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第23.5章 外伝 〜桜が残したぬくもり〜

◇ 絹環きぬわの里・村外れ/昼


白い。

とにかく白い。


冷たい粒が、

音もなく降り続け、

視界の奥で淡く反射していた。


その中を――


白羽

「さ、さむいです!!

 物理的に!! 倫理的にも!!」


全力疾走。


足元の白い堆積を蹴散らしながら、

四人と一名は村の中を駆け抜けていた。


スレイ

「寒い寒い寒い寒い!!」


スレイ

「ちょ、これ絶対ダメなやつ!!

 肌出し装備で極寒フィールドを

 突っ込む想定ないでしょ!?」


言いながら走っているが、

太ももは完全に露出している。


しかも赤い。

元気に。


「文句言える余裕があるなら、

 まだ凍結死じゃないわね……っ」


雛も雛で、

服は裂け、肩は出て、

ドレスはもはや“気持ち程度”。


表情は涼しいが、

歯は小刻みに鳴っている。


白羽

「はぁ……はぁ!

 さ、さむい……!」


その拍子に、

スカートの裾がめくれ、

また太ももが冷気に直撃する。


白羽

「ひゃっ!?

 い、今の風、

 明確な殺意ありませんでした!?」


シオン

「さむい」


短い。

だが、切実。


シオンはヴォイドの外套の端を掴みながら、

半分引きずられるように走っている。


ヴォイド

「……絹環きぬわの里までもう少しだ」


淡々。


その声だけが、

なぜか安心感を持っている。


スレイ

「ねえヴォイドさん!

 その“もう少し”って、

 生きてる人基準!?」


ヴォイド

「死体ではない」


スレイ

「基準が重い!!」


村の中へ入る。


木造の家々。

銀白に覆われた屋根。

道の両脇には、布や糸を扱う店が並んでいる。


ヴォイド

「……ここなら、何とかなる。

 腕のいい服職人がいる」


白羽

「……あっ!」


白羽が前方を指さす。


白羽

「服屋さんです!!

 布、いっぱいあります!!」


スレイ

「神!!

 今この村、神!!」


看板には、

柔らかな布を模した意匠と文字。


《絹環屋》


次の瞬間。


スレイ

「すみませぇぇぇぇぇん!!

 凍結寸前です!!

 服ください!!

 今すぐ!!」


――ざざっ!!


助走。


そして――


スレイ

「うおおおおお!!」


ヘッドスライディング。


がらっ、と引き戸が開いた瞬間、

勢いそのまま床へ突入。


――ずざぁぁぁっ!!


店内にスレイがうつ伏せで停止する。


一拍遅れて。


白羽

「ス、スレイさん!?」


白羽、止まれない。


――つるっ。


白羽

「きゃっ!?

 あっ、だめ、だめです止ま――」


そのまま前のめり。


――どさっ。


スレイの背中に着地。


スレイ

「ぐぇっ!!」


スレイ

「ちょっ、白羽ちゃん!?

 まさかの上!! 上に来た!!」


白羽

「ご、ごめんなさ――

 あっ、下、柔らか――」


スレイ

「感想いらない!!」


言い終わる前に。


「……まったく、もう」


冷静に入ろうとして、

床の白い堆積物に足を取られる。


「……あっ」


――ずるっ。


体勢を崩し、

そのまま――


白羽の上に落下。


――どすっ。


白羽

「うぇっ!?

 な、なんか乗りました!!」


スレイ

「二人目ぇぇぇ!!

 内臓が抗議してる!!」


「……白羽!?

 ご、ごめん、これは不可抗力――」


白羽

「い、いえ……!

 でもちょっと……息が……!」


三段完成。


その光景を見ていた最後尾。


シオン

「……あ」


理解が遅れたまま、

止まるという選択肢を失う。


とてとて――


――ぽすっ。


一番上。


シオン

「つみき?」


スレイ

「四人目ぇぇぇ!!

 これはもう事故じゃない!!

 建築よ!!」


白羽

「し、シオンちゃん……

 そこ、胸の上……!」


「……全体重が下に来てるわね」


シオン

「あったかい」


完全完成。


床に、

きれいに積み重なった四人。


下から順に、

呻き声が漏れる。


スレイ

「……ぐぅ……

 誰か……一人ずつ……」


白羽

「す、スレイさん……

 呼吸、できますか……?」


スレイ

「ギリ……

 社会的にはもう死んでる……」


「……冷静に考えて、

 この状態、外から見たら地獄ね」


シオン

「ぬくぬく」


その一連を、

戸の外から最初から最後まで

静かに見届けていた影。


一拍。


ヴォイドは、

普通に引き戸を開ける。


がらり。


ヴォイド

「……」


積み上がった人間の山を一瞥。


一切、表情を変えず。


ヴォイド

「……入るぞ」


そして、

何事もなかったかのように

店内へ一歩。


スレイ

「ねえヴォイドさん……」


床から、かすれた声。


スレイ

「これ……

 どういう状況に見える?」


ヴォイド

「……雪崩だ」


こうして――

絹環屋、営業開始三秒前に壊滅。



◇ 絹環屋店内/昼


――どたどたどたっ!!


奥から、慌てた足音。


暖簾が――


ばさぁっ!!


