────願い。
どうか、お願いです────。
「どの面下げて戻ってきた! 成り上がりを誑かすことも出来なかった役立たずが!」
謁見室でもなく、王の私室に呼び出されたマリーは、怒声と共に杯を投げつけられた。
ギラギラとした指輪だらけの手から投げつけられたそれは、マリーのスカートに当たって赤黒い染みを作った後に、絨毯にも染みを作りながら転がった。
「……お異母兄様」
「王と呼べ! 下女の娘を異母妹などと思ったことはないっ!」
「……この国の王よ、わたしはリべレクア国の王より書状を届けるようにと命じられただけでございます。ここに帰って来るつもりはございませんので、ご安心ください」
マリーはそう言って、王の従者に書状を渡した。
「離縁した妻を伝令として使うか。さすがは新興国の成り上がりはケチ臭い」
異母兄王は薄い金の髪を撫であげながら、従者から受け取った書状を開きもせずに机の上に放った。マリーはその動作を、何も言わずにじっと見つめた。
「この国の王よ、数日、懐かしい西の離れに滞在することを許可いただけますでしょうか? ここには二度と戻って来ませんので、思い出に浸りたいのです」
「……西の離れだと?」
「ええ。食事も世話も何も要りません。ただ、屋根を貸して頂ければ」
「……ふむ。良いだろう。屋根だけは貸してやろう」
「ありがとうございます」
マリーはこれ以上異母兄王に口を挟む隙を与えないように、軽く会釈をした後、入り口の壁際に置いていた自分の鞄を一つ持ってさっさと部屋を出た。控えていたマリーのお付きのレインも待っていましたとばかりに自分の鞄を持って追いかける。
二人は暫く廊下を歩いた後に。
「何なんですか、あの失礼な豚は!」
「レイン、そんな豚に失礼なことを言っては駄目よ」
「そうですよね。豚さんごめんなさい」
レインはしおらしく、豚に対して謝った。
「八年前はもう少し痩せていたと思うのだけど」
姿を思い出そうとして、決して忘れることの出来ない悪夢が浮かび上がりかけたので、マリーは首を振って思い出すのを止めた。
「と言うか、王として終わっていませんか? 他国の王からの書状を開きもしないなんて!」
「とっくに終わっているわよ。この国の過去の歴史に、名声に、王という位にしがみついて、自分が偉いと思っているだけ。八年前、国を興して間もない我らがカルロ王に、ゴミ扱いしていたわたしを捨てる為に、無理矢理妃にしろと送り付けた失礼な奴よ」
前もっての話し合いもないままに、骨と皮に瘦せ細った十二歳の少女を「王になった祝い」として送り付けたのだ。馬鹿にされたと切り殺されても、送り返されても不思議ではないのに、王も王の最愛の女性も、気の毒にとマリーをそのまま育ててくれた。
大恩がある二人の為なら、マリーは何でもするつもりだ。
決心を固めながら、想像していた以上に人の少ない城の中を、二人はどんどんと歩いて行った。
「マリー様、西の離れって……」
誰も歩いていない城の片隅の建物を見上げ、レインはごくりと唾を飲み込んだ。
「そう、ここよ。西の離れ」
誰か使用人が住んでいたのだろうか、という一軒家の小さな建物だった。
「屋根だけは貸してやる、とか偉そうに言ってたけど、屋根、ないじゃないですか!」
「半分は残ってるから、何とかなるんじゃない? 寒い季節じゃなくて良かったわよね」
「前向きな性格を尊敬しております!」
「冗談よ冗談。こっちの道具小屋の屋根は落ちてないから、道具を全部出して、軽く掃除すれば持ってきた毛布に包まって眠れるんじゃないかしら?」
「どちらも余り変わらないと思いますけどね……」
懐かしい西の離れ、と言っていたということは、マリーはここに住んでいたのだろうとレインは容易に察することが出来た。せめて、昔はもう少し屋根があったと信じたかったが、改めてそのことを尋ねる勇気はレインにはなかった。
