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魔性のセメレ  作者: 久里


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13

 

 ───夢を見た。


 長い黒髪。紫の瞳。端正な顔立ちの男の人を、セメレはまるで恋人のように慕っていた。まるで夜がそのまま人になったような男だった。


 へんなの、とセメレは思う。セメレはこんな男を知らないし、夢に見るほどの理想の恋人かというとそうでもなかった。


 綺麗な顔立ちをしていることは間違いないけれど、セメレはどちらかといえば快活な男が好みである。


 セメレはずっと、太陽のようなきらきらとしたひとに、目を灼かれるような恋をしてみたかった。

 誰の目も引くような素直で素敵で裏表がないひとに、『人生最大の装飾品』だとか『二人目のわたくし』だとか、『権力をもたらしてくれる王女』だとか『所有しただけで名誉になる美しさ』だとかそんな理由をつけないで、そのままにセメレを愛してもらいたかった。


 だから、夢に見るにしてはあまりにも不思議だった。目の前の男は太陽とはかけ離れているし、物静かで、沈黙に気まずくなるセメレにはあまり合っていないように思えて仕方がなかった。


 でも、どうしてだろうか。

 この人の前に立つと、まるでこの人こそが理想なのだと思わされる。ようやく手にした恋だと思わされる。

 名前も分からないのに、恋をして仕方がない。身も心も全部任せて、「貴方が好き」と叫んでしまいたくてたまらなかった。

 それと同時に、恐ろしくてたまらなかった。


 この人も、私の見た目や肩書きが好きなだけだったらどうしよう、と思わずにはいられない。

 たった一人しか居ないカノスの王女。アトアレ海の至宝と呼ばれた母に瓜二つで、それだけ多くの名声を手に入れた。名声だけがひとり歩きし続けた。

 手に入れるだけで名誉になる女。


 そんな理由で愛されるのが嫌だった。だけど同じくらい、それが贅沢な望みだと分かっていた。

 本当のセメレは、どうしようもなく卑屈で後ろ向きで打算的で、汚らしい女である。愛される理由がどこにもない。

 そんなセメレに、けれどいつだって世界が優しかったのは、全て生まれ持った美貌と身分によるものだった。


 分かっている。

 だから怖くて、だから信じることが出来ないのだ。

 身も心も全部を受け渡してしまいたい。だけどその後に、ああやっぱりと失望することが怖い。


 だからセメレはいつも、彼に恋などしていないふりをする。

 他の誰でもない自分自身に、これは決して本心から来るものなどではないと、心の中で何度だって言い訳をしながら彼の腕の中に微笑むのだ。


『───ね、×××様』


 セメレ自身が驚いてしまうほどの甘やかな声。

 唇から勝手に言葉がこぼれ落ちて、セメレは随分と驚いた。こんな記憶はどこにもないのに、まるで記憶の再演をしているような感覚だった。奇妙な感覚。だけど不快ではなかった。


 それはきっと、やっぱり目の前にいるこのひとが理由なのだ、と思った。

 セメレが呼びかけただけで柔らかにセメレを見つめて、『うん』と打つ相槌のひとつさえ甘やかだった。


 何故か覗き込むだけでゾッとする、恐ろしい紫の瞳。けれど同時に堪らなく愛しくて、セメレはこのひとと目を合わせただけで、幸せを感じて仕方がないのだ。


『春になったら、きっと沢山のすみれが咲きますね』

『ああ、そうだな。お前が望むのならきっと。お前は、その花が好きか?』

『だって×××様の瞳と同じ色だもの』


 セメレは甘えるように彼の手を掴んで、その手のひらに擦り寄った。幸せに綻ぶように微笑めば、反して目の前の男は驚いたように目を開いて、ぱちりとまばたきをしていた。

 可愛いと思う。こんなにも綺麗で端正なひとなのに、ふとした時に子供のような無垢を見せる。


『春になったら』

『う、うん』

『私のために摘んでくれませんか?両手いっぱいのすみれの花』


 貴方の花が欲しいの、と。上目遣いに彼を見上げて、蕩けるように微笑んで。するとその人は息を詰まらせて、白い肌を分かりやすいくらいに真っ赤に染めて、暫くの間戸惑うように視線を泳がせて。

