【女神の愛し子】メイリーはみんなを幸せにしたい 〜どうして、みんな目を逸らすんですか?〜
私、メイリー! 王都で一番人気のパン屋『フェアリーテイル』の看板娘なの!
毎朝、お父さんとお母さんと一緒に焼きたてのパンをお客さんに届けるのが大好きな、どこにでもいる普通の女の子……だったんだけど。
ある日のこと。お店の前に目が眩むほど豪華な馬車が止まって、中からキラキラした騎士様が現れたの。お城からの使いだっていうから、もうびっくり!
そのままお城へ連れて行かれたと思ったら、偉い人たちに囲まれて『貴女こそ、世界を救う【慈愛の女神】の愛し子です』なんて言われちゃって……。
……って、ええっ!? 私、ただのパン屋の娘なのに!?
目の前に現れた王様からは『どうかその慈愛の力で、我が国の力になって欲しい』なんて頭を下げられちゃうし、もう、頭の中は大パニック!
でも確かに、思い返してみれば不思議なこと……というか、「私って運がいい!」って思うことがたくさんあったわ。
たとえば、去年の冬のこと。
お店のオーブンが壊れちゃってお父さんが頭を抱えていた時に、「早く直ったらいいな」ってぼんやり思ったら、消えていたはずの火がポッと点ったの。お父さんは『おや、掃除したら直ったのかな?』って不思議そうにしていたけれど……。
他にも、重い小麦粉の袋を運んでいる時に「ふわふわの綿あめみたいに軽かったらいいのに」って思ったら、本当に指先一本でひょいって持ち上がったり、雨の日に「濡れるのが嫌だわ」って思ったら、私の周りだけ雨粒が全部お花の形に変わって地面に落ちる前に消えちゃったり……。
あれもこれも全部、女神様が私のちょっとした願いを叶えてくれていた証拠だったのね!
というわけで、なぜかお貴族様ばかりの集まる「王立学園」に通うことになっちゃったの。
私の力はまだ未知数だから、まずは同年代の若者が集まる場所でその力をどう活かせるか試してみてほしいんですって。
平民の私に馴染めるか不安はあるけど……でも、お父さんが言ってたわ。
『メイリー。焼きたてのパンを届けるのも、困っている人を助けるのも、結局は誰かを幸せにするってことだ。場所が変わるだけで、やることは今までと同じさ。目の前の人を笑顔にしたいっていうお前のその真っ直ぐな気持ちがあれば、どこでだってやっていける』って!
だから私、決めたの! 大好きなこの国のみんなを、焼きたてのパンを食べた時みたいに幸せにしちゃうんだから!
――さあ、今日から憧れの学園生活!精一杯頑張らなきゃ!
そう意気込んで、お父さんとお母さんに見送られて家を出た私だったけれど……王立学園の正門をくぐった瞬間、その決意は一気にどこかへ吹き飛んでしまった。
「……な、なにこれ。本当にお城じゃない」
目の前に広がるのは、どこまでも続く真っ白な石畳の道と、手入れの行き届いた広大な庭園。見上げるほど高い校舎の窓は太陽の光を反射してキラキラ輝いているし、すれ違う生徒たちはみんな、演劇の世界から抜け出してきたような、華やかな制服を着こなしている。
私の着ている制服も同じはずなのに、なんだか私だけ高級レストランに迷い込んだ野良猫みたい。
「見て、あの子……」
「あれが、例の『愛し子』様? 」
「平民のパン屋の娘らしいけど……」
ひそひそと聞こえてくる上品な声。
みんな、私のことを見てる。敬意を払ってくれているというよりは、珍しい動物でも見るような好奇の目。
(ううっ、視線が痛い……!)
お城で王様とお話しした時も緊張したけれど、同年代の子たちがこんなにたくさんいる場所はもっと緊張する。どこにいても居場所がないみたいで、胸がドキドキして呼吸が浅くなっちゃう。
お父さんは『やることは今までと同じ』って言ってくれたけど、ここではパンを配って歩くわけにもいかないし……。
「とにかく、少し落ち着かなきゃ。……静かな場所、どこかにないかな」
豪華な装飾が施された中央廊下を、逃げるように早歩きで通り抜ける。
賑やかな一階を離れ、階段を三階まで一気に駆け上がると、ようやく周囲の喧騒が遠のいた。
ふう、と息をついて廊下の奥へ進むと、ひっそりと佇む大きな木の扉が見えた。他の場所よりも少しだけ使い込まれたような、温かみのある茶色の扉。
(あそこなら、きっと人が少なくて落ち着けるはず!)
