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塞の村  作者: 七子
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後編

 ホウッとため息をひとつ落として、老婆が語り出す。

「キナサ…鬼の無い里、と書いて鬼無里、ケサさんの旧姓です」

それで聞き覚えがあったのかと、首肯する。

「鬼無里は集落で一番の家系でこの村の要でした。けれど戦争で召集されることになって」

「戦争?」

「大戦のことだよ。当時鬼無里の家では、召集に応えられる強い力の持ち主はケサさんしかいなかった」

隣で男が引き取って続けたものの、肝心のところが分からない。

「強い力って…?」

「この集落は塞の力に秀でた呪術の村なんですよ。今でこそこんな有様ですけれど、時の権力者に代々庇護されて来た一族ですからね、召集されれば否応なかった…天帝の御所を守る界を張るため、ケサさんが行くしかなかったんです」

老婆は哀しげに言った。

 そんな一族の噂話が真しやかに語られることもあったが、つまびらかにされる前に、いつの間にか立ち消えてしまうのが常であった。嘘とも真ともつかない話だったが、こうして聞いてみると真であったのか。

 今夜は不思議の続く夜である。言われるままにそんなものかと信じる気になるのもまた不思議であった。

角立( つのだち)の、この家には兄が…ケサさんの許嫁もいたのですが、戦争で亡くなって。集落にほかに並び立つ男がいない以上、ケサさんは、あちらで婚姻されることを選んだのです」

老婆の昔語りは続く。

「あちらで婚姻された以上、こちらには戻れなくなりますが、要を欠いては塞の力も弱まる一方です。ケサさんは心を痛めて、私たちに約束をしてくださった」

「約束、ですか?」

「はい」

老婆はこちらを見つめ、にっこりと微笑んだ。

「鬼無里は女系の家柄ですから、いずれ必ず角立の家に娘を寄越すと」

「婆様、お話中ごめんなさい」

不意に障子の外から声がかかった。玄関先で聞いた女性の声のように思われる。

「鬼無里の娘と聞いて村の人たちが集まってしまって。ウラ、申し訳ないけど、一度こちらに挨拶に来てくれる?」

老婆がホホホと微笑んだ。

「まったく気の早い話ですね。まだ何の承諾もいただいていないのに。それでも鬼無里の娘と聞けば、気がはやるのも無理がありません。…アサちゃん」

「はい」

名を呼ばれて、老婆を見る。

「今すぐにとは申しません。いずれこの不肖の孫と…ウラと婚姻を結ぶことを考えてやってくださいな」

なんと応えたものかと押し黙ると、

「婆様も気が早い。今夜の今だぞ」と、ウラと呼ばれた男は楽しげに笑った。

この夜はどうにも現実感が伴わない。まるで全てが人ごとのようで、むろん婚姻など遠い将来の話でしかなく、

「そのうちに」

などと適当に応えて、ウラに誘われるまま、老婆の座敷を後にした。

 また、ぐるぐると廊下を渡って、気がつけば座敷の一角、今度は襖の前に立っていた。中からは大勢の人がいるようなざわめきが伝わってくる。ウラは、またも遠慮もなしに一息に襖を開け放った。一瞬場が静まり、再びガヤガヤとざわめきが戻って来る。しかし、二十畳はあろうかという座敷には、やはり誰の姿も見えないのだった。

 座敷には二台の座卓が縦長に並べられ、茶だの菓子だのが置かれている。よく聞けば「鬼無里」「婚姻」などの言葉が切れ切れに耳に飛び込んできた。

「アサ、今のお前には何も見えないだろうが、これが、塞の村が長年要を欠いた結果だ」

ウラは真面目な調子で言うと、座敷に背を向けた。

 座敷からこちらの姿を隠すようにして立つと、覆い被さるように腰を引き寄せてくる。顎を掴まれ上を向かせられると、突然口づけが落とされた。角度を変えて幾度か強く吸われ、唇をなぞった舌が強引に歯列を割り入ってくる。

 瞬間に、ざわめきが現実感を伴って耳に飛び込んで来た。深い口づけに抵抗しながらも、肩越しに目をやった座敷には、白シャツだの甚平だのを纏ったどこにでもいる中年の男たちが、一様に驚き顔でこちら見ていた。やがて、やんやと囃し立てる。

「あらまあ、ウラ、若い娘さんに不謹慎な!」

ひと際大きく飛び込んだ声の主は、座敷のこちら側で茶を注いでいた柔和な顔をした女性だった。驚いてこちらを向いた顔が、ウラによく似ている。この女性が玄関先の声の主で、ウラの母親であることは間違いない。

 羞恥に顔が赤くなるのを感じて必死で厚い胸板を叩くが、ウラは気にする様子もなく丹念に口腔を探ると、名残惜しそうに口を放した。

「要があれば、こうして皆も存在を揺るがせることなく、在ることが出来る」

口づけが終わって見れば、先ほど同様、座敷に人のざわつきはあるものの、姿を見ることは出来ない。

 座敷に向かって並んで立つと、ウラは、

「鬼無里の娘で、アサと言います。お見知りおきを」と深く一礼した。

わたしが礼を終えるのを待って、ウラは手を引いて歩き出す。

「今では塞の村を出てあちらに渡れる者は俺しかいない。要を欠いて、村の力は弱くなるばかりだ」

滑るように廊下を行き、気が付けば玄関先にいる。たたきには畳表の雪駄と白木の下駄がきちんと並べられていた。

「サトさんの代には、角立の家に釣り合う男がいなかった。このままでは塞の村は揺らいで消えてしまう」

「だからわたしと婚姻を?」

見上げた男は熱いまなざしでこちらを見つめる。少し風が出て来たようで、ウラの無造作に切られた長めの髪が揺れる。今は好きも嫌いもないが、全体に好ましい男だと感じた。

「ケサさんの張った界を抜けたのだから、アサもやはり鬼無里の娘だよ」

手を引かれるまま、淡々と道を行く。

 いつか気がつけばモヤに覆われ、前方にうすぼんやりと浮かぶ影は、祖母の家に違いないのだった。

 急に強く手を引かれて、胸元にきつく抱き寄せられた。薄い浴衣越しに男の高い体温と早い鼓動を知る。滾った男を感じて身をよじれば、ますます強く身体を押し付けて来る。

 今はまだ、この男の身体に回す腕は持たないが…と考える。この男の強い腕に安心させられる。この場所は心地よい。

 耐えきれずに目を閉じた。

「また、来る」

二度目の口づけに、今度は柔らかく酔いしれる。長くそうしていて、ふと思い出す。

「…あ、蝙蝠」

乱れた息に上ずった声で言えば、ウラは呆れたように笑った。

「蝙蝠は勝手口を出たかしら?」

「最初からそんなものはいない…あれは口実だ」

男の腕にさらに力がこもった。

 

 勝手口には松ぼっくりが三つと黄色の花が一輪。


 果たしてこれは今宵限りの夢か現か、なんとも不思議の続く夜であった。

鬼無里というのは長野県に実在する地名です。以前から字面と音の響きに惹かれていました。今回お話の中で使っておりますが、もちろん実在の地名とは全く関係はありません。もしご不快に思われた方がいたらごめんなさい。


いつか続きが書けたらなと思いつつ、これにて「完」です。

つたない文章ではありますが、読んでくださった皆さん、どうもありがとうございました!

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