『終わらない者の、はじまり』
『終わらない者』
彼は、もう何度目の朝かも分からない朝を迎えていた。
窓の外では、見慣れない建物が並び、見知らぬ人々が忙しなく行き交っている。だが、それも当然だった。街は変わる。国も変わる。文明も、価値観も、名前さえも。
変わらないのは——彼だけだった。
不老不死。
それはかつて、誰もが夢見た“救い”だった。
老いも、病も、死もない。 永遠に続く時間。 無限に積み重なる経験。
彼もまた、それを望んだ一人だった。
だが、それは「終わらない」だけで、「満たされる」わけではなかった。
最初の百年は、まだ良かった。
愛する者と出会い、共に生き、別れを経験する。 悲しみはあったが、それでも人間としての実感があった。
二百年目。
同じことの繰り返しに気づき始める。 出会い、愛し、失う。
その循環が、あまりにも規則的で、あまりにも残酷だった。
三百年目。
彼は名前を変えることを覚えた。 同じ顔のままでは、世界に居場所がなくなるからだ。
四百年目。
彼は職業を変え続けた。 知識は増え、技術は極まり、何でもできるようになった。
だが——どれも、長く続ける理由がなかった。
五百年目。
彼は、人を愛することをやめた。
愛は、終わることが前提の感情だったからだ。 自分だけが残る関係に、意味を見出せなくなった。
そして、千年が過ぎた頃。
彼は、初めて“死にたい”と思った。
しかし、死ねない。
どんな傷も癒え、 どんな毒も効かず、 どんな事故にも耐える。
彼は世界に拒絶されることも、受け入れられることもなく、 ただ“在り続ける”存在になっていた。
ある日。
彼は、小さな少女と出会った。
「ねえ、おじさん。どうしてそんなに寂しそうなの?」
唐突な問いだった。
彼は答えなかった。 答えられる言葉を、もう持っていなかった。
少女は、彼の隣に座り、空を見上げた。
「わたしね、怖いの。いつか、全部終わっちゃうのが」
彼は、わずかに目を細めた。
「でもね、お母さんが言ってたの。 終わるから、大事にできるんだって」
その言葉は、彼の中で何かを揺らした。
忘れていた感覚だった。
終わりがあるからこそ、意味がある。
失うからこそ、愛しい。
彼は、何千年もかけて、 それを“捨てて”きたのだ。
「おじさんは、怖くないの?」
少女の問いに、彼は初めて口を開いた。
「……怖かったよ。昔は」
そして、少しだけ笑った。
「でも今は……終わらないことの方が、ずっと怖い」
少女はやがて成長し、 大人になり、 老いていった。
彼は、そのすべてを見届けた。
以前なら、距離を置いていたはずの関係。 だが今回は、逃げなかった。
別れの日。
少女だった女性は、静かに息を引き取る直前、 彼の手を握って言った。
「ありがとう。あなたと会えて、よかった」
彼は、泣いた。
何百年ぶりかも分からない涙だった。
そして彼は気づく。
不老不死の中で失っていたのは、 時間ではなく——
「終わりを受け入れる覚悟」だったのだと。
彼は、また歩き出す。
終わりのない世界の中で、 それでも“終わりのある関係”を選びながら。
孤独は消えない。
だが、それでもいいと思えた。
なぜなら——
その孤独さえも、 誰かと分かち合える瞬間があると、知ってしまったからだ。
終わらない者は、 ようやく“生きること”を始めた。




