社長への手紙
オルガン・スタローン証券株式会社、CEO、スティーブ・フィッシャー様。この度は、長期間欠勤することになり、忙しいときに職場の皆さんに多大なるご迷惑をおかけしたこと、大変申し訳ございませんでした。
私はこの機会に、今まで会社の中で感じたことや納得いかないことについて、腹を割って本音で、CEOにぶつけてみようと思いました。また、私自身の人間性や考え方を知っていただきたく、この手紙を書きました。
課長のスコットさんには何度か、私が以前派遣で働いていたことや、そのことで私の両親が近所で肩身の狭い思いをしていたことや、せっかく親に大学まで行かせてもらったのに、私が駄目な人間であることなどで説教をされました。
しかしなぜ、スコットさんにそこまで言われなければならなかったのでしょう。まるで私の人生を全て見透かしたようなつもりでいるのでしょうか。以前派遣で働いていたということで、私を見下し、差別し、身分の賤しい人間だと思っていたのでしょうか。派遣で働いている人を奴隷とでも思っているのでしょうか。納得がいきません。
また年齢のことでも私を愚弄しました。三十を過ぎて、結婚もせずに、親元で暮らしていることで私を情けない男だと思っているのでしょうか。
スコットさんは私に、「年齢関係なく先輩には敬語でしゃべれ。相手が年下でも、頭を下げて低姿勢でいけ」と言いました。そして、私は十九、二十歳の子に、敬語でしゃべり、頭を下げ低姿勢で接しました。その結果、どうなったと思いますか。二十代の若い連中の多くが、私をなめてかかり、大柄な態度をとりはじめましたよ。挙句の果てには、唯一の後輩であるウッズまでもが、私に偉そうな態度をとる始末。
ところで、あいつは何様のつもりなんでしょうか。私がゴミの回収をしていても、お構いなし。手伝ったことなどありません。特別待遇なのですか。取引会社の跡取りだから、汚れ仕事をさせるわけにはいかないのですか。だとしたら、あの糞餓鬼は何をしにこの会社に来ているのでしょうか。何を学びに来ているのでしょうか。将来CEOになるために、若いうちに下働きの経験をよそでさせて貰って、底辺で働く人の気持ちや苦労を勉強するために来ているのではないのですか。
それともすでに目上の人間に対しても、高圧的な態度でねじ伏せる練習でもしに来ているのでしょうか。
私はああいう糞生意気な餓鬼が大嫌いです。また金を持っている人間の方が偉いという考え方も反吐がでるほど嫌いです。経営者の方が労働者よりも偉いという考え方も虫唾が走るほど嫌いです。
結局、スコットさんは私に屈辱を味わわせるのが目的だったのでしょうか。三十を過ぎた人間が、二十歳前後の子に高圧的な態度でこき使われている姿は、どう見えたのでしょう。痛快だったのかもしれませんね。
私は、死にたくなるほど惨めでしたよ。晒しものですよ。本当に恥ずかしかった。ひとまわり以上も年下の子にびくびくして怖がる自分が情けなくて、嫌で嫌で仕方がなかった。その様子をまた他の若い連中に見られるのですから地獄です。注文を確定させるとき、エンターキーを叩く指が震えるんですよ、二十歳の子を相手に緊張して。情けない話ですよね。本当にこんな思いをするくらいなら死んだ方がましです。でも私は何も言えなかった。完全に怖気づいていたんです。私は虫けらのような人間でした。
また、仕事を失うことも怖かったです。
スコットさんにも「また派遣に戻りたいんか!」と言われたことがありましたが、実際、それは嫌でした。
両親も悲しむでしょうし、自分としてもこの仕事を続けたかったです。
結局、そこに付け込まれた訳です。社会的にも経済的にも追い込まれた人間。だから、どんなことを言われても、はむかうことはない。どんな扱いをしてもかまわない。人並みに扱う必要はない。一番若い奴の下に付けて、屈辱を味わわせてやれ。もっともっと精神的に追い込んでやれ。そうしたら、そのうち音を上げて辞めていくだろう。そんな風に思っていたのでしょうか。
