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フェル・アルム刻記  作者: 大気杜弥
第一部 “遠雷”
35/111

終章 (一)

一.


 〈帳〉の館にルード達が辿り着いて、一ヶ月が過ぎようとしていた。


「ハーン! 起きろぉー!」

 ルードは扉に向かって呼びかけた。しかし返事がない。仕方なくルードは扉を強く叩き、もう一度声をあげた。すると扉の向こう側から、いかにも眠たそうな声が帰ってきた。

「ルード君……お願いだからもう少しだけ寝かせてくれよぉ」

「なに言ってんだよ。剣の稽古をつけてくれるんだろ? それが俺達の日課なんだぜ?」

「今日は休んでもいいよ。僕が許すからさぁ……」

 ハーンの気のない返事にルードはさすがに頭にきた。彼は無理矢理にでもハーンを起こそうと、大きな音を立てて扉を開け、ハーンの部屋にずかずかと入っていった。

 ハーンは毛布にくるまるようにしてベッドで寝ていた。ルードは毛布に手をかけると、力ずくでそれを取り払った。

「ああ……僕の毛布……」

 ルードが取り去った毛布を、ハーンは名残惜しそうに見つめていた。

「さあ、もういい加減にして起きろってば! 今日が最後なんだろ?」

「……みんなは? どうしてる?」

 ハーンはそれでもベッドに横たわったまま、眠そうに声を出した。

「〈帳〉さんもライカも起きて、朝食の支度をしてるよ」

 そう言ってルードは毛布を部屋の隅に片づけてしまった。まだハーンは毛布を未練ありげに見ていたが、むくりと起き上がると大きくのびをした。


 扉の向こう側からライカが顔を出す。両手に抱えたかごには今朝とれた鶏の卵が見えている。朝食に使うつもりなのだろう。

「あ、ハーン、今お目覚め?」

 彼女はそう言うと、廊下を通り過ぎてしまった。

「ふぅ……昨日の夜、あんなに騒いでいたっていうのに、本当、みんな元気だねぇ」

 やれやれ、といった具合でハーンは身を起こす。

「じゃあルード君、外で待っててくれないか。僕もすぐ行くからさ」

「……もう一度、寝るなよな」

 ルードが釘を差す。

「大丈夫だって。ちゃんといつもどおり剣を教えるってば」

 ルードが部屋を出ていくと、ハーンは大きくのびをして、ぽつりとつぶやいた。

「ライカも……僕がちょっと家を空けるだけなのに、宴会を開かなくてもよかったのにさぁ……」

 そう言って大きく口を開け、あくびを一つ。昨夜の宴で一番騒いでいたのはハーン自身だったことを、当の本人は忘れているらしい。

 ハーンは窓を開けると、朝の草のにおいを胸一杯に吸い込んだ。今日も晴れ渡った、心地のいい日になりそうだ。


 厨房ではライカが鼻歌を歌いながら朝食の準備をしていた。

「あら、〈帳〉さん、おはようございます」

 ライカは今入ってきた〈帳〉に、にこやかに挨拶をした。〈帳〉はうなずくと、手に持っているものをライカに差し出した。

 今やライカもこのフェル・アルムという異世界に慣れた。フェル・アルムの言葉こそ解さないものの、館の住人達がアズニール語を話せるため、不都合はなかった。

「畑の芋がそろそろ食べ頃なのでね。いくつかとってきた。使うといい」

 〈帳〉は落ち着き払った声で言った。

「あ、ちょうどよかったわ。卵をどうやって調理しようか、ちょっと考えていたところだったんですよ。うん、これでまとまった。ありがとうございます!」

 ライカは芋を受け取ると、さっそく調理を始めた。

「私も手伝おうか?」

 芋の泥を落としているライカを、横目に見ていた〈帳〉が訊いてきた。

「いえ、いいですよ。昨日の宴会でたっぷり手伝ってもらっちゃったし。今日はわたしが全部やります」

「そうか。では私は部屋に戻ることにするよ」

 〈帳〉はそう言って厨房を後にしようとして立ち止まった。

「そうだ。ハーンは今どうしている?」

「いつものとおり、朝のお稽古です。ルードにたたき起こされてましたけどね。ふふ……。ハーンったら酔っぱらって『明日が最後なんだから、僕の技を披露してあげるさぁ』なんて自信満々に言ってたのに」

 ハーンの口真似を交え、ライカは楽しそうに言った。

「……ハーンらしいな。妙なところでぬけてるのは」

 〈帳〉は口の端をつり上げ笑う。今日に始まったことではないが、彼はあまり表情を変えない。


 かん……!