女性店員

「な、なになになに……!?」


飛び出した瞬間、視界に入る。


床。

人。

積み木。


四段。


呻き声つき。


女性店員

「………………」


脳、停止。


一拍。

二拍。


スレイ

「……あの……すみません……」


最下段から、弱々しく。


スレイ

「入店と同時に、

 人が建築されました……」


女性店員

「……え?」


視線が、下から上へ。


露出。

裂けた服。

真っ赤な脚。

震えが止まらない。


女性店員

「……あ」


女性店員

「あ、だめだこれ……」


一拍も置かず。


女性店員

「寒いよね!? 寒いでしょ!?

 服の前に、まず暖炉!

 ほら、こっちこっち!」


即判断。


ヴォイド

「……回収する」


落ち着きすぎ。

まず一番上のシオン。


すぽっ。


ヴォイド

「――」


シオン

「つみき?」


ヴォイド

「解体だ」


女性店員

(え、軽……)


次。


雛。


肩を支えて――


ぬるん。


「……助かります、ヴォイド様」


女性店員

「……扱いが、すごく丁寧……」


(小声。ちょっと見惚れ)


次。


白羽。


腕を取って――


す、と。


白羽

「す、すみません……」


女性店員

(この寒さで……この扱い……!?)


最後。


スレイ。


引き起こす。


ぐいっ。


スレイ

「はぁ……」

 

スレイ

「人間、再起動……」


床、クリア。


静寂。


改めて全員。


露出。

裂け目。

赤い脚。

震度・大。


女性店員

「……はい、決まり」


女性店員

「服は後ね。

 まず暖炉。

 あったまってから、ゆっくり選ぼ?」


即断だけど、優しい締め。


スレイ

「神」


白羽

「女神さまです……」


「……助かったわね」


ヴォイド

「世話になる」


女性店員

「っ……!!」


一瞬で、顔が赤くなる。


女性店員

「い、いえ……!

 服屋なので……!

 こういう時は、動くのが仕事ですから!」


照れ隠し。


こうして――


絹環屋は、

開店直後に

暖炉優先・緊急避難対応へ突入した。



◇ 絹環屋店内・暖炉前/昼


ぱち、ぱち。


薪が弾ける音。


暖炉の前に、

毛布にくるまれた四人が並んでいた。


床に座る形で、

距離は近い。というか近すぎる。


白羽

「……はぁ……」


湯気の立つカップを両手で包み、

ようやく肩の力が抜ける。


白羽

「……あったかい……」


声が、とろとろに溶けていた。


スレイ

「生き返る……」


同じく毛布に包まれ、

椅子に深く沈み込む。


スレイ

「もう無理……

 このまま布製品として

 売り物になってもいい……」


「却下よ」


雛は背筋を保ったまま、

静かに茶を口にする。


「……香りがいいわね。

 これ、薬草?」


女性店員

「あ、はい。

 身体あったまるやつ」


少しだけ、声を落として。


女性店員

「苦くないようにしてあるから、

 ゆっくり飲んでね」


シオン

「……あったかい」


シオンはヴォイドの隣。

毛布ごと、ぴったり寄っている。


ヴォイド

「……飲め」


差し出されたカップを、

両手で受け取る。


シオン

「ん」


一口。


シオン

「……おいしい」


満足げ。


暖炉の熱で、

震えていた脚も、少しずつ落ち着いていく。


白羽

「……さっきまで、

 本当に……だめかと思いました……」


スレイ

「分かる。

 人生の走馬灯、

 “寒い”一色だった」


「まだ生きてるだけ、上出来よ」


その様子を、

少し離れたところから見ていた女性店員。


胸に手を当て、

ほっと息を吐く。


女性店員

「……よかった……」


全員が落ち着いたのを見てから、

少し照れたように微笑む。


女性店員

「あ、改めて……

 私、桜っていうの」


軽く会釈。


ヴォイドの手が、

カップの縁で、わずかに止まった。


すぐに、何事もなかったように戻る。


「ここで店員やってるよ。

 ……今日は、ほんとびっくりしたけど」


白羽

「は、はい……!

 本当に助かりました……」


スレイ

「命の恩人です」


「感謝するわ」


シオン

「ありがとう」


ヴォイド

「世話になった」


「……いえ」

 

