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魔性のセメレ  作者: 久里


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11

 

 髪にも瞳にも黄金を纏い、垂れた目尻に豊かな胸元。

 天上を統べる女神であり、多くの上位神を産み落とした母親。


「つまるところ、兄上。冥王ディアスは、我々と戦争をするつもりらしい」


 最高神であるエクサルキアは、神々を集めるなり一言目にそう言った。

 ゾッとして息を詰めた我が子達を他所にして、気怠げに肩から落ちた髪。ため息を吐きながら、「困ったこと」と雲の下に視線を流す。


 今のエクサルキアには全知の権能、全てを見通す瞳はない。けれど癖のように、天上の玉座から冥界を見下ろすようにして瞳を伏せた。


「あ、あり得ない!叔父上が天上に反旗を翻すなど、冥府が天上に背くなど前代未聞です!そんなことが、あって良いはずがない!」

「……叔父上は厳格な方。あの時自ら最高神の座を母上に受け渡し、望んで冥府に下ったはず。何故今になって反逆を?」

「いえそれよりも、そんな話は()()()()()()のが問題だわ。ノエトスは何をしていたの?こんな重要な未来を全知の瞳で演算しておきながら、今に至るまで口をつぐみ続けていただなんて」

「まったくです!ノエトス兄上は全知を持つ神としての自覚に欠けています。早く潰して殺して、新しい知恵と運命の神を作り直しては?」

「大方、新しい妻を娶って浮かれていたのだろ。あの王女は半神であり英雄である俺の息子にこそ相応しかったものを、『運命』ではないから引っ込んでいろなど、同じ上位神である我々に舐めた口をきいておきながらこれか!」


 神々の視線が一斉にノエトスの方に向けられる。不躾で敵対的。ノエトスはけれどそれを受け流すように涼しい顔で、ただ一人、最高神である母にのみ向き直った。


「確かに、この状況は私の責任と言えます。たった今、五の姉上は『聞いていない』と仰られました。しかしそれも当然のこと。叔父上の企みについては、私も今になって、はじめて知るところなのです」

「はぁ!?何を馬鹿なことを!お母様から全知を分けられ生まれたお前が、今の状況を知らなかったはずはないでしょう!」

「視えないのです」

「は?」

「少し前から私の視界は、何かがズレて時折不調をきたすようになりました。特に叔父上に関しては、冥府には私の『瞳』が及ばない」

「…………え?」


 神々が絶句した。ほんの先程までやいやいとヤジを飛ばしていたノエトスの兄弟達は、けれど一斉に静まり返り、血の気の引いた顔でノエトスを見る。

 ただ一人。母エクサルキアだけが、何を考えているか掴めない硝子の瞳をノエトスに向ける。


「それは、どういうことかしら。ノエトス」

「この世のあるべき流れ、『運命』が動き始めています。恐らくは演算に支障をきたす何かがこの世界に入り込んでしまったのでしょう」

「………なんですって?」

「予兆はありました。少し前に私が妻を娶ったことは、母上もご存知のことかと思います」

「……カノスの、あの王女のことかしら。お前が人の子と契るなどとても珍しいことだから、覚えているわ」

「はい。カノスの王女、セメレ。私が此度娶ったセメレはけれど、本来、私の妻になる筈はなかった。セメレの夫は神である私ではなく、人間の男であったはずなのです。しかしセメレの本来の相手は、何ということか。生まれてほんの数年で命を落としてしまった」


 静かな表情。口元に大きな袖を持ってきながら、「あり得ないことです」とノエトスは言った。口から出まかせを、けれど堂々とした仕草で。

 すると母もまた厳かに瞳を細めて、「あってはならないことね」と呟く。


「それでお前が、その男の役割を埋めようと?カノスの宰相になり、王女を娶ったと」

「はい。当初はそれで、この『視界』も『運命』も幾分の落ちつきをみせていたものですから。しかしここ最近になって、今度は地上ではなく冥界に翳りが現れるように」

「そう。ならば何故、それをこの母に報告しなかったの?」

「近々母上の神殿を訪れるつもりではありました。出遅れてしまったことには違いありませんから、何の言い訳にもならないかとは思いますが」

「───お前という子は……」


 事態を重く受け止めているのかもわからない無表情。

 母や兄弟達のよく知る『ノエトス』らしいとぼけた態度でそう言ったノエトスに、母であるエクサルキアはため息を吐いてがっくりと項垂れた。


「生まれながらにして全知を持っていたからか、幻治神話の神々同士の戦というものを知らないからか、お前は昔からぼんやりとしていて」

「はぁ。そうでしょうか」

「それとも、平和な時代に生まれた神というものは皆こうなのかしら……」

「なっ、お母様!それは流石に聞き捨てなりません!ノエトスを一緒にしないでちょうだい!」

「姉上の仰る通り。オレもまた戦争は知りませんが、日々怪物達との戦いには身を投じております。まるで兄弟全てが平和ボケをしているようには仰らないでいただきたい」

「はいはい、良いからお前達は一度口をつぐみなさい」

「むぐっ」


 空をひとなぞり。エクサルキアが空中にピッと横線を引いただけで、血気盛んな子供達の口はピタリと閉じられてしまった。封じられたのだ。

 それからエクサルキアは、呆れたようなため息を「はぁ……」と吐く。


「わたくしはお前達を甘やかし過ぎてしまったようね。最高神の話に口を挟むなど、兄上の時代には、あのディアスがこの天を統べていた頃にはあり得ない話だった」


 こぼされる憂鬱な吐息さえなまめかしく、揺れる睫毛もあでやかに、最高神はそっと目を閉じた。

 エクサルキアの子らの中に、ディアスの時代を知るものは少ない。


 エクサルキアはあの頃、まだ全知を持っていた。だからそうしたのだ。

 どうせディアスは遠くない未来に自分に最高神の座を譲ってくれる。誰よりも何よりも信頼出来るしもべを、子供を産むのならそうして基盤がある程度しっかりした後の方が良いと判断した。


 その結果、上位神がこうして平和ボケしたものばかりになってしまったのは、世のままならなさという他にないだろう。

 原始の時代にいた上位神達はそうではなかった。ディアスに負け、降ったかつての神達はみな統率されていた。あれらを全て滅ぼしてしまったのは、エクサルキアの失敗の一つであったと言えるだろう。


 エクサルキアは彼らを力で降したわけではなかった。彼らはディアスに勝利したわけでもない、ただ譲られて最高神になっただけの女神には屈しなかった。

 だからエクサルキアは、従順ではない上位神を全て滅ぼし、代わりに自らの子供達を産み落として後釜に据えたのだ。

 今の天上、今の天界はそうして作られたのである。


「まぁ良いわ。ノエトスの全知に翳りを落としたものの正体も、冥府の反逆もその理由も、全て一つずつ解決していきましょう。どの道兄上の力も全盛には遠く及ばない。力の大半を封じられているのだから、恐れる必要はそうないもの」


 憂鬱なため息。エクサルキアは気怠げに足を組みながら、一つ一つとそれぞれに指示を出していく。


 それは確かに、戦争の準備と言って間違いない指示であった。

 武器を鍛えることを求められた鍛治の神、万の兵士を集めることを求められた戦の神。エクサルキアに指先を向けられた神々は、それぞれ強張った表情を、それとも蛮勇に満ちた姿を見せる。


 その中で、たった一柱。

 ノエトスだけは、全く別の意味で顔色を悪くしていたけれど、それに気が付く者はいなかった。



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