 模擬戦用の剣どうしがぶつかる音がかすかに聞こえた。厨房の入り口にたたずんでいる〈帳〉は、窓から外の様子を見た。少し離れた草原で、ハーンがルードに剣を教えている。

「あの悪戯いたずら坊主も、ずいぶんと剣が上達したようだな」

「いたずらって……またルードがなんかしたんですか?」

「まったく。昨日の宴の後、部屋に戻ろうとしたら扉が開かない。取っ手のところに紙が張ってあって『書斎の机』と書いてあった。そこに行ってみたらまた紙が置いてあって……そんな調子で結局、鍵を見つけるのに半刻も費やしてしまった」

 窓の外を見ながら憮然と語る〈帳〉。ライカはそれを聞きながら笑いを漏らしていた。〈帳〉はきまりが悪そうな顔をする。

「ルードか……。最初会った時はもっと物静かな少年か、と思っていたのだが……」

「そうね……私も、もう少しおとなしい人なのかな、って思いました。でも、あれだけ突拍子ないことばかり起きれば誰だって気後れしますよ。ここに辿り着いてやっと落ち着いて、ルードも安心したんでしょう」

 〈帳〉はそれを聞いて視線をライカのほうへと戻す。彼女の横顔は幸せそうだった。

「ハーンが揶揄やゆしたくなるというのも、分からんでもないか」

「はい?」

「……なんでもない。私は自室に戻っているから、出来あがったら教えてほしい」

 〈帳〉はそう言って厨房を後にした。彼は大きな決断を胸に秘めていた。


 かん!

 大きな音とともに、ハーンの剣が手から落ちた。勝負あった。ルードは剣を構えたまま、にいっと笑った。

「はははっ。どうだハーン!」

 得意満面のルードに対し、ハーンは照れ笑いを浮かべる。

「いやぁ……まいったねえ。またやられちゃうとは……」

 ハーンは再び剣を構えた、とその時。

「二人ともー、ご飯が出来たわよぉ!」

 風を伝ってライカの声が届いた。それを聞き、対峙する両者は剣をおろした。


「じゃあ、今日はちょっと短いけど、これで終わりだね。ご飯にしよう」

 ルードとハーンは剣を腰に下げ、並んで館へと歩き出す。

「どうかな、俺の腕前は?」

 道すがら、ルードは真面目な表情で、師たるハーンに訊いてきた。以前は生傷が絶えず、そこかしこにあざが出来、ライカに治療をしてもらっていたのだが、世話好きなライカの出番もこのところ減ってきた。

「うん、かなりいいよ。君がここまで伸びるとはさすがに僕も思ってなかったしねぇ。町の警備兵として、すぐに雇ってもらえるぐらいはあると思うよ」

「……そこまで言われると嬉しくなっちゃうな」

 流れる汗を手ぬぐいで拭いつつもルードは喜色満面だ。そこには思い悩んでいた一ヶ月前までの姿はない。自身の運命に真剣から対峙する覚悟を決めたからだ。そこからゆとりが生まれ、彼の持つ全てをおもてに出せるようになっていた。

「しばらく“あれ”を――ガザ・ルイアートを握っていなかっただろう? 剣の助けがあれば、ルードだってサラムレの剣技大会で、結構いいところまで行くんじゃあないかな?」

 ルードは知っている。剣の“力”が自分の技量を補ってなおあまりあるものだということを。そして、ハーンの実力はおそらく、フェル・アルム屈指のものであることを。剣技大会の優勝くらい、どうということはないはずだ。ハーンは、自分が無名であろうとするために、わざと負けているのではないだろうか? 最近ではルードはそう考えている。

 以前ルードは、本気で手合わせしてほしい、とハーンに頼んだことがあった。ハーンは快諾してくれたものの、全く勝負にならなかった。一瞬にして間合いを詰められ、剣をはじかれ、胸元に彼の剣を突きつけられたのだった。

 しかし、負けたというのに気分は不思議と爽やかだった。


 重い音を立てて、館の玄関の扉を開けた。

「お腹空いたなあ……。おっ、いいにおいだなあ!」

 卵が焼ける匂いが玄関まで流れてきたことで、ルードの食欲は増した。いそいそと食堂へ向かう。ハーンはゆっくりとした足取りで、彼の後をついていく。ハーンにとって、帳の館で食事をとるのは、これが最後になるかもしれない。


 ハーンはスティン高原へ赴く。

 ルード達の境遇を彼の家族に説明し、納得してもらうために、一ヶ月滞在したここ、〈帳〉の館を後にするのだ。その後は各地を巡り、変わったことがないかを調べる。ルード達と再び会えるのは、当分先のこととなるだろう。

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