最終話 婚約披露
学園の卒業パーティの日がやって来ました。
エスタファドル殿下は、後になってから我が侯爵家へ謝罪にいらっしゃいました。
あの日の殿下は興奮して我を忘れていたのでしょう。どうも私との婚約破棄の代償に、バスラ様に体を許してもらうという約束をしていたそうなのです。
婚約破棄でなく白紙撤回になっても、私が婚約者を失ったことは変わりません。
殿下の側近を辞したビセンテ様から申し込みがあって、私は彼と婚約することになりました。
侯爵家ご次男の彼には婚約者がいなかったのです。それは将来側近として、殿下の政策に役立つ方を娶るためでした。
──ヴェロニカ。
公衆の面前で婚約を破棄して私を侮辱したのが肉欲のためだったなんて、本当にエスタファドル殿下は別人になってしまったかのようです。
あれから私は、自分を呼ぶ昔のエスタファドル殿下の声が聞こえるようになりました。
幻聴です。ただの幻です。
──ヴェロニカ。
私がそれを求めているだけなのです。
今のエスタファドル殿下は別人で、本当のエスタファドル殿下は前のままだと。
政略結婚の相手でしかない私でも大切にしてくださっていたころの殿下が、今もどこかにいらっしゃるのだと願い続けているのです。
いいえ、幻聴のエスタファドル殿下の声は以前よりも甘く優しいのです。
まるで私のことを想ってくださっているかのように呼びかけてくださるのです。
惑わされてはいけません。思い出すのです、真実を。
──ヴェロニカ。
本当はわかっていました。
あのときビセンテ様のおっしゃった通りです。
ひとの心は変わるのです。恋をすればだれだって。
別人だとまで感じるようになったのは、殿下が別れると言ってバスラ様の家を訪問してからです。
でもそれ以前から、学園に入学してバスラ様と出会ってから、エスタファドル殿下が変わってしまったということには気づいていました。
政略結婚の相手でしかない私を愛する努力に虚しさを覚え始めていらしたことにも。私が淑女のお手本なんて呼ばれていること自体、殿下にとっては重荷だったということも。
でも王太子の婚約者として、私はバスラ様のようには振る舞えませんでした。
むしろ私がバスラ様のようになったとしたら、殿下は支えるのではなくお捨てになっていたことでしょう。
ほかのだれでもない、バスラ様だから愛していらっしゃるのです。苦しみを分かち合いたいと思っていらっしゃるのです。
今の殿下は、すべての柵から解き放たれた本当の殿下なのかもしれません。
「ヴェロニカ様」
ビセンテ様の言葉に顔を上げます。
今日は卒業パーティが開催されるだけでなく、エスタファドル殿下とバスラ様の婚約も披露されるのです。国外へのお披露目はおふたりが卒業後一年の試練を乗り越えてからになるでしょう。
壇上に立つおふたりはお幸せそうです。
「ハンカチは……今日は必要ないようですね」
「はい。だって私はもうビセンテ様の婚約者ですもの。おふたりを祝福する気持ちはあっても、悲しむような理由はどこにもありませんわ」
ビセンテ様はご次男ですが、ご実家の侯爵家が複数持つ爵位のひとつを受け継いで貴族家の当主となられます。
私も当主夫人として励まなくてはなりません。
妃教育で学んだことを生かせると良いのですけれど。
「ビセンテ様。もう一度私の名前を呼んでくださいますか? 貴方に名前を呼ばれると安心するのです」
「ええ、何度でも。……ヴェロニカ様」
彼の声は、彼の声だけが幻聴を打ち砕いてくれるのです。
私はもうビセンテ様に新しい恋をしているのでしょう。
ひとの心は変わるのです。恋をすればだれだって、私だってそうでした。
バスラ様を愛して心変わりしたエスタファドル殿下は、もう私の愛した殿下ではありません。
政略結婚の相手でしかなくても大切にしてくださっていた殿下は、いつか私を愛してくれたかもしれないあの方はもういないのです。
もうどこにも──
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それからのヴェロニカは、二度とエスタファドルの声の幻聴を聞くことはなかった。
婚約した王太子エスタファドルと男爵令嬢バスラは試練の一年が終わる前に病死。
本当は病死ではなく、突然エスタファドルの身体が腐って崩れ落ち、一緒にいたバスラが狂気に陥って始末されたのだという噂もあるが、本当のところはわからない。