そうやってスコットさんやリチャードソンの鬱憤晴らしに利用されていたような気がします。彼らはおそらく学歴コンプレックスを抱えていたのではないでしょうか。私がハーバード卒だったことが、彼らの神経を逆なでしたのかもしれません。きっと過去に出身大学ことで、色々嫌な思いをしてきたのかもしれません。私のような気の弱い大人しそうな人間は、格好の餌食だったわけです。しかし、なぜ他の人に対する怨みまでも、私が引き受けなければならないのでしょうか。理不尽な話です。
本当に納得のいかないことが多々ありました。特に酷かったのは、ラジオ体操です。リチャードソンは、私のラジオ体操がなっていないと言って、事細かく、指導しました。指先をピシッと伸ばせだとか、毎回動きをピシッと止めろだとか、アホみたいに細かいことをしつこく言ってくるんです。
アイツは一度自分の体操する姿を、録画して見てみれば良いんですよ。私はあんなに奇妙な動きの体操を未だかつて見たことがありません。体が硬いにも程があります。自分のことを棚に上げるのもたいがいにして欲しいです。
そして私は、人一倍一生懸命ラジオ体操をして、みんなの笑い者になるわけです。まさに晒しものです。そもそも証券会社の業務に、ラジオ体操がそこまで重要なのでしょうか。
リチャードソンは私を馬鹿にすることに躍起になっていました。私の間違いを指摘するときは、嬉しそうに大げさに騒ぐんです。そして、ネチネチとしつこい説教を繰り広げます。同じような例え話を何度も何度もしつこく繰り返して聞かせるんです。あれは何なんでしょう。明らかに時間の無駄です。著しく業務効率が落ちるでしょう。人に業務効率の重要性を主張してくるわりには、自分のことは棚に上げているわけです。アイツは、同じ意味の例え話をたくさん知っていることを自慢したかったのでしょうか。あれは私の人生の中で、もっとも無駄で糞しょうもない時間でした。
私が本格的に鬱病になる発端になったのも、このような出来事です。その日の説教は、これまでになかったほどに長くしつこいものでした。食事休憩をはさんで午後になってから、また午前中の話を蒸し返してきたのです。午前中に散々聞かされた例え話を、また始めたのです。またその内容が、酷い。
リチャードソンは私に「一足す一はなんぼや」とか言うんです。
そして私が「二です」と言うと、
「そうや、普通はそうや。十人おったら九人は二と答える。ただ一人だけ三と言う奴がおる。それがおまえや」
みたいなことを言うんです。
そして、「誰にでも分かる常識的なことや。そのへんの子供にでもわかるようなことが、何で三十過ぎたええ大人が分からんのや。こんな常識的なしょうもないことで俺の貴重な時間を奪わんといてくれ。俺も忙しいんじゃ。責任のある仕事もしよるんじゃ」
みたいなことも言われました。
そして、また例えを変えて同じ内容の話を繰り返すわけです。
私は、さすがにこの時ばかりは、黙っていることができませんでした。我慢の限界だったのです。
そして私は、「ちょっと、しつこくないか? しつこすぎるやろ」と言いました。厳密には私の方が年上なんです。これくらいのことは言っても良いと思ったんです。
リチャードソンは怒りましたね。烈火のごとく怒りました。私の襟首を掴んで、振り回しながら、大声で喚き散らしました。アホの死ぬほど汚い唾液が顔にかかります。
そして襟首から手を放して、
「もうええ。おまえには今後一切何も教えん」と言いました。
これは堪えました。この瞬間に何もかもが終わった気がしました。今まで頑張って積み上げてきたものが全部無駄になったように思いました。悔しかったです。本当に悔しかった。
私はこの頃必死で仕事を覚えようとしていました。早く一人前になりたかったんです。そして自分の顧客と自分専用の部屋を持てるようになりたかった。そうしたら整理整頓して自分のやりやすいように仕事ができて、楽しく働けるし、やりがいも出てくると思ったんです。
休みの日には、経済誌を乱読し、最近の市場動向や景気の先行きの研究をしていました。
仕事中もまだやったことのないディーラー業務に積極的に取り組んでいました。ただリチャードソンは、私の積極的な姿勢が気に入らなかったようです。
しかし、以前は積極性がないことを非難されていたのです。
私は、はっきり言ってリチャードソンが私に何を求めているのか分かりません。一体どうしろと言うのでしょうか。
そもそもあのアホは、まともに会話ができません。すぐ感情的になって、喚き散らすんです。汚い唾液を飛ばし、鼻が潰れるような臭い息を吐きながら。
