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第23章 白に戻る世界

◇ 野営地・キャンプ内/早朝


朝。


テントの布越しに、淡い光が差し込んでいる。

外は静かで、焚き火の気配もまだない。


――最初に目を開けたのは、白羽だった。


白羽

「……朝、ですね」


小さく息を吐き、体を起こす。


隣ではスレイが、

毛布を蹴り飛ばして半分はみ出している。


スレイ

「……ん゛……さむ……

 ここ、極地?」


白羽

「極地ではありません」


白羽

「スレイさん、ちゃんと中に入りましょう」


毛布を引き寄せようとして――

その手が、ふと止まる。


テントの端。


小さく丸まって、すやすや眠っている影。


雛だった。


胸の上下は穏やかで、

完全に“警戒ゼロ”。


シオンも、いつの間にか起きていたらしい。

毛布を肩にかけたまま、雛をじっと見ている。


シオン

「黒いの……

 まだ、ねてる」


白羽

「珍しいですね」


白羽

「雛が、ここまで熟睡するなんて……」


スレイ

「昨日、無相と殴り合ってたしね」


一拍。


スレイ

「そりゃ電池切れもするわ」


白羽は雛を見て、少しだけ表情を緩めた。


白羽

「……本当に、よく頑張りましたから」


スレイ

「うんうん」


スレイ

「今くらいは、姫扱いでいいわ」


シオン

「ゆっくり、して」


三人とも、自然と声を落とす。


その瞬間。


雛が、ふにゃっと寝返りをうった。


雛(寝言)

「……ヴォイド様……」


三人

「…………」


空気が、ぴしっと固まる。


スレイ

「……今、何て?」


白羽

「……聞き間違い、ではないですね」


シオン

「……パパ」


雛は目を閉じたまま、

頬をほんのり赤くして続ける。


雛(寝言)

「……そこは……だめ……」


スレイ

「え?」


白羽

「え?」


シオン

「え?」


雛は目を閉じたまま、

頬をほんのり赤くして続けた。


雛(寝言)

「……わたし……」


雛(寝言)

「かわいくなんて……ないです……」


三人

「……」


テント内の空気が、

数秒だけ凍る。


スレイが、ゆっくり白羽の方を向いた。


スレイ(小声)

「……ねえ、聞いた?」


白羽(小声)

「はい。

 はっきりと、心に刻まれました」


スレイ(小声)

「夢の中で何してんの、この子……」


シオンは雛の寝顔をじーっと見て、ぽつり。


シオン

「むに族、ねてる」


白羽

「シオンちゃん、

 そこは冷静でいられるんですね……」


雛はさらに追撃する。


雛(寝言)

「……だめです……

 心の準備が……」


スレイ

「いや、だめなのはこっちの情緒!!」


白羽は口元に手を当て、真剣な顔で言った。


白羽

「……これは……」


一拍。


白羽

「教育的指導が必要ですね」


スレイ

「賛成~」


即答。間ゼロ。


スレイ

「ヴォイドさんは、

 あんたのだけじゃないし」


シオン

「パパは、シオンの」


白羽

「……よし」


三人、同時に頷く。


完全に悪い顔。


――雛は、何も知らずに眠っている。


白羽が、そっと近づく。


慈愛と邪念が半々の動きで、

指先を頬へ。


ぷに。


雛(寝言)

「……ん……」


スレイ

「反応確認」


白羽

「では、追加で」


両手。


むに。


雛の頬が、ぺたーっと横に伸びる。

戻ろうとして、戻れない。


雛(寝言)

「……や……」


スレイ

「や、じゃない」


スレイも参戦。


むにむにむに。


白羽

「スレイさん、力が強いです」


スレイ

「正義は強めに行く派なの」


シオンも無言で近づく。

指一本。


つん。


雛の頬が、ぷにっと沈む。


シオン

「パパはあげないし」


スレイ

「その独占宣言、

 将来が心配なんだけど」


白羽

「でも……」


白羽

「正直、気持ちは分かります」


スレイ

「分かるな!!」


三方向からの、完全包囲ムニムニ。


むに。


むにむに。


むにむにむに。


雛(寝言)

「……ふ……にゃ……」


スレイ

「出た」


白羽

「これは……反則級ですね……」


スレイ

「だめ!

