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フェル・アルム刻記  作者: 大気杜弥
第二部 “濁流”
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第一章 “力”を求める者 (二)

二.


 そして朝が来る。

 漆黒の闇は去り、陽の光によって世界は明るく彩られていく。だがハーンにとって、それは仮初めの平和でしかない。

(だけれども陽の光は、闇に同調する漆黒剣と、剣の“力”に怯える僕自身に、ひとときの安らぎを与えるのもまた事実……か)

 だんだんと朱色に染まっていく東方、スティン山地の稜線を見ながら、ハーンは思った。

(レヒン・ティルルは確かに大した剣だ。でも、僕も剣の闇の部分に取り込まれないようにしないと。そんなことはもうないだろうけど、用心はしなくちゃ。〈帳〉は、僕のことも世界の希望の一部だと思ってくれているんだから)


* * *


「ふう……やっとだよ」

 馬を歩ませながらハーンは言った。東の空が明るくなるにつれ、とりあえずの安息の場所、クロンの宿りの門がぼんやりと見えてきた。

「この子をどうしたもんかね……。とりあえずあの親父さんのとこまで連れてくしかないか」

 ハーンは、馬の首筋にしがみつくようになって寝ているディエルを見た。結局、ディエルがどこから来て、なぜ迷子になっていたのかは聞き出せずにいた。

(ま、いいけどねぇ。ごく普通の男の子だからなぁ。しかしなんというか……疲れる子だよ……)

 手綱を引きつつハーンは苦笑した。


[おおい、ハーンじゃないかあ?]

 門に辿り着いたハーンに、衛兵のひとりが声をかけてきた。

[キニーかい? 久しぶりだね、朝早くからごくろうさま]

 ハーンが手を挙げて答える。

[こんなとこで会うなんて。戦士稼業はどうしたんだい?]

 キニーは、一年前に知り合った傭兵仲間だった。

[ああ、……実は俺の親父が一ヶ月前にぽっくり逝っちまってさ。お袋ひとりだと大変だろ? だからお袋とここに住みつくことに決めたのさ。そういうことで傭兵はやめだ。まあ、いい嫁さんでも探すさ]

 キニーは言った。

[ところで、その子はハーンのかい?]

[だとしたら、僕は声も変わらないころから浮き名を流してたことになるよね]

 ハーンは笑った。

[……迷子らしいんだ。クロンで、ここ数日で行方不明になった子っているかい?]

[いや、全然。……なあ、知ってるか?]

 キニーは同僚達に声をかけたが、彼もそんな話は聞いてないとのことだった。

[別にそんな話は聞かないし、野盗が出没したっていうのもないな。どこから来たんだろうな?]

[それは僕が訊きたいよ]ハーンは苦笑した。

 と、馬のたてがみがむず痒くなったのか、二、三回ディエルがくしゃみをした。

[ああ、とりあえず入んなよ。しばらくここにいるのかい?]

 キニーが門を開ける。

[いや、一日もすれば出ちゃうつもりさ]

[そうか、気を付けてな、最近得体の知れない化けもんを見た、とかいうのを聞くからな]

[それは……どこら辺で?]

 ハーンの顔つきが真摯なものに変わる。

[何人かの旅商の話さ。スティンの山道とか、カラファーからダシュニーに向かう山道とかで、でかくて真っ黒な奴を見たっていうんだ……。ま、おおかたそいつら、熊と見間違えたんだろうけどよ]

[……キニー。君の言っている熊っていうのは、間違いなく強いよ。万が一に出会ってしまったら、心してかからないと――死を招く]

[え? ああ、分かったよ。じゃあな]

 ハーンは、キニーとにこやかに別れながらも、内心、確信を持っていた。

(“混沌”の魔物が、勢力を増している。急がないと!)

(しかし……)と、ディエルを見る。

「この子……どうしようかねぇ……」

 嘆息。


* * *


 〈緑の浜〉。赤煉瓦れんがのこじんまりとした宿の厨房では、朝もまだ早いというのにひと騒ぎになっていた。

[ぷぅー……。ごちそうさん!]

 ディエルは、二人前の食事をぺろりとたいらげ、満足そうに言った。

 ハーンがディエルと一緒にやって来たのは、前一刻を告げる鐘が鳴ってそう経たない時だった。折しも朝食の仕込みをしていた夫人は、ハーンから事情を聞くとすぐに寝所へ向かった。夫人に追い立てられるようにして、宿の主人ナスタデンが目をこすりながら現れた。

[ハーンの頼みだったらしかたねえな。俺もかみさんが怖いからよ……]

 などと言いながら、風呂釜の準備をしに行った。ハーンも湯を沸かすやら、朝食の準備をするやらでこき使われたが。

[ディエル……。もういいかい?]

 緊張の糸が解けて、今までの疲れがどっと出てしまったハーンは、生あくびをしながら訊いた。

[うん! 兄ちゃん、どうもありがとうな]

 満足するまで食べて元気を取り戻したディエルは、恩人であるハーンに心を開き、〈兄ちゃん〉と呼ぶようになっていた。

[まったくよ……ハーンも朝から騒がせるなよな]

 そう言いつつ、ナスタデンの顔はほころんでいる。

[悪いね親父さん。ここしか頼める場所がないと思ったんだ]

[なに、気にすんな。俺も久しぶりに子供の世話が出来たんでよかったよ]


[ねえ、ディエル]

 ほかの客へ食事を運ぶのがひととおりすんで、時間が空いたナスタデン夫人が訊いてきた。

[あなたどこから来たの?]

