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塞の村  作者: 七子
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中編

 まろびるように勝手口から踏み出ると、辺りはまるで見知らぬ場所だった。大量のモヤが出て、すぐそこにあるはずの雑木林が輪郭も曖昧に、闇と交じって不思議な乳白色ににじんで見える。

 梅雨時の早朝にモヤが出ることはあっても、この季節この時間に、辺りも見渡せないようなモヤが出たことがあっただろうか?

「ああ、忘れていた」

男は浴衣の袖から何かを取り出すと、勝手口の上がり框に並べた。後ろからのぞくと、松ぼっくりが三つ。

「これ…」

よく似た光景を知っている。

「習いだからね、これでサトさんも安心するだろ?」

「母のこともご存知なんですか?」

思いがけず母の名が出て、きつい口調になってしまったが、考えてみれば、このように若い男が祖母を訪ね、あまつさえ、母の名までも親しげに呼ぶとは何とも奇妙なことだ。

「・・・の娘だから」

独り言のようにつぶやいた男の返事はよく聞こえない。

 再び手を取られ、当然のようにモヤの中を出て行こうとするので、慌てて足を止めた。

「あの、どこへ?」

「俺の家へ。ケサさんが亡くなったというなら、俺の婆様に一言知らせてやって欲しい」

しゃべりつつも歩き出した男に釣られ、なんとはなしに歩き出してしまう。モヤった光景のように、頭の中までぼんやりと曖昧になってしまったようだ。

「ああ、松ぼっくり…」フッと思い出してつぶやく。

「小さな頃にはよく、あの家にああして置いてあった」

それを見ると、幼いわたしを連れた母は「出かけているのね」とにっこり微笑み、「また今度」と言って祖母の家を後にするのだった。

「ケサさんが若い頃は、よくこちらに来られていたからね」

 フワリフワリと漂うような気分でモヤの中を進む。途中で道祖神を見た気もするが定かではない。

 気がつけば、山間にポツポツと家の明かりが見え、林の腐葉土の上を歩んでいたはずが、未舗装ながらもそれなりに整備された道を踏んでいるのだった。暗がりを透かして見れば、道の脇にはまだ青い稲穂が頭を垂れている。

 このような集落が付近にあったとは思えないが、ないとも断言出来ない。狐につままれたような思いで、男に手を引かれて行く。そういえばこの男の名も知らない。

「ウラ!」

突然の呼び声に足が止まった。暗がりとは言え、夜目が効かないわけではない。周囲に人影などどこにもないのだった。

「誰?誰を連れて来たの?」

「婆様の客人だよ、騒ぎ立てるな」

男は驚く素振りも見せず、声に応える。声は幼い者のようだった。

「ウラがお嫁様を連れて来たー!」

明るく囃し立てるような声はすぐに遠ざかって行く。

「あれは?」

問いかけると、男は苦笑した。

「あの様子ではあっと言う間に広がってしまうな。気にするな」

答えにはなっていないのだが、ぼんやりとうなずく。不思議に不思議が重なって、今夜はそうした夜なのかと思う。

 立派な門構えの屋敷の前で、つないだ手を離された。少し汗ばんだ手のひらが夜気に触れ、心もとなく感じる。脇の通用門をくぐって飛び石伝いに玄関へ向かえば、青白い玄関灯が灯る屋敷は一層暗く大きく見えた。

 男がガラガラと引き戸を開けると、「お帰りなさい」と声が迎えた。年配の女性の声に思えるが、やはり姿は見えない。中は柔らかな光が満ちている。

「婆様に客人だ、キナサの娘だよ」

と、男が応える。

「キナサ?」

どこかで聞いた覚えがあった。しかし、考える間もなく男がどんどんと奥へ向かってしまうので、慌てて「お邪魔します」とだけ小声で言うと、急いで後を追った。

 入り組んだ廊下を幾度か折れると中庭に出た。縁側沿いに白い障子がヤワヤワと光をはらんで並んでいる。男は遠慮もなしに障子を開けた。

「婆様、キナサの娘を連れて来たよ」

「ケサさんの?」応えたのは祖母と変わらぬ年配の女性のようだ。

後ろからおずおずとのぞくと、広い座敷の床の間を背に、品の良い白髪の老婆が座っていた。

「サトちゃん…いえ、サトちゃんの娘さんかしら…アサちゃん?」

まさか名前を呼ばれるとは思わず、まごついて応える。

「あの、そうです。…突然お邪魔して」

「よく来てくれました。長いことご無沙汰をして」

座布団を外した老婆が三つ指をついて頭を下げるので、困惑のまま、浴衣の裾をそろえ正座をして、同じように礼を返した。

「アサと申します。たぶん…初めてお目にかかると思うのですが」

顔を上げると、座卓を挟んで向かいの座布団を進められた。男も当然のように並んで腰を下ろす。

「まあまあ、まだこんな赤ちゃんの頃にお目にかかったことがあるんですよ」

そう言って胸ほどに手を広げて親しげに笑う老婆は、まるで久しぶりに会う親戚のようだ。

「ごめんなさい、覚えていなくて」

「当然ですよ、赤ん坊だったんですから。でも、立派な…奇麗な娘さんになられたこと」

と、眩しげに目を細める。

「足を悪くしてから、なかなかそちらに伺うことも出来なくて」

正座した足下を撫でる仕草が、いっそう老齢を感じさせた。

「それで、ケサさんはお元気かしら?」

「…祖母は今年の六月に他界致しました」

母の言っていた『あちらの方』とはこの人たちのことだったかと思いつき、

「母が、不調法をくれぐれもお詫びするようにと申しておりました」と言えば、

「あのケサさんが…知らなかったこととは言え、こちらこそ何のご挨拶もぜず申し訳ないことでした」

老婆は驚いたように目を見張り、再び、深々と頭を下げるのだった。

「あの…わたし、何も知らないままここへ来てしまって、だから…」

言葉を継げずにいると、老婆はゆるゆると首を振った。

「昔のことですからね」

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