第十章 終焉の時、来たりて (四)
四. 錯綜
ガザ・ルイアートと“名もなき剣”。そしてそれぞれの所有者の“力”が交錯しあう。二振りの剣は、己の持つ“力”を相手に知らしめんとするかのように、刀身からまばゆいまでの光をほとばしらせる。その二つの“力”の衝突におののくように、暗濁たる黒い空は打ち震えた。
剣の発するまばゆさにルードは目をくらませ、これら超常的な事象の中で、とある奇妙な感覚にとらわれるのだった。
(なぜ、俺はここに立っているんだ?)
自分が剣を握りながらも、まるで自分自身ではなくなっているかのような喪失感。今まさにデルネアと戦っているのだと認識してはいるが、その意識はまるで高いところから、あたかも俯瞰的に状況を捉えている感覚。 自分がいて、その横にはライカとサイファが息をのんで見つめている。後ろにはジルとディエルが控え、固唾をのんで見守っているのすら分かるようだ。
ほんの数ヶ月前まで、一介の羊飼いの少年に過ぎなかった自分が、聖剣と称される剣を所持している。そして今や、この世界の創造者と戦っているのだ。それが、自身が感じている違和感の原因かもしれない。
が、次にこう思った。今この時点になって唐突にそのようなことを想起することすらも、デルネアの惑わしの力、比類無き“力”によるものなのかもしれない、と。ルードは意識を集中させた。
ルードは先ほどからデルネアの表情を間近に見ている。デルネアは憤怒の表情を浮かべながら、ぐいぐいと力任せに“名もなき剣”をルードに押しつけてくる。ルードは、両手で聖剣の柄を固く握りしめ、デルネアの攻撃を必死にしのいだ。
デルネアの剣技は圧倒的に鋭く、重い。比類無きその技量は、かつてのレオズスを倒した英雄として、そしてフェル・アルムの調停者として、まさに相応しいものに違いない。
加えて、デルネアの全身から発する凄まじい威圧感が、容赦なくルードに襲いかかる。
それは殺気。デルネアは何としても聖剣を手に入れようと必死なのだ。そのためにはルードを殺すことなど、なんの躊躇もなくやってのけるだろう。ルードは歯をぎりぎりと食いしばりつつも、デルネアの猛攻を防ぐのがやっとだった。
デルネアとの戦いは、世界の命運そのものを賭した戦い。剣を突きつけつつも、世界のあり方を主張しているのだ。
しかし戦いなどは本来、崇高なものではない。かつての自分がそれを思い知っているからだ。ルードの胸中には、幼かった頃に村を襲った惨劇が去来した。
――幾千の蹄の音と怒号。ばちばちと音をあげ、狂おしく燃えさかる炎。戦いの悦びに狂乱したかのような戦士達の刃にかかり、断末魔の悲鳴を上げる村人達――。
村のつつましやかな平穏は、かくもあっけなく蹂躙され、もとに戻ることはなかった。戦いとは、そういうものなのだ。
今、剣を交えている相手は、これまでルードが戦っていたような、忌まわしい魔物ではない。人間なのだ!
デルネアというひとりの人間を殺さねばならないのか? 自分は人を殺そうとしているのか?
手が震える。汗がにじむ。ルードは心の中でかぶりを振った。
(違う! 殺そうとしてるんじゃあない! デルネアのほうは、確かに俺を殺そうと考えているのかもしれない。でも俺は、デルネアを殺すわけにはいかないんだ。還元の方法をデルネアから聞き出さなければ! そのためにはデルネアの考えが間違いだってことを、気付かせるしかない……けれど、どうやって?!)
デルネアに心の迷いを気取られないようにと心に留めながらも、ルードは必死で剣を押し返そうとした。
ふいに、それまでルードの腕に重たくのしかかっていたデルネアの力が消え失せた。ルードは勢いあまって二、三歩よろめいた。
今まで剣を交えていたデルネアは、ルードの目の前からいなくなっていた。デルネアはルードから離れ、彼がもと立っていた場所まで、ほんの一瞬のうちに移動していたのだ。
デルネアは剣を構えながらも、鋭い眼差しでルードを威嚇している。そして――デルネアの横には〈帳〉が倒れている。デルネアの刃に倒れ、意識を失った〈帳〉が。
〈帳〉さんが、死ぬ?
この時になってルードは、自身の鼓動が胸から飛びださんとするくらいに大きな音を立てているのが分かった。同時に、まるで滝のように体中から汗が湧いてくる。
自らの死への恐怖。人が死にゆくことへの恐怖。恐怖と、戸惑いとが複雑に絡み合ったような奇妙な感情は、ルードを束縛して離そうとしない。
ルードは迷いをうち切るかのように、大きく息をついた。ふたたび剣を構えて、デルネアの一挙一動を見守べく、きっとした眼差しで見据える。しかし、一度喚起されてしまった恐怖というものは、そう簡単に払拭されるものではない。
(違う! 俺は恐れてなんかいない!)
