第9話 魚人との遭遇と力の解放
青く濁った海の中、光の筋が揺らめきながら差し込んでいた。
視界は悪く、少し離れただけで影が歪む。
――来た。
岩陰から、ぬっと姿を現したそれは、人型をしていながら明らかに人間ではなかった。
全身を覆うぬめった鱗、裂けた口から覗く鋭い牙。体長は二メートルを軽く超えている。
「あれが……魚人……」
次の瞬間、甲高く湿った声が海中に響いた。
「侵入者だァ!!」
合図のように、四方から影が蠢く。
数体ではない。十、二十――群れだ。
「チッ……!」
アレンは迷わず剣を抜いた。
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「あ、そうだアレンくん」
「どうしたんですか? ベルダ先生」
「君はまだ力の使い方も分からないし、制御もできないだろう。だから、もし危険な時はこれを使ってくれ」
そう言って手渡されたのは、片手剣だった。
「僕……使えるか分かんないんですが……」
「大丈夫だよ。僕は今まで色んな生徒を見てきた。君は“できる顔”をしている。頑張ってくれ」
ベルダ先生はそう言って、笑いながらアレンの肩に手を置いた。
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アレンは、その剣を構えた。
水の抵抗で、動きは鈍るはずだった。
だが、剣先は迷いなく魚人の喉元を捉える。
――ザンッ。
鱗を裂き、濃い血が水中に広がった。
赤い靄が視界を染め、魚人の身体が痙攣しながら沈んでいく。
「水中でも切れるってのは、ずりぃなぁ!」
コウキが歯を剥き、魚人の群れへ突っ込む。
【ネビュラ……解放!!】
――海の中で使える力は何だ。
炎は論外。すぐ消える。
氷は水を凍らせれば、味方ごと閉じ込める。
植も土も、ここでは役に立たない。
なら――ひとつしかない。
【雷光撃!!】
拳に雷を纏う。
叩き込まれるたび、鈍い衝撃と鋭い閃光が水を震わせる。
顎を砕かれた魚人が吹き飛び、岩壁に激突した。
雷なら――水中でも、威力は十分に発揮される。
だが、敵は怯まない。
左右から同時に襲いかかる魚人。
一体がアレンの腕を掴み、もう一体が牙を剥く。
「……っ!」
アレンは剣を反転させ、掴まれた腕ごと切り落とした。
悲鳴が泡となって弾ける。
「後ろだ!」
コウキの叫びと同時に、アレンは身を捻る。
魚人の爪が頬を掠め、血が一筋流れた。
「くそっ、キリがねぇ!」
倒しても倒しても、奥から湧いてくる。
まるで、巣に踏み込んだかのようだった。
「このままだと囲まれる!」
アレンが周囲を見渡した、その時。
「こっちに来て!!」
アリアの声が、水を切り裂いた。
彼女の指差す先には、岩壁にぽっかりと開いた小さな穴。
「……狭すぎる」
「だからこそだ! あいつらは入れない!」
魚人の爪が背後を掠める中、二人は必死に穴へ滑り込んだ。
直後、魚人たちは殺到するが――
岩に身体をぶつけ、苛立ちの咆哮を上げるだけだった。
「……助かった、のか?」
安堵が胸をよぎった、その瞬間。
カチャン――。
鈍く、冷たい音。
「……?」
視界が歪み、壁が――動いた。
気づいた時には、周囲はすべて鉄格子に覆われていた。
出口は完全に塞がれ、足元まで檻になっている。
「は……?」
「冗談だろ……」
その時、腹の底に響くような笑い声が空間を満たした。
「ふはははははは!!」
振り返ると、巨大な影が立っていた。
黒光りする鱗、筋骨隆々の体躯、鋭い爪と牙。
そして、深海魚のような不気味な瞳。
「私はこの海を支配する者……魚人の王だ。ようこそ、我が巣へ」
アレンとコウキは、瞬時に状況を理解した。
「……アリア。お前……」
コウキが信じられないという顔で振り返る。
アリアは顔を伏せ、小さく呟いた。
「……ごめんなさい」
「ふざけんなッ!!」
コウキが檻を殴る。
鉄格子が鈍い音を立てるが、びくともしない。
「俺たちを売ったのか!? この野郎!!」
「くくく……実に素晴らしい。人間は脆いな」
魚人の王は愉快そうに喉を鳴らす。
「強き者に従うのは弱者の性。アリアは正しい選択をした」
「違う! 私は……!」
アリアは叫んだ。涙で声が震える。
「ママと……セイを……! 連れてきたんだから……返してよ! 約束でしょ!」
「約束?」
王は低く笑った。
「考えてやってもいいとは言ったな。だが、実行するとは言っていない」
「なっ……」
「それに――お前の母親なら、すでに死んでいる」
アリアの瞳が、大きく揺れた。
「……嘘」
「本当さ。実験で立派な姿に改造してやったよ。見るか? 哀れな化け物になった姿を」
「やめてぇぇぇ!!!」
アリアは泣き叫び、王に飛びかかった。
だが、王は一瞥するだけで彼女を弾き飛ばし、無惨に檻へ叩き込む。
「弱き者は泣き叫んでいろ。貴様ら人間もだ。
この場所で、せいぜい実験材料として余生を過ごすがいい」
冷笑を残し、魚人の王は闇の奥へと去っていった。
残されたのは、怒りと絶望。
「クソッ……!」
コウキはなおも檻を殴り続ける。
血が滲んでも、構わず。
アリアは小さな身体を震わせ、ただ涙を流していた。
「私……裏切ったんじゃない……信じたかったの……
ママを……セイを、助けられるって……」
その声は、かすかで、波に溶けるようだった。
「……責めないで」
不意に、檻の奥から声がした。
「彼女を責めないで。全部、あいつのせいなんだ」
暗がりから、ゆっくりと姿を現す影。
腕には鱗、下半身はヒレ――
人間でも、人魚でもない姿。
「僕が話すよ。あの日、何があったのかを」
アレンの胸が、大きく脈打つ。
「君は……」
檻の中で、
運命の歯車が、音を立てて回り始めた。