そこが『図書室』だと気づいた私は、吸い寄せられるようにその扉へと手をかけた。
そこには焼きたてのパンの匂いではなく、インクと古い紙の匂いが満ちる未知の世界が広がっているはず。
――けれど、その静寂は一瞬で吹き飛んじゃった。
「わわっ! ちょっと、そこのあなた、危ない……!」
扉を開けた瞬間、飛び込んできたのは悲鳴のような声。
そして、私の視界を真っ暗にふさぐほどの――山のような本の束!
「えっ、あ……っ!?」
避ける間もなかった。
ドスンッ! と鈍い音が響いて、私はお尻から床にひっくり返る。それと同時に、バラバラバラッ! と激しい音を立てて、大量の本が雪崩みたいに私の周りに降り注いだ。
「いたたた……。ご、ごめんなさい、大丈夫ですか?」
慌てて顔を上げると、そこには私と同じように床に座り込み、目を白黒させている女の子がいた。
「こちらこそごめんなさい。本を一気に運ぼうと欲張ってしまって……」
彼女が情けない声を出しながら、散らばった本を必死に抱え込もうとする。
手伝わなきゃ、と思って私も手を伸ばした……その時、指先が触れた本の表紙に見覚えのある文字を見つけた。
「……あ、『余ったパンの耳活用法』? これ、うちのお店にもあるやつだ!」
他にも、こんなタイトルが目に飛び込んでくる。
『限られた銅貨で彩る! 究極の節約レシピ百選』
『初心者でも失敗しない! 庭の片隅で始める野菜栽培』
「あ、あの、これは、その……社会勉強の参考資料というか、なんというか……!」
彼女は顔を真っ赤にして、ひったくるように本を隠そうとする。でも、私は思わず身を乗り出しちゃった。
「わあ! この本、お父さんも読んでました! 裏庭のトマトを育てる時にすごく役立つって、ボロボロになるまで愛読してたんですよ! あなたも野菜育てるんですか!? かっこいいですね!」
「……えっ? かっこ、いい……?」
私の言葉に、彼女は毒気を抜かれたみたいにポカンと口を開けた。
「……かっこいい、かしら?」
彼女はそれまでの緊張が嘘みたいに、拍子抜けしたように微笑んだ。
「……あなたは私の本を見ても、笑わないのですね。他の学園生に見られたら、きっと『伯爵家も終わりね』って、馬鹿にされます」
彼女は、拾い上げた本を胸に抱きしめながら、少し寂しそうに視線を落とした。
「えっ? どうしてですか? お野菜を育てようとする人に悪い人なんていませんよ!」
「……えっ?」
私が迷わずそう断言すると、彼女は驚いたように目を見開いた。
私はさらに身を乗り出して続ける。
「お父さんが言ってたんです。土に触れて、一生懸命食べ物を育てようとする人は、みんな優しい心を持ってるんだって!」
「……ふふっ。変な理屈。……でも、少しだけ救われた気がしますわ」
彼女の瞳に、ほんのりと温かい光が宿る。けれど、ふと私の顔をまじまじと見つめ、ハッとしたように姿勢を正した。
「……失礼いたしました。あなたは『慈愛の女神の愛し子』様ですよね?気づかなかったとはいえ、とんだご無礼を……」
「そんな! 気にしないでください! 私、ただのパン屋の娘ですから!」
「でも、愛し子様にぶつかって、あんな恥ずかしい本の中身まで見せてしまうなんて……」
彼女は急に「令嬢」らしい壁を作って、一歩引いてしまった。
なんだか寂しい。私は、思い切って彼女の手を握りしめた。
「じゃあ、お詫びの代わりに私と友達になってください! 私、メイリーです!」
「メイリー……様……」
「メイリーでいいです!……えっと、あなたのことも、お名前で呼んでいいですか?」
彼女は少しだけためらうように視線を泳がせたけれど、やがて優しく、決意を秘めたような声で答えてくれた。
「……では、私のことはリリィと。そう呼んでいただけますか?」
「はい! リリィさん!」
「ふふっ。リリィでいいですわ。これからよろしくね、メイリー」
それからというもの、私とリリィは急速に仲良くなった。