リチャードソンは本気で私のことを馬鹿だと思っていたのでしょうか。本気で自分の方が賢いと思っていたのでしょうか。
自惚れるのも大概にして欲しいです。毛じらみ以下の低能が何を調子に乗りくさっとんでしょうか。ちょっと喋りゃあアイツの白痴ぶりは、誰でも気づくんじゃないでしょうか。ドアホですね。隠そうとして隠せるようなレベルの馬鹿さ加減とは違うんです。チンカス野郎が。それを偉そうに、私に向かって説教たれやがって。仕舞に殺すぞ。ゴミが。
あのアホは今まで何人も若い人を教育してきたと自慢していましたが、本当にそれで良いのでしょうか。あの屑にそんなことをさせておいて良いのでしょうか。良い人材が育つのでしょうか。
はっきり言いますが、あのアホの考え方は危険です。あのアホの間違った考え方を再教育するべきだと思います。これは冗談でも何でもなく、本気で言っています。会社のためです。放って置いたら、いつかとんでもないことになるような気がします。
こうやって振り返ってみると、やはり納得できないことが多いし、悪意を感じます。誰かが裏で糸を引いていたのでしょうか。
もしかするとヘルナンデス次長が指揮を執っていたのでしょうか。私は、あの人と話したことがないので、どんな人かは存じませんが、私を嫌っていたことは間違いありません。
というのも私は何度となくあの人に挨拶をしましたが、全て百パーセント無視されました。目の前で挨拶しても無視をするんです。通りすがりに睨みつけられたことも数え切れません。私はヘルナンデス次長が恐いです。そして腸が煮えくり返るほどに嫌いですし、存在自体が不愉快です。
私は、何度もあいつの夢を見ました。そして、夢の中で、あいつを何度も何度も叩きました。液晶モニターであいつの頭を叩き続けました。あの鬱陶しい顔面を集中的に叩きのめしました。モニターが割れて、透明の液体が出てきます。それでも私は笑いながらモニターを振り下ろします。グチャグチャと音を立てながら、液体が周りに飛び散ります。だいたいそんな感じの夢でした。
無視される理由が分かりませんからね。一体私が何をしたというのでしょうか。言いたいことがあるならはっきり言ってくれれば良いんですよ。気味が悪いです。一体何様のつもりなんでしょうね。職場の上司は部下に何をしても良いとでも思っているのでしょうか。まったく人を虫けらのように扱いやがって。いくら仕事ができるのか知りませんが、人間としてどうなんでしょうか。こんな人が出世するんですね。
結局私は直属の上司からも嫌われ、ヘルナンデス次長からも嫌われているんです。こんな状況で、私に何が出来るんでしょうか。近い将来リストラされるのが関の山です。私は邪魔ものです。嫌われ者の厄介者です。
ハワード常務がもし本当に私に期待しているとしても、他のみんなに嫌われていたらどうにもならないでしょう。ハワード常務も後二年で定年ですし。そうなったら今まで以上に私に対する攻撃は激しくなるでしょうし。
CEOは私のような目に遭ったことがありますか。人は貧しい家に生まれるとこんな目に遭うんですよ。どう思いますか。人ごとですか。自分には関係のないことですか。私は格差社会が大嫌いです。世の中全体にとっても最悪だと思っています。
私の家は、物凄く貧乏でした。ハイスクールを卒業するまで、家賃八十五ドル二十セントのスラム街にある狭いアパートに家族四人で暮らしていました。ロサンゼルスのワッツという薄汚い所です。家が貧しいことで子供のころから随分と嫌な思いをしてきました。クラスメイトからも教師からも理不尽な扱いを受けてきました。私は納得がいかなかった。不公平だと感じました。
そしてなんとか自分の代で貧乏から抜け出して、馬鹿にした連中を見返してやろうと思ったんです。反骨精神というやつです。金がないので塾にも行かず、独学で勉強しました。狭くて騒がしい家の中で耳栓をして勉強したんです。金銭的な理由で国立一本に絞って大学受験をしました。
大学に受かったときは、嬉しかったですよ。それまでの人生で一番うれしかった。気が変になりそうなくらい勉強しましたからね。そのときは、これで人生上手くいくのかな、なんて思っていました。馬鹿ですよね。でも当時はそんな風潮があったでしょう。
