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フェル・アルム刻記  作者: 大気杜弥
第一部 “遠雷”
31/111

第七章 〈帳〉 (一)

一.


 ルード達はルシェン街道からはずれ、とうとう“遙けき野”と呼ばれる広大な大地に足を踏み入れた。

 街道周辺で寝泊まりを繰り返すうちに、ハーンの身体も次第に癒え、再び軽口を叩きながら一行を先導出来るまでになった。ハーンの負担をなるべく減らすべく、ルードとライカが協力したことがハーンの回復に繋がった。ハーンに任せっきりだった夜の見張りなども、二人が代わって行うようになった。また、ルードもこういうことの積み重ねによって、ライカとより親しく接するようになり、嬉しく思うのだった。

 ライカもこの世界に慣れたのか、はたまたルードを想い、目一杯の信頼を置くようになったためか、彼女本来の気性を現してきた。それはお転婆とも言える快活なものだったが、時折みせる神妙さと相まって、ルードはますます彼女に惹かれていくのだった。

 傷の癒えたハーンは、あからさまにお互いを意識しあう二人に対し、冗談を交えて冷やかすのだった。二人が夜の見張りをしている時にこっそりと起きだして、茶化したこともあったが、さすがにこの時ばかりは二人から怒られた。

 道なき荒野をさまようのは、彼らの肉体的にはさほど苦痛でもなかった。方角は太陽や、夜の星々が示してくれた。

 問題となったのは食料だった。何せ、クロンの宿りを大急ぎで飛び出してきたものだから、ろくな蓄えがなかったのだ。ただ幸運なことに、痩せこけた大地と言われていた“遙けき野”においても、緑に生い茂った地は存在し、一行はそこで丸一日を過ごして食料と水を補充したのだった。


 そうこうしている間に広野の中でまるまる七日が過ぎ、彼らにも疲れがみえてきた。ルードも手綱を握りながらうとうととすることがたびたびあり、ライカに代わってもらうことも多くなった。旅慣れたハーンですら眠気に耐えようとしている。しかし食糧の問題から、休み休み旅を行うことも出来なかった。

 日を経るに従い、倦怠感に包まれた彼らは次第に無口になっていった。赤い土で覆われた荒野。乾燥し、痩せこけた荒涼とした大地。緑に囲まれながら日々の暮らしを送ってきたルードとライカにとってそれは、あまりにも見慣れないものであった。彼らは時折、背後に小さく映るスティン山地を、懐かしむ目で見るのだった。


 そして八日目。

 ハーンはそろそろ到着してもいい頃だ、と言う。だが、周囲に広がるのは一面の荒野のみ。建物と呼べるようなものなど見あたらない。ハーンは疲れながらも術を行使し、視覚を遠くまでとばしたりしたものの、彼がかつて過ごした家、館とまで言えるような大きな建造物はついぞ見つからなかった。そんな時、ハーンは肩をすくめるようにしておどけてみせた。とにかく進むしかない。


「……あら?」

 変化に気付いたのはライカだった。彼女は馬を止めると目を閉じ、意識を集中させた。それにならうように、ハーンも馬の歩みを止めた。

「……どうしたのさ?」

 ライカの背中ごしにルードが言った。

「……ごめん。ちょっと黙ってて。風が――」

 振り返らずライカは言う。ルードはハーンのほうを見た。ハーンは何も感じていないようだ。

「そう。風の様子が変。今まで常に流れていた風の力が、ここでは止まっているのよ。それも、かなり長いこと……」

「ふうん。どういうことだい?」と、ハーン。

「風の流れが異質なのよ。まるでこの場所では時間が流れてないような、そんな感じで。アイバーフィンとしての知識で言えば、これは自然じゃないわ。いくらフェル・アルムがアリューザ・ガルドと異なる世界だとしても、今までは全て自然のことわりどおりだったもの。この感じは……そう! 誰かが意図的に作り上げたとしか思えないわ!」

