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セメレの夫選定は、つつがなく始まった。
アトアレ海中から資産家や王侯貴族が集まって、城には求婚者達が長い列を成し、城下町もすっかりお祭り騒ぎ。
特に宿屋や飲食店に関してはかきいれどきだと張り切って、近年稀に見る大盛況に嬉しい悲鳴をあげていた。
セメレに選ばれなければ選ばれないで、その時は差し出した品物は返却されるから、尚のこと多くの人間が集まったのだ。
デメリットがないから、駄目で元々、運試しに挑むような感覚で列に並んだ者も多い。
セメレは最後尾が見えないほどに長く続いた列を見て、「はぁ……」と憂鬱にため息を吐いた。
本来この様な夫選定は、特に国庫を潤わせる目的で開かれることも多い。差し出した品物は、選ばれようが選ばれまいが参加料よろしく取り上げられるのが常なのである。
しかしこのカノスは、元々アトアレ海いちとも言える大国なのだ。金には困っていないし、今回のお祭り騒ぎでこの国が得られる経済効果も少なくない。
何よりも、セメレには八百長を仕掛けているという負い目があるのだ。そこから更に財産を捲き上げるようなことは流石にセメレといえども憚られて、結果としてますます多くの人間が集まってしまったわけだった。
「わぁ凄い。流石の大人気ですねえ、王女様。これぞ人混み!まるでアトアレ海中の男が集まったみたいですよ。これでも午前中で少しは減ったんでしょう?嘘みたぁい」
「宰相……。貴方ここに居ても良いの?あ分かった、また部下にお仕事押し付けてきたんでしょう」
「嫌ですねぇ人聞きの悪い。下の者に仕事を振るのも宰相の勤めですよ」
「物は言いよう……」
「ま、それにしたって僕がすこーし度が過ぎてるのは認めますけどね」
ありふれた茶髪。ケラケラと笑う糸目の男に、セメレは呆れた様に息を吐いた。
折角午前中の選定が終わって昼食を取ろうというところだったのに、面倒な男に捕まってしまった、と思う。
こんなことなら一人になろうとせずに、大人しく両親と食事をとれば良かった。それか侍女を付けたままにしておくべきだったか。あれこれと、あの男はどうだった?例の方はいつ頃に?と聞かれるのが嫌で抜け出してきたのだ。
それが、よりにもよって宰相に会うなんて。
セメレは別に、彼のことを嫌っているわけではない。ただ出来るだけ後ろ暗いことを抱えている時には会いたくないのだ。
セメレが幼い頃からこの国に仕えている男。いつまでも若々しく年齢不詳で、多分どこぞに神か精霊の血筋でも入っているのだろう、とセメレは思っている。
こんな世界なので珍しいことではないし、何よりもただの人間にしては、彼は異様に勘がいいのだ。
一時期はよく構われていたのだ。
幼いセメレの遊び相手でもあって、セメレがいたずらをする時、最初にそれを見つけるのはいつだってこの男だった。
「お疲れのようですねえ。まぁ、これだけ人が集まれば仕方がないかなとは思いますが。どうです?一人はそれらしいのが居ましたか?」
「べつに」
「おや素っ気ない。期待はずれでしたか?折角こんなに人が集まったっていうのに。ここにいる男達、みぃんな王女様目当てなんですよ?ときめいたりは?ロマンスの気配は全くなし?」
「ロマンスも何も、ほんの一瞬顔を合わせただけよ?それに彼らが目当てにしているのは、私というより……」
「いうより?」
「私の顔と身体と希少価値。それから私に付随する王座じゃない」
城門を超えてなお続く長い列を、横目で見ながらセメレが言った。
宰相はそんなセメレに「そんなあけすけな」と苦笑する。
しかし、セメレの言葉は確かに一つの真実ではあった。
セメレの顔立ちはかつて『アトアレ海の至宝』と呼ばれた母親譲り。容姿だけならこの広いアトアレ海でも随一と言える程に輝かしく、その評判はアトアレ海中に知られるほど。何よりセメレと結婚すれば王座まで付いてくる。
希少価値だって素晴らしいものだ。多くの、それも地位も財産もある男達がたった一人のセメレを求めているという事実もあって、闘争心を刺激するのだろう。セメレに選ばれるということは、そんな数多の求婚者達の頂点に立てるということでもある。
野心溢れる勇者たちにとって、セメレは最高の結婚相手と言えるのだ。娶るだけで富も名誉も権力も付いてくる。
最高のトロフィーワイフ。だからセメレは結婚相手としてはかなり人気の部類に入っていて、これほどまでに多くの求婚者が押し寄せている。
彼らはセメレがどんな性格の、どんな人間かを知らないままここに来ている。セメレ自身というよりは、セメレに付随する価値が求められているのだ。
しかしまぁ、セメレだってそれなりに太々しい人間だ。何も悲観しているわけではない。こうして集まった彼らを軽蔑しているわけでもない。
この世界の結婚、それも特権階級に生まれた娘の結婚というのはそもそもそういうものであるし、何よりこの姿形や生まれには、得をさせて貰ったことの方が多いのだ。恵まれていることはセメレだって自覚している。
