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フェル・アルム刻記  作者: 大気杜弥
第一部 “遠雷”
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第六章 意識の彼方にて (二)

二.


 ルードがふと気がつくと、そこは薄明かりの射す、大きな閉ざされた空間となっていた。ルードと、その女性の体勢は変わっていない。ルードは立ち尽くし、女性は――意匠の凝った大きな木の机の向こう側に座していた。聡明そうな彼女の青い双眼がきらりと光る。彼女はルードを興味深そうに値踏みするかのように眺め、言うのだった。

「ようこそ。あなたはここに何をお求め?」

「あ、あなたは一体? ここは……どこなんだ?」

「それを私に問うというのなら、まずはあなた自身のことを先に話すのが順序ではなくて? “バイラル”の子よ。――いえ……不思議ね、あなたは。察するに偶然に迷い込んでしまった様子だけれど。これはどういうこと?」

 思慮深さを連想させるような声色で彼女は語った。

「お……俺はルード・テルタージ。それから俺はバイラルとかいう人の子じゃない。親父はヤール、お袋はリレエっていうんだ。もうずっと前に死んじゃってるけどね……」

 ルードは彼女の持つ、不思議でありながらどこか心地よい雰囲気に戸惑いながらも答えた。

 女性は、くっくっと喉で笑うと穏やかに告げた。

「そういう意味で申したのではありません。バイラルとは、人の種の中で最も多い……そう、あなた達の言うところの人間を指す言葉。当然知ってているかと思っていたのに」

「いや、俺は知らなかったよ。少なくとも、俺の住んでいるフェル・アルムでは使われていない言葉だから。――そうだ! 俺の連れに――ここにはいないけど――ライカって娘がいて、彼女のもといた世界なら、ひょっとしたら知られているのかも」


 ルードの言葉を聞いて、女性の顔色が変わった。

「なんと? フェル・アルムと言ったかしら、今?」

 ルードはうなずく。

「そんな、ありえないことが……。私達でさえあそこには干渉出来なかったというのに――」

 ルードは、彼の最初の質問を訊き返した。

「それより、ここがどこなんだか教えてほしいんだ。ここは、死後の世界なのかい? それと、あなたは誰?」

「いいえ、“幽想のサダノス”ではないわ」

 顔をあげて彼女が言う。

「ここは“次元の狭間”。私はこの“イャオエコの図書館”の司書長を務める、マルディリーンといいます」

 図書館、と聞いて、ルードはあたりを見回した。なるほど、窓からこぼれる明かりを遮るように、重々しい本棚がずらりと林立している。だが、書架がどこまで続いているのか、皆目見当がつかない。それほどこの図書館は大きいのだ。ひょっとすると、限りなど存在しないのかもしれない。

「ここには、世界のありとあらゆる本が置いてあるわ。それはそれは、私でさえ把握しきれないくらいにね。こうしてあなたと語らっている今ですら蔵書は増えているし、書き足されている書が幾つもある。

「今までも、真実を探求する者達がここを訪れたわ。しかしながら、数々の試練を乗り越えてきた人ですら、必ずしも図書館に辿り着けるとは限らない。

「ルード、と言ったわね。あなたのように、偶然に迷い込んできたバイラル、というのは永い年月を経てもはじめてね。それも、あの空間からの来訪者とは……何か運命の導きというものかしら?」


 その時、本棚の並ぶ奥の影のほうから子どもが歩いてきた。従姉のミューティースの幼い頃を何となく連想させる彼女は、一冊の本を抱え込んでいた。少女はルードの前を通り過ぎると、マルディリーンの机の前にとことこ歩いていく。マルディリーンは机の前にでて、少女の目線にしゃがみこむと、本を受け取った。マルディリーンが笑って少女の頭を撫でてやると、彼女ははにかんだ笑いをみせ、どこかへ走り去ってしまった。マルディリーンとルードは、その様子を目で追う。

