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フェル・アルム刻記  作者: 大気杜弥
第二部 “濁流”
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第三章 中枢、動く (十)

十.


 ルイエは、儀仗に身を纏った近衛兵に周囲をぐるりと囲まれ、玉座の間に向かっていた。途中で執政官リセロと出会い、単刀直入にこう言った。

[神託が降りたゆえ、我が命令は変更となった。烈火を全て北方に回す]

[え……]

 リセロも一瞬言葉を失った。近衛兵達も驚きを隠せないでいる。

[そうなのでありますか? し、しかし、それが神の思し召しとあらば、神の指し示した道を歩むことこそが賢明でありましょう]

 取り直したリセロはそう言って取り繕った。

[であろうな]

 ルイエは一言返したのみ。一同はその後無言で玉座の間に辿り着いた。


 七月四日、前四刻。『勅命の場』。

 玉座の間には、すでに宮中の人間が大勢集まっており、ルイエの入室の際には一同敬礼で迎えた。ルイエは近衛兵に囲まれたまま玉座を目指した。玉座の手前で近衛兵達は脇に分かれ、隊長のアノウのみが玉座の階段前に留まった。ルイエは北方に一礼をすると、正面を向き直り玉座に腰掛けた。


[神君ユクツェルノイレの名のもとに、こん席上ではドゥ・ルイエ陛下による宣命を賜ります]

 ゼネダンが述べると、ルイエはすくと立ち上がった。玉座の間が喝采に包まれる。ルイエが右手を挙げると拍手は止み、一同はルイエを見据える。百近い視線全て、ルイエに集中するのだ。

 ルイエはもとから、この雰囲気が好きではなかったのだが、今回はことさら嫌なものであった。自分本来の考えとは異なる命令を下さなければならない。そう考えると全ての瞳が、ルイエを咎めているような感さえ受けた。

[――]

 ルイエは口を開くが、声が出なかった。否、出せなかった。二十歳をようやく過ぎた娘が、国を揺さぶる重大事を発言しようというのだ。近衛隊長ルミエール・アノウが、リセロが、そしてデルネアが自分を見ている。だが喉もとが張り付いたように動かない。

 そんな中、ルイエは、無意識のうちに金髪の少年の姿を探している自分に気付いた。

(ジルは……ここにいるわけないか…。しかし……)

 ルイエは左手をぎゅっと握り締める。その中にあるのは、ジルから貰った、あのたまだ。握っていると少しずつ、張り詰めた心が和らいでいくのを感じた。

(この石……そなたを近くに感じるようで、安心するぞ)

 そばに控えるアノウが、心配そうな面持ちでルイエを見ている。それに気付き、ルイエは笑みを浮かべ手をあげる。

(大丈夫だ)

 サイファの従姉にして幼友達でもあるルミエール・アノウは。ルイエのしぐさで悟り、再び正面を向いた。ルイエもきっと前を見据える。一瞬、ジルの顔が頭をよぎった。

[……諸君らも知ってのとおり、フェル・アルムに前代未聞の禍々しい出来事が勃発している。人々の不安、恐怖がいかばかりのものか。この混乱を招いたのは何なのであろうか? 中枢とて手をこまねいていたわけではない。……我、ドゥ・ルイエは諸君らに言い伝える。これは勅命である! 神君ユクツェルノイレに誓って、虚偽はない。ドゥ・ルイエは純粋に、平穏を保持したい一心のみを持つのである]

 心の迷いを何とか振り払い、ルイエは凛とした声で告げた。

[勅命を言い渡す。かつて、全土を震撼させたニーヴルが、北方に結集しつつある。よって、全ての烈火には北方に動くよう、ここに命ず!]


 瞬間、宮中の空気が一転した。居合わせた人々は、動揺、衝撃を隠せないでいる。一同を見渡すルイエにもひしひしと彼らの思いが伝わってきた。それは彼女にはとても痛いものだったから、ルイエは天井に視線を泳がせるしかなかった。

(とりあえず今は何も考えるな。とりあえず……)

 ルイエは心の中で思った。

[デルネア将軍、前へ]

 ルイエは思いを胸中に沈め、デルネアを呼んだ。デルネアが階段の下でひざまずく。と、ルイエの頭にジルの言葉がよみがえった。


『龍を倒した剣士、人間にしては強力過ぎる“力”を持ってるよ。あいつにはきっと何か裏があるよ』


(確かに……ただならぬ者だと私にも分かる。慎重に言葉を選びなさい、サイファよ)

 彼女は自分に言い聞かせた。

[貴君には、我、ドゥ・ルイエの名において、全ての烈火の指揮権を委ねる。だが火急の時を除いて、剣を振るうのは認めぬ。また、何ら罪のない人々に危害を加えぬように心せよ]

[仰せのままに]デルネアは深く頭を下げ、恭順を示した。

[我ら烈火は、陛下の命によってのみ、動きます。陛下がそうおっしゃるのであれば、従いましょう]

[うむ]

 ルイエは軽くうなずくと、声を大にして言い放った。

[貴君らも聞いてのとおりである。不穏な動きを封じるために私は烈火に号令をかけた。しかし、それは民を踏みにじるものではない。今、デルネア将軍が私に誓ったとおりだ。もし、これが破られた時は……]

 左手を硬く握るルイエ。

[枢機裁判にわが身をおくものである!]

 階下が再びざわめく。枢機裁判といえば、唯一ドゥ・ルイエ皇をも裁くことが出来る司法の最高機関である。悪政を行ったルイエはここの裁きを受けるようになっている。しかし、この仕組みが制定されて以降、皇帝が出廷したという実例はない。フェル・アルム中枢が、この構造をつくる原因となった“恐怖王”ルビアンの処刑以来は。

[諸君、静まりたまえ!]と、ルイエ。

[我は十三年前の悲劇を、絶対に繰り返してはならないと考えている。かつてニーヴルの反乱鎮圧時に、父王は救国の英雄として賞賛を浴びたが、実は幾多の人々が犠牲となったことにひどく心を痛めておられた。そのことを諸君らにも、今一度認識してもらいたいのだ。繰り返し告げる。我の名のもとに烈火を発動させるが、戦災を巻き起こさぬよう、デルネア将軍に厳命する!]

 デルネアは深く頭を垂れ、そしてすくりと立ち上がった。一瞬、ルイエと視線が合う。

(――!)

 デルネアの瞳はルイエを見上げているが、むしろデルネアが高みからルイエを、そして人々を見下ろしているような感覚さえ覚えた。憤懣と侮蔑と野心。ぎらぎらとした、貪欲な野獣のような瞳。背筋が凍りつくような強大な何かがこの男にはあるのだ。実際、ルイエはデルネアの持つ気迫に飲まれてしまっていた。

 デルネアはついと視線をはずすとルイエに恭しく一礼し、もとの席に戻っていった。

(はあっ……)

 ルイエは内心で安堵の息を漏らした。身体にのしかかっていた重圧が無くなったからだ。

[諸君、これにて閉会としたい。しかし、案ずるな! 我らは再び平穏を取り戻すことが出来るであろう! 全ては神君ユクツェルノイレの思し召しのままに!]

 宮中に凛としたドゥ・ルイエの声が響く。それは閉会の言葉であったが、同時にフェル・アルム史上最大の大事のはじまりを高らかに告げるものでもあった。


 その名を“大いなる変動”という。

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