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フェル・アルム刻記  作者: 大気杜弥
第二部 “濁流”
102/111

第十章 終焉の時、来たりて (三)

三. 窮地を脱して


「閣下!」

 烈火達の動向がルイエの言葉によって一変し、事態が好転しつつあることを悟ったメナードは、後ろを振り返った。ディエルとともに後方の魔物と戦っていた戦士のうち数名とスティンの村人達、それと伯爵の部下達が走ってきたのだ。

「ディエル兄ちゃん!」

 ジルは大手を振って迎える。

「おう。オレ達のほうは片づけといたぜ!」

 ディエルは弟のもとに走り寄りつつ声をあげた。

「化け物どもはどうしたのだ? 皆は無事なのか?」

 メナードの問いに答えるべく、部下のうちのひとりはひざまずくと、荒い呼吸をおさえつつ、一礼をして語り始めた。

「閣下。出現した化け物全てを討ち取りました。幸いにも――」

「伯爵さん。多分、あの場所から魔物が現れることはないと思う」

 ディエルは、息を切らした部下の言葉を遮るように言った。

「怪我した人は結構いるみたいだけどな。……とは言っても軽い怪我だしさ、みんな大丈夫だと言えるよな」

「兄ちゃんは? 大丈夫だったのかい」

「はっ……」

 ディエルはにやりと笑うと、さも嬉しそうに手でジルの頭をかき回す。

「オレがあんな魔物にやられると思ったのかよ? あんな連中だったら、片手でちょいっ! てもんさ」

「いててて……可愛い弟が兄の身を心配してやってるんだぞぉ! も少しいたわるとかいう気持ちはないの?」

 ジルは頭を押さえ、兄の攻撃をかいくぐりながら言った。

 じゃれ合う双子の使徒達を見ながら、メナード伯は満足そうにうなずいた。

「……みんな、よくやってくれた。どうやら、わしらの前に希望の一筋が現れたようだぞ。見てみろ」

 彼は前方を見るようにと一同を促した。


「おお!」

 旅商のシャンピオが感嘆を漏らした。北方の民をニーヴルの残党であると見なし、丸腰の民を無惨に蹴散らさんとしていた烈火の軍隊は、今や壁のごとくただ居並ぶのみ。しかもその壁は、街道を塞ぐのではなく、二手に分かれている。ついにサラムレへ伸びるルシェン街道は開かれたのだ。

「……ルードのやつ、いっちょう前にやるじゃあねえか」

 シャンピオは、弟のように可愛がってきた少年のことを思い、満足げにほくそ笑んだ。

「あれはサイファ姉ちゃんのおかげだってば!」

 ジルが不満げに声を漏らした。

「うむ」

 メナード伯がうなずく。

「陛下のご英断無くば、わしらは中枢の騎士達によって蹂躙されていたことだろう。だがついに、わしらはこの忌まわしい空から抜け出せる。陛下のおかげだ。まこと、ありがたいことだ……」

 メナード伯は片膝を落とし、臣下の礼を取った。当のドゥ・ルイエとはいささか距離が離れ過ぎてはいるが、感謝の気持ちをすぐにでも表したかったのだ。


「閣下、ご覧下さいまし」

 側近のひとりが呼びかけた。

「陛下がお手を振ってらっしゃいます」

「陛下って……? え? どういうこと?」

 シャンピオは要領を得ない様子で、メナードの顔を窺った。

 メナードはシャンピオの顔をちらと見上げた。

「まあ、じきに分かることだろうから言ってしまうがな。サイファ殿こそがドゥ・ルイエ皇にほかならないのだ」

 戦士や村人達がざわめくのを、伯爵はにやりと笑ってやり過ごす。

「よし! お前達はわしに続け。陛下のもとでご指示を仰ぐこととしよう」

 メナードはすっくと立ち上がると、ルイエのもとへ参じるべく、その老体に似合わず足を早めた。

「お前達、何をしている! 早く来るのだ!」

 叱責を浴びた側近達は伯爵に続き、足早に前方へ向かった。

「伯爵さん! 俺達はどうしたもんかね? こんな不気味な空とは早くおさらばしたいんだけれどさ」

 シャンピオはたまらず、伯爵に呼びかけた。後ろに控えている避難民達がざわめきたち、今にも駆け出さんとしているのを感じ取っていたのだ。もし彼らのうちのひとりでもしびれを切らして飛び出してしまえば、その周りの者もすぐさま同様の行動をとるだろう。そしてそのまた周りの者も――というように波及していくのは明らかだ。このままではせっかく事なきを得ようとしているのに、それすら収拾がつかなくなってしまう。