もしも「昔もこんなものだった」と答えられたら今すぐ先ほどの部屋に戻って、王を殴り殺してやりたくなる。
レインは、深く息を吐きだした。
マリーの考えは前向きとも言えるが、結局は虐待を受けて育ってきたからこそ、平気だと思えるのだ。初めて会った時、マリーは本当に小さく痩せていてとても十二歳には見えなかったし、目だけがぎょろりと大きく、虚ろな目をしていた。
レインはもう、あんな目の彼女は見たくなかった。
「良いじゃない。どうせ、少しだけの話なんだし」
「その、少しだけであなたが体調を崩したら、主人に怒られるのは自分です」
「大丈夫。わたしも一緒に謝るから!」
「体調を崩さないでいてくれたら良いんです!」
レインは頭痛を堪えるように、こめかみを揉み、ぐしゃぐしゃと亜麻色の髪を搔きむしり、深く息を吐き出した。
「とりあえず、あの小屋で良いんですね?」
「そうよ」
マリーは頷いた。
「一緒に確認をしてください。その後、片付けて、着替えて、携帯食料を食べて寝てくださいよ」
「分かった」
背を向け、道具小屋に先に入って行ったレインは、マリーが祈るように両手を組み、その場に跪いて、朽ちかけた建物に向かって頭を垂れていることに、気が付くことはなかった。
八年前はまだ屋根があったこの場所で、マリーは暮らしていた。
この国の前王が侍女でもない洗濯女に手を出して産まれたのがマリーだ。そのまま母子を放り出してくれていれば良かったのに、外聞が悪いからとここに母子を閉じ込めた。救いは、母親の友人である同じ下働きの女性を置いてくれたことだろうか。
しかし、その女性にとっては不運だったと言えたかもしれない。
マリーの母親は、マリーを産んでまもなく死んだ。誰にも望まれずに産まれた赤子などそのまま捨てても非難はなかっただろうに、母親の友人のアンナは自分の子と同じように苦労してマリーを育てた。
マリーにとって、アンナは母であったし、彼女の息子の二歳上のクリストフを兄として三人で、貧しくても穏やかに暮らしていた。
しかし、父親である王が死に、年の離れた異母兄が王となってから、マリーの生活は一変した。
新興国家であるリべレクア国に送る、野蛮な成り上がり者に殺されるが良い、そうすればお前も少しはこの国の役に立つ。そう言って、異母兄王はマリーをこの離れから引きずり出そうとした。
アンナとクリストフは必死に止めた。どうか、思い止まって欲しい、と二人は王に懇願した。それが無理なら、せめて自分たちも付いていきたい、と。
マリーも怯え、泣きながらお願いした。一人だけで知らない国へ行くのは怖かった。
「一緒に行かせてくださいっ────」
三人でひれ伏し懇願したが、異母兄王は「煩いっ!」と怒り、護衛の剣を奪ってクリストフの足を切り付け、駆け寄った母親のアンナの胸を突いた。
マリーは、その光景を忘れられない。
目を閉じることも出来ず。
叫び声を上げることも出来ず。
泣くことも出来す。
ただ、目を見開き、そのまま気を失った。
その後のことは、マリーには分からない。気が付けば、リべレクア国に居た。
マリーはその国で初めて知恵を与えられ、生きる術を教えられ、目標を授かることが出来た。王たちが目指す世界を、自分も手伝いたいと思った。
だから今回も、二人に止められたがマリーは自ら志願してこの国へと戻ってきたのだ。
────どうしても、願いを果たしたい。
そして、もう一つの目的は、クリストフの無事を確かめることだった。
「ほ、本当にここにクリスが居るの?」
翌日、マリーは城下町の物陰から、ある商家の入り口をじっと見つめながら隣のレインに問いかけた。
「主人から頂いた情報に間違いはありません」
肩の長さの亜麻色の髪を払いながら、レインは自信満々に断言した。生成りのブラウスに茶色のスカート、というありふれた町娘の姿をしているが、目は油断なく街並みを観察している。
人の流れは多いが、活気があるとは言えない。通りを歩く人々は、誰もどこか疲れたような表情をしていた。