そう奮い立たせても、ルードの心は深く沈んでいくのだった。デルネアの体がひどく大きく見える。この人物に戦いを挑むこと自体、無謀きわまりないことなのではないか?
ルードは、デルネアの術中に陥ったことが分かりながらも、どうすることが出来なかった。
* * *
デルネアは無表情のまま、横たわる〈帳〉を足でつついた。わずかながらに〈帳〉は呻いた。
「やめて!! 何をするの!」
たまらずに叫び声をあげたのはライカだった。
「どうもせぬ。〈帳〉も、すでに自ら止血を行っているようだな……」
デルネアは相も変わらず慢心した態度で、ことも無げに言ってのけた。
(まさか、〈帳〉さんを盾に取るつもりなのか?)
用心深くデルネアの様子を窺いながらも、ルードはそう考えていた。もし、デルネアが〈帳〉を人質に取り、聖剣を渡すよう言ってきたのならば、どうするだろうか? それでもあくまで「否」と言い切れるほど、ルードの心が非情でないことは自身もよく分かっていた。
(人の命は重い……。多分、俺は戸惑うんだろうな……)
苛立ちを隠しきれず、ルードは軽く下唇を噛んだ。
その時、いたたまれなくなったライカが、〈帳〉のほうへと駆け寄ろうとした。おそらくは、彼を介抱しようというのだろう。が、ルードはとっさにライカの肩をつかみ、制止した。
「ルード、なぜ?!」
振り返り、ライカは非難の声をあげる。
「ご、ごめん……」
ルード自身、自分がなぜこのような行動をとったのか戸惑った。彼の本心は断じて〈帳〉を救うのを止めさせたいわけではないのに、彼の感覚がそれを押しとどめた。
「ううん。ルードの行動は正しい、かもしれない。ライカ、分かってやってくれないか。もしもあなたがデルネアにとらわれてしまったら、ルードだって手出しが出来ないだろう?」
ルードの心を代弁するようにサイファが諭した。ライカは不満と苛立ちの色を隠しきれないようだが、それでもうなずいた。
「ライカ、もう少しの間辛抱してくれ。そしたら〈帳〉さんを介抱してやってほしい。俺がデルネアと戦っている時に!」
ルードは再び光り輝く剣をデルネアにむけて構えた。不思議なものだ。先刻まで恐怖に駆られていた心が、仲間達を見ているだけで落ち着くというのは。
これは決して、孤独な戦いではないんだ、とルードはあらためて知った。デルネアの惑わしのみならず、自分自身の葛藤にも打ち克つためには、親愛な者達が側にいることが何よりの力となるのだ。
「ふん……気が変わった……さすが聖剣と呼ばれる剣。たいした“力”を秘めているものよ」
デルネアは余裕のていを崩さず、不敵な笑みをたたえながら言った。
「何人であろうとも邪魔はさせん。隷どもよ、お前達も控えておれ。我らの戦いに立ち入ってはならぬ! ……いかな手を使ってもルードを破るつもりでいたが、やはり聖剣だけは、おのが“力”のみで手に入れてみせる。それこそがガザ・ルイアートに対しての礼儀であり、また剣士としての名誉になろう……!」
デルネアは、戦いの悦びに打ち震えているようだ。世界の創造者ではなく、ひとりの剣士としての彼がそこにあった。
「我は楽しんでいるぞ、ルード、お前と戦えること自体にな! だが……お前の心が我には分かるぞ。隠し通せぬものだ」
傲慢な笑みはそして、すうっと消え失せる。
「――恐れだ。我を、そして戦いを恐れているのだ、お前は」
冷徹なまでの声が響いた。デルネアは容赦なくルードの精神を責め立てる。
ルードはたじろいだ。自分が隠していた感情が、とうとう見透かされたのだ。こうしている今でさえ、恐怖が沸き上がってきているのに。やはり恐るべきは、人をかくもあっけなく虜とするデルネアの戦術である。
しかし、その一方でルードは感じていた。活力を止めどなく送り込んでくれる聖剣の“力”を。今さっきまで感じる余裕すらなかったのだが、ライカとのやりとりを経て、急に感じ取れるようになったのだ。
ライカ。彼女の願いを成就させるために、自分はことを為さねばならない。サイファは自分自身のやるべきことを成し遂げたのだから、今度は自分の番なのだ。
「恐れ? ……そうかもしれない。いや、確かに俺は怖いよ」
その言葉は、はたから聞いて意外なものだったろう。が、ルードは、デルネアに対しての答えはこれしかないと直感した。恐怖を否定してしまったら、かえってデルネアの術中にはまる一方だろうから。
ルードの直感は果たして、正しかった。内なる敵――葛藤は、迷宮の出口を指し示したのだ。がんじがらめの呪縛から解けたかのように、すうっと心が軽くなる。聖剣もまた、所持者を讃えるべく、刀身から真っ白い光を放つ。その光に包まれたルードは、己の活力が増していくのを感じていた。
「……あえて恐怖を認めたか。覚えておくがいいぞ。いかに手練れた戦士や魔法使いであっても、恐怖の領域を切り開くということは、容易いようで難しいのだからな。……それでこそ聖剣所持者に相応しい」
デルネアは喜んでいるようだった。両の目に爛々とした獰猛さをたたえながら。
「しかしだ。だからこそ、容赦はせぬ……!」
デルネアはとんとんと、足を踏みならした。何かをはじめようとする、きっかけのように。
“名も無き剣”が蒼白く光り、そして――闘気が急襲した!