 罰だから!

 可愛いって思ったら負けだから!」


白羽

「……負けました」


即落ち。


そのとき。


雛のまつげが、ぴくっと動く。


白羽

「あ、起きます」


スレイ

「撤収!!」


シオン

「むに、もういっかい」


スレイ

「もう無理だって!!」


白羽

「最後に一回だけ……」


スレイ

「白羽ちゃんまで!?」


そして――


雛が、ゆっくり目を開けた。


「……ん……?」


三人は、何もしてません顔で正座。

不自然なくらい、完璧な姿勢。


白羽

「おはようございます、雛」


スレイ

「おはよ~(過剰に爽やか)」


シオン

「おはよ」


雛は、少しだけぼんやりしたまま、

頬に手を当てて首を傾げる。


「……なんか……

 ほっぺ、変……」


三人

「「「気のせい」」」


一切の迷いもない、完全なユニゾン。


「……?」


首を傾げたまま、毛布を胸元まで引き寄せる。

もう一度、頬をそっと触る。


――まだ、ほんのり温かい。


「……夢……だったのかな……」


小さく、息を吐く。


目を閉じる。


――一瞬だけ、夢の続きをなぞる。


(……ヴォイド様……)


思い出すだけで、胸の奥がきゅっとする。


(……あんなに近くて……

 ちゃんと、見てくれて……)


口元が、ゆるむ。


無意識に。


(……私、

 かわいくなんてないって言ったのに……)


夢の中の温度が、まだ残っているみたいで。


雛は、ぎゅっと毛布を握りしめた。


……そして。


にへ。


ほんの一瞬、

どう見ても「幸せです」って顔。


三人

「…………」


スレイが、ゆっくり白羽を見る。


スレイ(小声)

「……今の顔、見た?」


白羽(小声)

「……見ました」


シオン

「……にへ」


雛は、その視線に気づかないまま、

ふぅ、と満足そうに息を吐いた。


「……いい夢だった……」


完全に独り言。


テントの入口の方で、

スレイが声を潜めた。


スレイ

「白羽ちゃん、今の寝言さ――」


白羽

「しっ……!!」


「……?」


首を傾げる。


だが、

もう一度だけ、頬に触れて――


小さく、にこっと笑った。


朝は、まだ平和だった。


――少なくとも、雛の中では。



◇ 野営地/朝


焚き火が、ぱちぱちと音を立てている。


朝の火は弱く、穏やかで、

夜の名残を少しだけ残していた。


鍋からは、簡単な朝食の匂い。

焼いた干し肉と、温め直したスープ。


――いつもの野営。


なのに、今日は少しだけ違う。


スレイは、地面にあぐらをかき、

皿を両手で持って、

ばくばく食べていた。


スレイ

「うまっ」


一口。


スレイ

「いや、今日のこれ、

 なんかいつもよりうまくない?」


さらに一口。


白羽

「それは、

 スレイさんが空腹なだけでは……」


スレイ

「違う!

 これは幸福補正が入ってる味!」


雛は、その様子を横目で見て、ため息。


「……あんた、そのうち

 ぶくぶくに太るわよ」


スレイ

「大丈夫大丈夫」


間髪入れず。


スレイ

「私、太っても可愛いから」


白羽

「……すごい自信ですね」


スレイ

「事実だし?」


「はいはい」


呆れたように言いながら、

雛はスープを一口飲む。


「……でも、その食べ方は

 女として終わり」


スレイ

「えー?