学園の生徒たちは、相変わらず私のことを『慈愛の女神の愛し子様』なんて呼んで、遠巻きに眺めてはヒソヒソと噂しているけれど。リリィだけは出会ったあの日から、私のことをただの『メイリー』として扱ってくれる。
難しい本を一緒に読んだり(私はほとんど居眠りしちゃうけど!)、お父さんの焼いたパンを半分こしたり。
リリィは、私にとって学園で唯一の、本当の友達だ。
ある日の放課後。
三階の図書室でいつものように調べ物を終えた私たちは、一緒に帰る準備をしていた。
「あ、そうだ。メイリー、ごめんなさい。私、少し一階のトイレに寄って行きたいのだけれど」
「えっ? 一階まで行くんですか? すぐそこに三階のトイレがありますよ?」
廊下を出てすぐのところにある扉を指差すと、リリィは困ったように眉を下げて、少しだけ身震いした。
「……あそこのトイレ、一人で行くのは心細いの。照明がチカチカしているし、なんだか嫌な感じがするのよ」
「まぁ! それは大変!!」
私はガタッと椅子を鳴らして立ち上がった。
なんてこと! トイレを我慢して一階まで階段を降りなきゃいけないなんて。そんなの、友達として放っておけるはずがないわ!
「私、リリィや学園のみんなが怖くないように、女神様にお祈りしておきます!」
「ふふっ……メイリーは優しいのね。ありがとう」
リリィはいつものように、私の言葉を「可愛いおまじない」くらいに受け取って、階段の方へ歩いていく。
……でも、私は真剣だった。
あんなに優しくて気高い彼女が、チカチカする明かりに怯えてトイレに行けずに困っているなんて!
(あのトイレをリリィのために、安心してリラックスできる場所に変えてあげたい……!)
私は三階のトイレの前で立ち止まり、ギュッと目をつむって胸の前で手を合わせた。
「女神様、女神様! 三階のトイレが怖くなくなるように、なんかいい感じにしてください!」
不思議なことに、お祈りを終えた瞬間に指先が少しだけ温かくなった気がした。
「……よし! これで明日からは、リリィも怖くないはず!」
自分でも驚くほどの満足感に包まれて、私は鼻歌まじりにリリィを追いかけて駆け出した。
+++
《愛し子よ。友を想うそなたの心、なんと美しく尊いのでしょう。その願い、聞き届けました……。寂しさに震える皆の為、永久に寄り添い、優しく語りかけ続ける『お手洗いの守護者』を遣わしましょう》
――その瞬間。
三階の女子トイレの奥から、ガタガタッという鈍い音と、何かが「実体化」するような不思議な気配が伝わってきた。
+++
あの日のお祈りから数日。
学園の三階からは、時折「ひいいいっ!」とか「出たあああ!」なんて賑やかな声が聞こえてくるようになったけど、私とリリィの放課後は相変わらず図書室でのんびりと過ぎていった。
そして今日。調べ物を終えて本を閉じた私は、名案を思いついたようにリリィの手を取った。
「そうだ! リリィ、帰りに三階のトイレに寄ってみませんか? お祈りの成果、きっと出てると思うんです!」
「えっ……やめておくわ……。最近、三階のトイレには不気味な噂も流れているし……」
リリィは顔を引きつらせて後ずさりするけれど、私は自信満々に胸を張った。
「大丈夫ですよ、リリィ! 私、女神様に『いい感じにして』ってすっごく真剣にお祈りしたんですもん。ほら、行きましょう!」
半ば引きずるようにして、私はリリィを連れて三階の女子トイレへと足を踏み入れた。
一歩入ると、そこには以前のような薄暗さはなく……なんだか、誰かにじっと見守られているような、濃密な気配が満ちていた。
「ほら、なんだか安心する温かさを感じませんか?」
「い、いいえ。背筋に氷を突っ込まれたような寒気しかしないわ……メイリー、私、ここから出たいのだけど……」
リリィが真っ青な顔で引き返そうとした、その時。
ギィィ……と、誰もいないはずの一番奥の個室の扉が、ゆっくりと内側から開く音が響いた。
「ひっ……!?」
