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フェル・アルム刻記  作者: 大気杜弥
第二部 “濁流”
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第十章 終焉の時、来たりて (五)

五. 戦いの行方


 ルードは、今し方割れたばかりの断崖に落ちないように気を配りつつ回り込むと、再びデルネアと対峙した。両者が剣を構えると、互いの剣は火柱をあげるがごとく、光を放つ。

 そして。ルードとデルネアは申し合わせたかのように同時に動いた。両者が近づくにつれて剣は光を増し――激突。

 きぃん、きぃ……ん、と。剣が合わさるたびに、高らかに叫び声を放つ。それは金属が合わさる際の刃音のみならず、剣そのものが歌い上げる、この戦いへの賛歌であった。

 今度の戦闘は、無心そのもの。両者は純粋に剣の技のみによって自らの勝利を勝ち取る姿勢だ。正確な息遣いと、剣の咆哮のみが、音の全てとなり周囲を支配する。空気は、まるで二人の回りにしか存在しないかのように凝縮する。

 何合も何合も。お互いの剣はうち合わされ、交わった。

 ルードは剣を振ることのみ意識を集中していた。彼が抱くのは恐れでも戸惑いでもなく、やはり無心。次にどう動くべきなのかと頭で考えるのではなく、体が自然に動く。ガザ・ルイアートは今や、主人の思いそのままに動き、そして助けてくれるのだ。常人では御しきれないほどの多大な“力”がルードに流れ込むが、聖剣所持者たるルードは、その比類無き“力”をおのがものとし、畳みかけるようにデルネアに攻撃を仕掛けていった。


 どれほどの時が経ったろうか。ルードは、剣の発する音がそれまでと異なっているのに気付いた。ガザ・ルイアートは相も変わらず高揚したときの声を発しているのに対し、“名も無き剣”は音が途切れ途切れとなってきている。ルードは標的を決めた。

 狙うは、名も無き剣のみ。デルネアが剣を落とせば、デルネアの敗北が決まる。全てはそれからだ。還元のすべを、デルネアの口から聞き出さねばならない。だが“名も無き剣”の力が衰えてなお、両者の“力”は互角である。いや、剣技のみ言及するのならばデルネアが圧倒するのに変わりはない。

 デルネアの剣先がぶれるように動く。が、これは明らかに見せかけの攻撃だ。ルードは誘いに乗ることなく、一歩間合いを外した。デルネアは意外そうな表情を浮かべ、しかし彼も一歩身を引く。わずかな隙を空けて、両者は対峙する。その場所から少しでも踏み出せば、再び戦いが繰り広げられるだろう。

 ルードが見据えるのはデルネアのみ。無心を崩したほうが負ける。勝負は、次の一撃で決まる。

 凝り固まった空気の中、両者はお互いの出方を睨んでいた。


 そして、デルネアが動いた!

 ルードは冷静にデルネアの太刀筋を読みとると、自らも一歩踏み込んでいく。

 デルネアが狙いをつけたのは、ルードの心臓のみだと知れる。デルネアは大きく突きを繰り出してきた。彼の右腕が大きく伸び、ルードの心臓目がけて剣が襲いかかってくる。

 ルードは心の中でうなずき、意を決して剣を大きく薙いだ。すでに攻撃を仕掛けているデルネアは、避けることなど出来ない。刃は確実に、デルネアの右腕に当たるだろう。

 ついに、鈍い音が伝わった。

 ルードは、その瞬間をつぶさに見ていた。聖剣の刀身がデルネアの右腕をがっちりとらえ、断つ!

 ルードは勝利を確信した。

 しかし、それも一時。ルードはデルネアの執念を思い知るのであった。デルネアの右腕は、切断されたにも関わらず、さらに伸びてくるのだ! それはデルネアの勝利への執着ゆえか。まるで右腕そのものが生を得ているかのように剣を握ったまま離さず、ついにルードの胸元をとらえた。

 ルードは為すすべなく、自分の胸板にずぶずぶと剣が埋まっていくのを感じていた――! デルネアが生んだ、狂気じみた執念の凄まじさによって、とうとう剣の柄までが胸に埋め込まれ――ようやくデルネアの右腕は力を失い、剣から離れると、ぽとりと落ちた。


「がぁああっっ……!!」

 そのあまりの激痛に、ルードは苦しみもがく。

 剣は胸を貫通しているのだ! 早く剣を抜かなければ!