この国の王が馬鹿にしていたリべレクア国の方が行きかう人々はよく笑い、よほど活気があった。
「……静かすぎますね」
「……そうね」
豊かな明るい金色の髪を全て帽子の中に収めて目深にかぶり、シャツにズボンと少年のような格好のマリーは、噛り付く勢いで壁に張り付きながら頷いた。
「さて、行きますよ」
「え? あ? もうそんな時間?」
この後、この国の協力者と会う約束をしているので、マリーは名残惜し気にクリストフが働いているという商会の建物に視線を残したままレインを振り返ろうとした。
しかし、その商会の建物に向かって歩いていくレインに、目を丸くする。
「ちょ、ちょっと、レインさん?」
「すみませーん」
扉を開けて入って行くレインを、マリーは慌てて追いかけた。
「いらっしゃいませ」
恰幅の良いつるりとした頭の中年男性が出てきて、マリーは少しほっとしたががっかりもした。
だが。
「クリストフさんはいらっしゃいますか?」
こっそりと会えるかも、とマリーは密かに期待していたが、あからさまに名前を出されて、あんぐりと口を開けたままレインを見つめた。
「僕がクリストフですが」
聞こえてきた成人男性の声に、マリーはそのまま固まった。
「赤毛に緑の瞳。歳の頃は二十二歳……にしては痩せていますが、まあこの国の事情を考えれば仕方ないでしょうね。さあ、マリー? あの人はあなたの大事なクリスに間違いないですか?」
レインはマリーを前に押し出して、被っていた帽子を取った。マリーの豊かな明るい金色の髪が広がった。
「マリー……?」
訝し気な声だった。
それはそうだろう。八年ぶりに会うのだ。お互いに、直ぐに判別出来る筈もない。
赤い髪に緑の瞳。確かに、面影があるような気がする。だけど、初めて聞く男性の声だ。八年前のクリスは、もっとガリガリで小さくて、そばかすがあった。
マリーには分からなかった。別れた時は、お互いに骨と皮の小さな十二歳の少女と十四歳の少年だったのだ。彼だ、と断言出来なかった。
「……本当に、クリス、なの? わたしの名前を、言える?」
中年男性の前に出てきたまま固まっていたクリストフは、どこか怯えたようなマリーの問いかけによって、強張っていた顔が綻んだ。
その表情に、マリーは既視感を覚えた。
「当たり前だろう。君は僕の大事なローズマリーだ。そのお日様の陽光を集めたような綺麗な髪を、灰や泥で汚すのが僕はとても嫌だった」
────ああ、クリスだ!
マリーは確信した。
自分の髪を常に汚していたことは、本物のクリストフしか知らない事実だった。ようやく、目の前の存在を感じ取ることが出来た。最後に見た血だらけの姿を悪夢として繰り返し夢に見たが、今、大人の男性になって、生きて、目の前に存在している。
胸がいっぱいになって、マリーは声を出すことが出来なかった。クリストフも唇を噛みしめて、眉根に力を込めていた。
「さて、お互いに本物のようですね」
「ええ。そのようですね」
レインと店主らしき中年の男性の言葉に、マリーは我に返った。そうして、自分たち二人がお互いに本物であると確認する為の合言葉のような、鍵のような存在であったのかと悟った。
リべレクア国がこの国に侵攻する。今日はその際の国民の避難の誘導をこの国の反抗組織に頼むための代表との話し合いであった。
マリーがこの国の王に渡した書状には、宣戦布告が書かれていた筈だ。マリーとレインは、異母兄王か宰相が怒鳴り込んできて、最悪殺されることも覚悟していた。だが、何もないままに一夜が過ぎていた。
「他国の王からの書状を、まさかまだ読んでいない……とか」
普通ならあり得ないことだが、昨日のこの国の王の様子を思い出し、あり得そうだな、とレインは乾いた笑いを浮かべた。
「宰相も王の言いなりですからね……。だから、我々は民の生活を保障してくれるというカルロ王に協力をするのです」
