表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
フェル・アルム刻記  作者: 大気杜弥
第一部 “遠雷”
25/111

第五章 ルードの決意 (二)

二.


「ハーン……」

 最初に小さく声を出したのはライカだった。

「うん」

 ハーンは彼女の言わんとすることを理解したのか、前を向いたまま、小声で返した。

 ルードは彼らの雰囲気から状況を察した。

(疾風が来たのか……。でも、やっぱりライカは俺よりハーンを頼ってるんだよなぁ……)

 緊迫した状況の中ではあるが、ルードは一瞬、ハーンに嫉妬するのだった。

 ライカがルードの肩をたたき、彼は我に返った。その途端、嫉妬めいた感情は消え失せ、代わって恐ろしいまでの緊迫感に支配されてしまう。

「異様な風の流れが伝わってくるのよ……」

「そう、すさまじい殺気を感じるんだ」

「疾風……なのか?」

 ルードがその言葉を口にした時、心臓が飛び出るような恐怖を感じた。“常識”から超越した現実、本来は遠くにあるはずの死という概念を肌に感じたからだ。

「そうだよ。奴だ」

 ハーンは前を見つめたまま語りかける。

「殺気はどんどん近づいて来ている。かなりの勢いでね。……今さら馬を走らせても、追いつかれるのは……こりゃあ時間の問題だろうねぇ……」

 ハーンはそう言いつつ、左手で馬の鞍を探る。そして彼の手は、探しているものを握りしめる。あの圧倒的な“力”を持つ銀色の剣だ。

 ルードは戦いだけは避けたかったが、そうせざるを得ない状況になっているのだ。ハーンはルードのほうを振り向いた。

「なぁに、君達が戦うことなんてないさ。僕が……ひとりでかたをつけるよ! ……奴と戦う。こういうことを言っちゃうのはいけないんだろうけど、どこかで期待していたんだよ。かの“疾風”と剣を交えるってことに、さ」

 この切迫した場でありながら、ハーンにはどこか余裕のようなものがあるように感じられた。彼も先ほどまで焦燥に駆られていたのだが、一度腹をくくってしまうと度胸が据わるのだろう。幾多の修羅場をくぐり抜け、なおまた戦慄を求める戦士としての彼がそうさせているのか。

 ハーンが馬を止めた。ルード達はハーンの一挙一動にすらどきりとした。ハーンは彼らのほうへ馬を寄せ、いつもの日溜まりのような声で言うのだった。

「さあ、君達は何もしなくていい。僕に任せてくれればいい。そう、見ているだけで。――!」

「あっ!」

 ハーンとライカが、ほとんど同じく声をあげた。

 とっさにライカは低く小さな声で言葉を紡ぐ。それが終わるとともに、突然強い突風が渦を巻き、彼らの周囲を包んだ。ほぼ時を同じくして、ルード達を狙ってきた数本の矢が風によって力を失い、何ラクか手前にぽとり、と落ちたのだった。


 風がやむ。

 ハーンは馬の向きを変え、前方を――矢の飛んできた方向を見据える。ルードもそれにならい、恐る恐るではあるが向きをただし、ハーンの後ろに馬をつけた。ルードは心臓が張り裂けそうではあったが、きっと前を見据えた。そして彼は見た。ものすごい勢いで自分達に近づきつつある黒い人影を。

 ルードはあらためて自分の身体を巡る血潮を強く感じ、手綱を握りしめた。ライカも、ぎゅっと彼にしがみついてくる。

「ありがとうライカ。今、風を起こしてくれたよね?」

 ハーンが言った。

「そう。私にはこれくらいしか出来ないから」

「あとは僕に任せてちょうだいな」

「でも、あんな遠くから矢をとばせるような腕だぜ? ハーンも気を付けてよ」

 今までならばライカの言葉を受けて『じゃあ俺には何が出来る?』と悩むルードだったが、そんな余裕は持てなかった。


 やがて男の顔がはっきりと見て取れるようになった。薄汚れたマントに身を包んだ、中背の男が馬を駆っている。あからさまに発散させているその殺気にルードは押され、男を凝視したまま動きを奪われた。

 ハーンはただ静かに男を見ていたが、「下がって」と、ルード達に言い残し、男のほうへと近づいていった。

[……どうしましたかぁ?]

 男はハーンのそばに落ちた矢を見つめている。

[やはり、お前か! ベケットの酒場に居合わせていただろう。あの時から妙な感じを抱いていたのだ、俺は]

 威嚇のこもった、低い声で男は言った。

[えーっと、何でしたっけ?]

 ハーンはとぼけてみせたが、耳を傾けることなく男は言う。

[お前は普通の人間と何か違う、とその時ですら思っていたがな、確証した。今、俺の矢が不自然にそれたな?!]

 そう言って男は馬から下りた。

[起こるはずのない風が突然起きた。人為的な、奇っ怪な風がな。それがどういうことか分かるか?]

