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魔性のセメレ  作者: 久里


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 長い黒髪、すみれの瞳。

 その泥人形は、どこまでも他の泥人形とは違っていた。


 豊満というよりもすらりとした体躯をしていて、身長も高かった。

 それでいてふとした時に見せる横顔はどこまでも、それこそガラスのように鋭利な美しさを持っているのに、セメレを見つめる時にはどこまでも甘やか。

 それこそ昔の少女漫画や文学に出てくる『お姉様』を体現したみたいでさえあって、セメレは彼女に見つめられるたび、きゅんと胸を高鳴らせてしまう始末。


 そして何よりも他の泥人形達と違うのは、彼女の行動であった。

 口をきけないのは他と同じだけれど、行動範囲やセメレへの触れ方が明らかに特別だったのだ。まるで昔からの親友や、それとも恋人のように優しく、親しげにセメレに触れてくれる。


 会話はできないのに眼差しや触れ方の一つ一つに温度があって、相手は感情のない泥人形だというのに、大切に思われているみたいな錯覚さえ覚えた。

 セメレは彼女に触れられるとつい照れて、けれどそれが嫌というわけでは無かった。セメレは本当はすごく気難しくて、知らない相手に親しげにされたらむしろ気を悪くしてしまうのに、それが一切ない。


 沈黙さえ愛しくて、彼女と居ると何をしても楽しかった。

 さりげなく世話をされる時にも、他の泥人形達にされる時のような義務的な無機質さを感じなくて、彼女が喜んで世話をしてくれているような気さえする。


 セメレはふわふわと溶けてしまいそうになりながら、なんだかもう、細かいことは全部どうでもいいかなという気にさえなり始めた。


 どうして彼女だけ他と違うのかとか、不思議なことはたくさんある。だけど何だか、どうでもいいかなって思うようになってきたのだ。

 少なくとも彼女はセメレに害を与えるような存在ではないと思うし、変な話それだけは不思議と確証があった。彼女がセメレを傷付けることだけは、きっと何があっても、天地がひっくり返ってもありえない。


 セメレは彼女のささやかな胸元に頭を抱きしめられ、髪を撫でられながら何となく、多分ノエトスあたりが手配してくれたのだろうなぁと納得することにした。


 ずっと一人で留守番をすることになったセメレを心配して、特別な泥人形をこさえてくれたのだろう。

 そうでもなければ、ここまでセメレの胸を射抜く存在がここに現れるはずもない。

 我儘で世間知らずで自分勝手なセメレを、ここまで大切に扱ってくれることが不思議だったけれど、作られる時にあらかじめ、そういう風に作られたのならば今の状況も理解出来た。


 泥人形は感情がないから、全ての個体にノエトスがひとつひとつ調整を入れているのだ。さながら反応一つ一つをプログラミングされて、意思を持っているかのように錯覚させる機械のように。

 きっと彼女もそうなのだろう。それでいてきっと、セメレのためにピッタリ拵えられた特別製なのだ。


 全知を持つという神話を持つ、知恵の神ノエトスが行ったことと思えば、こんな奇跡のような存在の出現にも納得できるものである。


「ね、ヴィオラ。頭を撫でて。やさしくして。ぎゅってしててね。怖い夢を見ないで済むように、夜の間もずっと私のそばに居て……」


 セメレは結局その泥人形に『ヴィオラ』という名前をつけて、四六時中をそばに置くようになった。他の泥人形達を近付けず、食事も風呂も寝所の用意も、全てヴィオラに頼っている。


 戦争に赴いている夫を放って、感情も知性もない泥人形に名前をつけて入れ込んでいる自分に思うところがないわけではない。油断すると自己嫌悪に沈みそうになるし、あまりにも自分が哀れで情けない気持ちにもなる。


 けれどヴィオラといると、不安を忘れられるのだ。

 この子に抱きしめられながら眠る夜は悪夢を見ないし、ふとした時に戦況はどうなっているだろうと不安になっても、頬を撫でられて慰められると忘れられる。


 何かを思い出しかけて頭が痛んで、涙を流しながら「いたい、たすけて」と手を伸ばせば、いつだって抱きしめて額にキスをしてくれる。そうすると、不思議と頭痛が和らぐのだ。

 ヴィオラが来てくれてから、足元がぐらつくような、足元を蔦に絡め取られるような不安感が無くなった。


 長い黒髪。紫の瞳。夜のような髪。すみれのような瞳。美しいセメレの泥人形。

 まるでずっと会いたかった人と会えたみたいな安息感を、口のきけない泥人形は、けれど確かにセメレに与えてくれたのである。







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