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フェル・アルム刻記  作者: 大気杜弥
第一部 “遠雷”
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第六章 意識の彼方にて (四)

四.


 夜も更けた頃。ルードはふと、目が覚めてしまった。

 彼の身体は長旅の疲れすら忘れているかのようにすこぶる快調で、みじんの気だるさもない。

 右隣で寝ているライカの寝息が静かに、正確に聞こえてきた。眠る支度が整った時、最初に眠気を訴えたのは彼女だった。ライカは床につくと、まもなく眠ってしまった。泣き疲れたのと、追われる身という立場ではなくなった開放感。それに、癒やしきれない長旅の疲れが加わったのだ。無理もない。

 ハーンは二人を守るという立場上、ルードより先に寝るわけにはいかなかったものの、彼も起きているのがつらそうだった。ルードはそれを察し、疲れてもいないのにさっさと横になった。案の定、ハーンはしばらくしてから床について、眠りに入ってしまった。

 完全に目が冴えてしまったルードは、上半身だけ起こして目の前の闇を見つめていた。次第に目が慣れていくのを感じながら、彼は考えていた。

(やっぱり変だ。ハーンが不思議がるのも無理ないよな。確かに俺は短刀を胸に受けて倒れたんだから。……こうして生きているのさえ大したもんなのにさ、傷一つない上に、こんなに身体の調子がいいなんて……)

 一瞬、彼の脳裏に薄暗い空間と、女性の姿が浮かび上がるが、ルードが認識する前に消え失せてしまった。


「っ……!」

 ルードに背中を向けて寝ていたハーンが、言葉にならない声を漏らした。傷跡が痛むのだろう。ハーンは仰向けに姿勢を変えると、目を開いた。

「あ、起きちゃったのか? ハーン」

 すうすうと寝息をたてて眠っているライカを確認すると、ルードは小さな声でハーンに話しかけた。

「実を言うとさっきから眠ってたわけじゃないんだ。まあ、疲れにまかせて一刻ほど寝ちゃったけどねえ」

 寝たままの姿勢で、小声でハーンが返す。

「天幕を張っている時は、いつも周囲に“護りの術”をかけてるんで外敵から襲われることはないんだけど……それでは対処出来ないこともあるだろうから、起きていたのさ」

「ふうん」

「それもあるんだけど……さすがにちょっと……その、痛くてねえ……」

 ハーンは決まりの悪そうな顔をする。

「大丈夫なのか?」

「ま、所詮は人間の身体だからねぇ……」

 そう言ってハーンは、深く溜息をついた。しかしルードには、ハーンの何気ない一言が妙に気にかかった。

「人間の……身体か……。なあ、ハーン、俺はどこか変わっちゃったのかな?」

 きわめて真剣に、ハーンに問いかけた。

「考えてもみてくれよ。あれだけ死にかけてた俺が、こんなにぴんぴんしてるんだぜ? 俺は一体……人間なのか?」

 ルードは感極まって胸の奥がつかえそうになりながら、それでも何とか自分の思うところを口にした。

「あ、今僕の言ったこと? 『所詮は人間の身体だ』って。そんな意味で言ったんじゃないさ」

「でも!」

 大声を出したルードは、ちらとライカの寝顔を確かめた。

 ハーンはむくりと上半身を起こす。そしてライカが静かに眠っているのを確認するとルードのほうに向き直った。そして肩をすくめる。

「……やれやれ、こんなことになるなんて、考えも及ばなかったなぁ」

「どういう意味だよ?」

 ハーンはやや間をおくと、真摯な口調で語りはじめた。


「……君の家で言ったように、僕の剣は今や、君に属するものなのかもしれない。僕が“果ての大地”で見つけたあの剣――ガザ・ルイアートというのだけども――のことを、『尋常ならざる剣だ』って言ったのを覚えているかな。君は先の化け物との戦いであれを握り、剣の持つ圧倒的な“力”に耐えぬいた。その結果、心の奥底の封印が解け、ライカと言葉を交わせるようになったんだよね。多分、剣がルードを認めたから、本来の言葉を取り戻したんだろうね。

「今の僕達は、これまでとは全く違う、考えもつかない事象の中にいる。ガザ・ルイアートも、それを感じていたんだろうね。だからこそ、一連の流れのなかで核たるべき、ルードの覚醒に力を貸したんだよ」

「ちょっと待ってくれよ、ハーンの剣は……その、心を持ってるってこと?」

「うーん……〈心〉って言えるほどじゃあないんだろうけど。さすがに対話なんか出来ないからね。とてつもない“力”を秘めている物っていうのは往々にして、その所有者に強大な力を与える反面、大いなる災いとなることもあるんだ。あの剣はルードを選んだ。そして今日、君が命を落としかけた時、あれはまた発動したんだ。“主人”を救うためにね。

「ガザ・ルイアートっていうのは、遠い昔の言葉で“土のルイアートスの腕”って意味を持つらしい。大地を司どる名のとおり、あの剣はルードの身体に大地から吸い上げた精気を流入させ、君を救ったわけだよ」