 ハーンは動じない。うすら笑みを浮かべながら馬を下りる。

 ルード達も馬を下り、ハーンから遠ざかった。男はルード達を一瞥すると、ハーンを睨みつけた。

[そのようなことが出来るのは、俺の知識の上では限られた人間だけなのだ!]

 殺気がハーンに叩きつけられるが、ハーンは平然としている。へえ、などと、とぼけた感嘆をする始末だ。

 男は冷たい声で続けた。

[貴様……ニーヴルか? 奇怪な技を使う……。だとしたら、神隠しなどという事件も納得出来る]

[やれやれ、勘違いしてませんか? 僕はただ旅をして――]

[答えろ! 貴様がニーヴルの残党か、否か!]

 有無を言わせない威圧的な口調で男が言った。ぴりぴりとした緊張感が周囲を覆う。

 ハーンはあごに手を置き、考えるふうをみせていたが――おもむろに口を開いた。

[……もし僕が、そうですよ、なぁんて言ったら?]

[お前を殺す! 確実にな!]


 言い終わらないうちに男は瞬間的に間合いを詰め、隠し持っていた剣をハーンに突き立てた!

 ハーンも、即座に馬から剣をとり、応戦する。

 がいん……という鈍い音。

 必殺の一撃を失敗した疾風は、間合いを取り剣を構え直す。そしてまばたきする間もなく、再度ハーンに攻撃をしかけた。

 ハーンは鞘を抜き剣身をさらす。きらりと鈍く銀が光り、ハーンは疾風に立ち向かう。そのまま、神業的な速さで剣を振り下ろした。

 刺客は攻撃を諦め、さらに間合いを取る。そこにハーンの攻撃が炸裂した! まばゆい閃光がハーンの身体を覆い、次には白い弾が放たれ、疾風に命中した。

[うぐはっ……]

 男は声にならない悲鳴を上げつつも、懐に忍ばせていた短刀を投げつける。ハーンは避けきれず、胴をかする。ハーンは、白い服に血がにじんでいくのを気にかける様子もなく、二撃目の光弾を刺客に投げつけた。

[ぐわぁっ!!]

 最初のものよりさらに大きな光球が疾風を直撃し、数ラクも吹き飛ばした。

[さすがは疾風。……でもさ、僕もこんなとこで君なんかにやられちゃうわけにはいかないんでねぇ。だから手加減はまったくしないよ!]

 傷を受けた胴をさすりながらそう言って、ハーンは剣を構え走り寄る。

[ニーブルめ! 反逆者があ! 殺してやる!!]

 疾風は血を吐き捨てると即座に起き上がり、素早く攻撃の態勢に移った。

[はぁぁっ!]

 気迫のこもった疾風の声。今回の競り合いは疾風に分があった。彼はハーンの剣の鋭い一撃を受け止めると、ハーンに体当たりをかました。鈍い音がする。

「うわっっ!」

 衝撃はすさまじく、ハーンは十ラク以上も吹き飛ばされた。ハーンはうつ伏せになったまま動けず、呻き声を漏らす。


 疾風は急に、ルードとライカのほうを向いた。その眼光は鷹のような鋭さを持っていた。

「……!!」

 空気が、止まる。

 ルードの心臓が一度、大きな音を立てた。

 疾風が大声で言い放つ。

[小僧ども! このニーヴルの男を処分したあと、すぐ貴様らも消してくれる。こいつのことを人心を惑わすニーヴルと知って旅を続けているのなら、なおさらな!]

[そんなこと、させやしない!]

 ハーンが立ち上がり、駆け寄る。疾風に向けて剣をなぎ払った。刃が銀色の帯とともに、唸る。疾風はそれを軽くよけると、再びハーンのほうに向き直り、剣を構えた。


 そして、剣の応酬が始まった。

 幾度も剣を超人的な速さで合わせ、そのたびに火花が散った。かと思えば、お互い牽制しあい、相手の隙を誘う。力技のみで戦う場面、冷静かつ理論的に攻撃を組み立てていく場面、意表を突いて足払いなどの体技を仕掛ける場面など、彼らの戦いは刻々と変化していった。

 ルードは自分の立場すらも忘れ、この戦いに見入っていた。彼にとって実戦を見るのが初めてである上、この戦いは剣の達人同士の死闘なのだ。お互い躊躇することなく相手を倒すことだけを考えている。この情景を目の当たりにして、ほかのことが考えられるわけがなかった。

 渦巻く殺気を常にぶつける疾風。

 対するハーンはそれを受け流すがごとく、落ち着いた表情をしている。笑みをみせてもおかしくないほど、余裕のていであった。ハーンのほうが相手より一枚上手のようにみえる。疾風の動きをほぼ読み、追いつめられるそぶりも無い彼は、剣技大会で毎回優勝していてもおかしくない。細身の身体から繰り出される技は、それはとても信じがたいものであった。