「あの子は、ここの司書をしている一人なのだけれど」

「え? あんな小さな子が?」

 ルードが驚いている間に、マルディリーンはもとの場所に戻り、ゆったりした椅子に腰掛けた。

「さすが、と言いたいわね。どうやらあなたのことが載っている書を見つけてきたみたいだわ」

 ルードは唖然とした。

「俺のことが、本に書いてあるだって!?」

 にわかに驚くルードを、マルディリーンは制止した。

「大声を立てないで。司書の中には騒音を嫌う者もいるわ。それに、本達も静けさを好むもの。……これは、現在進行中の歴史を記している書物。そう驚く必要は無いわ。あなた方流に言うのならば、なんでもあり、の世界なのよ、ここはね」

 そう言って彼女は本をめくっていく。ルードは、釈然としない感覚を強く抱きながら、それでもこの異次元の感覚に納得せざるを得なかった。


「ふうん……そう……」

 すばやく読み終え、彼女は本をぱさりと閉じた。そして、その蒼眼でルードを見つめる。

「ルード」

「は、はい?」

「あなたとは……またいずれお目にかかることになると思うわ。今はまだその時ではない。だから、今はお帰りなさいな」

「でも、帰れって言われても、帰るところなんてないんだ」

「あら、何故?」

 ルードは肩を落として言った。

「なぜって、俺は死んでしまっているんでしょう? だからさ、もとの世界には戻れないわけで……行くとするなら死者の世界だと思うんだけど?」

 マルディリーンは目を閉じ、かぶりを振った。


「あなたは死んでいないわ。確かに最初に見た時にはあなたの活力は根こそぎ失われていた――そう、まるで死者のごとくにね。でも、死んでいるというのなら、あなたがはじめて立った地、“慧眼けいがんのディッセの野”に来るわけがない。罪無き死者の魂は等しく、果ての山々を越えて月に向かい、そして“幽想のサダノス”の門に赴くのよ。それに、あなたはその後、活力をいや増している。私にも信じられないくらい、今では生命力に満ち満ちているわ」

「俺は……死んでいない、というの?」

 ルードは嬉々として言った。確かに、今まで感じたことのないほど、自分が生きている、というのが分かる。生命の力が充実している。

 マルディリーンは言った。

「……どうやら急を告げる事態が起きようとしている。そして、あなたはその鍵を握っているらしいわ」

「俺が、なぜ?」

「分からないわ。私は今から、この歴史書を解読してみます。私が本の中身を把握し、そして、私のほうからフェル・アルムへ干渉出来るようになったら――その時こそこれから起こること、あなたが為すべきことを語りましょう。今の私達の出会いは、まったくの偶発で一時的なもの。私には予期出来なかったこと。だから、あなたの姿もここから消え失せようとしている――」

 美女はそっと微笑んだ。

 と同時にルードの身体が、すっと透き通っていく。それとともに、今までいた情景が消え失せ、白一色になった。多くの本も、マルディリーンも、もはや見えない。

 ルードは、今までどおりの自分の感覚――肉体の感覚が徐々に強まっていくのをその純白のなかで知った。

「では。おそらく近いうちにまた会いましょう」

 マルディリーンの声だけが、反響して聞こえる。

「ちょっと待って! 最後に一つ、訊きたいんだ! あなたはなぜそんなに、俺の考えもしないことを知っているんだ? あなたは――なんなんだ?」

 マルディリーンが、微かに笑ったような気がした。

「そうね……おそらくあなたが考えているとおりの存在なのよ。伝承の中にしかいないと考えていた、そんな存在が本当にいる、ということに混乱するでしょうけどね。――フェル・アルムに戻って、あなたが再び目覚めた時、ここでの出来事は夢であったかのように漠然としているでしょう。頭の中に抽象的なイメージがわいても、それを口から語れない。全てが鮮明になるのは、私との接点が明確になってから。……そう、次に会う時にね――」

 ルードは純白の中、手を伸ばした。マルディリーンをつかまえようとするかのように。それが無駄であると分かっていながら。

 すでに彼の躰は消え失せ、精神のみがそこにあった。だがそれもまた、この神秘的な世界から消え失せようとしている。


 ――そして、空虚。

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