「仕立て屋なので。

 こういう時にこそ、

 腕の見せ所ですから!」


桜は続けて。


「えっと、

 もう少しあったまったら……」


暖炉の向こうを指して。


「この里、自慢の絹があるから。

 服、ゆっくり選んでいってね」


スレイ

「……選び放題?」


「はい」


白羽

「……かわいいのも……?」


「いっぱいありますよ」


「……機能性も?」


「もちろん」


シオン

「……もふもふ?」


「それも、ちゃんと」


即答。


暖炉の前の空気が、

一気に明るくなる。


スレイ

「よし」


白羽

「生き延びましたね……」


「ここからが、本番ね」


ヴォイド

「……温まったら、行くか」


「はい」


少しだけ、胸を張って。


「絹環屋、全力でお迎えします」


暖炉の火が、

ぱち、と大きく弾けた。


――完全回復まで、あと少し。



◇ 絹環屋店内/暖炉前~店内/昼


暖炉の火が、ぱち、と鳴る。


四人の体温が戻ってきたのを確認してから、

ヴォイドが一歩前に出た。


ヴォイド

「……桜。

 服のことは、任せる」


「え?」


一瞬、きょとん。


ヴォイド

「俺は外を見てくる。

 村の状況と、街道の様子を確認したい」


「あ……は、はい……!」


少し遅れて、背筋が伸びる。


ヴォイド

「よろしく頼む」


そう言って、

外套を整え、静かに店の入口へ向かう。


がらり。


戸が閉まる音。


――一拍。


「…………」


数秒、固まったまま。


次の瞬間。


「……はっ!?」


胸に手を当てて、深呼吸。


「ま、任せてください……!」


小さく言ってから、

ぐっと拳を握る。


「絹環屋の名にかけて、

 全力で可愛くしますから!」


スレイ

「頼もしい」


白羽

「心強いです!」


「専門家ね」


シオン

「もふもふ?」


「任せて」


即答。


そして、

ふと我に返ったように。


「……あ、そうだ」


少し照れたように、

指先で頬を掻く。


「さっきの人……

 “ヴォイドさん”って言うの?」


白羽

「そうですよ」


「……かっこいいね」


一拍。


「なんか……

 ドキドキしちゃった」


素直すぎる感想。


四人

「わかる(わかります)」


即同意。


シオン

「ぱぱはね、

 世界一かっこいいの」


「うん。

 静かなのに、安心する感じ」


少しだけ、視線を外して。


桜は、にこっと笑って。


「――よしっ」


くるっと振り向き、

店内の布と服を指さす。


「じゃあ、みんな。

 可愛くなっちゃおうか?」


暖炉の火が、

ぱち、ともう一度弾けた。


――おしゃれが始まる。



◇ 白羽のおしゃれ


暖炉から少し離れた場所。

柔らかな絹と、厚手の布が並ぶ棚の前。


桜は、白羽の姿を静かに見ていた。


裂けて、ほつれて。

それでも大事に着続けてきたことが分かる、

淡い色のワンピース。


「……それ、ずっと着てたんだね」


白羽は、裾をきゅっとつまむ。


白羽

「……はい」


白羽

「これ……

 初めて、自分で買った服なんです」


スレイが、毛布の端を指でつまみながら、口を挟む。


スレイ

「ちなみにそれ買った時さ」


スレイ

「白羽ちゃん、目が完全に、

 初めて外に出た人のそれだったのよ」


白羽

「……っ」


白羽

「す、スレイさん!

 それは、言わない約束……!」


スレイ

「白羽ちゃん、服屋入った瞬間に、

 色と布の数にやられて固まってた」


白羽

「外で色々と怖い思いしたのに……」


白羽

「それでも、

 見たいものがいっぱいで……」


桜が白羽のワンピースの色味に

近い布に指を滑らせる。


「大事な服なんだね」


白羽

「……はい」


白羽

「ヴォイドさんに……

 “似合ってる”って、

 言ってもらえて……」


白羽

「それが……

 すごく、嬉しくて……」


雛は、小さく息を吐く。


「……それなら、

 あまり変えたくないわね」


シオンが頷く。


シオン

「主役」


桜が笑う。


「じゃあさ」


「“守る”方向でいこうよ」


白羽

「……守る、ですか?」


「うん」


桜は棚から、いくつかを素早く選び出す。


厚手のニットのアウター。

首元を包む、やわらかなマフラー。

脚を覆う、黒のストッキング。

耳まで温かい、小さな防寒具。


それらを、白羽の前に重ねて置く。


「ワンピースは主役のままで、

 その上にちゃんと“あったかい”を重ねる」


白羽の目が、少しずつ大きくなる。


「それならさ」


「“かわいい”も、

 “大事な思い出”も、

 ぜんぶ一緒に連れていけるでしょ?」


白羽

「……っ」


一瞬、言葉が出ない。


それから。


白羽

「……はい……!」


声が、少し弾んだ。


白羽

「……すごく……

 素敵だと思います……!」


桜は、その反応に満足そうにうなずいて、

そっと服を白羽の腕に乗せる。


「じゃあ、まずは着てみよっか」


「更衣室、あっち」


白羽は深呼吸して、抱え直す。


白羽

「はい!

 行ってきます!」


その背中は、

さっきより少しだけ、軽かった。


白羽が更衣室へ向かうのを見送ってから、

桜はふっと息を吐く。


「……よし」


そして、くるりと振り返る。


「次の人も、いこっか」


その先には、

それぞれの想いを抱えた三人が、待っていた。


――おしゃれ回は、まだ始まったばかり。



◇ スレイのおしゃれ


桜は、スレイの方を見て、少しだけ首をかしげた。


「……スレイちゃんは、

 どんな感じがいい?」


スレイ

「んー……」


顎に指を当てて考える。


いつもの勢いは、

ほんの少しだけ影を潜めていた。


スレイ

「かわいいのは、好き。

 それは、まあ……当然として」


一瞬、言葉を探すように視線を泳がせる。


スレイ

「……あったかいやつがいいな。

 心配、かけたくないし」


「なるほど」


シオン

「……みられたい?」


スレイ

「ち、違っ……!」


即答。

そして、一拍遅れて。


スレイ

「……いや、違わないけど!」


耳まで真っ赤になる。


スレイ

「だってさ!

 寒そうなの見たら、

 絶対あの人、何も言わずに上着かけるでしょ!」


「確かに」


シオン

「ぱぱのこと、分かってる」


スレイ

「そう、それ!!

