だから俺はクリスマスの夜に恋人たちがはしゃぐのは嫌いじゃない。
「―ハァ」
ため息も出る。何だってこんな日のこんな時間にこんな物の前で立ってないといけないんだ。
――12月に入ると憂鬱だ。何なら11月後半から気分は落ちる。
俺に彼女がいないのは俺のせいだが、この時期だけは街を歩きたくなくなるのは、俺のせいじゃない。
30歳も過ぎれば周りは煩いし、親からも兄弟からも煩く言われ、しまいには会社の後輩にも煩く言われる始末。
クリスマスに1人で居てお前らに迷惑でもかかるのか?放っておいてほしい。
12月24日、仕事帰りの午後7時。でっかいクリスマスツリーの前で、こんなことになった原因を脳内で呪った。
❉❉❉❉❉
先週末の忘年会。
酔っ払った後輩にスマホを奪われた。
「桐谷さん、彼女いないって言ってましたよね?」
「おい、お前それセクハラだからな。先輩に向かって」
「えぇ、面倒な世の中になりましたね。訴えないでくださいよ」
(何杯飲んだんだ?顔が真っ赤じゃないか)
酒の席でいわゆるうざ絡みをしてくる後輩をジロリと睨む。
「相葉、もう酒はやめとけば?顔が真っ赤だぞ」
「いいじゃないですか。普段飲まないし、こんな時じゃないと酔えません」
「それより桐谷さん、彼女いないならマッチングアプリ、やってみたらどうですか?最近····」
「いや、いい。やらない」
ばっさりかぶせる。
「彼女、作りたくない。面倒だし。····何だよその目は」
作りたくないじゃなくて、できないんでしょ?って顔に書いてあるぞ。
女子特有の、恋バナしたいです!に、35のおじさんを巻き込まないでくれよ。
「まぁまぁ。試しですよ試し。ちょっと貸してください。このアプリなんかお勧めです」
「おいっ」
「え、うわ。何でパスワードすら設定してないんですか。怖っ」
「いや人のスマホに触るお前の方が怖いぞ」
慣れた手つきであっという間に謎のアプリがダウンロードされてしまった。
(こいつ。明日絶対後悔するやつだぞ)
酔った上での暴走は若気の至りだが、確か相葉は26だったか?もう若気の至りで済む歳ではないような。
相葉が明日謝りに来る姿が目に浮かぶ。
(普段ここまで距離感がないやつじゃないのに。酔うとこうなるのか)
酔っぱらいを相手するのが面倒になってきたので、はいはい。と意識半分に相手をした。
相葉はコミュニケーションが上手い奴だ。同じ階の奴なら誰とでも仲良く話している。我ながら愛想もないのは自覚しているので、相葉みたいにフランクに話しかけてくる後輩は少ない。
「出来ました!あとはイイねが付くのを待つだけ!」
「え、本当に登録したのかよ。明日には消すぞ」
「え、私を?」
「いやアプリを」
俺を何だと思ってるんだ。
「んー、じゃあ明後日!明後日まで消さないでください」
「やっぱり今消す」
「えー!」
しかしその日は消すのを忘れて、アプリの存在も忘れて家に帰って寝た。
『玲司。壮馬がさ、プレゼントはトミカが良いって』
『え?』
『いや、だからクリスマス。過ぎてもいいからお願いね。楽しみにしてるから』
『分かった。後で画像送っといて』
(そうかもう今週クリスマスか)
月曜から残業だ。やっと終わって帰るところで、久しぶりにかかってきた、姉からの電話が甥っ子からのクリスマスプレゼントの催促だった。
(ついでに買ってくか。いやネットでいいか)
クリスマスが近くなると、一刻も早く家に帰りたい。クリスマスで浮かれる街並みは嫌いじゃないけど、やはり独り身には染みるからだ。勝手に染みているだけなんだが。
(あ。相葉?)
声をかけようかと迷ったが、やめた。メンズ服の店の前で立っている姿を見るに、彼氏にでもプレゼントを買おうとしてるのだろう。声をかけるべきではない。
相葉を見つけて、何か忘れてるような?と思ったが思い出せなかった。
「桐谷さん!アプリ消してないですね?」
次の日、遅めの昼ごはん中に声をかけられた。
「え?何?」
「アプリですよ。マッチングアプリ」
「ああ」
(あったな。そんなこと。てかこいつ覚えてたのに次の日謝りに来なかったな?)