しかし世の中そんなに甘くなかった。特に私の場合は、人づきあいが苦手で、極度の人見知り、人の輪になかなか馴染めない。組織の中で浮いてしまう。人間的に欠落している部分がたくさんあったんです。やっぱり勉強だけでは駄目なんですよね。人間にはもっと大事なことがたくさんあるんです。今になって分かることですが、学生時代は本当に分かってなかった。教えてくれる人もいなかったんです。とにかく良い学校に入ることを最優先にしていました。もっと色んなことをしておけば良かったと、今更ながら後悔しています。全くもって暗黒のような酷い青春時代でしたよ。私は生き方を間違えていたのです。
おかげで私は社会に出てから様々な壁にぶつかりました。学生時代におろそかにしていたことのつけが回ってきたのです。主に人間関係です。私は人が恐かった。人と向き合うことが出来なかった。今でも越えられない壁もありますが、その頃と比べると随分成長できたと思っています。つい先日鬱病になった人間が言うのもなんですが、以前と比べると随分前向きに生きれるようにもなりました。ちなみに私はまだ人生を諦めてはいません。まだ希望はあると本気で思っています。絶対に作家になって見せます。作家になるのが今の私の夢なんです。それが最後の希望かもしれません。
私は人から見下されるのが大嫌いです。年下に偉そうにされると殺してやりたくなります。裏表のある奴が大嫌いです。人によって言うことを変えるやつは屑だと思います。社会的ポジションで偉そうにする奴もカスだと思います。拝金主義も糞喰らえです。
私はこれまでの人生、色んな事を我慢してきましたが、どうやら我慢にも限界というものがあったようです。私はもう我慢が出来そうもありません。
私は今までほとんど喋ったこともないので、CEOがどういう人なのか分かりません。CEOは経営者の方が労働者より偉いと思いますか。それとも経営者も労働者も平等だと思っていますか。
私は平等だと思っています。仕事の内容が違うだけで一緒に働く仲間であるべきだと思っています。上司と部下についても同じように考えています。なので、上司だからと言って威張り散らすのは、間違っていると思いますし、部下だからと言って、虫けらのような扱いを受けるのはまっぴら御免です。
CEOも同じような考えだと嬉しいです。そっちの方が良いですよね。
最近は人間を使い捨ての道具のように扱う価値観が蔓延しているように思います。利益最優先の考え方です。利益のために人間を犠牲にしても良いという考え方です。こんな考え方は本末転倒です。本来何のために人間は組織を作ったのかを忘れてしまっているのです。人々がより良く暮らしていくために、組織というものがあるのです。
人を大切に最優先に考えるべきだと思います。
CEOは私のような内向的な人間をどう思いますか。おまけに私は鬱病患者です。おそらく会社の中には精神疾患に対する差別意識を持った方がたくさんおられると思います。気持ち悪がる人もいるでしょう。こんな人間を社員として抱えることは、会社にとって不利益になるとは思いませんか。
私はこの度、鬱病になって、はじめは会社には隠しておこうと思っていました。働きながら治療しようと考えていました。ばれたら解雇されると思っていたのです。
でもどうしても会社に行くことができなくなって、解雇を覚悟して、会社に鬱病のことを言いました。しかし、解雇されませんでした。それどころか二ヶ月も休ましてくれたのです。こんなことをしていただいても良いのでしょうか。私が以前働いていた会社は、のべ二年半ほぼ無遅刻無欠勤だったにも関わらず、二回も解雇されたのです。派遣切りです。ずいぶんと違うものですね。オルガン・スタローン証券株式会社の懐の深さには驚きました。人情味のある会社ですね。感謝しています。
そもそも雇っていただいたことが、奇跡のようなものです。それにも関らず、こんな状態になってしまい、申し訳ありません。
私のような一介の平社員が生意気なことを色々と申しましたが、お許しください。この手紙を読んで、こんな奴はいらないと感じたのであれば、CEOの権限で解雇してくださっても結構です。怨みはしません。
それでは失礼します。