 生きてる感じしてよくない?」


白羽

「“生きている”と

 “食べ散らかす”は別物です」


スレイ

「厳しっ」


その少し離れた場所。


シオンは、ヴォイドの膝の上。

小さな身体が、当たり前みたいに収まっている。


ヴォイドは片手で器を持ち、

もう片方で、匙にスープをすくう。


ゆっくり。

一度、止めて。


ヴォイド

「……熱いぞ」


シオン

「ふー……」


二人で、ふー。


それから。


ヴォイド

「……口、開けろ」


シオン

「あー」


あーん。


シオン

「おいしっ」


ヴォイド

「そうか」


それだけ。


言葉は少ない。

動きも静か。


でも、そこに迷いはなくて、

「いつも通り」だと分かる。


スレイは、その光景を横目で見て――

箸を止めた。


一拍。


スレイ

「……さ」


白羽

「はい?」


スレイ

「あれ、ずるくない?」


白羽は返事をせず、

ただ同じ方向を見る。


雛も、自然と視線を向けていた。


三人の視線が、

焚き火越しに、同じ一点に集まる。


――膝の上。

――匙。

――あーん。


少しの沈黙。


スレイ

「……いいな」


小さく。


「……」


否定しない。


白羽

「……ですね」


雛は、スープを一口飲んでから言った。


「……あれ、

 “選ばれた席”でしょ」


スレイ

「完全に」


白羽

「専用席ですね」


シオンは、そんな視線に気づかず、

器を見上げる。


シオン

「……もう、ない?」


ヴォイド

「まだある」


再び、匙が動く。


スレイは、それを見て肩を落とした。


スレイ

「……一回でいいからさ」


「?」


スレイ

「膝、借りてみたい」


白羽

「スレイさんは、

 体重制限に引っかかりそうです」


スレイ

「失礼すぎる!」


「……そもそも、

 あんたが座ったら雰囲気壊れるでしょ」


スレイ

「ひどっ!」


白羽は、くすっと笑う。


白羽

「でも……

 少し、うらやましいですね」


雛は、即座に頷いた。


「ええ。

 普通に、うらやましいわ」


雛は、少しだけ声を落とす。


「ああやって誰かを

 大事にしてるのを見ると……」


言葉を探すこともなく、

そのまま続ける。


「やっぱり、好きになるわ」


スレイ

「ちょっと!