税も物価も高く、品数も流通も減り、失業者は増え治安は悪くなる一方であった。役人に訴えても何もしてもらえず袖の下を要求される。無実の者が処され、声を挙げることも出来ない日々に、国民は疲弊しきっていた。
「……あなたが男であったなら……。いや、失礼しました」
「わたしが男であったなら、もっと幼いうちに殺されていたでしょう」
マリーの返答を、誰も否定は出来なかった。
女であったからこそ、新興国の王を蔑む為の嫌がらせとして無理矢理嫁がされたからこそ、マリーは今まで生きてこられたのだ。異母妹を憎みながらも殺す度胸もなく、国としての終焉が見えていても見えないふりをして新興国を蔑み自らの大国としての矜持を満足させる、という愚かな王であるからこそマリーは助かった。
しかし、母とも慕うアンナは殺され、クリストフは傷つけられた。再会したクリストフが昔王に切られた足を庇うように歩いていることに、マリーは気が付いた。
マリーは絶対に、王を、この国を許すつもりはなかったが、その気持ちを新たにした。
マリーとレインが危険を冒しても城の離れに宿泊を願ったのは、そこに城外へ通じる抜け道があったことを、マリーが知っていたからだ。その抜け道が今も使えるのかどうかを確認する為に、二人は覚悟して宿泊を願い出たのだ。
マリーがアンナやクリストフと住んでいた家の中にその抜け道はあった。本当に偶然、暖炉の仕掛けに気が付き、いつかここを出て行こうと三人で夢見ていた矢先に、あの事件が起きた。
抜け道の存在を王や城の者たちが知っていれば、蔑んでいるマリーたちを住まわせるとは思えなかった。だから、この抜け道の存在を王は知らないだろうというマリーの考えに、カルロ王は頷いた。
後は、この抜け道から少数精鋭の兵士たちを導き入れて、城の内と外から奇襲をかける、という計画になっていたのだが。
「マリー久しぶり! 無事か? 怪我はしていないか? 元気か?」
夜になり、抜け道から入ってきた人物に、マリーは突然抱きつかれた。
「は? え?」
突然の不意打ちに目を丸くしたが、一つに結んだ白銀の髪が視界に映り、マリーは相手が誰だか分かった。
「な、なんで、こんな所に!」
「マリーが心配だったから。だって、死ぬ気だっただろう?」
そんなことはない、とは言えなかった。マリーの大切な恩人に嘘を吐くことは出来なかった。けれども、いつ戦争が始まるか分からない場所に、シャツにジャケットにスラックスという普通の格好で来て良い人では決してないのだ。
「いや、そんなことよりも」
「死ぬ気って、どういうことだ?」
「え? クリス? どうして?」
続いて入ってきた険しい顔をしたクリストフに、マリーは再び目を丸くした。
「俺だってこの抜け道を知っているんだから、リべレクア国からの使者を案内してきたんだ」
そりゃあそうか、とマリーは納得した。この通路を三人で通って外で暮らすことを夢見ていたのだから。
「何で主がここに居るんですか!」
「そうか、君がクリスか!」
レインの叫びを無視して、白銀の髪の美丈夫は凍てつく氷のような蒼い瞳をきらきらと輝かせながら、クリストフの顔を覗き込んだ。
「誰にも懐かなかったマリーが、私が君と同じ愛称のクリスだと知ってから懐いてくれたんだよ。一緒じゃないと眠れないって、毎晩一緒に眠ったんだけど」
「一緒に……」
「こ、子供の頃のことだから! この国を出てすぐくらいの!」
マリーは赤くなりながら必死に弁解した。そんな事実はない! と言えない所がマリーの変わらない素直な所である。クリストフは思わず小さく微笑った。
「クリス様! とりあえず、こちらへ! 小屋の方へ参りましょう! こんな崩れかけた廃屋に、大勢の人が居るのはまずいです」
「そうだな。クリス、後ほどゆっくりと話をしよう」
クリスはすんなりと立ち上がって、レインの後に従った。マリーはほっと安堵すると同時に、気まずく思いながら隣に立つクリストフを見上げた。