「この異常な状態の中で待機している皆の気持ちはわしも痛いほどよう分かる。だがもうしばしだ。じきに皆でこの地を離れられるだろう!」

 振り返るとメナードはそう答えて、再び足を早めた。


「頼みますよ!」

 シャンピオはそう言うと、ほうっと息をついた。

「しかしサイファさんがねえ……これにはまいったわ」

 彼は手を額に当てて、大げさに驚いてみせた。

「さあて、とりあえずは一難去った、てなところかね!」

 戦いで萎縮した筋肉をほぐそうとしているディエルが、大きく伸びをしつつ言った。

「だけどさ、これからが難しいところだよね?」

 ジルの言葉にディエルがうなずく。

「そうさ。“混沌”が少しずつこっちに来ているっての、オレには分かるからな。なんとかくい止める方法を考えないと、本当に終わりの時が来てしまうぜ……あれ?」

 その時ディエルは、何かを感じ取ったのか、怪訝そうに周囲をきょろきょろと見渡しはじめた。

「それもあるけどさ、その前にデルネアだよ!」

 兄の動作を気にせず、ジルは言った。

「デルネアってやつは簡単に屈するようなやつじゃないだろうからさ。これからは、聖剣を持ってるルードがどうするか、それにかかってるんだ……うん? 兄ちゃん、何してるのさ?」

 ディエルは精神を集中するために目を閉じている。なんらかの力の所在を察知するために、常人には聴き取れない“音”を発しつつ自らの魔力を解放していく。

「……ここじゃないけど……魔物の気配を感じる! じきに魔物がわんさと出てくるぞ。それも、かなりの数らしいな」

 “混沌”が近づいてるだけのことはある、とディエルは苦笑いを浮かべた。


「えっ?!」

 ディエルの言葉に、その場に居合わせた人々はざわめいた。

「坊や、本当かい?」

「“坊や”っていうのはやめてくれってば! オレはディエルっていうんだ。大体こう見えたって、あんたより千年以上は長く生きてるんだぜ?」

 ディエルは、そう言った戦士に対して口をとがらせた。

「……悪かったって。ほら、あんたも謝りなよ」

 シャンピオは戦士に謝らせると、言葉を続けた。

「で、ディエル。化け物がまた出てくるっていうのは、本当なのかい?」

「そうだよ。オレ達がさっき戦った奴らよりも、もう少し手応えのある連中みたいだ。人間の手で倒せるだろうけど、この数じゃあ全然戦力にならないな」

「どれくらいの数が来るってんだ?」別の傭兵が訊いた。

「さっきのだってせいぜい三十体ってとこだろう? 今度はあれよりも強いやつらが、少なくっても百体や二百体……それくらい出てくるんじゃないかな?」

 とディエル。

 一同は黙した。先ほどの戦いでもそうとう苦戦を強いられていたというのに、それを凌ぐ化け物相手では、とても歯が立たない。

 ディエルは前方の赤い〈壁〉をちらりと見た。

「そう……あれだ。あれに動いてもらわないと、とてもじゃないけど駄目なんじゃないかな?」

「そうか、烈火か! たしかに、あの精鋭達だったら何とかなるかもしれないな! ……だけれども、あれを動かすのは、サイファさんじゃあないと出来ないんだろう?」

 シャンピオが唸った。

「じゃあ、おいらが姉ちゃんのところに行ってくる! 姉ちゃんが命令すれば動いてくれるんだろ?」

 ジルが言った。

「兄ちゃん、魔物が現れるまでって、時間はまだ大丈夫なの?」

「ええっと……多分まだ時間はあるぜ!」

「分かった! じゃ、行ってくるよ!」

 手を軽く挙げて挨拶をすると、ジルは一言“音”を発し、その場から消え去った。


「はあ……」シャンピオは間の抜けた声をあげた。

「ルード達のしていることにも驚いたけどな、あんた達の力っていうのも……なんて言ったらいいのか……いや、神様ってやつをあらためて信じたくなってきたよ」

「そりゃそうさ! オレ達はトゥファール様、力を司るアリュゼル神族の使いなんだから!」

 ディエルはさも得意そうに胸をはった。

「神様を“信じる”っていうのか、ここの人達は。アリューザ・ガルドに戻った時には、ちょいと考え方の違いってやつに戸惑うかもね。なんせ、神様がいるのなんて当たり前って世界なんだからさ。アリューザ・ガルドは――」

