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フェル・アルム刻記  作者: 大気杜弥
第二部 “濁流”
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第三章 中枢、動く (九)

九.


 七月四日の朝方。前二刻も過ぎた頃。こんこんと、ルイエの部屋の扉が叩かれた。

[キオルか?]

 ベッドに腰掛けているルイエは、あくびをかみしめ扉の向こうに話しかけた。

[はい。入ってよろしいでしょうか?]

[ああ]

 キオルが部屋に入ると、大きな口を開けてあくびをする少女が目に入った。とがめられるのを気にしてか、ルイエはあくびの途中で口に手をやった。

[お早うございます。……あ、陛下……]

[はしたない、か? すまぬ……]

[いえ、あまり寝ていらっしゃらないご様子なので、お体がすぐれないのか、と思いました]

[私はそんなにやわじゃないつもりだ]

 そう言いつつ、ルイエはあくびをもう一つ。

[とは言っても、さすがに堪えたな、あれには……]

 ルイエはごろりとベッドに横たわった。


 昨日ジルと別れたあと、典礼長ゼネダンから『勅命の場』の日時を告げられた。七月四日、前四刻に執り行う。それは思いの外、早いものだった。

 ルイエも勅命の場を幾度か経験しているものの、烈火を動かすというのは滅多にない。これは国家の大事である。ゼネダンと執政官リセロは、号令のかけ方について懇々とルイエに説き、勅命の場で成すことや、話す内容などを夜遅くまでかけてまとめ上げたのだ。結局ルイエが床に入ったのは、“刻無き時”を越えてからであった。


[そろそろ食事なのか? ならば着替えないといけないな]

 ルイエは目を閉じたまま、やや鬱陶しげにつぶやいた。

[確かにそろそろお時間なのですが、そうではなく……]

[もったいぶるとは、そなたらしくもないな。……ああ、でもジルについての小言ならあとにしてくれないか。多少なりとも、すがすがしく朝を迎えたいのだから]

 ルイエは窓に目をやった。

[いい天気だ……今日も暑くなりそうかな?]

[陛下……空の宮にお越し頂けませんか? ……その……司祭殿がお会いしたいと……]

[司祭殿が!?]

 がばりと飛び起きるルイエ。キオルの一言は、ルイエの頭を覚ますのに十分過ぎるものだった。次にルイエの心を占めるのは、とてつもない不安感。


(今日、勅命をかけるというのに……いかな神託が下ったというのだ?)

 その時ルイエは、少し心に引っかかるものを感じた。

(神託とは何か? それは神の思し召し。私達にとっての神は、神君ユクツェルノイレと、その父にして大地の神クォリューエル。……だがジル――トゥファール神の使いよ。……私達が信ずる神というのは、本当に存在するのだろうか?)

 神――ユクツェルノイレとクォリューエル――の存在を訝しがること。それはフェル・アルムの民がおよそ考えつきもしないことだった。しかし、真実の断片を知ってしまったルイエにとって、虚構の皮をめくるのは造作もないことであった。とは言え、未だルイエ本人は運命の渦中に飛び込んだという自覚は無い。今の彼女に出来ることは、鬱々とした気分をしまい込んで、司祭を訪れることのみだった。


 ただ、デルネアや隷達の目論むままに動くほど、彼女は凡庸ではない。サイファが洞察力に優れていることと、神の使いジルに遭遇していること。

 フェル・アルムの影の統治者達は、そのようなことを知るよしもなく、勅命の場を待ち望んでいた。


* * *


 ステンドグラスに囲まれた、真っ白な部屋。生活感のかけらもない、司祭の居室たる空の宮に入ってきたルイエを司祭は恭しく出迎えた。一週間前と同じように。

[お忙しい中、ようこそおいで下さいました、陛下]

 老人は深々とお辞儀をすると、ルイエを席に案内した。

[ああ。確かに忙しい]

 ルイエは、心の中にある不安を気取られないように、やや尊大な口調で話した。

[またご神託であろうか? 司祭殿も知ってのとおり、今日勅命を発するというのだ。よもや神は私の方針にケチを付けるおつもりなのか?]

[……たとえ陛下であっても、神の尊厳を傷つけるお言葉は許されませぬぞ]

 司祭は低いしゃがれ声でルイエを諫めた。

[確かにな、出過ぎた言葉であった。許されよ]

 言葉とは裏腹に、ルイエは不遜な態度をあらためようとはしない。

[では神託を。心して聞かれんことを]


 司祭は言い放った。その神託は――司祭すなわち〈隷の長〉が、デルネアより受けた言葉そのままであった。

[北方にニーヴルが結集しつつある様子。陛下にあっては、烈火を総動員するよう勅命を出し、烈火を北方に向かわせるようにして頂きたい]

「馬鹿な!」

 ルイエは思わず『失われた言葉』で口走った。司祭は何も言わなかったが、冷徹な視線をルイエに送り、ルイエの不敬な言動を咎めた。

[し、失礼をした……]

 ルイエは目を閉じ、深呼吸を一つ。どうしようもなく動揺する心を落ち着けるために。

[……ニーヴルがいると、どうして分かったのだ? 疾風の報には、そのようなことは書いてなかったはずだ]

[おっしゃることは分かります。しかし、疾風達も人の子。分からないこととてありましょう。なれど、神の御言葉は絶対です。このような混乱の時期に神の啓示を頂けるとは、ひとえに陛下のご人徳ゆえ。ありがたいことでございます]

[世辞を言わなくてもよい。北の様子をその目で見ている疾風達より、アヴィザノにいるそなたのほうが、よほど状況をよく把握しているというわけか。……さすがは司祭殿だ]

 ルイエの若干皮肉めいた口調を気にも留めないかのように、司祭は淡々と語った。

[私ごときは大したものではありません。全ては神の見られるところ。神からの思し召しによって私は動いているに過ぎません。各地で噂されるニーヴルに関わる風説は、おおいなる神によって立証されたのです。……神託は下されました。陛下にはご指示を出していただきたい]

 ルイエに神託を覆す権利は無い。反逆者たるニーヴルの所在は“神”が明らかにしたのだから、秩序の名の下に彼らを排除しなければならない。十三年前、父王が行ったように。

 そうなると、戦になるのは火を見るより明らかである。どれだけの民が戦禍の犠牲になるのか。そう思うと胸がひどく痛むのを感じた。

[……烈火に下知せよ、というのだな? 勅命の場で]

[御意]

 ルイエの心中を知ってか知らずか、司祭は冷たく言い放った。しばし、沈黙があたりを支配する。

[……あい分かった。全ては神君ユクツェルノイレの思し召しのままに]

 ルイエはそう言い残し、空の宮をあとにした。

 外に出たルイエは空の宮を振り返り、つぶやいた。

「これから勅命を下すというこの時に、それを覆す神託が出るとは……。あまりにも頃合いがあい過ぎている……そこが腑に落ちない……。しかし、今の私にはどうすることも出来ないのか?」

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