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魔性のセメレ  作者: 久里


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「んの、化け物め……!!」


 戦いを司る兄は、そう言ってげほ、と血を吐いた。

 少し前まで前線に居たはずだが、腕を失って、一度離れて戻ってきたのだろう。


 上位神の中では珍しい、エクサルキアの血を引かない人間上がりの医神。それが何とか兄の千切れた腕をくっ付けているのを、ノエトスは息を詰まらせながら見ていた。


 神である限り、兄もノエトスもそう簡単には死なない。信仰がある限り、たとえ腕が千切れても首を切られても、いつかはまた新しい腕なり新しい身体なりが生えてくるだろう。

 けれどそれでは遅いのだ。自然治癒を待っていたら、また槍を握れる頃にはこの戦争は終わっている。だから医神であるイシリオンも、こうして戦場に駆り出されているのだ。


 本格的にこの戦争が始まって、既に五日が経っていた。まだ五日、とも言えるだろうか。

 冥界の怪物達もさることながら、ディアスの力は凄まじかった。天上の数多いる神々の猛攻をものともせず、むしろディアスの方が押している。


 戦況はお世辞にも良いとは言えず、士気も下がるばかりであった。

 当然だ。誰もこんなことになるとは思っていなかった。

 たった一人の、それも全盛期と比べればほんの半分しか力を持たない相手に、何十何百という神が押されているのだ。


 これだけの戦力差があって、けれど天上の神々は、ディアスをその場に留めるのがやっとという有り様。

 それでも少しでも気を抜けば、ディアスはその隙を逃さなかった。ほんの一瞬の隙を見て前進し、ディアスは今も刻一刻と、この本丸へと近付いてきている。


 冥府の怪物達が居るとはいえ、化け物を従えているのは何もディアスだけではない。

 地上の怪物、天上の巨人、神達が従える神獣達。それらを総動員してなおこの状況なのである。


 化け物。なるほど確かに化け物だ。これでは一体、全盛期はどれ程だったのか。全能も全知も持っていた頃の母でさえ、戦うのを諦めたのにも納得出来る。


「───おかしい」


 そんな時だった。ふと、母がそんな言葉をこぼした。

 天上の神々の中で最も強い力を持ちながら、エクサルキアは未だ一度もこの戦場に出ていない。これまで、ずっと玉座の上から戦場を見渡していたのだ。


 ずっと静かに考え込む仕草をしていたのに、口を開いたかと思えば随分と訝しむ様子。

 そんな母に奇跡を司る姉、アレネが「母上?」と声をかける。すると母は「うん……」と要領の得ない返事をして、顎の下に置かれた指先。またジッと戦場を、ディアスを見つめた。


「………やっぱりそうだわ。一体兄上はどういうつもり?本気で戦争をする気があるの?だってこんなの」

「母上」

「おかしい。何の理由があってこんなことを。それともわたくしの治める天上など、この程度で構わないとでも……?」

「母上!!」


 ブツブツと一人で何かを呟いていたエクサルキアは、けれど張り上げられたアレネの声にハッとしたように我に返った。

 アレネは真剣な瞳で母を見つめ、「どういうことですか」とエクサルキアに問う。


 この一件に恐らくノエトスが関わっていることを、そして冥界の蓋を閉じた自分もまた関わっていること察しているからだろう。


 真面目で高潔で、けれど情に厚いところのあるアレネは、それでも真実を打ち明けることが出来ない。

 弟を売るような真似が出来ないから、せめて事態の沈静化を一刻でも早く進めたい様子で、母の言葉の意味を知りたがった。


「………兄上は夢を見ている」

「……は?」

「兄上の身体は確かにここにある。あれは間違いなく兄上そのもの。けれど、意識はここにはない。身体に備わった反応や反射だけで、お前達と対峙しているのよ」


 広がる瞳孔。ディアスを真っ直ぐと見つめる黄金の瞳。

 エクサルキアは玉座の肘掛けを強く握り締め、「いくら何でもおかしい。命が惜しくはないの?」と怒りか憎しみさえ滲んでいるような声で、震える声でそう呟いた。


「お前達を相手にするのなら、確かにそれで事足りるでしょう。けれど、わたくしが出るとは考えなかった?臆病な妹は、どうせ子供に任せて前線に出ることはないだろうと踏んでいた……?」


 勝てる戦いでも、負ける可能性が少しでもあるのなら、どうせエクサルキアは戦場には現れない。そう思ったのだろうか、とエクサルキアは思う。それがあながち間違いでも無かったから、ますます頭に来る。

 けれど、同時に思うのだ。それにしたって。


「それにしたって命知らずだわ……!兄上は、貴方一体何を考えているのよ!!そもそも何のためにわたくしと敵対するような真似を選んだの?目的は、理由は何!!どうして今更になって、わたくしに剣を向けるの。どうして今更になって、何のためにそんなにも真剣になれるの……!!」