 ライカは目を閉じたまま、答える。

「……てことはさ、大賢人の家はここら辺にあるのか?」

 ルードの顔がにわかに明るくなった。

 ハーンは周囲を見渡し、“遠見の術”を再び使う。

「うーん。結界かな? 外見ではなんにもないけど、〈帳〉の家はここにあるのかあ……」

 彼の言うように、周囲にはまるでそれらしいものはない。ルードは馬から下りた。

 その途端、ルードの足下から、何か異質なものが理解不可能な言葉で囁いてくるような、妙な錯覚にとらわれた。ルードははっとして足下を見たが、そこにはただ赤茶けた土があるのみ。今までと変わらないようにみえたのだが――。

(なんだこれ……変だ。……でも、よく分からない……)

 ルードは不可思議な感覚に戸惑った。

「確かに……どこか違う気もする……」

「どうかしたの、ルード?」

 集中を解いたライカが、ルードを後ろから見つめる。

「ああ。なんて言うか……感じが変なんだ。地面に立って気付いたんだけど、何かが……うまく言えないけれども、ここは違うんだよ」

「ルードもそう感じるのか。悔しいけど僕にはよく分からないなぁ。でも、おそらく〈帳〉がこのあたりにいて、目をくらますために結界を張っているんじゃないかっていうのは確かかもね。そういえば十三年前、〈帳〉の家を後にした時も、彼は目をつぶるように言ってたっけ。あれが結界だったのか」

 ハーンはそう言うと馬からひらりと下りた。ライカもそれに続く。

「しかし、たいしたもんだね、ルードも。ガザ・ルイアートから土の力を得るなんてさぁ」

「なんだよ、それは?」

「つまりさ、君に大地の意思が伝わるようになったってことさ。ルードの力は目覚めたばっかりだから、大地が何を語らんとしているのか、君には分からないみたいだけど、ライカが風の力に敏感なように、そのうち君もくみ取れるようになるんじゃないかな?」

「まあいいや。それより、ここが〈帳〉のいるところだとして、どうするんだ?」

 ルードは顔を上げた。

「ハーンだったら術で結界を解けるんじゃないかしら?」

 ライカは言うが、ハーンは首を横に振った。

「いやあ、無理無理。ライカとルードがいなけりゃあ、結界が張られていること自体分からなかったもの。ただでさえ結界を解くのは非常に難しいのに、こんな高位の結界じゃあ、僕の力では無理だよ。さすがは〈帳〉。“いしずえの操者”、“最も聡き呪紋じゅもん使い”と呼ばれただけのことはあるね」

「はあ。しかし、どうするさ? ここまで来て『結界で通れませんでした』って引き返すわけにだっていかないだろうに?」

 ルードは岩の上に腰掛け、一息ついた。

「大賢人様は、結界の内側からこっちがわの様子が分からないものかしらねぇ?」

 ライカもルードの隣に座り込み、疲れを癒やすかのように大きくのびをした。

 ハーンはぐるりと辺りを見回し、やがて意を決したかのように大きく息を吸い込み、

「大賢人様ぁー! 〈帳〉さあーん! 私はティアー・ハーンです! 館に入れてもらえないものでしょうかー!」

 と、ハーンは張りのある大声を出し、岩に腰掛けた。

「……ふう。これでなんかしらの応答がありゃあいいんだけどね。ま、気長に待つとしようよ。僕らの目的地はここなんだから、後は〈帳〉のほうが門を開けてくれるのを待つとしないか?」

 ルードはごろりと仰向けになった。青い空には雲がゆっくりと流れている。南中に近い日の光は優しくルードを包み、ルードの肌をくすぐるように吹いてくる風も――ライカは風の異変を訴えたが――心地の良いものであった。先ほどまで頭の中に入ってきた奇妙なざわめきも、今では聞こえなくなっていた。

「そういやここ一週間、動きっぱなしだったんだな。とりあえず目的地には着けたし、よかったとするかぁ……」

 あくびを一つ、ルードは呑気に言った。

 誰のものでもなく、溜息が出る。一行は姿勢を崩さず、しばし岩と化した。


「なんと。古い友人が尋ねてくるとは……」

 雲の移りゆくさまを眺めていたルードは、聞き慣れない声に、はっとして起き上がった。うたた寝をしていたライカと顔を合わせるが、彼女も怪訝けげんそうな顔をするのみだった。