 癒しの力を持つとはいえ、出血がひどければ命を落とす。何より、体をまっぷたつに割くようなこの激痛には耐えられない。弱々しく呻いていた“名も無き剣”は今や刀身から蒼白い闘気をほとばしらせ、ルードの体内を蝕んでいるのだ。

 ルードは呻きながらも、埋め込まれた剣の柄に左手をかけると、抜こうとする。が、焦るあまりに剣はいっこうに抜けない。自分の背中と胸元を濡らしているのが、自身の血しぶきであるのをルードはようやく認識した。

「……っ!」

 肺から息が漏れているためか、もはやルードは声を出そうにも音すら出てこない。代わりに喉からのぼってきたのは、大量の血だった。

 早く剣を抜かなければ!

 焦りは増幅するのみ。ルードは両手を剣の柄にかけるが力尽きて、ついに倒れ伏した。どろどろに腐った土の匂いと、なま暖かい血の匂いがルードの嗅覚をとらえるが、嘔吐感に襲われたルードはさらに吐血し、目の前の地面をどす黒く染めた。

 デルネアが近づいてくる。今の彼がどのような表情でルードのもとにやって来ようとしているのか。絶対者としての傲岸不遜な様子をたたえているのだろうが、ルードには顔を上げる余裕すらない。ルードはただ喚き、もがくことしか出来なかった。

「貴様の負けだ」

 咎人に裁きを宣告するかのような、感情を感じさせないデルネアの声が聞こえた。

(……そうかもしれない。とうとう俺は死ぬのか)

 激痛の果てに意識はすうっと遠のいていく。

 が、浮遊感とともに意識は呼び戻された。心地よい声が自分の名前を呼び、自身の上半身が抱き起こされているのを認識した。意識を視覚に集中させると、そこにはライカの顔があった。

 おそらくは必死の思いで隷達の攻撃をくぐり抜け、単身ここまで辿り着いたのだろう。


『ルードがわたしを護ってくれているように、わたしもルードを護りたい。約束するわ』

 昨晩、ライカが言った言葉が思い起こされる。


 ライカは、ルードの胸元に痛々しく刺さっている剣に目を移すと、即座に柄を持ち、引き抜きにかかる。

 しかし、膨大な魔力をおびた剣は、触れただけで命取りになりかねない。かつてガザ・ルイアートがルードを試すように行ったように、“名も無き剣”は尋常ならざる“力”をライカに注いでいく。

 ライカは苦痛に顔をゆがめながらも、しかし剣の柄から手を離そうとしない。少しずつではあるが、刀身が引き抜かれていく。異物が体をうごめく激痛に体をよじらせながらも、ルードは必死に耐えようとした。ライカは、自分以上の苦痛を覚えているのだろうから。剣が送り込む“力”の流れは、所有する資格を持たない者に対し容赦をせず、心身を消し飛ばしてしまうまでになる。今のライカはルードを救うという一心のみで力に抗っているのだ。

 ようやく剣が抜けようというその時、ルードの胸中に、ある情景が浮かんできた。


* * *


 それは夢の中の出来事にも似ていた。印象的なイメージがルードの頭を駆けめぐり、彼の脳裏に深く刻み込まれた。

 “名も無き剣”はルードに見せる。剣が存在するようになってから幾多の所持者が現れたことを。所持者達の思念はあまたのイメージを形成してルードの体を駆けめぐるが、すぐにルードは忘却してしまった。だが、そんな中にあってルードの心を強くとらえたもの。それはかつてのデルネアの姿であった。


 それはまだ、デルネアがアリューザ・ガルドにて生活をしていた時分である。

 何がしかの迫害を受け、流浪するほか無かった幼少の頃。

 “魔導の暴走”という、暗黒の時代が到来する中、奴隷戦士として剣闘場で活躍する少年。

 レオズスを倒すも、それまでの王朝は崩壊し、秩序が失われ、民衆が苦しみにあえぐ中で呆然とする若者。

 そんなデルネアの想いはどの時代においても変わることがなかった。そして、おそらくは今も。

(もっと力を持ちたい。他を圧する力さえあれば、こんな目に遭わなくてすむというのに!)

