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フェル・アルム刻記  作者: 大気杜弥
第二部 “濁流”
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第四章 水の街サラムレにて (四)

四.


 夜も遅くなり、家々の明かりが消えた頃。

 ルードは〈ラミヒェールの旅籠屋〉の両開きの扉を、音を立てないように慎重に閉めた。〈帳〉は扉に両の手を当て、短い呪文を唱えた。一瞬、〈帳〉の手のひらを青銅色の光が覆う。そして――。

 かちゃり。

 内側の鍵がかけられたことを確認すると、一行は馬に乗り、足早に立ち去った。


 酒場で商人達から聞き出した南部域の状況は、悲観的にならざるを得ないことばかりであった。

 アズニール語の復活、魔物の出現、帝都を急襲した龍――世界は確実に崩壊への一途を辿っている。

 さらに北方から迫り来る、黒い空の脅威。真実を知っているルード達に出来ることは、急いでデルネアから還元の手段を聞き出すことのみ。

 宿で仮眠を取ったルード達は、“刻無き時”といわれる深夜であるにも関わらず、ひっそりと宿をあとにしたのだ。

 しんと静まりかえった深夜のサラムレの街の中で、さらさら流れる川の音と、ルード達の馬の蹄鉄の音のみが存在しているかのようであった。灯りの消された街並みは文字どおり闇に覆われている。しかし空にあるのはさらなる暗黒。もはや上空を見上げるのすら忌まわしい。夜空を照らすものなど、まったく存在しないのだ。


(世界がせっぱ詰まってるっていうのが分かっていながら、どういうことなんだ!)

 酒場で商人と交わした会話の中身を〈帳〉から聞いたルードは憤りを覚えていた。

(どんなことになっても、どんな危機が迫っても結局は神君が救ってくれるだって? 世界が壊れようとしてるっていうのを知らないにしても、あまりにも楽観的過ぎるぜ!)

 自分の意志を確かめるかのように、ルードは手綱をぎゅっと握りしめる。

「〈帳〉さん、ハーンの様子はまだ分からないんですか?」

「分からぬ。彼が未だ、クロンの宿りから出ていないということはつかんでいるのだが」

「ハーンも一体どうしちゃったっていうんだ? なんで動いてくれないんだ?」

 ルードは苛立ちながら言った。

「行こう、スティンへ! じきにハーンも来てくれるんだろうしさ!」

 憮然とした表情を崩さずに、そう言うなり馬の腹を蹴って、急ぎ足に走らせた。

「待ってよ、ルード!」

 ライカが、帳が馬をとばして彼に追いついた。

「そんなにしたら大きな音がするじゃない。馬をとばすのはこの街を出てからでもいいでしょう?」

「分かってるさ! でもやりきれなくて……俺達がそれこそ真剣な思いで、こうして頑張ってるのに、あまりにもここの連中がのんき過ぎると思わないか?!」

 思わずルードは声を荒げる。感情が高ぶっていくのが自分でもはっきりと分かった。

「言葉だって変わった。魔物も出てきた。だってのに自分達は不安を解決する手も持たずにただ待つだけ。そんなんで最後は何かが助けてくれるなんて、あまりにも馬鹿げてると思わないか?」

 もはや今までの価値観など崩れ去っているというのに、それに気付かず、また気付いていたとしても気付かないふりをして、未だに過去の価値観にすがろうとする――それは愚かしいことであり、また哀れでもあった。

「ルード。そう怒鳴らないでよ……。あなたの言うことはもっともだけど、みんなだって手の打ちようがない中でどうしようもなく苦しんでいて、何かにすがりたくなっている……っていうことも分かるでしょう?」

「分かってるさ!」

 道ばたにいた、明らかに自分を見失っている呆けた顔をした男が、大声を上げたルードを一瞥するが、やがて彼は再び道ばたにうずくまり、それまで繰り返していた意味のない言葉をひとりつぶやくのだった。

「分かるけど……ええい! とにかく俺達は、俺達で出来ることをやらなきゃならないんだ! 行こう!」

 ルードは再び馬を駆った。ライカは大きく溜息をつくと、それでも彼に追いつくように馬を走らせた。

「ルード!」

「ごめんな。怒鳴るつもりはなかったんだけど……少しいらついてて、ライカにあたっちまった」

 粗野な言動をしたからといって、事態が好転するでもない。鬱積した感情を吐き出したかったのは事実だが、矛先をライカに向けたことを恥じつつ、ルードは優しい言葉を返した。

「わたしは大丈夫……まだ、ね。でもわたしだって時々不安になるの。そんな時に、せめて落ち着かせてくれたら、わたしはそれで大丈夫になれるから……」

 ライカの翡翠の瞳がかすかに揺れる。ふだんいくら気丈に振る舞っていても、やはり年頃の娘なのだ。不安に押し流されることもある。ライカは今にも泣き出しそうだった。

「ライカは……強いよ」

「そんなことない……」


(二人ともだいぶ苛立っているな……当たり前だが)

 馬を急がせつつも〈帳〉は思った。

(私が商人から聞いた話で一番恐ろしいと感じたのは、人々が無意識のうちに、今回の災いの発端はニーヴルだと信じ切っていることだ……。あるいはデルネアが意図的に流布させたのか定かではないが、彼がこの状況を何かしらのかたちで利用するのではないだろうか……それが恐ろしい)


 しかし、〈帳〉が恐れていることは、すでに為されていた。

 帝都アヴィザノではこの日、ドゥ・ルイエ皇が勅命を発していたのだ。“全ての元凶たるニーヴル”を討つため、烈火は集まりつつある。この深夜においても、烈火が着々と集結していることを、今のルード達には知る由もない。


 ともかくスティンへ向かうこと。それこそが希望を繋ぐ手段にほかならないのだから。

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