 その時。

 ディエルはまるで驚いたかのようにぴくんと背を伸ばした。何を感じ取ったというのだろうか。彼はひとりつぶやいた。

「近づいてくるこの“気”は、まさか! ……ううん、間違いない……! まだ時間がかかるか?! 早く!」


* * *


 デルネアとの攻防を終えた後、即座にルイエはきびすを返してやや後方に下がると、後方に留まっているメナード伯に対して、精一杯手を振って合図を送った。

「伯爵も気付いてくれたようだ。これでみんな、ここから逃げおおせられるだろう!」

 再びルイエはルード達のもとに戻り、満足げに言う。

 デルネアと対峙していたルード達は、顔を見合わせていた。お互い、一種の達成感が見て取れる。まったく絶望的な状況の中にあっても、一筋の希望がそこにあったのだから。

「あなたの勇気には敬意を表する」

 〈帳〉がルイエの肩をぽんぽんと叩いた。

「デルネアがこの世界ではじめて屈した相手というのは、おそらく、あなたなのだろう」

 それまで頑なだったルイエも、今はひとりの女性――サイファに戻り、安堵の表情を浮かべていた。

「私はルイエとして為さなければいけないことを、そのまま為したに過ぎないわ。烈火をこの地に招いてしまったのは私のまいた種。私の責任でもあるのだから」

 よほどあの一瞬に精神を集中させていたのか、少々やつれて見えるサイファは、それでも気丈に言った。

「私も危なかった。なんと言えばいいか……魂をすっぽりと抜かれてしまうような感じすら覚えたんだ。デルネアの“力”はあまりにも強過ぎる」

 それでもサイファは笑みを見せ、ルード達に握手を求めた。

「でも、ルイエとしての役割を果たせたのは、みんなのおかげだと思う。ありがとう」

 そう言うと横を向いて、照れくさそうな仕草をしてみせる。ルード、ライカ、〈帳〉はそんな彼女を微笑ましく感じながらも彼女の手を握り、サイファを励まし称えるのだった。

「で、これからあなたはどうするんだ? みんなをまとめてサラムレに行くのか?」

 ルードの問いかけに対し、サイファはかぶりを振った。

「住民達の避難は、メノード伯爵に任せたいと思う。私は、君達と一緒にここに残って、ことの顛末を見届けたいんだ」

「あなたも分かってるとは思うけど、危険なのよ?」

「もちろん、それは分かってるよ。でもライカ。私もこの事件に足を踏み込んだ身。最後までみんなと一緒にいたいんだ」

「分かったよ。俺達のことを見ていてくれ」

 ルードが言った。


「陛下!」

 その時、メナード伯が駆けつけた。彼は荒ぶる息を抑える間もなく、主君のもとにひざまずいた。

「陛下のご活躍、この老体はいたく感服いたしました……陛下のご勇姿は、永く語り継がれることでありましょう」

 ややも大げさかもしれないが、メナードの言葉には真理が含まれていた。ドゥ・ルイエが放った勅命を自ら撤回することは言語道断であり、恥ずべきことである。しかしサイファはそれを知りつつも、窮地から民を救うためにあえて勅命を撤回したのだ。彼女の心の中に芽生えた決意と勇気。それがルイエの英断を生んだ。