「……凄い人だな」
呆れたような、感心したようなクリストフの声に、マリーは大きく頷いた。
「そうなの。凄く綺麗な方でしょう?」
「確かに。でも、そっちじゃなくて。こんな状況なのに、戦争が始まろうとしているのに、『後でゆっくり話そう』って言うのが凄いよな」
「……あの方は、前を向いて歩く方だから」
「前、か……」
クリストフは小さく呟き、俯いてしまったマリーを見下ろした。
「……マリー、俺はあの王に復讐出来るのなら、この国を滅ぼすことが出来るのなら自分は死んでもいいと思って働いてきた」
「クリス、何てことを……!」
しかし、その想いはマリーも同じであった。自分を庇ってアンナは死んでしまい、クリストフは足を傷つけられたのだ。せめて自分の命と引き換えにしても、仇は取りたかった。
「だけど、俺も後でゆっくりとマリーと話したい。これまでどうやって生活してきたのかを、マリーから聞きたい」
「……ええ、ええ! そうよね! わたしも話したいわ! クリスの話を聞きたいわ!」
マリーは、クリストフが無事に生きていることを遠くから見ることが出来ればそれで良い、と考えていた。だから、ゆっくりと話をするなんて、思いつきもしなかったが、それはとても素晴らしいことだと目を輝かせた。
死んでも良い、という気持ちは変わらない。
だけど、ほんの少しでも、わずかな時間でも、昔のように語り合いたいという誘惑には抗えなかった。
「それで、もし良かったら、この戦争が終わったら……」
「終わったら?」
「……昔みたいに、一緒に暮らさないか?」
背が高くなったクリストフが屈むように、マリーの顔を覗き込んできた。少し緊張を含んだ緑色の瞳を見つめ返しながら、マリーは夢を見た。
昔のように。
一つ屋根の下で。
一つのパンを分け合って。
一つの椀の汁を交互に啜って。
貧しかった。
ひもじかった。
凍えていた。
でも気が付けば、あの頃を懐かしんでしまう自分がいた。
あの頃に戻りたいと願う自分がいた。
あの頃に、戻れるの……?
「クリス! わたし」
その時。
ドスッと鈍い音と共に、クリストフの身体が傾ぎ、マリーの肩に頭を乗せるように身体が丸まった。膝を突くクリストフを支えるように、マリーも床に座り込んだ。
見れば、クリストフの右肩に矢が刺さっている。じわりと赤い染みが広がっていく。
「…………クリスっ!」
「……大、丈夫」
クリストフとマリーが背後へと視線を遣ると、松明やランプを持った幾人かの人間が、扉のない崩れた壁を囲むように立っていた。
「早々に男を誘い込むとは、さすがに血は争えないな」
弓を構えた男の背後から、この国の王である異母兄が前へと出てきてマリーを蔑んだ目で見下ろした。
「何故、ここに……」
「……小屋は見るな」
クリストフがマリーに耳元に囁いてくれたお陰で、マリーは何とか異母兄王から視線を動かさずに済んだ。
「何故、だと?」
マリーもクリストフも抜け道が知られて警備を置くのかと冷や汗を掻いたが、異母兄王は、はっ、と嗤った。
「お前はあの新興国の王に可愛がられていたそうじゃないか。下賤の出身同士気が合ったのか? 離縁されたと言っても、まだ多少の情が残っていればお前を盾にすることも出来るだろう」
マリーは、異母兄王が何を言っているのか分からなかった。ただ、抜け道のことはやはり知らないのだなと安堵した。
しかし。
「……民を置いて自分たちだけ逃げるつもりなのか」
クリストフの言葉で、マリーはここに居る彼らの意図を理解した。
「何故……降伏をしないのです。カルロ王は、降伏を勧めていた筈です」
「歴史ある正当な王の朕が、あんな成り上がりの平民に降伏するなどあり得ん!」
「くだらないっ!」
マリーは頭に血が上り、反射的に叫んだ。
「王の行方が分からなければ、戦争を終わらせることが出来ず、民が苦しむだけでしょう!」
「マリー」