 だから今回は、先手!!」


ぷいっと顔を背けながら続ける。


スレイ

「露出とかじゃなくてさ……

 ちゃんと包まれてて……

 それで……」


言葉が、少しだけ小さくなる。


スレイ

「……それでもさ、

 “かわいいな”って……

 思われるやつ」


一瞬の沈黙。


桜はきょとんとしたあと、

ふっと、やさしく笑った。


「それなら――

 “安心させたい可愛さ”だね」


棚から一式を取り出し、

スレイの前に並べる。


首元まで覆える、オーバーサイズのニット。

中は黒のインナーで、しっかり防寒。

落ち着いた色のスカートに、色味を変えたタイツ。

赤を外した、やわらかな色のマフラー。

そして、白のもこもこしたコート。


「全部あったかいよ。

 風も通さないし、首も隠れる」


一拍置いて、目を見て言う。


「でもね――

 ちゃんと、“スレイちゃんらしい”」


スレイ

「……」


言葉を失う。


それから、ふっと息を吐いて、

照れたように笑いながら服を抱きしめた。


スレイ

「……ずるくない?」


「計算し尽くしてるわね」


シオン

「……かわいい」


スレイ

「計算じゃないし!!」


そう言いながらも、

目は、きらきらしていた。


スレイ

「じゃ、着替えてくる!」


くるっと踵を返し、

更衣室へ向かう背中は――

いつもより少しだけ、落ち着いていて。


でも、その歩幅は、どこか弾んでいる。


桜はその様子を見送りながら、

小さく拳を握った。


「……うん」


「これは、絶対かわいい」


その後ろで、

雛とシオンも、

それぞれ自分の番を意識し始めていた。


――四人が揃うまで、もう少し。



◇ シオンのおしゃれ


更衣室の前。


白羽とスレイが奥へ消え、

店内には、少しだけ静けさが戻っていた。


棚の前で布を整えていた桜と、

その横で腕を組み、様子を見ている雛。


その二人の前に、

ちょこんと立つ小さな影。


シオンだった。


「……シオンちゃんは、

 どんなのがいい?」


シオンは、少し考えるように黙り込み、

それから、ゆっくりと顔を上げる。


シオン

「おとなの服がいい」


「おとな?」


シオン

「うん」


こくり、と小さく頷く。


シオン

「ぱぱと、けっこんするには、

 おとなじゃないと、だめ」


――その瞬間。


「…………」


一拍。


次の瞬間。


「け、けけけ、結婚!?」


勢いよく振り返る。


「え、ちょ、待って!?

 今、けっこんって言った!?

 ぱぱって……ぱぱ!?」


視線が、雛に飛ぶ。


「それって……

 ヴォイドさんのこと!?」


頭を抱える。


「え!?

 シオンちゃんが結婚!?

 いま!? 将来!?

 ……いや年齢的にまずくない!?」


「落ち着きなさい」


即座に制止。


だが――

雛の眉は、わずかに動いていた。


(……ヴォイド様と結婚。

 そう来たのね)


表情は変えないまま、

内側で、はっきりと思考が走る。


(結婚するのは本来、私。

 ……でも、今は違う)


シオンは、

二人の反応を不思議そうに見上げている。


シオン

「……だめ?」


「だ、だめじゃない!

 だめじゃないけど心臓に悪い!!」


「……続きを聞きましょう」


雛は、静かに視線をシオンへ戻す。


シオン

「おとなって、

 きれいで、やさしくて」


シオン

「ちゃんとしてる」


指を折りながら、ひとつずつ。


シオン

「だから、

 おとなのふく、きる」


小さな決意。


桜は、口を開きかけて――

それをやめた。


そして、ふっと息を吐く。


「……そっか」


「じゃあさ」


「“がんばって背伸びしてる大人”にしよっか」


棚から、一式を選び出す。


明るい生成り色の、あたたかそうなアウター。

前はしっかり閉じられていて、中は見えない。

白いニット帽が、柔らかく金色の髪を包む。

首元には、深い赤のマフラー。

いつもの花飾りは、胸元にそっと添えられていた。


「ほら。

 ちゃんとしてるし、あったかい」


シオン

「……」


じっと見つめてから、

ゆっくり顔を上げる。


シオン

「シオンもおとな……?」


「うん。

 “なろうとしてる大人”」


その言葉に、雛が小さく目を伏せる。


(……譲るわ、今だけは。

 この子の“背伸び”を、

 邪魔する理由はないもの)


「……無理してない?」


シオン

「ちょっとだけ、

 せのび」


「……そう」


(その“ちょっと”が、

 胸に来るのだけれど)


桜が服を差し出すと、

シオンはそれを受け取り、胸にぎゅっと抱く。


シオン

「ぱぱ、びっくりするかな」


「……するね。

 確実に」


二人の言葉に、

シオンは満足そうにうなずいた。


シオン

「じゃあ……きがえてくる」


小さな足音で、

更衣室へ向かう背中。


桜は、その背を見送りながら、ぽつり。


「……とんでもない爆弾投げてくれるよね」


「……ええ」


(今だけは――

 この子の夢を、

 “かわいい”って思ってあげましょう)


