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フェル・アルム刻記  作者: 大気杜弥
第二部 “濁流”
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第一章 “力”を求める者 (三)

三.


「うわあ!」

 ハーンの上げた奇声で、ディエルは夢の中から呼び起こされてしまった。寝ぼけ眼で横を見ると、『やってしまった』とでも言いたげな、苦い顔をしたハーンがいた。

[……どうしたんだよ?]

 寝ぼけた目をこすり、ディエルも起きた。窓から射し込む日の光は暖かく、風を伝って食べ物のいい匂いがしてくる。

[もう昼みたいだな。おはよう、兄ちゃん]

[そうだよ……どうやら丸一日眠っちゃったみたいだ]

 ハーンは手を顔に当てる。まいったな。そんな感情がありありと出ている。ハーンとしては二、三刻ほど休んですぐに旅立つ予定だった。寝こけるなど思いもしなかったのだ。

[無理ないよ。兄ちゃん、むちゃくちゃ疲れてたし]

 あっけらかんとした口調で言うディエル。

[でも、いつまでもこうもしちゃいられない! ……あれ……僕の服は……?]

 ハーンは、がばっと起き上がると、自分の服を探した。

[ああ、兄ちゃんの服なら、おばさんが洗って、ほら、そこにかけてあるよ]

 ディエルは戸口におかれたかごを指さした。

[おかみさんが? いつ頃来たの?]

 ハーンは、籠から真っ白な服を取り出すと、着替え始めた。

[朝方だったかな? オレも服を探してたらさ、おばさんに出会って、オレのと、兄ちゃんのと、服を渡されたんだ]

[ディエルは朝きちんと起きたのかい?]

[ああ、でも兄ちゃんが寝てたから、また寝ちゃったけど]

[……その時、起こしてくれりゃよかったのになあ……]

 ハーンは悪態を付きながらも着替え終わり、ディエルにも着替えるよう催促した。

[丸一日ここで過ごしちゃったんだ。早く行かないと!]

 ハーンと、ナスタデン夫妻に礼を言うと、ディエルを連れてあわただしくクロンの宿りをあとにしていった。


 昼下がりの太陽の光は、奇妙な組み合わせとなった二人の旅人を暖かく包む。クロンを出てからというもの、話すきっかけがないのか、二人は黙ったままだった。

 ハーンは馬を歩ませながら、ルード、ライカとともに高原を目指した、二ヶ月ほど前の出来事を思い出していた。

 あの頃のことは、今起こりつつある全ての出来事の始まりでしかなかった。ルードはもちろん、ハーンですら、事態がここまで大きくなるとは思いもしなかった。

 そしてハーンの想いは、さらに過去に遡っていく。

 ハーンは無性に懐かしかった。シャンピオとともに、スティンの高原を訪れた、あの春の始まりが。ニーヴルとしての過去を忘れ、タール弾きとして各地を巡り、時として旅商の護衛となっていた、かつての自分が。

 だが、もうあの頃には戻れないのだ。

 きりりと、胸の奥が痛くなる。ハーンにとっての平穏は、すさまじい濁流の向こう側にしか存在しないのだから。

(……でもそれはルードやライカ、〈帳〉もおんなじなんだ)

 自分とともに歩いていこうとする仲間がいる。それがハーンの支えであった。運命を一人で握ることの怖さを、ハーンは知っているのだ。自分の奥底に眠る、遙か昔の悲しい“知識”によって。

 ハーンは左手で自分の腰のあたりを探った。鞘に収められるは、漆黒剣。鞘を通してすら感じる、かすかな闇の波動。その波動はハーンに安らぎを与えるとともに、戒めをも与える。〈帳〉が自分にこの剣を託した意味を忘れてはいけない。


[どうしたんだよ? へんに落ち込んでない、兄ちゃん?]

 馬の首につかまっているディエルが振り返って言った。

[いやぁ、別に。山道に入る前で野営しないといけないと思ってね。もうちょっと僕らが早く出ていたら、山道のちょうどいいところでキャンプを張れるんだけど、まあ過ぎたことを言っても仕方ないかな?]

 ハーンは平静を装って答えた。

[……兄ちゃん、戦士なの? すごい剣持ってるじゃない]

 ハーンが腰に下げている剣を見据えてディエルは言った。

[まあ、そうだね……戦士といえばそうなのかな? タール弾きでもあるんだけどねえ]

 努めて得意げに言うハーン。他人と話していると、鬱屈しがちの感情も少しは晴れる。

[タールって?]

[僕の持ってる楽器だよ。これがないと、僕は食べていけないんだ。剣を握ることが、そうそうあるわけじゃないしね]

[へえ。じゃあ、兄ちゃんの演奏、聴かせておくれよ。オレ、そういうの好きなんだ!]

[分かった。でも少し我慢してくれないかい? そうだな、二刻もしたら野営地に着くから、そうしたら弾いてあげるよ]

 それを聞いてディエルはうんうんと、力強くうなずいた。

[きっとだよ!]