 サイファはくすりと笑って、メナードに立つよう言った。

「そう固くならずともいい。立ちなさい。メナード殿、それに周りの方々よ」

「はっ」

 メナードは言われるままに、すくりと立ち上がった。国王その人を前にして、緊張しているのがありありと伝わってくる。

「……あなたには避難民の統率をお願いしたい。無事にサラムレに着いて人々が安息を得られるよう、よきに計らってほしいのだが」

「仰せのままに」

 メナードは深礼をして応える。

「して、陛下はいかがなされるおつもりなのでしょうか? これより先、我らを率いてくださるのであれば、まことありがたいのですが」

「いや……私は……」

 サイファは、やや表情を曇らせて言った。

「姉ちゃん!」

 サイファの言葉に割って入るかのように、ジルの声が聞こえてきた。次にジルが空間を渡って実体を現し――すぐさまサイファに飛びつく。

「よかった、無事で! さすがは国王陛下だね!」

「ジル!」

 ややよろけながらサイファはジルの体を受け止め、彼の頭を優しく撫でた。

「ありがとう。君のおかげだ。……ん? ジル? ひょっとしたら、結構泣き虫なのかな、君は」

「ち、違うやい!」

 ジルは両目をこすりつつも強気に言ってのけた。

「これ! 降りんか! 失礼にもほどがあるぞ!」

 メナードは目をつり上げて注意を促すも、サイファはそれを制した。

「いいんだ、ジルは私の小さな友人だよ。それに、ジルが珠を創って使い道を教えてくれたから、巨大な私の像を皆に見せることが出来たのだ。ジルの力が大きな助けとなった。……でもジル。どうしてまたこっちまで来たんだ?」

「ああ、そう! そのことだよ!」

 ジルはぽんと手を打ち、地面に降り立った。

「ディエル兄ちゃんが言ったんだ。百を超すほどすごい数の魔物がもうじき現れるって。でも、こっちにいる戦士じゃあそんな数を相手に出来っこないんだ。だからお願い。あの赤い戦士達を向かわせてくれないかな?」

「魔物が来るって? それはどのあたりなんだ?」

「……! ご覧、サイファ。右手の遠く、あのあたり……私には霞んでよく見えぬのだが、あなたには見えるだろうか? あれらは、確かに今まで目にしたこともないくらいの数だ。“混沌”の力が強まっているゆえなのか……」

 半メグフィーレほど北方ではあるが、この地からでも明らかに分かる。暗黒に覆われた空の下にあってすら、さらに黒く光る禍々しい球体が一面に出現していた。間違いなく、魔物が現れる前兆である。

「百どころじゃあ……とてもじゃないけれどもきかない数だ」

 ルードも唇を歪ませて呆然とする。

 サイファはしばし、北方の有り様に目を凝らすように見つめていたが、言葉を切りだした。

「分かった。烈火に当たらせよう。烈火に勝ち目は?」

「あると思うよ。魔物とは言っても、“魔族レヒン・ザム”のような、高い位にある連中じゃあ無さそうだし」とジル。

「もしくは“忌むべきもの《ゲル・ア・タインドゥ》”と言われる、“混沌”の創造物の中でも、きわめて力の薄いものどもか。ならば、我らに勝機は十分にある」

 〈帳〉も言う。

 サイファはうなずくと、烈火のいるところへ向かって歩き始めた。

「メナード殿。私はここに留まる。勝手かもしれないが、私は全てを見届けたいのだ」

「陛下……」

「さあ、避難民達もさぞ焦れていることだろう。……頼む」

 そう言うと、再びサイファは歩き始めた。メナードは何やらサイファの背中に語りかけようとしていたが、思いとどまり、彼女の背中に深礼をして、きびすを返していった。


 サイファは再びデルネアと対峙する位置にまで戻ってきた。ちらと彼の様子を窺うが、デルネアはうつむいたまま、まるで石にでもなったかのようにぴくりとも動こうとしない。隷達もそれにならうようにただ立ちすくんでいた。

 その様子にやや不気味さをも感じたが、意を決し、サイファは高らかに声をあげた。


「烈火達よ、北方を見るがいい。一面に広がる黒い球こそ、忌まわしき魔物にほかならない。諸君らの敵はニーヴルにあらず、あれなる異形のものどもである! 烈火達よ、我が命に従い、あれらを撃破せよ!」


 すると、それまで壁のように居並んでいた烈火達が呼応した。ルイエに対して臣下の礼を取ると、鎧を着込んでいるとはとうてい思えないほど迅速に、しかし地面を揺るがせながらも北へと向かっていった。

(ふう……)