更衣室の向こうから、

ごそごそと小さな音。


――四人が揃う、その時まで。


絹環屋のおしゃれ回は、

まだ続く。



◇ 雛のおしゃれ


更衣室の前。


白羽とスレイは奥へ消え、

店内には、暖炉の音と布の匂いだけが残っていた。


棚の前で服を整えていた桜の背後に、

いつの間にか、雛が立っている。


腕を組み、背筋を伸ばし、

いつもの“雛”の姿勢。


「……雛ちゃんは?」


「……私も」


一拍。


「シオンと同じで……

 大人っぽいのを、お願いするわ」


その瞬間。


桜の手が、ぴたりと止まった。


ゆっくり振り返る。

雛を見る。


何も言わない。


――それだけで。


「……な、なによ」


「べ、別に変なことじゃないでしょう」


「……ふーん」


一歩、近づく。


声を落として。


「雛ちゃん?」


「ここ、今――

 だれもいないわ」


雛の肩が、びくっと跳ねる。


「……っ」


「無理しなくていいのよ」


「……無理なんて、してないわ」


即答。

けれど。


声が、ほんの少し上ずっていた。


「じゃあ、聞くけど」


「“大人っぽい”って言いながら、

 なんで顔、そんなに赤いの?」


「――っ!?」


一気に、耳まで赤くなる。


「ち、違……っ」


否定しようとして、

言葉が詰まる。


「……違、わなくは……」


唇を噛む。


「……っ」


「……だって」


声が、小さくなる。


「私が、かわいい格好をしたいなんて……

 言ったら……」


「言ったら?」


「笑う……でしょ?」


その瞬間。


桜は、ため息まじりに笑った。


「……あーあ」


「な、なによ」


「それ」


「自分に素直になれない

 少女そのもの」


「……っ!!」


完全に、図星。


「……うるさいわね、

 それくらい分かってるわよ」


「でも……でも……」


ぎゅっと、スカートの端を握る。


「……本当は」


「私だって女の子らしいの、

 着てみたいし……」


「甘えたい時だって、あるし……」


「……かわいいって、

 思われたいに、決まってるでしょう……!」


最後は、ほとんど叫び。


顔は真っ赤で、

目は潤んでいて、

完全に“雛”ではなく、“女の子”。


一瞬の沈黙。


桜は、ゆっくり微笑んだ。


「……はい、正解」


棚から、

ふわふわのコートを取り出す。


淡い色。

触れたくなる質感。


「今日はね」


「“強い雛ちゃん”じゃなくて」


「“かわいくなりたい雛ちゃん”の日」


「……っ」


服を見つめて、

一瞬、躊躇って。


それから。


「……かわいく、なりたい」


小さく、でもはっきり。


「……今日は」


「かわいくなりたい……!」


言い切った瞬間、

自分で言ってしまったことに気づいて、

さらに赤くなる。


「はい、よくできました」


にっこり。


「じゃあ――

 世界一かわいい雛ちゃんに、しよっか」


雛は、観念したように息を吐いて、

それから、そっと笑った。


「……責任、取りなさいよ」


「もちろん」


服を抱きしめて、

雛は更衣室へ向かう。


その背中は――

もう、強がっていなかった。


ただ、

“かわいくなりたい女の子”だった。


暖炉の火が、ぱち、と鳴る。


――これで、全員分。


あとは、

揃った瞬間を待つだけ。



◇ 絹環屋店内・暖炉前/夕方


暖炉の火が、ぱちぱちと静かに鳴っている。


暖炉の前。


四人は、自然とそこに集まっていた。


白羽は、マフラーの端を指先でつまみながら、

少しだけ姿勢を正している。


白羽

「……ほんとに、あったかいですね……」


「さっきまでのことを思うと、別世界ね」


スレイは、椅子の背にもたれながら、

脚を組んで満足そうに息を吐く。


スレイ

「これで寒いって言ったら、

 さすがに文句言われないでしょ」


白羽

「……言われません、絶対」


シオンは、

自分の袖を見たり、帽子を触ったり、

忙しなく動いている。


シオン

「ねえ、黒いお姉ちゃん?」


「なに?」


シオン

「シオン、おとな……っぽい?」


雛は一瞬だけ考えてから、

ゆっくりうなずいた。


「ええ。

 ちゃんと“なろうとしてる”」


シオン

「……えへへ」


その様子を、

少し離れたところから見ていた桜が、

満足そうに小さく息を吐く。


「うん」


「並ぶと、分かるね」


「誰も、無理してない」


その言葉に、

四人は顔を見合わせる。


スレイ

「……確かに」


白羽

「前より、楽です」


「気持ちも、ね」


その時。


――がちゃ。


入口の扉が開く音。


冷たい外気が、

一瞬だけ店内に流れ込む。


桜が、ぱっと振り返った。


「あ」


「ちょうどよかった」


外套を整えながら、

ヴォイドが店内に入ってくる。


ヴォイド

「……戻った」


桜は、

何も説明せずに、にこっと笑った。


「じゃあ」


「暖炉の部屋、来てください」


ヴォイド

「?」


理由は言わない。