「うん。まぁしかし、そうですね。王女様のお気持ちも分かりますよ。彼らは皆、セメレという名が持つ価値にしか興味がない」
「その通り」
「それ自体に思うことはなくても、どうせ結婚するのなら自分のことをよく知って、愛してくれているひとが良いと思っているだけなんですよねえ」
「……何よ、今日の宰相はいじわるね。その程度の夢を見るくらい良いじゃない」
「ええ、ええ、構いませんとも!人としても乙女としても、夢を見るのは自然なことです。それを叶えようと画作することもまた、世間知らずな王女殿下の可愛い我儘と言えるでしょう」
柔らかな声だった。セメレはハッとして宰相を振り返る。そこには珍しく瞳を開いた男がいて、淡く微笑みセメレを見つめている。
知られている。気付いたセメレがサッと顔を青くすると、宰相は思わずと言った様子で苦笑する。セメレが幼い頃にそうしたように、揃えた指の背で頭を撫でられた。
セメレの肩がびくりと揺れる。怒っている。表面上は穏やかで、とても優しい表情だけれど、この男は今酷い怒りを抱いている。分かるのだ。だって昔からそうだった。
「僕はね、これで結構王女様のことは理解しているつもりですよ。王女様は我儘で、欲深くて、贅沢で、それでいて自分勝手な方ですから、一度望んだことはどうしたって叶えようと思ってしまう」
「宰相……。お、お願い見逃して。怒らないで……。小さい頃だって貴方はいつも、私を許してくれていたでしょう……?」
「そうですね。僕はいつだって王女様の味方でした。世間知らずな王女殿下の可愛い我儘として認めて差し上げても良かった。……でも」
髪に触れていた手が頬に滑る。頬を掴まれて、セメレはひゅ、と息を呑んだ。
「でも、あの男は駄目だ」
冷たい瞳。硬い言葉。どこか怒った時のディアスを思わせるほどの、理屈のない恐ろしさ。それに疑問を抱く余地すらないほど、瞬発的に足元を襲った恐怖。セメレは思わずその場を逃げ出そうとして、駆け出そうとして、けれどやっぱり失敗した。
「っきゃあ!」
「おっと。危ないなぁ」
呆気なく捕らえられて、セメレは得体の知れない恐怖に瞳を揺らした。
足がなぜかまともに動かなくて、声を上げて転びそうになったのを捕まえられたのだ。書類仕事を得意とする宰相の、柳のような細腕は、けれど意外なほどにしっかりとセメレの身体を捕まえる。
後ろから、セメレの腹に回された手は何をしてもびくともしない。
「はなっ……!」
離して、と。暴れようとして、セメレはハッと身体を固くした。視界に映る髪の色。宰相の髪のはず。けれどそれは、セメレが知っているものではなかった。ありふれた茶髪などではなかった。新緑を閉じ込めたみたいな緑の髪。
震える身体で後ろを振り向く。そこに居たのは、セメレの知っている男ではなかった。
人間にはあり得ない緑の髪。冷たく開かれた黄金の瞳。はくり、と喉が震える。ディアスにどこか似通った雰囲気の、鋭利な美貌。
宰相は平凡な男のはずだった。少なくとも見た目は、どこにでも居そうな男で。
「………あ、れ?」
いや、いやおかしい。そんな筈はない。貴族でもなかった男が、ほんの一代でこの大国カノスの宰相になったのだ。平凡なはずがない。
けれど真実そうだったのだ。セメレが知っている限り、セメレのこれまでの十六年間、宰相はずっとどこにでも居る『平凡な人間』として認識されていた。
普通の人。ちょっと人よりも優秀で、性格が悪いだけ。顔立ちはひどく整っているけれど、それが目につくことも印象に残ることもなかった。
何年経っても変わらない姿形。年齢不詳。恐らくはどこかの血筋に神か精霊でもいるのだろうと納得して、そんなものはこの世界にはありふれている。誰も気にしなかった。
侍女達からの評価だっていつも微妙で、「平凡過ぎてイマイチ決め手に欠ける」なんて。
でもおかしい。相手は宰相だ。申し分のない顔立ちに、高い地位を持つ男。本来であればそれだけで山のような縁談が舞い込むはずだった。国王であるセメレの父が、「お前はまだ結婚しないのか」と心配する必要なんて、本来は全くないはず。
あれ、あれ?
セメレの頭の中がぐるぐると回る。混乱する。そもそもこの男はいつからこの城にいたのだったか。そうだ、セメレが生まれて少しの頃にここに来たのだ。父がそう言っていた。
おかしい、おかしい。この男が宰相になったのは十六年前。城に来てすぐその座を得たということになる。
「………あ、あなたは、」
「うん?」
「あなたは、誰……?」
身体を震えさせながらセメレが言った。
そうだ、どうして気が付かなかったのだろう。セメレはこの男の名前を知らない。セメレだけではない。この城にいる誰も、王である父でさえ、誰もこの男の名前を知らなかった。誰もそれを疑問に思わなかった!!
「誰なの……!!」
悲鳴のような声。男はそれにきょとんとして、それから「ああ」と思い出したように頷いて、セメレの頬を優しく撫でた。
「そう言えばちゃんとした自己紹介はまだでしたね、王女様。僕は───」
その言葉を最後に、セメレの意識は闇に落ちた。