「――!!」
ルードは自身の感じるままに、また、聖剣に誘われるかのように、とっさに剣を突きだした。と、ちょうどガザ・ルイアートの刀身がある場所に、寸分違わずデルネアの剣が打ち据えられた。剣同士が唸り声をあげ、光がほとばしる。
デルネアの、何と恐るべき速さなのだろうか。彼はほんの一瞬で間合いを詰めてきたのだ。そして、木の棒を振り回すかのように軽々と、おのが剣を横に二度、三度薙ぐ。あまりの速さに、刀身の蒼白い光は光輝を後に残した。幻想的な残像に、ルードは見とれる隙すらない。次の瞬間には、あまりにも重い剣の一撃が加えられる。ルードは再び、剣の柄を固く握り、攻撃に耐えてみせる。
デルネアはすうっと剣をひくと、今度は目にもとまらぬ剣の突きを見舞う。ルードはじりじりと下がりながらも突きをかわしたが、それでも数撃は見切ることが出来ず、自分の腕に直に突きを食らうことになってしまった。
「くっ!」
斬りつけられた、その熱さと激痛が腕を伝って感じられる。ぱくりと割けた傷は、かすり傷と言えないほどに大きいものであったが、太刀筋のあまりの鋭さゆえか、血しぶきがあがることは無い。そして、その痛みもごく一瞬。ルードの傷はすぐに癒えた。大地の加護を受け、癒しの力を持つセルアンディルは、外傷などもろともしないのだ。
次にルードは勢いをつけて、自らデルネアの懐に入り込むと、光り輝く聖剣の一撃を見舞った。さすがのデルネアであってもたまらず一歩飛び退き、間合いを外した。
ルードは汗を拭いながらも、凛とした目つきでデルネアを窺う。ちらと横を見ると、ライカとサイファはこの隙に〈帳〉を介抱していた。それを見てルードは安堵した。一方、主の命令に忠実な隷達は、ただ立ちすくんでことの成り行きを見るのみ。
戦いはしばしの間、膠着状態となった。
しかし、静かなる戦いはなおも続く。デルネアのあびせる比類無き闘気の強さから、ルードは必死に耐えてみせた。その一方でルードは、かつて〈帳〉の館にてハーンから習った剣技の数々を思い起こし、反芻していた。
(見ていてくれよ、ハーン!)
気を取り直し、ルードは剣を下段に構えると、再び自ら駆けだした。
が、粘土のようにぬるり、とした地面の感触に足をすくわれ、少々体勢を崩す。ウェスティンの地には湿地帯など無かったはずなのに――。だが足下を見なくても、“混沌”と対峙していたそれまでの経験から、ルードは状況を把握した。
これは明らかに“混沌”の仕業である。それまで固かった地面が腐り、どろどろに溶けている。こうして戦っている間にも“混沌”は我関せずと、じわじわと攻め寄ってきているのだ。
終焉の時は近い。
ルードの足下がふらついた一瞬の隙を逃さず、デルネアはルード目がけて突進してきた。ルードが気付いた時にはすでに遅く、目の前にはデルネアの巨躯が迫っていた。
「ルードぉ!」
その声は、ライカのものだったろう。ルードがそう思う間もなく、ごすっ、という鈍い音とともに、ルードは十ラクほど吹き飛ばされる。渾身の体当たりの衝撃のために、あばら骨が折れたのだろうか、激痛が走り、一瞬意識を失いかけた。かろうじて、聖剣を手離しはしなかった。
地面に放り出される際の、ぐにゃり、と柔らかい地面の感触に嫌悪感を感じつつも、ルードは素早く起き上がった。目の前には早くもデルネアが駆けつけており、剣を真横に構え、ルードの首のみを狙っていた。ルードは殺気を感じ取り、とっさにかがむ。
間一髪。デルネアの剣が頭の上をかすめ、後ろ髪の数本が切り落とされた。セルアンディルであっても、首が飛んでしまったら命を失うだろう。ルードは高ぶる鼓動を抑えながらもデルネアの剣から必死にかいくぐった。起き上がる機会を逸してしまったため、臭気が鼻につくぬかるみに座り込んだまま、デルネアを見上げるようにして剣で応戦する。とはいえ、この体勢ではいずれ近いうちにデルネアの剣の餌食になってしまうだろう。
(どうする?)