でも、その声色は完全に“察しろ”だった。


ヴォイドは一拍置いてから、

素直に従く。


暖炉の前へ。


そこで――

ようやく、視界に入る。


すでにそこにいた、四人。


楽しそうに話していたのが、

ぴたりと止まる。


白羽は、はっとして背筋を伸ばし、

スレイは一瞬だけ視線を逸らし、

シオンはぱっと顔を輝かせ、

雛は、何も言わずに微笑んだ。


桜は一歩下がって、

小さく肩をすくめる。


「……以上です」


「絹環屋、冬支度完了」


暖炉の火が、

ぱち、と大きく弾けた。



暖炉の前。

四人が、並ぶ。


ヴォイドは言葉を発さず、

視線だけで確かめた。


白羽。

“いつもの服”を、守るように重ねた装い。

縮こまっていない。


スレイ。

包まれているのに、らしさが消えていない。

強がりじゃなく、前向きな防寒。


シオン。

少し大きな服。

背伸びが、真面目に可愛い。


雛。

構えがない。

ただ、今の自分を置いている。


薪が、ぱち、と鳴った。


沈黙の中で、

四人の胸が、それぞれ違う速さで高鳴る。


そして。


ヴォイドは、短く息を吐いて――

言葉を落とす。


ヴォイド

「……全員、似合ってる」


一瞬。


白羽の肩が緩む。

スレイが顔を背ける。

シオンの目が輝く。

雛は、静かに笑った。


そのまま。


間を置かず、

視線を外さずに、もう一言。


ヴォイド

「……きれいだ」


――空気が、止まる。


白羽

「……え」


スレイ

「……は?」


シオン

「……ぱぱ?」


「……ヴォイド様?」


次の瞬間。


スレイ

「ちょっと待って」


スレイ

「ヴォイドさん、今なんて言った?」


白羽

「……あ、あの……」


白羽

「聞こえなかったので……

 もう一回、言ってもらっても……?」


シオン

「もういっかい!」


桜は、完全に固まっている。


ヴォイド

「……」


ほんのわずか、視線を逸らす。


ヴォイド

「……断る」


スレイ

「出た!!

 出た、今の!!」


スレイ

「一回しか言わない系のやつ!!

 今のは一生保存だから!!」


白羽は胸元を押さえたまま、

何も言えずに小さくうなずく。


シオンは、意味は分からないまま、

でも誇らしげに胸を張る。


雛は、一拍遅れて――

そっと目を伏せ、微笑んだ。


桜が、少し離れたところで息を呑む。


「……みんな、幸せそうで良かった」


暖炉の火が、

ぱち、と強く弾けた。


――それ以上、

何も言う必要はなかった。



暖炉の火が、静かに揺れている。


四人の余韻がまだ空気に残る中、

ヴォイドは一歩、桜の前に出た。


大きな動作はない。

ただ、外套の内側から包みを取り出す。


ずしり、と重みのある紙包み。


ヴォイド

「今回は、世話になった」


包みを受け取って、首をかしげる。


「これ……?」


桜が包みを開いた瞬間、

ぴたり、と動きが止まった。


中に詰まっていたのは、

淡い桜色の饅頭が、ぎっしり。


「……ええええっ!?」


声が裏返る。


「さ、さくらまんじゅう!?

 なんで!? しかもこんな量!!」


スレイ

「なにそれ、うまそう!」


「こ、これ……

 この里で一番人気のお菓子で……

 買うの、二時間並ぶんですよ……?」


ヴォイド

「……昔」


視線を、少しだけ遠くにやる。


ヴォイド

「灰鳴旅団にいた頃、

 蘇芳がよく……

 土産として、これを持ってきていた」


その名を聞いた瞬間、

桜の目が大きく見開かれる。


「…………え」


しばらく、言葉が出ない。


「……どうして……」


小さく、喉が鳴る。


「どうして……

 父の名前を……?」


ヴォイド

「古き友人だ」


短く。

それ以上、何も足さない。


「…………」


視線が、ゆっくり揺れる。


「……もしかして……」


ぽつり、と。


「父が……

 よく話してた人……」


一拍。


「“隊長”って……

 呼んでた……」


恐る恐る、顔を上げる。


「……名前は……

 教えてくれなかったけど……」


ヴォイドは、

否定も肯定もしない。


ただ、静かに続ける。


ヴォイド

「……あいつは、よく言っていた」


一拍。


ヴォイド

「“俺の娘は俺を超える

 仕立て屋になる”と」


桜の息が、

ほんの一瞬、止まる。


ヴォイド

「口癖のようにな」


それだけ。


桜の中で何かが――

確かに、胸に落ちる。


「……そ、そうですか……」


視線が、ゆっくり落ちる。


「……すみません……

 もう、父は……」


その言葉が、

空気に沈みきる前に。


ヴォイド

「桜」


名を呼ぶだけ。


桜が、はっと顔を上げる。


ヴォイド

「……蘇芳が言ったとおりだ」


一拍。


ヴォイド

「その腕は、

 目を見張るものがある」


ヴォイド

「誇るといい」


それで、話を閉じる。


「……っ」


一瞬、唇を噛んでから――

深く、頭を下げる。


「い、いえ……!

 こちらこそ……!