 きゅう、とどこから出しているのか分からない、とても可愛い声を上げた。


『…………こまった』

『え?』

『両手いっぱいの花と言わず、世界の全部をお前にやりたい………』

『ええ……?』

『お前が愛しくて、あまりにも愛しくて、どうにも堪らなくなる。具体的に言うと、天地冥海すべての支配権を与えたい』

『すっごいこと言い始めた』

『一週間待って欲しい。エクサルキアを倒してくる』

『洒落にならないこと言い始めた……』


 真っ赤な頬に真顔の表情。目が心なしかぐるぐると混乱していて、それくらいセメレの言葉を嬉しく思ってくれたのだと分かる。

 だからセメレは思わずくすくすと嬉しそうに喉を鳴らして、両手を伸ばして彼の頬を挟みむにむにと揉みながら、『やめてね』と笑った。


『花が良いの。世界なんていらないから、貴方が手ずから摘んでくれたものが欲しいんです』


 すると彼はまた暫くの沈黙というか、愛しさを噛み締めたあと、再び『……うん』と頷いた。それから彼はセメレを抱きしめて、やけに優しい腕の力。

 そういえば。この頃はまだ、このひとは花にでも触れるみたいな触り方しかしてくれなかったなと思い出す。


『お前が、それを望んでくれるのなら。セメレ』

『ふふ。ありがとうございます、×××様。春が待ち遠しい』

『ああ。私もだ』


 こつん、と合わさる額。それからそっと唇が合わさって、セメレはほう、と瞳を蕩けさせる。

 この人はそうだった。セメレの言葉一つでどうにもならなくなるのに、触れ合う仕草があんまりにもスマートで、今度はセメレが照れてしまう。

 それが恥ずかしくて早く慣れたくて、もっとと恥じらいながらセメレがねだれば、嬉しそうにしてくれる人でもあった。


『セメレ。私の幸い。最愛の娘。お前が愛しくてたまらない。思えばお前が現れてから、ようやく私の人生に春が訪れたように思う』


 愛している、と。あまりにも幸福な微笑みで、セメレと居ることが幸せなのだと言わんばかりの眼差しで、再びセメレの唇を啄んだ。

 それがあまりにも真っ直ぐだから、セメレはもっともっとと欲張りになって仕方がないのだ。








 ▪︎


 風に靡くカーテンの隙間から覗く朝日に目蓋をくすぐられて、セメレは静かに目を覚ました。


 何か夢を見ていたような気がする。具体的なことは覚えていないけれど、胸が締め付けられるような苦しさだけが残っていた。

 ほろほろと勝手に涙が溢れて仕方がなくて、何故だか寂しくてたまらない。きっと酷い悪夢を見たに違いない、と思う。

 そうでなければ、こんなにも悲しいはずがないから。


 はらはらと流れる涙を、ぐい、と幾分乱暴な仕草でセメレは拭った。胸をつんざくような悲しさはまだ足元をつきまとうけれど、高々夢のためにいつまでも泣いてはいられない。


 そうして寝台を降りて風に靡くカーテンの方へと歩いけば、柔らかな絹がセメレの頬を撫でる。

 セメレが片手で布を持ち上げると、そこにはきらきらと輝く庭園があった。


 窓やドアがないのは、この庭園に雨や雪が降ることがないからだ。吹き抜けのような形になっている。ノエトスが作ってくれた常春の庭。いつも麗らかな日の光がさして、宮殿の外がどれほどの嵐でも、ここが荒れることはない。


 いつだってあたたかな春の気候。いつだって柔らかな日差しが差し込んで、新鮮な空気が胸を満たす。

 何度か深く呼吸を繰り返せば、起きたばかりの時にセメレを襲った、あの虚しさや苦しさも幾分楽になったような気がした。


 この庭園、この宮殿に存在するものが、セメレを傷付けることは決してない。

 それを知っているからこそ、セメレは裸足のまま庭を歩く。足裏を柔らかな土が優しく包んで、花を避けて歩きながら、セメレはそういえばと思い出した。


 この場所にはすみれがない。紫の色。すみれの花。いつもは気にならないことだけれど、今はどうしてかその姿を探してしまう。

 目が覚めた時にあの花があれば、起きた時の物悲しさを振り払ってくれるような気がしてならなかったのだ。

 けれどもまぁ、ないものは仕方がない。


「はぁ……」


 憂鬱なため息。

 セメレは泉のそばに座り込みながら、ノエトスが戻ってきたらすみれの種を頼もうと思った。


 泥人形達は宮殿の外には出れないし、今はセメレも外出を阻まれている。

 ここには大抵のものが揃っているから日常生活に不便はないけれど、ノエトスが戻ってくるまでは、他の欲しいものを手に入れることは難しかった。


 戦争が始まるというのだ。

 それも、神と神の戦争が。


 ただの人であるセメレの両親や、カノスの国の国民達には関係のない話。

 けれどセメレは知恵の神ノエトスの妻であり、一体いつ戦争に巻き込まれるかも分からない。

 だからセメレは暫くの間、この宮殿の外には出られないのだ。


 ノエトスがセメレの為に建ててくれたこの新しい宮殿は、同時にノエトスの神殿の役割も果たしている。ここはノエトスの領域であり、厳重な守りも張り巡らされているのである。


