存じますが、よろしいですか?」

 サイファはうなずいた。

「では申し上げますが……私もサイファ様とほぼ同じ考えを持っています。フェル・アルムの行く先も心配ですが、今は烈火の動向が恐ろしい。陛下に絶対忠誠を誓っている彼らとはいえ、何をしでかすか正直分かりませんし――」

 リセロは声を落として言った。

「あのデルネア将軍……どうも信頼を置きかねます。何か裏があるような気がしてならないのです。……ですから、サイファ様には彼の真意をなんとしても見届けて頂きたい」

「ありがとうリセロ。私が旅立つのを理解してくれて嬉しく思う」

 サイファは立ち上がり、彼の手を握り締めた。

「まあ、執政官としては、頑として反対なのですがね」

 リセロはやや照れながら言った。

「それはさておき、あなただけで旅立たれるのはどうかと思います。今回は散策というよりは旅……いや、冒険ともいえる行いなのですから、女性ひとりというのは危険過ぎます。フェル・アルムが混乱している今、どんな危険に巻き込まれても不思議ではありません」

「ひとりでは駄目だと?」

「はい。すみませんが、承諾いただかない限りは、私は家臣としての私に戻って、あなたの行動に反対しなければならないでしょう」

「なら……」

 サイファは何か言いたげにルミエールを見つめた。

「まさか……、私が?」

「そう。一緒に来て欲しい。これは君命だ」

「ずるいわよ。こんな時に立場をちらつかせて。近衛兵としてあなたを護る身としては、従うしかなくなるじゃないの」

 口を尖らせて抗議するルミエール。だが、本心からではないのは明らかだ。

「リセロ。これで問題ないだろう?」

「……確かにアノウ殿の剣技は宮中でも指折りですから、御身の護りとしては最適でしょう。しかし、若い女性二人だけで国を旅するというのは、奇異の目で捉えられがちと思いますし……その……何かと危険が伴いましょう?」

「だったら、わが隊のマズナフを加えましょう」

 とルミエール。

「エヤード・マズナフ殿ですか。サラムレの剣技大会優勝者の彼が加われば、サイファ様の護り役としては申し分ない」

「それもありますが……私達とは、親子ほどの年齢の開きがありますから彼を、と考えたのです。彼が父親役を演じてくれるのなら、家族で旅をしているだの、家を失って放浪中だの、色々言いわけが出来ますよ。まあ、国王と近衛兵が旅をするなんて、人は想像だにしないでしょうけど」

 そう言ってルミエールはころころと笑った。サイファもつられて笑みがこぼれる。

「では、明朝の前二刻、北の城壁の尖塔あたりで落ち合おう。マズナフにも言っておいてほしい」

「分かったわ」とルミエール。

「エヤードも、いきなりこんなこと聞かされてびっくりするでしょうけど、元来は旅が好きな人ですから、きっと快く承諾してくれると思うわ」

 君命だしね、そう付け加えてルミエールはサイファに目配せした。

「ルミ、ありがとう」

 二人の心遣いに心動かされるものがあったのか、その声はやや震えていた。

「リセロ。迷惑をかけるな。……やはり私は国王として失格なのかもしれない……。しかし、こうしなければ後悔するに違いないのだ。だから……」

「おっしゃられるな、陛下」

 激するサイファの言葉を遮り、リセロは優しく言った。その言葉は深くサイファの心に刻まれ、サイファが後に回顧するたびに励みとなるものだった。

「やはりあなたの行いこそ、ドゥ・ルイエ皇として真に相応しいものであります」


* * *


 翌朝。サイファ一行はアヴィザノを後にし、烈火の足跡を追うことになった。

 ユクツェルノイレ湖を左手に見ながらサラムレへ、そしてスティンへ。そのようにデルネアと烈火は向かうだろう。広大な平原を北に伸びる街道を見つめていると、烈火の進軍から一日経ているというのに、舞い上げる埃の中、真紅の一団が行軍する様子が目に見えるようであった。満悦したデルネアの顔すら浮かんできた。

 サイファはそのまま目を上方に向ける。禍々しい黒い空が青空を確実に侵略しつつある。

(あの黒い空の中に何があるというのだろう?)

 そう思いつつ、サイファは胸元のたまを握った。ジルから貰った珠の周りに装飾をつけ、胸飾りとしたのだ。

 出立の前に一言ジルに言い残そうとも思ったが、やめておいた。ジルがいれば、自分はすっかり頼りきってしまうだろうから。彼を頼るのは、いよいよ押し迫った時でよい。それまでは自分達の力だけで切り開いていきたいのだ。

「さあ、エヤード、ルミ、行こう!」

 サイファの一声にエヤード・マズナフとルミエール・アノウはうなずき、街道を歩き始めた。これは烈火がアヴィザノを離れ、北部クロンの宿りを絶望が覆いつくした翌日の朝のことであった。

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