「ハーン、勝つわよね?」

 ルードの後ろでライカが話しかけてきた。そして不安げに、彼女の指がルードの握りしめた拳に触れる。

「え? ああ。……うん、そうだな、……大丈夫、勝つさ」

 我に返ったルードはそう言ってライカの手を握る。ルードとライカはお互いを感じることで、不安を少しでも取り除こうとしたのだ。

 しかし――ルードは見逃していなかった。ハーンの服に滲む血の朱が、徐々にではあるが大きくなっていくのを。先ほどの刺客の体当たりで、傷口が大きく開いてしまったのだろう。加えて、村に戻る時に遭遇した化け物との戦いで、ハーンは胴を痛めているはずだ。

(長引くと……まずいぜ……ハーン!)


 言葉には出さなかった。ライカを不安にさせるわけにはいかなかったから。しかしルード自身、恐怖の念に襲われ、彼はせめて、ライカの手を強く握りしめた。

 疾風は分かっているのだろう、勝機が見えてきたことを。

 ハーンの攻撃がいっそう激しさを増す。何回か疾風を追いつめるものの、そのたびに疾風も窮地をくぐり抜けていた。ハーンの顔からは以前のようなゆとりが消え失せている。

 対する疾風は、疲れの表情などまるで見せない。術の直撃を受け、さらに剣の傷を何カ所もつくっているというのにも関わらず。彼は痛みを感じないのだろうか、いや、死すら恐れていないのかも知れない。

「ああっ!!」

 ルードと、ライカは一斉に驚きの声をあげた。

 ハーンの剣が弾かれてしまったのだ。剣はハーンの手の届かない場所にまで飛ばされた。ハーンは一瞬戸惑ったが、術を行使しようとした。彼の右手が白く光ったその刹那、ハーンは疾風の体当たりをくらい、吹き飛ばされた。


[勝機!]

「ラ、ライカ!?」

「ハーン!」

 三人の声が奇妙に重なる。

 疾風はハーンにとどめを刺さんと駆け寄る。

 ライカは――彼女の行動は予想外だった。彼女はルードの前に躍り出て何やらつぶやくと、両手を前にかざしたのだ。

「ライカ!!」

 ルードは知っていた。彼女の姿勢が何を意味するのかを。


 次の瞬間突風が起き――

[うおおっ!!]

 標的に命中した!

 ライカの起こしたかまいたちが疾風を切り刻む。彼には避けようがなかった。鋭利な空気の刃は、ひゅんひゅんという鋭い音とともに彼に襲いかかり、そのたびに細い血の筋が、舞い上がった。

 風がおさまった。

 ゆらりと立ち上がった疾風の目には、もはやハーンは映っていなかった。彼はぎろりと、鋭い目でライカを睨みつけた。

 ライカは殺気に飲まれ、動けなくなった。怯えているのがルードに伝わってくる。

[小娘がぁっ!]

 疾風が吠える。

「あ……わたし……」

 刺客の言葉は分からなくとも、ライカは震えあがった。

 疾風は即座に懐に手をやると、ライカに向かって何かを投げつけた!

(短刀だ!)

 短刀はきらりと光り、まっすぐライカを狙っている。当のライカは――やはり動けない!


 ルードの想いが、一瞬にして一つにまとまった。

(俺に何が出来る?)

 先ほど心の奥にうごめいていた、彼の純粋な想い。

 それが今、もぞりと音を立て、心の表層に躍りでた。

(何が出来る……今!)

(……これしかない!)

 ルードは何のためらいもなく、想いのままに行動した。


 ざぐり――


 それは瞬く間もないほど短い間の出来事だった。

 ライカは知った。自分の前にルードが立ちはだかるのを。次に彼女は、 ルードの身体に当たる、鋭い音を聞いた。

 ルードはしばらくそこに立っていたが、声もあげずに地面へと倒れ伏した。彼の胸に刺さっているのは――短刀だ!

「ル……、ルード!!」

 我に返ったライカは悲痛な声で叫んだ。

 ルードは身を呈してライカを凶刃から守った。それこそが、ルードに“出来ること”だったのだ――!

「ルード、ルード!」

 ライカはルードの前にかがみ込む。

 ルードは朦朧とした意識の中、胸に突き刺さった短刀を何とか自力で抜いていたが、あとはどうしようもなかった。暖かい血がどくどくと湧き出て、服を汚していくのが分かる。目の前には今にも泣きそうな面もちのライカの顔があった。

「ルード、ねえルード! しっかりしてよぉ!」

 ライカはルードの頭を抱き抱え、涙をこぼしはじめた。ルードは自分もまた泣いているのに気がついた。

(そうか……俺、もうすぐ死んじまうんだ……)

 死が、鮮明に感じられた。だが恐れはない。

(今、ライカを守れなかったら、それこそ後悔するだろう……)

(そうだ、これでいいんだよ……)

(これでよかったんだ……)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