その個室の影から、真っ白なブラウスに鮮やかな赤いスカートを履いた、透き通るような肌の女の子がすうっ……と姿を現した。と思ったら、次の瞬間にはリリィの背後に音もなく立ち、その耳元でゆっくりと囁いた。
『……ねえ、怖くない?』
「ひ、ひいいいいい! 出たあああああ!!」
リリィは悲鳴を上げて私の背中にしがみついてきたけど、その女の子は気にする様子もない。
『大丈夫だよ、私がいるからね』
「だ、だだだ、誰!? 幽霊!? 怪異なの!?」
それどころか、怯えるリリィを安心させるように無機質な微笑みを浮かべてリリィの頬を撫でた。
『ずっと一緒にいるよ……終わるまで、隣にいるからね』
「いやああああああああああああ!!!」
リリィの絶叫が図書室まで届きそうなほど響き渡る。
けれど、私の目にはその女の子がとっても献身的な『守護妖精』に見えていた。
「わあ、素敵! 女神様ったら、こんなに健気で可愛い見守り役を配置してくださったのね! これで扉を閉めても一人じゃないし、みんな寂しくないわね!」
腰を抜かして震え上がるリリィを余所に、私はその妖精さんの手をとって目を輝かせた。
「私、メイリー!あなたの名前は?」
『ハナ……コ……』
「『ハナ・ココ』? 少し変わったお名前だけど、とっても素敵ね!ハナ・ココさん、これからみんなのこと、よろしくね!」
『ハナ……ココ……。うん、よろしくね。メイリー……』
トイレの妖精――ハナ・ココは、ゆらりと揺れながら、どこまでも深い瞳で私を見つめ返してきた。その足元は少し浮いているけれど、きっと妖精さんだからに違いないわ!
「……メ、メイリー。ハナ・ココさんは、その、確かに頼もしいとは思うけれど……」
リリィが壁を背にして、真っ青な顔で絞り出すように言った。
「……少し、その。物理的にも精神的にも、距離が近すぎるというか……個室の中まで入ってこようとするのは、流石に乙女として耐えがたいというか……っ!」
「ええっ? リリィ、贅沢ですよ! こんなに親身になってくれるお友達ができるなんて、最高じゃないですか!」
こうして、三階のトイレには新しい「お友達」が加わった。ハナ・ココさんはとってもマメな性格らしくて、誰かがやってくるたびに、それはもう熱心に寄り添ってくれているみたい!
「さすが女神様が選んでくださった守護妖精さん! とっても働き者だわ!」
――それから数日が経った頃。
なんだか最近、学園に「幽霊が出る」っていう不吉な噂が流れているみたい。
……幽霊? 怖い! なんてこと、せっかく学園生活を楽しんでいるみんなが、そんな正体不明のものに怯えるなんて!
「そうだ! みんなが幽霊を怖がらなくて済むように、三階のトイレで寄り添ってくれるハナ・ココさんを紹介してあげなきゃ!」
ハナ・ココさんという心強い味方がいれば、不気味な幽霊なんてきっと怖くなくなるはず。私はさっそく、会う人会う人に「三階には、お手洗いの最中もずっと隣で励ましてくれる可愛い妖精さんがいるんですよ!」と宣伝して回った。
……でも、不思議。
最近、みんなが私と目を合わせてくれない気がするの。声をかけると顔を真っ青にして、「あ、あの、私、悩み事ないから! 本当に幸せだから!」と、蜘蛛の子を散らすように去っていっちゃう。
(きっと、ハナ・ココさんの献身的な姿に感動しちゃったのね。みんなったら、照れ屋さんなんだから!)
私は、三階から聞こえてくる「ひぃっ! こっち見ないで!」という生徒たちの歓声を背中で聞きながら、満足げに微笑んだ。
「これで少しは、みんなを幸せにできたかしら? もっともっと、女神様にお祈りして頑張らなくちゃ!」
私の瞳には、明日への希望と、更なるお祈りへの意欲がキラキラと輝いていた。
――こうして『トイレの妖精ハナ・ココ』の誕生により、三階のトイレは「絶対に一人にはなれない」という、ある意味では世界一安全で、そして世界一入りづらい聖域となったのである。