 それはデルネアの痛切な願い。自分自身を、そして世界をより良い方向に進めたいという彼の願いは、いつの頃からかその一途さゆえに歪んでしまったのだ。

 そして彼はついに理想郷を創造する。永遠の千年――フェル・アルムと名付けた、閉鎖された大地に望むことはただ一つ。平穏。変化など一切許されない、緩慢なる平穏。

 しかし〈変化〉は自然と始まっていくもの。歴史の中でデルネアは陰ながら動いて変化を消し去り、虚構の真理を創り上げていった。

 “絶対”という名の殻の中に悲しみの全てを押し込め、歪んでしまった理念を追求しようとするかつての英雄。それがデルネアだった。


* * *


「ルードぉ!」

 愛しい者のあげる痛切な声がルードの意識を呼び戻す。

 長いこと見ていたように感じられたイメージも、おそらくは一瞬の出来事だったのだろう。ちょうど、剣の切っ先がルードの体内から引き出されたところだった。

 今まで体を支配していた激痛は途端に収まり、自身の体が癒えていく。だがもはや体は衰弱しており、再びデルネアと戦うのはおろか、立つことすら叶わない。今はただ、ライカの暖かな腕の中に抱きかかえられているしかなかった。

「ルード、今、剣を抜いたからね!」

 ライカ自身を襲った激痛に耐えぬいてなお、ルードに微笑みを見せる。そしてライカはきびしい表情でデルネアを見据えた。

「やめて! もうこれ以上……戦うのは!」


 デルネアは空を仰ぎ見た。それまで覆っていた黒い雲は、潮だまりに貯まった海水が引くように、渦を巻きながらも、さあっと北の空へと帰っていく。空は明るみを取り戻すが、それすらも世界が崩壊していく際の産物でしかない、曖昧な薄ぼんやりした灰色の空に包まれた。

 何より、黒い雲は去っていったわけではない。津波や濁流のごとく、今度は“混沌”そのものを伴ってこの地に襲いかかるのだ。

「もはや時は無い」

 右腕を失ったデルネアはややも苦痛に呻きながらも、しかし尊大な口調で言った。

「“混沌”が到来する。我はその時にこそ、“混沌”と向かい合う。大いなる“力”を持ってすれば、フェル・アルムに出現した“混沌”など、造作もなく消し去ることが出来る――そのために聖剣が必要なのだ」

 デルネアは身をかがませると、残った左腕で剣をとろうと動いた。それはデルネアの所持していた“名も無き剣”ではない。持ち主の手から離れ、今や鈍く銀色に光るのみとなった剣。聖剣ガザ・ルイアートだった。先ほどの激痛の最中、ルードは剣を離してしまっていたのだ。

「やめ――!」

 ライカが叫ぶのもむなしく、デルネアは聖剣を手に取った。


 輝きを失っていた聖剣は再び白く光り輝く。あたかも、新たな所持者を迎え入れるかのように。デルネアは恍惚とした表情で、剣が発する圧倒的な“力”に酔いしれていた。

「そうだ。この絶対的な“力”こそが我を至上に導くもの! “名も無き剣”が我にもたらした以上の“力”を、聖剣は与えてくれる。フェル・アルムは平穏を保てるのだ」

「絶対的な“力”だって?!」

 ルードはやや身を起こし、デルネアに訴えかけた。

「そんなもので、俺達は支配されたくない!」

「だが、今や我の思惑以外にことは運ばぬぞ、小僧。お前達の些末な思いなど、所詮は達成出来ぬものだ。先も言ったように、今さらあがいたところで時すでに遅過ぎる。……なぜならば還元のすべを発動するには、トゥールマキオの大樹を媒体とせねばならない。遙か南の森まで赴く時間があるか?」

 ルードは、空間を転移するジルのことを想起した。ジルがいれば何とかなるかもしれない。しかしここは押し黙った。

 デルネアが聖剣を手にした今、状況は絶望的となったが、ルードの心には何かが引っかかっていた。聖剣がそうも容易くデルネアの手中に落ちるものなのだろうか?