 地上において、セメレにとってこの場所ほど安全なところはない。

 だからどうかこの宮殿の外には出ないでくれ、とノエトスは言った。少なくとも、この戦争が落ち着くまでは。


 どの神とどの神が争っていて、ノエトスがどちらの陣営についたのかも分からない。

 ノエトスがセメレに知られないことを望んだからだった。そのこと自体に不満はない。それはきっと、セメレを思ってのことだと理解しているからである。


 ただ、不安はあった。ノエトスは今頃何をしているだろうか、と思う。

 だってセメレは彼の妻になったのだ。彼を失えば寄るべを失ってしまう。この世界、この時代においての結婚とはそういうものなのだ。だからセメレは昔から、少しでも優れた相手の妻になりたかった。

 神様を選べたのだから、少なくともセメレが生きている間は安泰だと思ったのに。


「…………」


 そこまで考えて、セメレは思わず顔を顰めた。一人で勝手に気まずくなったのだ。

 夫が戦争に向かっているというのに、夫の安全よりも自分の先行きばかりを心配してしまう自分に気が付いて、自己嫌悪。その後すぐに、というかこんな暗い思考をしているのも嫌だなと思った。


 起き抜けから泣いたりと、朝から随分と情緒不安定なようだ。一体何がセメレをそうさせるのか。新婚早々に夫を戦場に送り出さなければならなかった上、自宅軟禁を強いられているのもあるかも知れない。


 セメレは幾分か冷静な思考でそこまでを考えると、よし、と何度か両手の拳をぎゅっぎゅっと握った。

 ここまで分かったら、あとはこの鬱陶しい思考回路を振り払うだけである。それに必要なのはやはり心頭の滅却であり、心頭滅却に必要なのは恐らく冷たい水だろう。


 そこまで考えることが出来たので、セメレはとりあえず、目の前の泉に「えいっ」と飛び込んで身を沈めた。

 泉の中は淡い水色。陽の光が屈折してきらきらとしていて綺麗だった。魚は一匹もいないけれど、きっとこれも、あとでノエトスにでも頼めばなんとかしてくれるだろう。


 妙な夢を見てしまったこともあって、肌に伝わる冷たい温度の現実味にほっとした。

 長いような短い時間。セメレは泉の中を、まるで不安な胎児のように揺蕩った。息が限界になるまで泉の中を潜って、美しい光の屈折を手の甲に当てて安堵する。


 そうしてとうとう呼吸が欲しくなると、今度は泉に沈んだ時よりもずっと晴れやかな気持ちで水面を目指した。ぷは、と吸い込んだ空気が美味しい。


 水面に顔を出したセメレが、誰かの影に居ると気が付いたのは、その時である。


「───、」

「………え?」


 そこに居たのは泥人形であった。人間そっくりの、けれど人より余程うつくしく、そして言葉を話すことの出来ないノエトスの作り上げた泥人形。


 長い黒髪。紫の瞳。それから華奢な体躯の、とても綺麗な女性の形。


 セメレは彼女に見覚えがないけれど、そもそもこの宮殿の泥人形は数えきれない程いる。セメレが把握しきれていない泥人形もたくさんいるのだ。

 何よりこの宮殿には今、セメレ以外の生き物は存在していない。それに彼女はとても美しくて、寡黙で、女の形の泥人形にすべからく与えられた白の衣装を身に付けていた。

 だからやっぱり、泥人形であることには間違いのないはずだ。


 にも関わらずセメレが驚いたのは、この庭園には、基本的に泥人形は出入りしないようになっているはずだった。

 ここはセメレとノエトスだけの場所のはずで、わざわざ呼ばなければ泥人形達はここには来ないはず。なのに居たから、びっくりしたのだ。


「あの……」


 どうしてここに居るのか尋ねようとして、セメレはすぐに口をつぐんだ。泥人形は口をきけない。聞いても答えられないはずだ。

 だからセメレは尋ねるのをやめて、ノエトスが気を利かせたのだろうかと自分で結論を付けることにした。一人では寂しいだろうと思って、今ばかりはこの場所にも立ち入らせて、セメレのそばに付けることにしたのだろうか。


 水面に顔を出しながら、ちらりとセメレは彼女の方を伺った。するもその泥人形は言葉なく、けれどとても優しくにこりと笑いかけてくれる。

 セメレが泉から上がれば、その泥人形は大きな布でもってセメレの身体を包んでくれた。


「あ、ありがとう……」


 顔にかかった、ぽたりと雫の落ちる髪を白い指先が払ってくれる。泥人形が美しい女の形をしていることも、セメレに優しいこともいつものことなのに、何故だか頬に熱が集まって仕方なかった。


 そんな筈はないのに、指先が熱く感じられてしまう。

 そんな筈はないのに、触れ方が甘く感じられて、どうしても視線を泳がせてしまう。


 微笑む美しい女の形をした泥人形。

 ただの泥人形のはずなのに、あでやかな黒髪。紫の瞳に見つめられると、どうしてだろう。

 夫であるノエトスにさえ動かなかった心の部分を、セメレ自身こんな心があるのだと知らなかった柔らかなところを掻き乱されて、恥ずかしいくらいに怖かった。





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もしかして百合要素はこれで本命はNTR?
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