「〈帳〉だ」

 ハーンは立ち上がるとあたりをぐるりと見渡した。そのハーンの行動に応えるかのように声が言う。

「実に久しいな、ティアー・ハーン。まこと短き命しか持ち合わせないバイラルにあって、稀有けうにも君は姿を留めているかのようだな。……まあ、それはいい。十年ぶりかな?」

(この声が〈帳〉。大賢人か)

 真実を知る、と聞かされてきた人物と、ついに対面が叶うのを知ったルードは胸が高まった。〈帳〉の声は、鐘の鳴るような美声ではあるが、感情を抑えたもののようにルードには思えた。

「十三年ぶりとなりますね。お久しぶりです、大賢人様」

 うやうやしくハーンが答えた。

「なに、〈帳〉で構わない。ハーンと……そこの二人も何かわけありのようだな。一体どのようなおもむきだ?」

 〈帳〉の声はどこからともなく聞こえてくる。

「では〈帳〉……とりあえず僕達をあなたの館に招いてくださいませんか? 結界が張られていては、僕にはどうしようもないんですよ」

 一瞬、〈帳〉が苦笑したような気がした。

「それはしかり。失礼をしたな。では結界を解こう。客人達よ。しばし目を閉じていてくれないか。君達が視覚に頼っている以上は、結界内には入れないのでね」


 ルード達はおのおの目を閉じた。途端に、ルードは自分の体が宙に浮くかのごとく軽くなっていく感覚を覚え、次には今までざわめいていた地面が、次第に自然そのものに還るような感覚を知った。帯剣しているガザ・ルイアートからも、人のぬくもりに似た暖かさがルードの頭の中に伝わってきた。

「目を開けてくれ、客人よ」

 声を今まで以上に近くに感じ、ルードは目を開けた。


* * *


 大きさがとりどりの石を巧妙に重ね合わせて造られた城が――〈帳〉の館が眼前にあった。館は、まるで千年も前からその場所にあったかのようなたたずまいをみせていた。周囲を囲むのは緑。結界の中とはいえ、荒涼とした遙けき野にあるとは思えないほど、地面に潤いが感じられた。

 ルードは横を見る。ハーンとそう変わらない年かさに見える長身の若者が、ハーンと対峙するかのように立っていた。臙脂えんじの服がやけに映えて見える。

(彼が……〈帳〉なのか……)

 ルードは〈帳〉の持つ雰囲気に、少々臆した。大賢人と称されるゆえの気品なのか。

 彼の顔はほっそりとしていて、ほりの深いものだった。切れ長の目と相まって、端正な顔は、町を歩けば必ずと言っていいほど振り向かれるほどの美しさと、神秘さ、そしてかげりを併せ持っていた。

 しかし瑠璃るり色の瞳には、若さの煌めきというものが全く感じられない。永い年月を生きてきたかのような哀しさと、悟りきった色をたたえている。また、黒い右目は光を失っているのか、動くことがない。まるで雪のような細く癖のない白髪はライカと同じように肩甲骨のあたりまで伸ばしていた。