 聞いててこっちが照れるんだけど!?」


「照れる意味が分からない」


視線は、まだヴォイドとシオンの方。


「……ああいう人だもの」


白羽

「……ですね」


三人の視線が、

また自然と同じ場所に集まる。


特等席は、

今日もひとつだけだった。



◇ 野営地/朝・朝食のあと


器が片付けられ、

焚き火は小さくなっていた。


まだ消すほどでもない火を囲んで、

空気だけが、少しだけ「次」に向く。


最初に口を開いたのは――ヴォイドだった。


ヴォイド

「……整理する」


短い。

それだけで、全員の背筋が自然に整う。


ヴォイド

「第二災《無相》――」


ヴォイド

「奴の脅威は去った」


ヴォイド

「これについて、

 間違いはないか?」


雛が、小さく頷く。


「無相――

 いえ、遺乃にも守るべきものがあった……」


「私は彼女の村で、

 それを直に目にしました」


「もう、大丈夫だと思います」


白羽

「……つまり」


白羽

「現時点での脅威は、

 消失したと見ていいですね」


ヴォイド

「ああ」


言い切る。

その一言で、道が一本、確定する。


スレイが息を吐いた。


スレイ

「は~~……」


スレイ

「やっと肩の荷が一個おりた……」


「私が働いたからね」


スレイ

「はいはい偉い偉い」


「雑すぎ」


白羽が、雛に向けて静かに頭を下げる。


白羽

「……本当に助かりました、雛」


雛は一瞬だけ目を細めて――


「当然よ」


また即答。


スレイ

「そこは“どういたしまして”とか言ってよ!」


「言わない」


「だってヴォイド様の役に立てたもの」


言ったあと、気づいたみたいに、

ほんの少しだけ頬が熱くなる。


でも逸らさない。

むしろ堂々と、ヴォイドを見る。


ヴォイドは、何も言わない。

ただ――小さく頷いた。


それだけで、雛の表情が「満足」になる。


シオンが、その空気を見てぽつり。


シオン

「よかった」


焚き火の火が、ぱち、と鳴る。


少し間を置いて、

白羽が視線を上げた。


白羽

「……では」


その一言で、場の空気が静かに引き締まる。


白羽

「無相が沈静化した今、

 私達以外に残っている災厄は……」


一拍、置いて。


白羽

「第一災のみ、ですよね?」


視線が、自然とヴォイドへ集まる。


ヴォイドは焚き火を見たまま、短く答えた。


ヴォイド

「そうだ」


それだけ。


続けて、名を出す。


ヴォイド

「第一災《終凍しゅうとう》」


それ以上の説明はない。

名だけが、場に落ちる。


雛が、その沈黙を引き取るように口を開いた。


「終凍も、私や遺乃と同じ――

 原初災厄プロト・カタストロフよ」


白羽

「……やっぱり、

 そうなんですね」


スレイが、思わず声を上げる。


スレイ

「ってことはさ……」


スレイ

「終凍も、あんたと同じで

 三千年前から生きてるってこと?」


雛は、はっきりと頷いた。


「ええ」


雛は、焚き火を見つめたまま言った。


「終凍は、世界で最初に生まれた災厄よ」


一拍。


「成長したわけでも、

 進化したわけでもない」


白羽の眉が、わずかに動く。


白羽

「……完成、ということですか?」


雛は、ゆっくり頷いた。


「ええ」


「最初から、完成していた存在」


「私たちみたいに、

 世界の中で“形作られた”んじゃない」


言葉を選びながら、続ける。


「終凍は……

 “世界が動き出す前から在った”ものに近い」


白羽

「……」


雛は視線を上げない。


「遺乃――無相ですら、

 終凍の姿を見たことはない」


「接触した、戦った、

 そういう記録が存在しないの」


白羽

「能力も、ですか?」


「ええ」


「どこまで作用するのか、

 何に干渉するのか」


「……そのどれもが、

 “確認されたことがない”」


焚き火の音だけが、間を埋める。


「だから、記録に残るのは」


一拍。


「“存在した”という事実だけ」


「それ以外は、全部欠けている」


スレイ

「……なのに、最強?」


「そうね」


即答だった。


雛の声は淡々としているのに、

内容だけが、異様に重かった。


白羽は、無意識に拳を握りしめていた。


白羽

「……そんな存在が、

 まだ眠っているんですか?」


「眠っているかどうかすら、

 分からないわ」


「ただ――」


ほんの一瞬、視線がヴォイドに向く。


「今も、

 生き続けているのは確か」


ヴォイドは、何も言わない。

否定も、補足もない。


焚き火が、ぱち、と音を立てる。


白羽

「……なるほど。

 つまり――」


白羽

「これから向き合うのは、

 “正体不明の最初の災厄”ですね」


ヴォイド

「そうだ」


短く、断定。


ヴォイド

「だから――」


一拍。


ヴォイド

「覚悟だけは、しておけ」


それ以上は語られなかった。


だが、その沈黙こそが、

終凍という存在の異常さと重さを、

何より雄弁に示していた。



焚き火の音だけが、しばらく続いていた。


誰も口を開かない。

重い、というより――居心地が悪い沈黙。


その空気に、

最初に耐えきれなくなったのはスレイだった。


スレイは、がばっと立ち上がる。


スレイ

「……もう!!」


焚き火のそばで伸びをして、

思いきり腕を振る。


スレイ

「この空気、無理!!

 静かすぎて、身体が腐っちゃうんだけど!」


白羽

「ス、スレイさん……?」


雛も、わずかに目を見開く。


「ちょっと、今は……」


スレイは振り返らない。

そのまま、ヴォイドのほうを見る。


スレイ

「ねえ、ヴォイドさん」


一拍。


スレイ

「結局さ、私らが終凍に勝てばいいんでしょ?」


場の空気が、ぴしっと張りつめる。


スレイ

「ならさ」


にっと笑って、言い切る。


スレイ

「鍛えてよ」


一瞬の静止。


白羽

「え?」


「は?」


シオン

「ん?」


三人同時。


白羽

「ちょ、ちょっと待ってください!