「お前にスマホ奪われた時か。忘れてた」
「ちゃんと見てみました?開いてないんですか?」
「いや、忘れてたからな」
「えぇー。ちょっと見てみてくださいよ!これじゃ私が勝手にスマホいじっただけの非常識な人になるじゃないですか」
「自覚があるんだな?」
相葉が手に持っているゼリー飲料が目に入った。
「待て。お前、昼それだけか?これも食え。まだ開けてないから」
「えっ、いやでもすぐに会議で」
「こんなん3口で食えるだろ。会議中に腹が鳴って恥ずかしい思いするぞ」
相葉は下を向いてボソッと言った。
「3口じゃ無理ですよ」
顔が赤いような。
(ん?何を恥ずかしがってるんだ?)
珍しく顔を赤らめている後輩に、冷や汗が出てくる。
(これもセクハラになるのか?)
固まっていると、相葉はパッと顔を上げて笑った。
「ありがたくいただきます。やっぱり桐谷さん優しいですね」
「ああ」
ホッとして身体の力を抜いた。良かった。セクハラではないらしい。
相葉が去ると、スマホを開いて時間を見た。
(あ、そういえばアプリ)
言われた通り開いて見ると、よく分からないが1件だけイイねが来ている。
(ん?相葉が言ってたのはこれか?消そうと思ったのに)
相葉が自分をどう登録したのか気になり、時間のある時に消そうと思い、またスマホを閉じて仕事に戻った。
年末の忙しさに、その後2日間またすっかり忘れて過ごした。そして23日。
「き、桐谷さん、ちょっと良いですか」
「なんだよ」
いつもと違い、緊張した面持ちの相葉に、こちらもまた緊張感が走る。
(何をしたんだ?何か失敗でもしたのか)
「もう一度見せてください。スマホ」
「は?」
思いもよらない要求に、とりあえずスマホを差し出す。
(いや、何を素直に差し出してるだ俺は)
「あ、ほら!やっぱり来てますよ。イイねと、メッセージ」
「え?」
「ほら、いきなりですが明日空いてたら会いませんか、待ってますって」
「はぁ?」
「ほら」
(そんな訳ないだろ。マッチングアプリってそういうもん?あんまり知らんけど、何度かチャットで会話してから会うか会わんか決めるんじゃないのか?)
確かにメッセージに書いてある。待ち合わせ場所まで書いてある。
「いや、怖いだろこれは」
「明日は予定があるんですか?」
「いやないけど」
「じゃあ行ってみたらいいじゃないですか!試しに」
「え、いや行かないよ怖い」
「怖い怖いって先輩ほどデカい男に何も出来ませんて。先輩の方がパッと見怖いし」
「失言だぞ」
目線を下に向けたり、上に向けたり、珍しく挙動不審な相葉が心配になる。
「どうした?なんかあったのか?」
「うっ」
(う?)
何か言おうとして、相葉はため息をついて止めた。言えよ気になるから。
「何だよ?」
「いえ、もし明日予定がないなら、行ってあげてください。プロフ見た感じちゃんと女の子だし、夜に1人待たせるの可哀想じゃないですか」
「そんなことして怖いおじさんが来たら俺はどうしたらいいんだ」
「いやちゃんと女の子ですって。私には分かります」
(お前、そんなこと言って世の中に変な人はいっぱいいるんだからな。危なっかしい奴だな)
「お前はマッチングアプリ系やるなよ。心配だ」
「うう」
相葉は小さく呻いた後に、俺をジロリと睨んできた。睨まれる筋合いはないんだが。
「いえ、ではまた明日。――会社で!」
「え?ああ」
まだ昼だけど。また今日顔合わせると思うけど。変な奴だな。
そしてまたアプリの存在を忘れ、24日、朝。
(忘れてた。行ってもいいけど。寒いなか待ちたくないな)
「あら、相葉ちゃん、コンタクトじゃん」
「本当だ。イブだもんね。デート?」
「違いますよー」
女子たちのキャッキャした会話の中に、少しいつもと違う相葉が居た。
(本当だ。珍しいな)
普段は眼鏡なので、つい見てしまう。目が合ったが、パッと離された。
(何だ?)