 彼の両の目尻から頬に至るまでは、細いくちばし型の中で反復する、精細な幾何学模様の刺青も臙脂に彩られており、彼の風貌をより奇異に映しだしていた。


「ようこそ、〈帳〉の館へ」

 〈帳〉はルード達を一瞥し、落ち着き払った口調で言った。

 ハーンが手をさしのべ、握手を求めると、〈帳〉はそれに応え、かすかに笑った。

「さあ、入るがいい。私も野良仕事を終えて、畑から戻ろうとしていたのだ。そうしたら君達がいるのを知ってね。そうだ、結界の外にいる君達の馬も、後で呼び寄せよう」

 〈帳〉はそう言って、訪問者達を館に招き入れた。

「あ、それじゃあ失礼します」

 〈帳〉はその言葉を言ったライカをじっと見つめる。彼の緑の瞳がきらりと煌めく。


《フローミタ アー ラステーズ コムト、アルナース!》


「え?」

 〈帳〉の言った『言葉』にライカはびっくりしたようだった。彼女も答えた。


《……メクタ ラソ ディナークァー ダン アルナシオン メッサノ……》


 〈帳〉はそれを聞いて満足そうにうなずいた。

「なるほど、確かにわけありのお客様だ。これは重大だな。ニーヴルの時以来か。いや、外からの干渉という意味合いを考えれば、あの時の比ではないな」

「なぜ、わたし達の、アイバーフィンの言葉を知ってらっしゃるの? ……〈帳〉さん」

「外の世界からやって来た風の民の娘よ。エシアルルを存じているだろう?」

「は、はい。わたしのいたところでは“森の護り”といわれる長寿の種族です。“慧眼けいがんのディッセの野”と現世うつしよとを行き交うことによって、不死に近い命を得ているとか。大賢人様はエシアルルでいらっしゃるのですか?」

「〈帳〉と呼んでくれていい。……さよう、私はエシアルルだ。いや、かつてはそうだったと言えるな。額に水晶こそあるものの、白髪のエシアルルなどいはしないだろう(エシアルルは皆、深緑の髪だからな)」

 ライカは、驚きと、喜びが入り交じったような複雑な表情をかいま見せた。

「じ、じゃあ、〈帳〉さんも、この世界に入り込んだんですか。わたしのように……」

「そうだな。……そう、入り込んだのだ。広い意味ではね」

 〈帳〉はライカの後ろにたたずんでいるルードを確認した。

「……そこの少年には我々のことが分かっていないようだな。無理もないか、歴史は全て隠されてきたのだから。ハーンよ、それを彼らに聞かせるためにここに招いたのか? かつて、私が君に教えたように」

 ハーンはうなずいた。

「ならば話さねばならないか、フェル・アルムとアリューザ・ガルドの関わりについて。そして我らが起こした罪について。……この“大賢人”がな!」

 最後はまるで自嘲するかのように言い捨てた。

「あなたのおっしゃるとおりです、〈帳〉。彼らにフェル・アルムの隠された真実を話してほしい、というのが、ここに来た理由です」ハーンが凛々《りり》しい口調で話した。

「それともう一つ。ここに来るまで、僕達はきわめて不思議な体験を重ねてきました。“ニーヴル”の時以上に奇妙な出来事をね。僕達のほうからはそのことについてお話しします。そして、この少年少女の不思議な出会いを契機に起こり始めたあらゆる“変化”について、助言をいただきたいのです。あなたがどう思われるのか、僕らがこれからどうすべきなのか――ことは十三年前以上の惨劇を生みかねませんから」

「君も相変わらず切れ者だな。とぼけた雰囲気から想像出来ないほどだよ、ハーン。確かにことは重大だ」

 〈帳〉は、ハーンに対するからかいと敬意の念を一緒くたにし、わずかに笑みをみせた。

「……さて、我が家に入りなさい。まずは汚れを落とし、寝てしまうのがよかろう。つもる話はその後だ」


 ルード達は〈帳〉に案内されて、それぞれの望む部屋に落ち着いた。〈帳〉の館は、彼ひとりが住むにはあまりにも広い。使われていない部屋も多くあったが、いくつかの部屋は客人用に家具が用意されていた。もっとも、それが使われたことなど無いのだが。

 部屋の両端からはがたがたと、何やら掃除をしているような音が聞こえる。三人は隣り合わせの部屋を選んだ。ルードも両隣がやっているように、部屋のほこりを払うことにした。

 それがひととおり終わると、ルードはベッドに横になった。毛布などは用意されていない。〈帳〉も客の来訪を考えていなかったからだ。〈帳〉は今、客人のもてなしに大わらわであった。湯を沸かし、食事の支度もしている。

 左の部屋から、タールの音色がこぼれてきた。しかしそれもじきに止み、静寂があたりを包んだ。窓から射し込む日の光は、ルードを眠りの世界にいざなうのに十分なほど心地よかった。彼はいつしか眠ってしまう。全てのわだかまりを忘れ、ルードは平穏な夢の世界へと赴くのだった。

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