 本当に、ありがとうございます……!」


包みを、

胸に抱きしめる。


まるで、

何か大事なものを

確かめるみたいに。


「……でも、こんなに……

 一人じゃ食べきれないですし……」


そこで、ふっと顔を上げる。


「……あの」


少しだけ、照れた笑顔で。


「もう、店じまいですし」


「よかったら……

 みなさんで、一緒に食べませんか?」


一瞬の静寂。


次の瞬間。


スレイ

「やった!」


白羽

「い、いいんですか……?」


シオン

「たべる!」


「……異論はないわね」


桜は、ほっとしたように笑う。


「じゃあ決まりです」


「暖炉の部屋で、

 ちょっとしたパーティー、しましょ」


暖炉の火が、ぱちっと大きく弾けた。


ヴォイドは、

その様子を一歩引いたところから見て――

小さく、息を吐く。


ヴォイド

「……良かった」


それだけ。


でもその一言で、

この夜が、特別なものになることは――

誰の目にも、はっきりしていた。



◇ 絹環屋・暖炉の部屋/夜


暖炉の前に、低い卓。

その上に並ぶ、皿、湯気、包み紙。


――さくらまんじゅう、山。


スレイ

「こんなにたくさんの

 さくらまんじゅうが目の前に……」(じゅるり)


その横では、もう。


スレイ

「はいはいはい!!

 これ私の!!」


白羽

「えっ、あ、あの……!

 まだ数えてなくて……!」


スレイ

「数える前に取るのが勝者です~!」


「……行儀が悪いわよ」


そう言いながら、

雛も自然に一つ確保している。


シオン

「これ、あったかい!」


まんじゅうを両手で持ち、

ほっぺを落としそうになっている。


スレイ

「ほら見て!

 シオン、口の端!」


シオン

「……!?

 とれてない!」


白羽

「あ、拭きます……!

 じっとして……!」


シオン

「うごいてない!」


動いている。


「……まったく」


そう言いながら、

雛はそっとお茶を注ぎ足す。


桜は、その光景を見て――

思わず、ふっと笑った。


(……なんだか、

 本当に家族みたい)


ふと――

違和感。


視線を巡らす。


「……あれ?」


さっきまで、

部屋の端に立っていたはずの人影がない。


ヴォイドが、いない。


(……いつの間に?)


誰も気づいていない。

騒ぎは続いたまま。


桜は、そっとマグを置くと、

音を立てないように立ち上がった。



◇ 絹環屋・暖炉の部屋/夜(後半・改稿)


暖炉の前は、まだ騒がしい。


さくらまんじゅうは次々と減り、

笑い声と湯気が、部屋を満たしていた。


スレイ

「はいはいはい!!

 次は争奪戦ね!!」


白羽

「ちょ、ちょっと待ってください……!」


シオン

「ぱぱ! これもたべる!」


「……本当に、元気ね」


桜は、その光景を少し離れたところから見ていた。

口元に、自然と笑みが浮かぶ。


ふと――

違和感。


視線を巡らす。


「……あれ?」


さっきまで、

部屋の端に立っていたはずの人影がない。


ヴォイドが、いない。


(……いつの間に?)


誰も気づいていない。

騒ぎは続いたまま。


桜は、そっとマグを置くと、

音を立てないように立ち上がった。



◇ 絹環の里・墓地/夜


冷たい粒は、

昼よりも静かに降っていた。


里外れの、小さな墓地。

白く覆われた石が並ぶ中、

ひとつだけ――

人がよく訪れる形の墓石がある。


ヴォイドは、

その前に腰を下ろしていた。


外套の内側から、酒の瓶を取り出す。

栓を抜き、

墓前にゆっくりと注ぐ。


白に吸われ、

酒の香りだけが、かすかに残る。


瓶を置く音が、

積もった冷気の中で小さく鳴った。


ヴォイドは、

それきり動かない。


背筋はまっすぐ。

だが、肩から先だけが、

少しだけ重く見えた。


――ざっ。


踏み固められた白を踏む音。


――ざっ、ざっ。


次第に近づく足音。

隠そうとして、

隠しきれない気配。


ヴォイドは振り向かない。

視線も動かさない。


それでも、

来たことは分かっているように――

低い声だけを落とした。


ヴォイド

「……蘇芳」


墓に向けた名。

そして、背後の気配へ向けた問い。


ヴォイド

「あいつは、

 安らかに……逝けたか?」


返事は、前からではなく、

後ろから来た。


「……はい」


短く。

けれど、嘘のない声。


桜は、ヴォイドの少し後ろで止まった。

近づきすぎない距離。

踏み込めば触れてしまう場所で、

一歩だけ手前。


冷たい粒が落ちる音だけが、

二人の間を埋める。


「父は……

 幸せだったと思います」


言い終えて、

息をひとつ吐いた。


「最後まで、

 皆のために服を仕立て続けました」


「暑いときも……

 寒いときも……」


言葉が、少しだけ震える。


「……誰かが困ってたら、

 縫わずにいられない人でした」


一拍。


「それが、

 父の生き方でしたから」


沈黙。


ヴォイドは、まだ振り向かない。


――ふと、昔の声がよぎる。


 ――隊長!

  これ、食べてくださいよ。

  俺の娘が名付けた菓子でして!


 ――俺、服を仕立てるのが好きなんです。

  着た人がちょっとでも笑ってくれたら、

  それで報われるっていうか。


 ――だから、あいつには好きに縫わせてるんですよ。

  桜は、きっと俺を超える仕立て屋になります。


 ――その頃までには、世界も少しは

  静かになってるといいんですけどね。

  ……だから、隊長。今日も生きて帰りましょうね!