「敗北を認めよ。かつての聖剣所持者よ」

「いやだ! 俺は認めない!」

 ルードはライカに肩を借りながら、よろりと立ち上がった。

「俺達はみんな、今まで運命のまっただ中で、やるべきことをやりつつ、あえいできた。ガザ・ルイアートもそうだった。運命を切り開く剣、それがガザ・ルイアートだ。もし聖剣が意志を持つって言うんなら、聖剣の答えを聞いてみたい。聖剣は……俺達の想いにきっと答えてくれるはずだ。俺は負けたわけじゃない。最後に勝つのは俺達だ」

 今まで運命とともに歩んできたルードは、確固たる思いとともに答えた。

「負けるのはデルネア、あなただと知るべきだ!」

「なればルードよ。我は聖剣の力をもって、お前に返答するとしようぞ」

 デルネアは聖剣を振り上げ、その刀身を力一杯地面に突きつけた。地面は大きく波を打ち、やがて亀裂が走る。

「聖剣所持者は二人といらぬ。我が聖剣を所持した今、聖剣にとってお前は厄介者に過ぎぬ」

 すぐに亀裂はルードとライカの足下にまで及び――暗黒へと誘う口を大きく開けた。

「我の前から失せよ、ルードよ! 死してなお、貴様の魂は未来永劫落下し続け、暗黒の中でただ彷徨うのみ!」

 ルードとライカは言葉を発するいとますら無く、二人の体は奥深く、漆黒の闇の中へと溶けていった――


「ああ!」

 サイファの口から悲痛な声が漏れ、力を無くしたかのようにへたり込んだ。

 サイファの声を聞きながらも〈帳〉は、一つの思いに束縛されていた。

(この場にいながら、私になすすべがないとは……!)

 ぎりぎりと、自身の歯をきしませながら、〈帳〉はどうしようもない怒りと、悲しみ、やるせなさを感じていた。

 聖剣はデルネアの手に落ちた。ルード達は奈落の底へと消え去り、もはや救う手だてはない。希望は、かくもあっけなく打ち砕かれたのだ。

 あとに残るものは敗北であり、滅び。

 〈帳〉は、自身の無力さを嫌というほど痛感した。フェル・アルム創造の折にクシュンラーナを救えなかったように、今また為すすべなくルードとライカを失ってしまった。

 いつの間にか、隷達の攻撃は止んでいた。デルネアが目的を果たした今となっては、わざわざ〈帳〉達なぞに構うことなど無い、ということだろうか。

「我はついに、絶対なる“力”を手に入れたぞ! 我こそが至上の存在。全ての事象を支配し、形成し、物語るべき存在だ!」

 デルネアは自身の存在を高らかに宣言した。

 その時。


「いや。そうはいかないよ」

 その声は、デルネアのすぐ背後から聞こえた。デルネアにすら全く気配を感じさせない、その声の主は誰か。

「何てことなんだ……僕がもう少し来るのが早ければ、二人を失うことなど……」

 声の主――金髪の青年は、すっとデルネアの横にまで歩み寄り、亀裂を見つめつつ、悲痛な声で自らの至らなさを呪った。デルネアは、白い衣をまとったその金髪の青年をまじまじと見据える。

「お前……は何者……いや……まさか……」

 明らかに恐怖のために、デルネアの声が震える。

「信じられぬ。姿は違っていても、その“力”は……」

「君は僕を知っているはずだよ。デルネア。あれから幾とせが流れたとは言っても、決して忘れるはずがないからね」

 青年の声は穏やかでありながらも、威圧感を秘めている。

「許せないな。ルード達を殺めることはないだろうに!」

 ぴぃん、と空気が張りつめる。

 デルネアは剣を構え、青年と向かい合う。ゆっくりと息を吸い込み、そして――動揺を隠しきれずに言葉を放った。


「なぜ! なぜこのフェル・アルムに御身がいるというのだ! レオズス!」

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