つい逸らされた目に、イラッとしてしまう。
(俺に無理やり今日行けと言っておきながら、自分はデートか!あの時買ってたもんな。クリスマスプレゼントを)
少しイライラしたものの、すぐに落ち着いた。
(別に眼鏡で良くないか?普通に可愛いんだから)
特別な日に、おしゃれをした姿は微笑ましい。目が合って逸らされたのは、やっぱり恥ずかしいからだろう。
(彼氏も喜ぶだろうな)
無駄な事を考えた事に気付き、今日終わらせるタスクのことだけ考えた。
24日ともなると、さすがに定時で帰る人も多い。まだ仕事は残っていたものの、流石に1人で残るのも警備員に悪いので早々にきり上げた。と言っても、定時を過ぎた19時前。
17時を過ぎた辺りから気にっていたので、マッチングアプリなるものの待ち合わせが19時だったので、行ってみることにした。会社から近い。大きなクリスマスツリーの下で。
寒い。上に、ここを待ち合わせ場所にしているカップルも多い。
(あと5分したら帰ろうかな)
そういえば俺は誰と待ち合わせしてるんだ?自問自答の間抜けな問いに、とりあえずスマホでアプリを開く。
(着てる服とかメッセージしておいた方がいいのか?)
悩んでいると、正面に誰かが立った。パッと前を向くと、知らない人だ。また下を向いてメッセージの内容に悩む。
正面に立った女の人は、少し離れてツリーの前に立った。
一瞬マッチングの人かと思ったが、多分違う。綺麗過ぎる。偏見かもしれないが、この人はマッチングアプリなんてしないだろう。
すぐに違う方向から男が近付いて来た。
(ほらな。待ち合わせの人を俺と間違えたんだろ)
そう思ったものの、違ったようだ。会話を聞くに、男はナンパで女性はやんわり断ろうとしている。
(おいおい。彼氏早く来てやれよ。困ってるじゃないか)
なかなか現れない知らない人の彼氏にため息を付き、ナンパ男をジロリと睨んだ。無駄に背が高く目つきが悪いので、睨むだけで大体逃げていく。
ナンパ男も例外ではなく、「何だよ。お前が連れかよ」と言ってどこかへ行ってしまった。
(俺が連れな訳ないだろ)
スマホで時間を確認すると、19時2分。
(帰るか)
誰も来なかったことに、若干気が抜けた。
(まぁ良かった。来られても困るし)
「あ、あの」
彼氏が来ない可愛い人が、声をかけていた。
話すのもおかしいし、立ち去ろうとすると裾を掴まれた。さすがに振り返ると、見知った顔だった。
「え?相葉?」
まさかの人物。化粧と髪形でこんなに変わるなんて。
「びっくりした!言えよ。誰かと思ったよ」
何故かホッとして肩を叩いた。相葉がびくりと強張る。
「あ、すまん」
慌てて手を離す。いつもの活発な彼女と違い、今日の彼女はなんだかとても頼りない。
(これはナンパに捕まる訳だな。それにしてもいつ来るんだ彼氏は)
自分が心配することではないし、考えたら何故か胃がキリキリする。
「まぁ俺は行くな」
「あ、待ってください」
「え?でも、もう待ち合わせ相手来るだろ?俺が居たら変だろ」
「いえ、えっと」
(なんだ?俺に彼氏でも紹介する気か?)
紹介されても困るし、紹介されたくない。
もごもご言いながら掴んだ袖を離さない。仕事で失敗した時の顔と同じ顔をしている。
(仕方ないな)
頭をポンと撫でながら、優しく声をかける。
「なんだよ。落ち着け、ゆっくり話せば聞いてやるから」
相葉は大きい目を更に見開き、泣きそうな顔で呟いた。
「私です····」
「何が?」
「桐谷さんが待っていた相手」
「ん?」
ちょっと何を言ってるか分からない。
「だから、マッチング相手が私なんです」
「え」
とうとう相葉の目から涙が溢れた。
「すいません〜····」
訳も分からず、クリスマスツリーの前で女性を泣かした俺は慌てることしか出来なかった。
❉❉❉❉❉❉❉❉
相葉友理奈。会社に好きな人がいる。10歳近く離れているので、全く恋愛対象に見てもらえない。
(彼女がいないことは分かってるのよ。今年こそ)
決意をした12月。多少強引だったと思うものの、なんとか忘年会できっかけを作れた。
マッチングアプリを無理やり入れて、そこから攻める。
(イイねしたのに、今日も見てないわ)
でも退会はしてないみたいなので、反応をひたすら待った。
反応がないまま、メッセージも入れてしまった。
(うー。だってもうクリスマスよ?決意したのだから、なんとか進展したいじゃない?)
