第10話 真実。アレンの怒りと力の解放
鉄格子の奥、暗い海の底に、かすかな声が響いた。
懐かしさと、どうしようもない悲しみを帯びた声だった。
「……彼女を、責めないで」
アレンたちは、はっとして顔を上げる。
暗がりから、ゆっくりと姿を現したのは、まだ少年の面影を残しながらも、人魚のように変わり果てた青年だった。
肌には鱗のような模様が浮かび、腕は細く、声はかすれている。
だが、その瞳だけは――確かな理性の光を失っていなかった。
「僕は……セイ。十年前から、ここにいる」
その名を聞いた瞬間、アレンの胸が強く揺れた。
「君が……セイくん……」
「お前、その姿……何があったんだよ」
コウキが低く問う。怒りと驚きが入り混じった声だった。
セイは視線を落とし、かすかに笑う。
「この十年で……魚人たちに、いろんなことをされた。でも、それより……」
顔を上げ、必死に言葉を紡ぐ。
「君たち、サナの友達なんだって? 彼女は……元気かい?」
アレンは、力強く頷いた。
「ああ。同じ学園に通ってる。元気だよ」
セイは小さく息を吐き、肩を震わせた。
「……そうか。本当に、良かった……」
その声には、十年分の安堵と、どうしようもない切なさが滲んでいた。
「でもさ」
アレンは続ける。
「サナはずっと、君のことを考えてた。
生きてるって分かったのに、なんで海に行っちゃったんだって……」
セイの表情が、ゆっくりと曇る。
「……そうか。彼女が……」
一度、深く息を吸った。
「話さなきゃいけない。僕と――アリアの出会いと、ここに至るまでを」
暗い海底に、静かに語りが落ちていく。
⸻
十年前。
僕とサナは、まだ子供だった。
海辺の釣り場で、僕は偶然アリアと出会った。
最初は驚いた。
人魚なんて、物語の中の存在だと思っていたから。
でも、彼女は毎日会いに来てくれた。
生きるための魚を捕ってくれたのも、彼女だった。
ある日、アリアは泣きながら打ち明けてくれた。
――母親が、重い病にかかっている、と。
魚人たちは言ったらしい。
その病は、人間の血でなければ治らない、と。
母を救うため、人間を探しているが、捕まえられずにいるのだと。
僕は……助けたいと思った。
血を少し分けるくらいなら、大丈夫だと。
アリアは涙を浮かべ、何度も礼を言ってくれた。
でも、僕にはサナがいた。
彼女を置いていくことなんて、できなかった。
だから頼んだんだ。
サナを先に街へ送ってほしい、と。
それが終われば、すぐ戻るつもりだった。
――でも、悲劇は起きた。
魚人たちの本当の目的は、アリアに人間を連れてこさせることだった。
実験のために。
母親の病気も、魚人たちが作り出したものだった。
そこから、僕の実験の日々が始まった。
抵抗すれば叩きのめされ、
薬を注がれ、
体は、少しずつ変えられていった。
それでも、アリアは諦めなかった。
僕だけでも逃がそうと、何度も、何度も。
見ていられなかった。
「もういい」「やめてくれ」
何度、そう言ったか分からない。
でも、彼女は止まらなかった。
――アリアは、本当に優しい子なんだ。
「純粋な子供を利用して、絶望させて……
あいつらは、どうしてこんなことが出来るんだ……!」
セイの言葉が、檻の中で虚しく反響した。
⸻
その瞬間だった。
――ぐらり、と。
アレンの視界が歪んだ。
「……っ」
頭の奥が急に重くなり、こめかみを強く締め付けられる。
耳鳴り。早まる鼓動。
(……なんだ……この感じ……)
視界の端に、見覚えのない光景がちらついた。
――血に染まった大地。
――絶叫。
――縋るように伸ばされる無数の手。
――それらを踏み潰す、巨大な影。
『――弱き者は、利用されるために在る』
聞き覚えのある、いや――
知っているはずの声。
「……っ、はぁ……!」
アレンは歯を食いしばり、膝をつきそうになるのを堪えた。
(違う……今のは……俺じゃない……)
だが、はっきりと理解していた。
アリアは、かつての自分と同じだ。
守りたいものを人質に取られ、
信じるしかなくて、
選択肢を奪われ、
それでも「自分が悪い」と思い込まされている。
――利用される側。
アレンの視線が、震えるアリアへ向く。
小さな身体。
俯いた顔。
罪を背負うように縮こまった背中。
(……ああ、そうか)
魚人の王は、
アリアの「優しさ」を、
セイの「想い」を、
そして命そのものを――
ただの利益のために使い潰している。
その構図が、アレンの中で完全に繋がった瞬間。
ぎり、と拳が鳴った。
「……もう、十分だ」
その声は低く、冷えていた。
「おい……?」
コウキが驚いたように横を見る。
アレンは檻の向こう、闇の奥――
魚人の王が消えていった方向を、真っ直ぐに睨みつける。
「弱い者を利用して、
信じる心を踏みにじって、
命を“材料”みたいに扱う……」
「……そんなやつを、俺は――」
アレンの瞳に、はっきりとした決意が宿る。
「絶対に、許さない」
アリアが、はっと顔を上げる。
「……アレン……?」
アレンは彼女を見て、静かに続けた。
「君は、間違えた。
でも、それ以上に――
間違えさせられた。」
アリアの瞳が、大きく揺れた。
「自分の利益のためだけに誰かを傷つけるやつが、俺は大嫌いなんだ」
拳を、強く握る。
「だから決めた。
セイくんも、君も、
全部まとめて――俺が助ける」
アレンは静かに息を吐いた。
胸の奥で、
**まだ名も思い出せない“何か”**が、
確かに目を覚ました感覚があった。
「行くぞ」
鉄格子の向こう、濁った海水が揺れている。
アレンはゆっくりと檻の前に立った。
「……アレン?」
返事はない。
次の瞬間――
ごき、と鈍い音。
アレンが、素手で鉄格子を掴んだ。
「なっ……!?」
コウキが叫ぶ。
だが、アレンの指は震えない。
――ぐにゃり。
粘土のように、分厚い鉄格子が歪む。
バキンッ!!
音と共に、檻の一部が砕け散った。
「…………は?」
全員が、言葉を失う。
アレンは砕けた鉄を放り捨て、手を軽く振った。
「大丈夫だ」
淡々とした声。
「それ……人間の力じゃねぇだろ」
コウキが睨む。
「……これが、僕だよ」
アレンは静かに答えた。
「だからこそ、行ける」
一歩、檻の外へ。
「終わらせに行こう」
二人の視線が重なる。
「ああ。行ってやるよ...。だりぃけどな。」
「全てを終わらせる。待っててくれ」
「……ああ……!」
セイの目から、堪えていた涙が溢れ落ちる。
「全部終わらせよう。今日ここで!」
アレンは檻の外を睨み据えた。
「そしてアリア、君は島に戻っていてくれ。必ず、彼を連れて帰る」
「アレン……」
アリアの瞳に、初めて確かな希望が灯った。
⸻
その瞬間――
海底の空気が、明確に変わった。
重く、鈍い振動。
近づいてくる足音。
「行くぞ……」コウキが低く唸る。
セイは震える声で呟いた。
「……終わらせてくれ……あいつらを……」
アリアとセイは、祈るように二人を見送った。
こうして――
深海の牢獄を後にし、
アレンとコウキは、魚人の王の待つ場所へと歩き出した。
闇の奥で、
確実に“何か”が彼らを待っているとも知らずに。
そして――
人魚の島の深海で、
本当の意味での戦いが、今、始まろうとしていた。