 相手は第一災ですよ!?」


「無茶にもほどが――」


スレイ

「無理なのは分かってるよ?」


肩をすくめる。


スレイ

「でも、何もしないで座ってるほうが、

 よっぽど無理」


スレイは、言い終わると同時に――

にやっと、悪い笑みを浮かべた。


次の瞬間。


地面を蹴る。


スレイ

「じゃ、さっそく!」


拳を握りしめ、

スカートを気にも留めず、

一直線に殴りかかった。


白羽

「えっ――!?」


「な、なにやって――!」


だが。


ヴォイドは、ほんの半歩、体を引くだけ。


ひらり。


拳は空を切り、

勢いを殺せないまま――


スレイ

「うわっ!?」


前のめり。


どんっ。


顔面から、地面に突撃。


乾いた音と同時に、

砂煙が大きく舞い上がる。


スレイ

「……っっ!!」


白羽

「スレイさん!?」


「ちょっと、大丈夫――!」


返事はない。

砂煙だけが、視界を塞ぐ。


ヴォイドは振り返りもせず、

淡々と告げた。


ヴォイド

「構えが甘い」


その瞬間。


――砂煙の中から。


ばっ。


スレイが、飛び出してくる。


スカートの裾はめくれ、

服は土だらけ。

膝も肘も擦り切れている。


それでも。


スレイ

「まだ……!」


踏み込む。


低く、身体を投げ出すような突進。


ヴォイドが、わずかに体をずらす。


拳が、ヴォイドの視界をかすめた。


次の瞬間――


スレイ

「っ……!」


そのまま体勢を崩し、地面を転がる。


どさっ。


地面を転がり、

止まった先で――


スレイは、また立ち上がった。


息は荒い。

前髪は乱れ、

服は完全にボロボロ。


それでも、笑っている。


スレイ

「……はは」


額についた砂を、乱暴に拭う。


スレイ

「思い出すね」


一歩、踏み出す。


スレイ

「昔、付き合ってもらった

 あの、地獄みたいな特訓の日々」


もう一度、構える。


今度は、最初より低く。

無駄な力を削ぎ落とした姿勢。


スレイ

「私――」


ぐっと、拳を握り直す。


スレイ

「諦めないから」


その姿を見て。


ヴォイドの口元が、

ほんのわずかに動いた。


ヴォイド

「……いいだろう」


一拍。


ヴォイド

「かかってこい」


その言葉に――

雛が、息を呑んだ。


「……!」


一瞬だけ、迷いが走る。

だが、すぐにそれを振り切って、一歩踏み出す。


「ヴォイド様――」


深く、丁寧に一礼。


「失礼します!」


白羽

「ひ、雛!?」


雛は振り返らない。

地面を蹴り、一直線に距離を詰める。


踏み込み。

軸足を返し、身体をひねる。


次の瞬間――

鋭い蹴りが、風を裂いた。


ドレスの裾が、大きく翻り、

その優雅さが、かえって無防備に見えた。


ヴォイドは、それを正面から受け止める。


がしっ。


足首を、確かに掴まれた。


「っ――!」


そのまま、力任せに引かれる。


雛の身体が、ふわりと宙に浮く。


捻られ――


空中で、一回転。


ドレスが花のように開き、

布が風を孕んで舞う。


「……っ!」


空中で必死に体をひねり、

視線を前に戻す。


そのまま、落下。


どさっ。


着地するが、衝撃を殺しきれず、

よろり、と二歩。

――倒れかけて、踏みとどまる。


膝が、わずかに震える。


ヴォイド

「重心が高い」


短く、的確。


雛は、悔しそうに唇を噛む。


「……っ」


それでも、視線は逸らさない。


乱れたドレスの裾を、素早く整え、

もう一度、構え直す。


息は少し荒い。

だが、目は――折れていなかった。


その横で。


シオンは、じっと様子を見ていた。


大人たちの動き。

倒れて、立って、ぶつかって。


少し考えてから――

小さな拳を、ぎゅっと握る。


とてとて、と近づいて。


背伸びして。


シオン

「……えい」


ヴォイドの腹に、

ちいさなパンチ。


ぽす。


音も気配も、ほとんどない。


一瞬の沈黙。