居ても立っても居られず、自分から催促してしまった。
(私だって気づかれたかな?もうなるようになれ)
新人研修で、生理二日目体調絶不調の時に、助けてもらったことがある。
取引先で失敗した時にも。受注で数量を大幅に間違えた時にも。
『おちつけ。ゆっくりでいいから』
無愛想で、目つきも悪く、同期からは怖がられてる。何でみんな桐谷さんの優しさに気付かないんだろう?あんなにカッコいいのに。
ふと、店頭に置いてあるのマフラーが目に入った。
落ち着いたグレーとエンジ色のチェックのマフラー。
(これ、桐谷さんに似合いそう)
まだ気持ちを伝えてもいないのに、クリスマス特有の雰囲気のせいか大胆になっている。
(これを買って、告白する時に渡せばいいよね)
マフラーを巻く彼を想像しただけで高揚する。
24日当日。いつもは絶対に選ばないワンピースに、髪を降ろしてコンタクトにして化粧も濃い目に。
(やばい。遅れそう)
小走りでクリスマスツリーの前まで行くと、いつもの仏頂面のままの彼が立っていた。いつもより不機嫌そうだ。
いないかもしれないと思っていたので、居てくれただけで嬉しさが抑えられない。どきどきしながら正面に行くと、すぐに顔をそらされた。
(え?気付かない)
まさか気付かないとは思わず、頭が真っ白になる。
(どうしよう)
とりあえず横に避ける。
(19時になったら声をかけようかな?)
「ねぇ、待ち合わせ相手探してるの?その人違ったの?」
見るからにチャラそうな男の人だ。
(うわ。最悪。桐谷さんに変に思われるじゃない)
のらりくらりと交わしたつもりが、全然諦めない。
(ん?)
急にナンパ男が固まる。隣を見ると、桐谷がすごい形相で睨んでいる。
(か、カッコよ···)
声をかけたものの、去ろうとするので慌てて袖を掴んだ。最後は情けない姿で泣きながら謝ったのだ。
❉❉❉❉❉❉
「つまり?マッチングアプリの相手が相葉だったの?」
「はい」
スンスンと鼻をならしながら答える彼女を見て、流石に気付く。
(いや、俺もそこまで鈍くないし。まじか)
「相葉、彼氏いるんじゃないの?」
「えっ!いません!何でですか!」
力強い否定に、一歩下がりながら答える。
「いや、前に帰り道で····あ、いやまぁいいや。いないの。彼氏。そうか」
人のものじゃなかったと知ると、更に彼女が可愛く見える。
「すいません桐谷さん、騙すようなことして」
「ん?いや、いいよ。良かった。知らない人じゃなくて」
「·······」
くすぐったいような無言の時間が続く。ここまで頑張ってくれたんだ。あとは自分がなんとかしないと。
「とりあえず」
手を握って、指を絡める。
「俺は、相葉で嬉しかったし、このまま買い物してごはん行かない?」
「え?買い物ですか?欲しいものがあるんですか?」
「いや、誰かが俺のためにプレゼントくれそうな気がして。俺もお返ししたいから」
「な、なんで知ってるんですか」
どんどん赤くなる顔を見て、独占欲が湧き上がる。
「あー良かった彼氏じゃなくて」
まだ、付き合ってもいない後輩と、指を絡めて歩き始めた。しばらくこの手は離したくない。
今日はイブで、クリスマスは明日か。
今日中になんとかするつもりなので、明日にはクリスマスにはしゃぐ恋人たちの中に、自分が仲間入りするのかと想像して笑ってしまった。
メリークリスマス。
急に書きたくなりました。読んでいただけると嬉しいです。