落ち着け、とクリストフに囁かれても、マリーは駄目だった。
「わたしは、いや、皆知っていることだわ! あなたが茶色の髪を金色に染めていることを! 金色の髪に金色の瞳は賢君の証、金色の髪に琥珀色の瞳は名君の証、という言い伝えに縋って金色に染めているけれども、あなたの瞳はどう見ても琥珀色ではなく焦げ茶色じゃないの!」
「な、な、何を……」
マリーは、明るい金色の髪に琥珀色の瞳を持っていた。この異母兄が切望していた色を持って生まれた為に、虐げられていた。機嫌を損ねないように、マリーは目を伏せて、髪を汚して生活をせざるを得なかったのだ。
異母兄王は狼狽えたように周囲を見渡したが、誰も驚いた顔をしなかったことで、本当に周囲にばれていたことを悟った。
「民を犠牲にし、民を捨てて何が王か!」
マリーは声を上げた。
松明やライトに照らされた豊かな金色の髪は明るく輝き、琥珀色の瞳は金色にも見える程にきらきらと輝いていた。
その迫力に、マリーを人質にしようと囲んでいた数人の兵士たちは、思わずといったように後退った。
「…………下賤の娘が、偉そうにっ!」
普段の動きからは信じられない程に素早く、異母兄王は部屋の中へと踏み込み、マリーに向かって剣を振り上げた。
マリーは、クリストフの肩越しに冷静に剣を見上げた。
異母兄に対して怒りが渦巻いていたが、反面、不思議なほど静かにそれを受け入れようとしている自分がいた。
ただ、クリストフが巻き添えになってしまう、と突き飛ばそうとしたが、逆に、彼に強く抱き締められてしまった。
そうして。
「……マリー、無事?」
「…………ええ」
マリーは、クリストフの背中から生えた剣の柄を、異母兄王が握っているのを見た。
何か喚いているようだが、マリーには聞こえなかった。
クリストフの顔が見たいのに、がっちりと抱き込まれて顔を見ることが出来ない。
「良かった……。今度こそ、守ることができた」
「クリスは、いつだって、あの時だって守ってくれたわ」
クリストフが力なく首を振ったのが、マリーの頬に髪が当たって分かった。
「今度こそ、君を守りたいと、ずっと、願って────」
マリーは、クリストフの背中に腕を回し、そっと、背を撫でた。
何度も、何度も、撫でた。
クリストフは、もう、何も語ってはくれず、マリーはただ、静かに涙を流した。
「くそっ! 誰か、代わりの剣を貸せ! 早く寄こせ!」
「陛下、人質にする筈では」
「こんな女に、そんな価値がある筈がないだろう!」
ばんっ! と直ぐ近くの小屋の扉が蹴破られた。
皆が注目する中、白銀の髪を一つに束ねた美丈夫が、凍てつく冬空のような蒼い瞳でその場に居る人間を睨みつけた。
「…………王よ、どうかお願いです」
美しい人間から「王」と呼ばれて、異母兄王は忽ち機嫌を良くした。
「な、何だ? 朕に何の望みが」
「────この醜い男の命を、わたくしにください」
「それは断らせていただこう、我が愛しい妃よ。貴方には、美しいものだけが良く似合う」
知らない声にまた振り返れば、クリストフを抱いて蹲るマリーの背後に、黒髪を一つに束ねた長身の体躯の良い男と、帷子を着込んだ数人の兵士たちが居た。
「い、いつの間に────?」
「だが、愛しい妃の頼みだ」
狼狽え、後退る異母兄王には構わず、黒髪の男は白銀の美丈夫に笑いかけた。
「一度だけは許そう」
「感謝します」
白銀の美丈夫は、ジャケットの内側から銃を取り出し、少しも躊躇せずに黒髪の男のすぐ近くに立っている異母兄王に向けて撃った。
「ぎゃああああああっ」
銃声と、撃たれた男の叫び声が響き渡る中、我に返ったように逃げようとする人々を、レインや兵士たちが次々と捕縛していった。
「愛しい妃よ、さすがの腕だ」
肩を撃ち抜かれ、転げ回っている異母兄王を尻目に、カルロ王は妃を褒め称えたが、白銀の髪の女性は王には構わずにマリーに走り寄った。
「マリー、気をしっかり持つんだ」
「……クリス、ティーナ、さま」