[うーん……]

 ディエルは腕組みをして唸った。

[とりあえず、ずうっと南、かな。王様のお城みたいなのがある、でっかいところ]

[お城っていうと……アヴィザノかしらね? あんなところからひとりで来たのかい?!]

[う……ん。まあね]ディエルは言葉を濁す。

[じゃあ僕はなぜ、クロンに行く道で出会ったんだろう?]

 ハーンが言った。

[アヴィザノっていったら、ディエルが歩いてきた道と、まるで正反対だからね]

[まあ、勝手に連れてこられたっていうか……]

 ディエルは言った。

[人さらい?]

 一同、声を揃えて言った。

[うーん、似たようなもんかな……あ、でも心配しないでくれよ。オレは全然大丈夫だったんだから!]

 ディエルは両手を振り、元気そうに笑って見せた。

[でも、親御さんは心配じゃないかねえ?]と、ナスタデン夫人が心底心配そうな面もちで訊いてくる。

[親はいないんだ。弟がお城の街にいるんだけどさ。……すっごく、会いたいんだ。あいつには!]

 強い感情を込めて、ディエルは言った。もっとも、彼が会いたいわけは、転移にまたしても失敗したジルをどつきでもしないと気が収まらないからであるが。

[かわいそうにねえ……でも、安心おし]

 ナスタデン夫妻はそろってハーンの顔を見た。

[この兄ちゃんが、連れてってくれるよ]

[僕が?]自分を指さして、素っ頓狂な声をあげるハーン。

[そりゃあ、これからスティンのほうには行くけどさぁ……]

[じゃあ、話は早いじゃねえか! そこからちょっと足を延ばしてくれりゃいいんだから]

[こんなことあんたしか頼めないんだよ。ねえ、お願いだよ]

[うーん……]

 夫妻の頼みごとを聞き、ハーンは頭をぼりぼりと掻く。

[………分かったよ。分かりました。アヴィザノまで連れてきましょう]

[ほんとかい、ありがとう兄ちゃん!]

[うん。支度が出来たら行こうか、ディエル]

[おいおい。まさかもう行くのか?]と、ナスタデン。

[うん。僕の旅も急がないといけないからね]

[でも、急ぐにしてもハーン]

 夫人が声をかけた。

[あんた、今のままじゃあ、行き倒れになるよ? それにこの子も。少し休んでいきなよ]

 ハーンは自分が焦っているのを知っている。世界に変化が如実に現れ始めた今となっては、時間こそがもっとも貴重なものだから。だが、自分の疲労が極致に達していることも分かっていた。このままではスティン高原に辿り着くまで体が保つかどうか怪しい。ハーンは体を休めることに決めた。

 今夜宿泊する客は普段より幾分か多いようだ。ダシュニーへと向かう商人の一団が泊まるらしく、あいにくディエルの分まで空きがなかったため、二人は一緒の部屋で休むことになった。


 夜も更け。ディエルはふと目を覚ました。ハーンは隣のベッドで、ぐっすりと眠りこけている。

「ふう……。まさかこんなことになるなんて、思いもしなかったぜ。全てはジルのせいだ」

 ディエルはひそひそと言った。

「オレの探していた“力”を持って帰るのは無理だな……。あとはジルのいる町の“力”に頼るか……。悔しいけども、オレのほうはお手上げだな……ジルのせいで! オレの探す “剣”が見つかればなあ」

 ディエルは暗がりの部屋を見渡す。ふと、ハーンの荷物に目がとまった。ひと振りの剣があるのに気付いたのだ。漆黒の雄飛、レヒン・ティルルである。

 ディエルは静かにベッドから抜け出すと、その剣を手にしてみた。背の伸びきっていない少年が持つにはいささか重い。

(こいつはたいしたもんだ! オレが感じたあの“剣”に比べると力がないけど、それでもかなりの“力”が込められているな)

 ディエルは目を閉じ、神経を剣に集中させる。

(『闇』に属する剣か。でもこれを使いこなすなんて、この兄ちゃん、なにもんなんだ? どれ、兄ちゃんのことをちょっと調べてやるか……)

 ディエルはベッドに戻るとあぐらをかき、手を組んで神経を集中させた。ディエルの身体が、淡い緑色の光に包まれる。何かしらの術を発動させているのは確かだ。

 そして、瞬時に光はディエルの身体の奥に消え去った

(へえ……たいした“力”だよ。これはびっくり、だね……)

 ディエルは、ハーンを見てにやりと笑った。

(予想外のことになったな……でも“力”は手に入りそうだ)


 ディエルは窓かけの隙間から外の景色を見た。

 人々は寝静まり、民家には一つの灯りもともっていない。そして空。穏やかな銀の光で世界を包むはずの月の光も、夜空を彩るはずの星座も何一つ無く、ただ暗黒が支配している。

(この世界は終わりかけてる……。そう長く保ちそうにないな。“力”を手に入れたら、ジルと一緒にとっととおさらばしないと、こっちまで危なくなる)


 ディエル、そして彼の双子の弟ジル。彼らはフェル・アルムの民でも、アリューザ・ガルドの人間でもない。ましてや、アリューザ・ガルドを見守る神“ディトゥア神族”でもないのだ。どれにも属さずに、“力”を求める者達。彼らは――。

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