墓を見たまま、

ヴォイドは、ほんのわずかに顎を引いた。


ヴォイド

「……そうか」


一言だけ。


静けさに紛れてしまいそうなほど小さいのに、

確かに重い。


一拍。


ヴォイド

「それなら、良かった」


それだけで、

何かが終わったように聞こえた。


桜は、唇を結ぶ。


父がよく話していた。

名は言わないのに、

不思議と誇らしげに、

時々だけ声を柔らかくして――


「隊長」という言葉だけを残す人。


目の前にいるのは、

その“隊長”で。


でも今は、

墓の前で酒を注ぎ、

ただ座っている背中だった。


桜は、そっと膝をつく。

冷えきった地に、静かに座る。


並ぶわけじゃない。

同じ方向を見るだけ。


「……私達の村に、

 来てくださって、

 ありがとうございます」


ヴォイドは答えない。


代わりに、

冷えた空気の中で、

少しだけ息を吐いた。


それが、

返事の代わりだった。


白い夜は、

誰にも急がせない速度で、

静かに降り続けていた。



◇ 《エピローグ》絹環の里・村外れ/朝


白は、まだ降っていた。


昨日と同じように、

静かに、しんしんと。


空も地面も白く染めたまま、

やむ気配はない。


けれど――


白羽は、コートの前をぎゅっと閉じる。


白羽

「……あったかいですね」


スレイは肩をすくめて笑った。


スレイ

「昨日の地獄が嘘みたい」


シオンは、もこもこの袖を振ってご満悦。


シオン

「さむくない!」


雛はその様子を一歩引いたところから見て、

小さく息を吐く。


「……服一つで、

 世界の感じ方って変わるものね」


村の出口。


振り返って手を振ろうとした、そのとき。


「――待って!」


声が、白い空気を切る。


振り向くと、

息を切らした桜が立っていた。


手には、

布に包まれた、大きな包み。


「……ちゃんと、

 言ってなかったから」


一度、深呼吸して。


「昨日は……

 ありがとうございました」


「服を着てもらえて、

 笑ってもらえて……」


少し照れたように、笑う。


「仕立て屋冥利に尽きます」


白羽が、ぺこりと頭を下げる。


白羽

「この服、大事にします!」


スレイは手を振る。


スレイ

「また来るよ!

 次は壊さずに!」


「世話になったわ」


シオン

「さくら、ばいばい!」


桜は、いったん笑った。


いつもの、

人を安心させる笑顔。


それから――

その笑顔を、そっと畳んで。


包みを、ヴォイドへ差し出した。


「……それと」


一拍。


「これは、

 ヴォイドさんに」


指先が、

わずかに布を握りしめる。


「父が隊長のためにって、

 仕立てようとしていた服なんです」


包みを解く。


現れたのは、

見慣れた外套によく似た形。


だが――

布の質も、重さも、違う。


冷えも、熱も、

同じように遮断する多層構造。

環境ではなく、

着る者の体温だけを基準に保つ。


無駄のない縫製。

派手さはなく、

可動域と耐久だけを突き詰めた仕立て。


腕を振っても引っかからず、

踏み込みを邪魔しない――

癖を知っている作りだった。


襟元の内側には、

小さく、控えめに――

桜の刺繍。


「途中までしか完成してなかったので、

 私が最後まで仕上げました」


ヴォイドはしばらく、

その外套を眺める。


縫い目。

重量配分。

布の張り。


――着る前から、

動きが想像できる。


やがて――

静かに、受け取る。


羽織る。

留める。


一歩、踏み出す。


軽く肩を回す。


布は、

遅れも、抵抗もなく、

動きに沿った。


ヴォイド

「……悪くない」


短い声。


ヴォイド

「冷えないし、

 熱も籠らない」


一拍。


ヴォイド

「俺の癖を、

 よく分かってる」


「……はい」


小さく、笑う。


その笑い方が――

一瞬だけ、

記憶の中の男と重なった。


ヴォイド

「前の外套より、

 一段、上だ」


それは、

仕立て屋に向けた、

まっすぐな評価だった。


「……!」


思わず、

息を呑む。


ヴォイド

「感謝する」


視線を向ける。


ヴォイド

「確かに、

 受け取った」


「……はい!」


胸の奥がほどけて、

顔が、ぱっと明るくなる。


「きっと……

 父も、そう言われたら

 満足だったと思います」


ヴォイド

「……ああ」


それ以上は、

言わない。


少し離れたところで――


白羽

「ヴォイドさん……

 似合ってます!」


スレイ

「うん、前より動きやすそうじゃん」


シオン

「ぱぱ、

 あったかそう」


「……よい外套ですね。

 長く使えるかと」


桜は、

その声を聞いて、

小さく息を整える。


「では……」


一歩、下がって。


「いってらっしゃい」


少しだけ、

迷ってから。


「……隊長」


ヴォイドの肩が、

ほんのわずかに動く。


「あなた達の旅路に――

 どうか、幸がありますように」


白羽

「……はい!」


スレイ

「またね!」


シオン

「ばいばい!」


「行こう」


手を振る。


振り返らずに、

進む背中。


冷たい粒は、

まだ、静かに降っている。


けれど――


この旅は、

もう、凍えない。



――幕。


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