「それじゃあ俺は、これからどうすりゃいいんだろう? あの剣を持って――」

「そうだね。あの剣は君のものだ。だから、持ち主として恥ずかしくないくらいの剣の腕前は必要なんじゃないのかな?」

「え?」

 思わず大声を上げてしまったルードは、ちらりとライカを見やる。すうすうと寝入っており、起きてはいない。

「俺が剣を握って……って、つまり戦士になれってことか?」

 ルードは、刀身にべったりと付いた疾風の朱を思い出していた。ハーンが刺客を倒した。正しくは屠ったのだ。

 次にルードの脳裏によみがえったのは、十三年前の記憶。村を壊滅に追いやった、壮絶な戦いの記憶だった。忘れることの出来ない精神の傷跡を間近に感じてしまったルードは、膝を抱え込んでうつむいた。


 ライカの正確な寝息だけが確かに聞こえる。ルードとハーンは、お互いそのままの姿勢を崩さず、しばし沈黙していた。

「ハーン。無理だよ。俺は、人を殺――傷つけることなんて、出来ないよ」

 ルードは思い出した忌まわしい記憶を、何とかしまい込もうとした。しかし悲しみは隠し通せず、その声は震えていた。

「……ルード君」ハーンはやんわりと声を出した。

「君が剣を握るのをためらう気持ちはもちろん分かる。……でもね、これからのことを考えると、そうも言ってられないのは分かるだろう?」

 ルードはうなずいた。

「現にルードは、これまで二回、戦いに参加しているんだ。これからもそういう事態がないとは言えない。いいや、むしろ増える一方だろうね。そんな時でも、僕に頼ることなく、君が君自身を、そして、ライカを守り通せるなら、進むべき方向はより明るくなる、と思うんだ」

「守る……ライカを……」

「そう、何も正面切って戦え、とまでは言わない。もちろん、僕みたいに、多くの血の匂いを身体につけろ、ともね。守るんだよ。君と、君が守るべきライカを。ガザ・ルイアートの力と、君自身の力でね! それに、戦う相手は人間とは限らないよ。ルシェン街道で戦った、化け物を覚えてるだろう? ああいった異形の魔物とまた遭遇することだって十分考えられるんだ」

 ハーンの言葉を聞いて、ルードは決意をもってうなずいた。

「そう。『運命の行き着く先を見てやる』って、俺は言ったもんな。ライカを守るために俺は……あの剣を握るよ……!」

「よく言ってくれたね、ルード」ハーンはにんまりと笑う。

「僕にとっちゃあ、〈帳〉のところに着いて、やることが増えたわけだ。〈帳〉の話を聞くことと、君に剣技を教えることとね!」

 お互い目が慣れた暗闇の中、ルードも笑い返す。先ほどまでの負の感情は消え失せ、晴れやかな気持ちで満たされた。と同時に、睡魔が襲ってきた。


「俺の怪我が剣の力で治ったって言うんなら、ハーンの怪我だって治るはずじゃあないのか?」

 眠気を押さえて、ルードが訊いた。

「僕は『すばらしい切れ味をみせる剣』としかあれを使いこなせないんだよ。相性が悪いせいか、ね。剣自身は僕に何の影響も及ぼさないんだ。災いも、そして助けも」

 どこかしら寂しそうにして、ハーンは答えた。そして今度はハーンが、傷の痛みに顔をしかめながら立ち上がった。

「どうしたのさ?」

 毛布をかぶったルードはいかにも眠そうに言った。

「ああ、寝てていいよ。ちょっと外を見回ってくるからさ。愛するライカと仲良くお休み!」

「な……馬鹿言うなよな!」

 ハーンは痛む脇腹を手で押さえながらも、軽く揶揄すと、予備の短剣を手に外へと出ていった。ルードは、さきのハーンの言葉を反芻しつつ、ライカの寝顔を見つめていた。

(剣を握る……。そう、守ってみせるよ。そして……ライカ、君との約束も果たすから……)

 ルードは迫りくる睡魔に勝てず、重いまぶたを閉じた。


* * *


「うん。“護り”も万全なようだし、周囲も大丈夫だね」

 ハーンはしばらく、見張りをかねてあたりを散策していたが、それに飽きたのか、寝場所に引き込むことに決めた。

「……あの剣はやっぱりガザ・ルイアートだったんだなあ。どおりで僕が持ってたらはなにも応答しないわけだよ。聖剣とはよく言ったもんだ。このこと、〈帳〉はなんて思うのかね!」

 軽い口調でそうひとりごちると、ハーンは空を見上げた。


 そしてすぐ。

 彼の表情は全く真摯なものに変貌した。

 ルード達の前では、滅多にみせることのない表情。

「星が……ない……」

 雲一つない天上の世界は、何も映し出していなかった。空を覆うべき星達は存在せず、あるのはただ、空虚な暗黒のみ。

 狂おしいまでの漆黒のもと、ハーンはただ立ちつくすしかなかった。


 虚ろな空を映し出していたのはその晩のみ。翌日からは何ごともなかったかのように、空は満天に星の姿を映した。

 ハーンがその星空の下で思いに耽る姿をルードは目撃するが、浮かない顔をした彼が、何に思いを馳せているのか、ルードには知るすべがなかったのである。

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