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フェル・アルム刻記  作者: 大気杜弥
第二部 “濁流”
43/111

序章 (四)

四.


 市街を取り囲む城壁から陽の光が市内に射し込む。帝都アヴィザノは朝を迎えようとしていた。

 ぜん一刻を知らせる鐘が鳴り、城壁に立つ四つの砦からラッパの音が市内に響く。人々の生活がまた始まるのだ。

 『せせらぎの宮』と称される石造りの宮殿には、フェル・アルムの政を司る王家の人間達が居住する。朝のラッパの音を聞きつけた宮廷付きのタール弾き達は静かに、めいめいの旋律を奏で、中枢の人間達に朝の到来を告げるのだ。


* * *


 彼女は朝の日課として、例のごとく図書室で歴史書を読み耽っていた。凛とした瞳が文字を追う。漆黒の髪を掻き上げる動作にすら、知性を感じさせる。年齢は二十歳をようやく過ぎたころで、少女という世代から脱却しようとしていた。

 名をドゥ・ルイエ。六年前亡くなった父王からその座を引き継いだ、フェル・アルムの王である。

 美麗な顔と黒髪。切れ長の瞳は知性と情熱を醸し出している。ただ、女性にあまり似つかわしくない言動が、令嬢としての気品をわずかながら失わせている。もっとも、それに異を唱える者など存在しなかった。王としてのカリスマが、言動すらも魅力に変えてしまっていたから。王になる前も、なったあとも、宮中を抜け出しお忍びで町を歩き回ることしばしばで、気さくな態度から、民からは慕われていた。

 ふと彼女は入り口に人の気配を感じ、視線を本からあげた。


[ようございますか、サイファ様]

 戸口のところに立っているのは、乳母のキオルだった。ルイエが本名を呼ぶのを許している人間は、そう多くない。ドゥ・ルイエとはそもそも、神君ユクツェルノイレの息子の名前であり、フェル・アルムの主が代々受け継いでいるのだ。

[構わぬ、入るがいい]

 ルイエは少し顔をほころばせながらキオルを招いた。

[今朝もお元気そうで何よりです]

 キオルは朝の挨拶をした。

[そう見えるか……?]

 ルイエはそう言って大きくあくびをしてみせた。

[……陛下、はしたのうございます]

[ああ、分かっている。でも、どうもここのところ夢見が悪くてな、ろくに寝つけぬ]

 ルイエはそう言いつつも、もう一度あくびをしてみせる。キオルは少し眉をひそめながら見ていたが、思い出したように話し出した。

[そうでした。陛下、司祭様が陛下に話をしたいとおっしゃってます。身を整え、空の宮にお越しくださるようにと]

[司祭殿が!?]

 司祭の名を聞いた途端、ルイエの表情が厳粛なものに変わった。


 司祭。有事の際、神より神託を受け、ドゥ・ルイエにその旨を伝える存在。司祭の地位は、高位の大臣と同格のものではあるが表だった活動を行うことはない。それゆえ存在を知る者は宮廷でも限られている。


[分かった。すぐに向かう]

 言うなりルイエはすくと立ち、キオルを従わせながら、身支度を整えるために自分の部屋へと向かった。

(一体……なんだというの?)

 嫌な予感がしていた。サイファが王となってからの六年間、今まで司祭と会ったことなど無かった。ところがついふた月ほど前、彼と初めて対面したのだ。


『“神”は不穏な動きを感じ取られています。“疾風”を全土に展開していただきたい』


 あの時、司祭はそれだけ言い残すと去っていった。いくらドゥ・ルイエであるとはいえ、司祭の告げる神託は絶対であり、腑に落ちないながらもルイエは、“疾風”――中枢の陰に生きる、刺客――を総動員させたのだった。

 あれからそう時間が経っていないというのに、また自分を呼び出すのはなぜか? ルイエは不安に苛まれた。


 せせらぎの宮を出て、二十フィーレほど北に進んだ小高い丘の頂上に、空の宮はある。玄関を入ると、こじんまりとしているが天井の高い部屋がある。ステンドグラスが周囲を囲むほか、全く何もない真っ白な宮。司祭は一体ここで何をしているというのか。

[陛下、よくお越しくださいました]

 しゃがれた声を出しながら、司祭は両手を広げ、ルイエを歓迎した。一見恭しい態度にみえるが、その実、冷徹な感情をにおわせている。司祭という立場抜きで、ひとりの人間としてみた場合、ルイエはこの老人に嫌悪の情を抱くだろう。

[世辞はいい。あれからふた月も経っていないというのに……また何かご神託が降りたのか?]

 ルイエはぶっきらぼうに言い放った。

[左様です、陛下。私はかつて、あなた様のお父上に神託を申し上げました。もう十三年も前になりましょうか……]

[ニーヴル――反逆の徒を討つために“烈火”を――中枢麾下の精鋭の戦士達を出撃させた、と聞いている]

[そうです。そして、私は陛下にまた一つ、重要な神託を告げねばなりませぬ]

[……司祭殿、一つ私のほうから質問をさせていただきたいが、よろしいか?]

[何なりとどうぞ]

[二ヶ月前に貴殿からの神託を受け、私は疾風を各地に送り込んだ。だが結果、特に異常は無しと聞いている。あの時の件と、貴殿が今言われようとしている神託と、何か関係があるのか?]

[大いにございまするぞ陛下。また、陛下は一つ失念しておいでです。疾風のひとりが北方スティンにおいて消息を絶っていることを……表沙汰にはしておりませぬが、これは捨て置けますまい]

[そうであったな、失礼をした。確かに忘れていた]

 ルイエは憮然と言う。

(細かいところをちくりちくりと刺してくる……苦手な男だ)

[では、神託を申し上げましょう]


 司祭があまりに唐突にその言葉を言ったため、ルイエの胸は締め付けられた。罰を申し渡される直前の罪人は、このような感情を抱くのだろうか、彼女はそんなことすら考えた。ルイエの胸中と裏腹に、司祭――〈隷の長〉は語り始めた。

[大いなる“神”クォリューエルが、神君ユクツェルノイレに告げた言葉を申し上げます。スティンの地において不穏な匂いあり。それはかのニーヴルをも凌ぐものであるとのことです。災いの種を調べ、取り除くため、全ての疾風をスティンに送り込むよう。災いが大きくなる兆しがあれば、すぐさま“烈火”を差し向けるよう、陛下にお願い申しあげます]


 そして、中枢が動いた。

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