ルードは自問しながらも防戦する一方だった。徐々に、追いつめられているのは分かっている。攻撃を受けるたびにじんと痺れる腕も、いつまで保つのだろうか? 持久戦になれば、いかにルードが聖剣所持者といえども、天性の剣の使い手であるデルネアに敵うはずもない。
体力と精神を消耗してきたルードはほんの一瞬、集中力を乱してしまった。すかさず、勝利を確信したデルネアは容赦無い一撃をたたき込もうと、剣を上段に構え――唸りとともに振り下ろす。ルードはもはやなすすべなく、呆然と自らの死を見つめるほか無かった。
が、かきん! という乾いた音とともに、デルネアの攻撃はこぶし一つ分の隙間を残して遮られた。目の前には緑色の硝子のような壁が出来上がっていた。明らかに、術によるものだ。
デルネアはしばし、剣を振り下ろした体勢のまま、固まったように動かなくなった。やがて、怒りに満ちた表情をふつふつと満面に浮かべると、戦いの場から離れていった。
「我らの戦いに割って入るとは、鬱陶しいぞ――〈帳〉めが!」
ルードはすくと起き上がり、デルネアが近づこうとしている方向を見る。ライカの肩を借りながら〈帳〉が起き上がっていた。その顔に生気はまだ感じられないものの、ルードの顔を確認すると、彼は小さく笑ってみせた。デルネアの剣戟からルードを守った障壁は、〈帳〉が作り出したものだろう。だが、普段の〈帳〉ならいざ知らず、今の彼を見るに、術が行使出来るほど力がみなぎっているとはとても思えない。
「アイバーフィンの魔力を借りてしか術が行使出来ぬとは、貴様も落ちたものよ! “礎の操者”の名が泣くぞ」
「……今さら私の名前がどうなろうと構わぬ。しかしルードとガザ・ルイアートは、我々の希望を繋ぐものなのだ。だから決して……」
〈帳〉は言いつつも、力なくライカに寄りかかった。止血に費やした魔力がことのほか大きかったのか。おそらくは持てる魔力を出し切ってしまったのだろう。
「わたし達だって、このままルードを見てるだけなんて出来ないもの! ルードを……なんかしてみたら! 許さないわよ、わたしは! 絶対に!」
〈帳〉の言葉を代弁するかのように、ライカがわなわなと、感情をむき出しにして言い放った。
「それほど愛おしく思うのか、この小僧を? だが……」
ルードはこれぞ絶好の機会とばかりに、デルネアに切ってかかろうとした。
「甘い!」
デルネアは振り向きざま、おのが拳を地面に力強く叩き付けた。ぬかるんだ地面はいびつに湾曲しながらも、ごん、と石が割れたような固い音を立てる。地面が割れ、それはすぐにも、奈落の底へと繋がる大きな亀裂となった。その幅は二十、いや三十ラクにも及ぶだろうか。
ルードはかろうじて後ろに逃げ、谷間に落ちるのだけはかろうじて逃れた。しかしすでに自然の理を失いかけている大地は、なおもその亀裂を大きくしようとしており、ルードは慎重に後ずさるしかなかった。
「隷ども! あの邪魔者どもを抑えておれ!」
デルネアがそう言うと、隷達は即座に恭順の姿勢を示した。そして各々の魔力を力と変え、〈帳〉とライカを攻撃し始めた。漆黒に染まった稲光のような魔力が容赦無く発せられる。
〈帳〉は再びライカの持つ魔力を借りて、瞬時に緑色の膜を作り、それらの攻撃をしのぐ。が、彼に出来るのはそれが精一杯だった。かつて魔導師として名を馳せた彼とはいえ、力を失った今の〈帳〉には、複数の魔力に対して打ち勝つだけの余力はない。ただ、抗うのみ。しかも魔法の障壁はルードの目から見ても弱々しく、いつ破れても不思議ではない。
と、意を決したかのように、ジルとディエルが〈帳〉の前に立った。双子の使徒は、調和する音階を互いに発しつつ、それぞれの両手を前にかざした。〈帳〉の障壁とは比べものにならないほど、強靱な魔力の壁が出来上がり、一切の攻撃を遮断した。
「ここはオレ達がしのいでみせる! だからルードは、デルネアを頼む!」
ルードは仲間達にうなずいてみせると、デルネアの動向に目を向けた。
熾烈な戦いが、再び繰り広げられようとしている。