マリーは、微笑んだ。
思わず見惚れてしまうような、綺麗な、澄んだ笑顔だった。
「どうか、く、りすと、わた、しを、いっし、ょに」
「……マリー?」
「う、めて、くだ、さい」
そう言われて初めて、クリスティーナはマリーの胸元が真っ赤になっていることに気が付いた。クリストフを貫いた刃は、そのままマリーの胸にも達していたのだ。
怒りのあまりの馬鹿力であったのだろう。
「何を言っている、マリー? 今手当を」
「……ああ、うれ、しい、わ。ずっと、ねがって、いた、の。みなで、いっしょ、に、いき、たい、っ、て、ねが、っ」
マリーは、探るようにクリストフの背に力なく手を這わせた。
────せめて、一緒に、逝きたい。
「あり、が、と、う……」
クリストフは、満足そうにマリーを抱きしめたまま事切れていた。そうして、マリーも幸福そうに、クリストフに抱き締められたまま、息絶えた。
「……ずるいな、マリー。そんなに幸福そうな笑顔、初めて見たぞ」
何も、言えなくなるではないか────。
クリスティーナは、静かに涙を流した。
「面白い言い伝えの物を見つけてな」
カルロ王は、亜麻色の髪を長く伸ばして一つに纏めている精悍な騎士に箱を渡した。
「……これは?」
渡されたのだから開けても良いのだろうと開けてみれば、中には大きな紫水晶がぶら下がったペンダントが入っていた。
「マリーの国の、王族の隠し部屋から出てきたものなんだが、願い事が叶うペンダントらしい」
「は?」
もう三十路となり、決して少女には見えなくなったレインは、思いっきり眉を顰めた。
「そんな物があれば、あの国が亡びるときにあの豚が使っていた筈でしょう」
「しかしな、その紫水晶に見える石は、どう調べても硝子で出来ているんだそうだ。だから、あの馬鹿は価値がある物だと信じていなかったのかもしれないぞ」
黒髪を短く切ったカルロ王は、皮肉気に嗤った。
「……あれから随分と経ったが、それでもお前はずっと悔いているだろう? だから、信じるも信じないもお前の自由だ」
「……悔いているならクリスティーナ様もでしょう」
暗にクリスティーナに渡さなくても良いのか、と尋ねると、王は肩を竦めた。
「願いを叶える代わりに何が起こるか分からないような危険な物を、我が愛しい妻に渡せる筈がない」
「……貴方はそういう人でしたよね」
愛しい女性を手に入れる為に、国を興した人物なのだ。レインは馬鹿な質問をしてしまったと、息を吐いた。
「では、ありがたく頂戴いたします」
「……クリスティーナが、今でも思い出しては塞ぎ込むからな」
何処までも自分の妃中心の考えに、レインは苦笑した。
だが、まあ、願いなんていうものは、そういうものなのかもしれない。
レインは、ずっと悔いていた。
あの時、護衛として付き従った筈なのに、マリーの傍を離れてしまったことを、ずっと後悔していた。
虚ろな目をしていた少女が、ようやく元気になってきたなと思っていた少女が、初めて見る幸福そうな笑顔で死んでいったことが、居た堪れなかった。
生きて、あの二人に幸福になって欲しかった。
手の中で、きらきらと輝く紫水晶色の硝子を覗き込む。硝子だと言われなければ分からない、いや硝子だと聞いても心惹かれる輝きがあった。
だから、だろうか。
「どうか、お願いです────」
心の底から、祈り、願った。
レインの手の中のペンダントは、ひと際強く、輝いた。
最後までスクロールされましたか? すみません、まだハピエンではないですが、やり直しで(誰も記憶がない)二人が死なないお話をそのうち書きたいなと思っております。王と王妃の話から始まるのでもう少し遡りますが。まだ恋愛未満なのでちゃんとくっつけたいです。ヤンデレ、溺愛は王です。
ネットでバンプがボーナストラックを止めるというのを見かけて、ネット小説でボーナストラックみたいに出来るかな? とやってみたくなりました。