 サイファは、完全に開けた街道を見た。このまま西へと進めば、二、三日後には水の街サラムレへと辿り着くだろう。

 西の空は虚ろな灰色を映している。青を失った空とはいえ、それすらもこの上空を染める、黒く渦巻く空の絶望感と較べれば、幾分か人々に安堵をもたらすものとなるだろう。

 黒い雲がサラムレまで忌まわしい力を伸ばすのは、当分先のことになるようにサイファには思えた。このウェスティンの地が“混沌”に覆われるまでは。

「とりあえず、私の役目は無事に果たせた、というところか」

 サイファは、短くなった黒髪を掻き上げながらつぶやいた。

「私に勇気を与えてくれたのは、間違いない……エヤード――父上にルミ……」

 涙が自然とこぼれ出てくるのを止めずに、サイファは流れるにまかせた。

「ありがとう……」


* * *


 西への移動を心待ちにしていた北方の民達は、メナード伯の指示を受け、一斉に、しかし決して乱れることなく動き始めた。今や避難民の数も膨れあがり、最北のダシュニーや、東方のカラファー出身の人々を含めると二万を数えようかというくらいまでになっていた。

「一緒になって歩いてた時はそんなに意識してたわけじゃあないけど……いつの間にかすごい人数になっていたんだな」

 ルードは素直に言うほか無かった。

「ほら、地面が揺れてるみたいだぜ」


 人々を先導しているメナード伯は、馬車から降りるとサイファと、そしてルード達に一礼した。

「陛下。大変心苦しいのですが、我々は先に失礼いたします」

「いや、私のほうこそわがままを言ってすまないな。私達は青い空を取り戻すべく、ここで最善を尽くす。心配せずとも、必ずそうしてみせる」

 腫れた目のままサイファは微笑んだ。

「今は、烈火達が死力を尽くして魔物と戦っている。私達は、私達の戦いに打ち勝たなければならない」

「貴君らも気を付けて。運命が味方をしてくれることを祈っていますぞ」

 ルード達はメナードと、それに続く避難民達を見送っていた。ひたすら進むのに必死な者、安堵の表情を浮かべる者、皆の気分を慰めるべく楽曲を披露する者、ルード達に礼を述べる者――十人十色であったが、彼らは足早にこの地を去っていった。

 そして相も変わらずデルネアは、ぴくりとも動かずに人々をただやり過ごすのみ。

 事実上の敗北を認めたのか? それとも――。


「ルード」

 馴染み深い声に名を呼ばれたルードは笑みを漏らす。

「叔父さん……」

 いつの間にか、ルードの周りを囲むように人垣が出来ていた。ナッシュの家族や、ケルン、シャンピオといったスティンの村人達。それに麓で顔馴染みの人々もそこにいた。彼らの表情に共通することは一つ。

「ありがとうよ。そして頑張んなよ!」

 彼らの声を代弁するかのように、ケルンが前に出ると、やや荒っぽくルードの肩を叩いて励ました。ルードはケルンの肩越しに自分の家族の顔を見て取った。言わずとも分かっているかのように、お互い小さくうなずきあった。