「ははう、」

「ノエトス!!お前の『全知』はまだ役に立たないのッ!?」


 アレネに背を向けて、母は隅の椅子にぽつんと座っていたノエトスの元へと、急いた様子で歩いてきた。


 母がここまで取り乱すところなど、ノエトスはこれまで一度として見たことがない。エクサルキアに胸ぐらを掴まれながら、ノエトスは何とかそれに「未だ……」と首を振る。

 全知以外に何も持たない、役立たずのノエトスがここに留められ続けているのはこの為だった。ノエトスの『全知』が少しでも回復すればすぐに分かるように、ノエトスは地上への帰還を許されていないのだ。


「そう。そう。お前という子は本当に、何て役に立たない子かしら。ええ、ええ。分かっているわ。それもこれも全てわたくしが悪いの。そういう風に作ったんだもの」

「ぐっ……!」

「手放したくてたまらなかった、あの忌まわしい『全知』の入れ物。可愛いわたくしの屑箱。それ以外に用が無いから、それ以外の能力を与えなかった。あの頃の手抜きが、今になってわたくしに牙を剥くなんて。使えない子……っ」


 苛立ちに顔を歪めたエクサルキアは、そのままノエトスを壁に向かって投げつけてしまった。

 最高神の暴力は流石に効く。ノエトスは壁に入ったヒビを霞む視界に見つけながら、遠くでアレネの声が聞こえたような気がした。「ノエトス!!」と悲鳴のように名前を呼ばれた気がする。


「このままでは埒が明かないわ……」


 思わず痛みに呻くノエトスに、エクサルキアは未だ苛立ちを抑えきれない様子だった。ノエトスの髪を強く掴んで、心底嫌な顔でノエトスを見下ろす。

 そうして母はノエトスの目元に、瞳に手を伸ばした。


「っ!な、何をなさいますか、母上、ははうっ……」

「うるさいこと。そう暴れずとも、すぐに返してやるわよ。忌々しい全知など、一秒でも長く持っているつもりはないもの」

「や、め……っ。き、記憶、は……っ」

「仕方がないでしょう。全知の瞳だけでは足りないの。お前の記憶にも目を通さないと、お前が何かを見逃していた時に大変だもの」


「っノエトス、ノエトス!!母上、おやめください、母上!!それではノエトスが壊れてしまう!!っクソ、お前達放せ!!」

「むっ、無茶ですよぅ。こういう時のお母様に逆らったら、お姉様まで壊されちゃうっ」

「静かにしていろ。とばっちりを受けるぞ」


 母の長い爪先がぐちゅりと眼窩を突き破り、脳味噌がかき混ぜられているのが分かった。

 遠くでアレネの声が聞こえる。情に厚いあの姉は、きっとノエトスを助けようとして、けれど他の兄弟達に止められているのだろう。


 痛くて苦しくて気持ち悪くてたまらないのに、このままではいけないと焦って仕方がないのに、頭の片隅が嫌に冷静だった。それがひどく嫌だった。ひしひしとした絶望感が、足元を這いずって絡みついてよじ登ってくるようだった。


 だめだ、だめだ。嫌な汗が背中を流れて止まらない。脳味噌をぐちゃぐちゃにかき混ぜられていることが辛いのではない。


 母は今、ノエトスから全知を取り上げようとしている。

 母は今、ここ最近のノエトスの記憶を覗き込もうとしている。

 それはつまり、ノエトスが隠してきた全てを暴かれるということだ。


 セメレを起点として視えない世界。

 セメレが『あるべき流れ』を妨げる異物であるという真実。

 ノエトスが役目を放棄して、セメレを守ろうと決めたこと。

 ディアスが本来の運命には無かった恋を見つけて、その為には天上を敵に回すことさえ厭わなかったという事実。

 この戦争の始まりはノエトスであり、アレネであり、そしてセメレであるという事実。


「っは、はう、え……」


 だめだ。どうか辞めてくれ。視ないでくれ。覗かないでくれ。それを知ったら貴女はきっとセメレを殺す。セメレが、セメレはきっと、魂さえすり潰されて滅ぼされてしまう。


 だめだ、と思う。辞めてくれと思う。

 焦って怖くて仕方がないのに、頭の片隅の妙に冷静な部分が『もう無理だ』と囁くのが嫌だった。ひたひたと絶望がノエトスの背後に滲み寄る。母には逆らえない。だって力の差が大きすぎる。


「や、め……っ」

「───黙れ」


 暴れても暴れても、容易く押し込められた。振り上げた手は空中に固定されて、叫ぼうとした喉は親指に貫かれて血に湿った呼吸だけをこぼすようになる。


 母の表情はみるみるうちに強張って、怒りに滲んで、ああ、と思った。


「…………は、はは。あははははははっ!!」


「あんな、小娘の」


「あんな悍ましい異物の、たかが人の子のために………?」


 揺らぐ視界。ぼやける視界。最後に見えたのは、母の瞳、揺れる黄金の色だった。

 何もかもが遠くに聞こえる耳。脳をいじくりまわされたからだろう。使い物にならなくなっていく聴覚。

 最後に聞こえたのは、乾いた絶望をこぼす母の声だった。






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