[分かったよ。僕も路銀が乏しくってね。よし、今日はたっぷり弾いて、道行く人から稼がせてもらおう!]

 ハーンとディエルは顔を合わせ、にいっと笑いあった。

[そんでさ、兄ちゃんの剣なんだけど……すごそうだね]

 ディエルは話を元に戻そうとした。

[ああ、こいつかい?]ハーンは剣を鞘からすらりと抜いた。

[すげえ……真っ黒だ]

 ディエルは食い入るように刀身を見つめた。陽の光があたりを包んですら、この刀身だけは光ることがないのだ。

[なるべくなら、使わずにすませたいもんだけどね、こんな物騒なものは、さ]

 ハーンは剣をおさめた。


 それからというもの、ハーンはディエルに色々話して聞かせた。クロンの宿りに住むナスタデン夫妻のことや、水の街サラムレの剣技会での珍事件。それに、湖畔の街カラファーのうまい食べ物などなど。ディエルも興味深そうに聞き入り、おかしな話にはお互い笑いあった。だが、ハーンやディエルの個人的な話題についてはまったく触れられなかった。

 陽が傾きはじめる頃、二人はスティン山道に入る前の野営地に辿り着いた。

 キャンプの準備をひととおり終えると、ハーンは荷袋の中からタールをとりだし、弦を一本一本張っていく。


 その様子を見ていた一人の老人がハーンに声をかけてきた。自分もタール弾きなので、一緒に弾いて楽しまないか、と言うのだ。ハーンは申し出を快く受け入れ、調弦をすますと、じゃらん、と弦をかき鳴らした。

 二人はそれを合図に、ともにタールを弾き始めた。

 最初はディエルだけが聴き入っていたが、徐々に人が集まりだし、とうとう、今日野営を行う全ての人(二十人程度)が、ハーンと老人の紡ぐ調べを聴くために集まってきた。

 老人の腕前は、『十二本の指を持つ』と賞されるハーンに比べればいささか劣りはするものの、タール弾きを生業なりわいとするには十二分であったし、暖かみのある音色は、印象深いものだった。

 一刻ほど後、二人が演奏をやめると周囲の人々は拍手喝采、やんややんや騒ぎ出した。おひねりを集めるハーンと老人は、旅商の一行と食事をともにすることになり、そこでも酒を交わしながら、踊りの曲をいくつも披露した。曲にあわせ、踊りに興ずる人々。その中にはディエルの姿もあった。


 楽しかった宴会もお開きとなり、ハーンは老人と握手を交わした。

[ありがとう。こうも楽しくタールを弾けたのは本当に久しぶりですよ]

 それを聞いて、老人はかっかっと笑いながら言った。

[それはよかった。わしも楽しかったわい。こうやって弾いていると、嫌なことなど吹き飛んでしまうじゃろう?]

[そうですねえ]ハーンは笑いながら相づちを打った。

[なあ若いの。おぬし、悩んでいることがあるな?]

 老人は目を細めて訊いてきた。ハーンはどきりとした。老人の指摘があまりにも的確だったからだ。

[分かりますか?]

[分かるとも。だてに長年タールを弾いてないわい。その音から、弾いてる人間の想いが分かるってもんじゃよ]

 ハーンは苦笑いをした。

[じゃが]老人はにっと笑った。[じゃがな、大丈夫じゃ。人間と同じく、世界そのものにも意志があるとするなら、自分から進んで悪い方向に行こうなどとは思わんじゃろうからな]

[え?!]

 ハーンは老人を見据えた。自分を見上げている老人が、急に大きく見える。

[それにぬしが闇の虜になったとしても、おぬしの友人が救ってくれるじゃろう]

 再び目を細めると、老人はタールを手に歩き始めた。

[あの!]ハーンは声をかけた。[あなたは……?]

 老人は振り返って言う。

「わしは、おぬしの“知識”が……封じられた知識が知っている者じゃ。……闇を汝が力とせよ。きっかけを与える者は、すでにおる。まあ多少、手荒にはなりそうじゃがな」

 語った言葉はフェル・アルムの言葉ではなく、アズニール語――アリューザ・ガルドの言葉であった。老人は再び歩き始めた。

「古き友人よ。我が名は“慧眼けいがんの”ディッセじゃ」

 その場で、老人の姿はすうっと消え失せた。


「ディッセ……」

 ハーンは老人がいた場所を見ながら言った。

(――ディッセ。ムル・アルス・ディッセ。ディトゥア神族にして、次元の狭間“スルプ”の長)

 心の奥底に眠る“知識”がハーンに囁いた。

 術の力に覚醒した十三年前から、“知識”はハーンの中で時折うごめいていたが、ここ最近、呼びかけが顕著であった。ハーンの奥底に眠る“知識”といわれるもの。それがいったい何なのか、知る者はハーン自身と〈帳〉しかいない。


 そのまま、ハーンはしばしたたずんだ。

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