 目前に迫る運命の時に至って気が張っているとは言っても、ルードとて一介の少年であることに違いない。ルードは感情を抑えきれず家族のもとに駆けだした。

「ルード」

 ニノは柔らかな手でルードの背中に手を伸ばした。頑固なディドルは、やはり黙って見つめている。

「こんなことになっちゃったけど、俺は俺なりにやり抜くよ」

 ルードは声を震わせながらも、自信を持って言い切った。

「そして、叔父さんがまた羊を飼って暮らせるようにする」

「お前はどうするつもりなんだい?」とニノ。

「俺は……ライカを無事、故郷に帰してやる。ライカとの約束だから。それに、出来れば世界っていうのをこの目で見てみたいし。それに……」

 ルードはちらりと従姉の顔を見た。

「後を継ぐとかいう話は……ごめん。今の俺には考えられなくなっちまってるみたいだ。でもケルンがいるから……」

「……え? な、なんでそこでケルンが出てくるのよ?」

 ミューティースが訊いた。

「ん、ケルンから直接聞いたわけじゃあないけど、ご両人の雰囲気、かな?」

 ルードは悪戯っ子のような表情を浮かべた。

「とにかく、俺がなんにも知らない、なんて思ってたら大間違いだぜ?」

「もう!」

 彼女は顔を赤らめ、ばつが悪そうにそっぽを向いた。

「そっちこそ、せっかく可愛い娘をつかまえたんだから、大事にしなさいよね!」

「わ、分かってるってば!」

 今度はルードが赤ら顔をする番だった。


 こうしてルード達は、つかの間の談笑――日常の和やかさを心地よく感じつつ、余韻を残すようにして別れていった。

 これが永久の別れでないことをお互い切に願いながらも。


* * *


 全ての避難民達が立ち去るのに半刻ほどかかっただろうか。この間に“混沌”が襲いかかってこなかったのは、ひとえに幸運の賜物としか言いようがなかった。


 そしてウェスティンの地には――ルード達と双子の使徒、そしてデルネアと彼の麾下たる隷のみが残った。北方では、烈火達が魔物達を相手に、熾烈な戦いを繰り広げている。

 今や空は黒一色と化し、“混沌”の到来を今か今かと待ち望んでいるようだ。ルードが神経を集中させると、足下の大地がしきりにざわめいているのを感じ取った。“混沌”に蝕まれ、自然本来の姿を失いつつある大地のざわめき。それは土の民の力を受け継いだルードにとって、耐え難い悲鳴にすら聞こえるようだった。

「もう、時すでに長くはあるまい。我らはいよいよ全てに決着をつけるべきなのだ」

 〈帳〉は空の様子を窺いつつ言った。

「デルネアよ」

 〈帳〉は歩み寄り、うつむいたままのデルネアに声をかけた。その口調はあくまで優しく、かつての友人を思う感情が表れていた。

「このままではいずれ終焉を迎えるのみだ……もう、いいだろう。フェル・アルムをあるべき姿に戻そう」

 そして、友に手を伸ばそうと、さらに一歩近づいた時。

 デルネアは無言のまま不敵な笑みを見せると――おのが剣を真横に薙いだ。


「〈帳〉さん!」

 ルードは悲痛な叫びをあげた。そして恐れた。冷徹そのもののデルネアの表情にルードは、デルネアの執念をかいま見たのだ。

「……!」

 〈帳〉の体が力なくよろける。〈帳〉の一瞬唖然とした表情はしかし、再び元に戻った。あくまで、デルネアに対峙する者としての、緊迫した表情。

「この期に及んで、まだ欲望を果たさんとするのか、デルネア!」

 〈帳〉は、自らの腕がぱっくりと割け、血に染まっていくのを感じていた。避けるのがもう少し遅ければ、彼は右腕を失っていたに違いない。

「欲望ではない。我が追い求める理想のためだ」

 デルネアは言った。相も変わらず、尊大な口調で。

「そもそも、なぜ我らがこの世界を創り上げたのか、今一度考えてみよ」

「アリューザ・ガルドを包んだ大いなる悲劇を繰り返さないため。それは私も同調していた。……しかし今、この世界はさらなる悲劇に見舞われようとしているのだぞ……!」

 朦朧としつつある中で、〈帳〉は必死に叫んだ。

「だからこそ、だ。我は絶対者たらねばならない。愚かな呪紋使いよ。先ほど言ったことを繰り返させるな」

 デルネアは、腕を抱えてうずくまる〈帳〉から目をそらし、ルードのほうに体を向けた。

「烈火を失ったからといって我の思惑が失敗に終わったなど、稚拙なことを思わぬようにな。我が求めるのはあくまでガザ・ルイアートなのだから!」

 デルネアは鋭い剣先をルードに向けた。

「やめるんだ、デルネア!」

 サイファは叫んだが、その思いはとうていデルネアに届くものではない。

「必ずや、その聖剣は我がものにしてくれる。貴様、あくまで剣を渡さぬと言ったな、ルードよ」

 デルネアの体から圧倒的な闘気が発される。

「〈帳〉さんに刃を……本当に向けてしまうなんて……」

 ルードは聖剣の柄をつよく握りしめ、デルネアを見据えた。

「人としての心を閉ざしてしまったあなたに、この剣は渡せない!」

「ならば、その言葉に後悔をして死ぬがいい!」


 言うが早いか。デルネアは両手に剣を構え、ルード目がけて走り寄ってきた。その速さたるや、人間のものではない。

 ルードはただ目を見開き、唖然とするしかなかった。

 気がついた時にはルードのすぐ目の前にデルネアがいた。

 彼は蒼白く光る剣を振り上げ――

「おのが身を護れ、小僧!」

 そう言いつつ、勢いをつけて振り下ろした。

 きいん! と甲高い音を立てて剣と剣がぶつかり合う。

 この世のものではない尋常ならざる剣同士は、火花を散らすでなく、己の持つ力を誇示し、相手を屈服させんとするかのように、その刀身から激しく光を発散させる。

 黒く染まったウェスティンの地は、瞬間ではあるが二筋からなる光に包まれた。

 そして――戦いが始まる。

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