次の瞬間――


スレイ

「っ……!!」


スレイは、胸を押さえてよろめいた。


スレイ

「む、無理……

 今の、可愛さの暴力……」


がくっと、膝をつく。


白羽

「……っ!」


白羽も、口元を押さえて目を伏せる。


白羽

「だ、だめです……

 尊すぎて……」


スレイ

「これ、訓練じゃなくて

 精神ダメージ入るやつ……」


白羽

「即死級ですね……」


シオンは、きょとんと首を傾げる。


シオン

「……?」


ヴォイドは、視線を落とし、短く言った。


ヴォイド

「……悪くない」


それを見て――


白羽が、静かに息を吸った。


白羽

「……ヴォイドさん」


一歩、前へ。


だが、すぐには構えない。


まず、スカートの裾を持ち上げ、

邪魔にならない位置で、きゅっと結ぶ。


次に、袖口。

布をたくし上げ、前腕を露出させる。


その動きは落ち着いていて、

無駄がなくて、

そして――迷いがない。


雛が、それに気づいて目を瞬かせる。


「……白羽?」


白羽は答えない。


最後に、深く一度だけ呼吸を整え、

拳を、静かに握った。


――きゅ、と。


白羽

「私も――」


視線を上げる。


まっすぐに、ヴォイドを見る。


白羽

「強くなりたいです」


その言葉に、

スレイがにっと笑う。


雛も、立ち上がる。


シオンは、再び拳を構える。


四人が、

自然と、同じ方向を向く。


――ヴォイド。


ヴォイドは、ゆっくりと構えを取った。


ヴォイド

「……いい顔だ」


低く。


ヴォイド

「まとめて来い」


焚き火の火が、ぱち、と音を立てた。



四人が、同時に動いた。


スレイが先頭。

雛が半歩遅れて横。

白羽は後ろから全体を見る位置。

シオンは……とてとてと、ちゃんと付いてくる。


スレイ

「うおおっ!」


一直線の突進。

今度は腰を落とし、地面すれすれに沈み込む。


拳じゃない。

肩で当てに行く――勢いの塊。


だがヴォイドは、前に出ない。

ただ、足を一本引くだけ。


スレイ

「えっ」


空いた。


その“空き”に、雛が踏み込む。


「――失礼します!」


低い踏み込み。


肘で距離を詰め、

拳で軸を崩し、

最後に――蹴り。


動きは速い。

だが、どれも「確実」じゃない。


ドレスの裾が翻る。


優雅さは残っているのに、

動きは容赦がない。


だが。


ヴォイドの手が、早い。


がしっ。


足首を掴まれた瞬間、雛の身体が浮く。


「――っ!」


捻られる。

空中で一回転、二回転。


その拍子に――


びりっ。


ドレスの裾が、自分の動きで裂けた。


「……っ、あ……」


着地。

踏ん張る。踏ん張って――


自分で、裂けた裾を踏む。


「……っ!」


ぐら、と揺れた。


その一瞬。


ヴォイドの指が、雛の額をとん、と押す。


たったそれだけ。


雛は後ろに転がって、

草の上でごろん、と一回転した。


「……っ、今のは……!」


ヴォイド

「雛。隙だ」


「……はい。ヴォイド様。

 次は、崩しません」


悔しそうに、でも即座に納得する。

素直すぎる。


その横で、スレイがもう一度踏み込む。


今度は、正面じゃない。

半歩、角度をずらす。


だが――


ヴォイドは、視線すら向けない。


足が止まる。

体勢が崩れる。


スレイ

「っ――!」


次の瞬間、地面が跳ね上がった。


スレイ

「っふ……!

 いいねぇ……!」


いいのか。


白羽は一歩出かけて、止まった。

助けたい。でも――止まったら終わり。


白羽

(……違う、止まらない……)


声は出さない。

代わりに、手で合図。


“右”。

“雛、回り込み”。

“スレイ、正面捨てて”。


言葉じゃなく、動きで。


雛がそれを見て、はっきり頷いた。


「……分かったわ、白羽」


スレイも、土だらけの顔で笑う。


スレイ

「そうそう!

 白羽ちゃん、指揮向いてる!」


四人の動きが、ほんの少し噛み合った。


スレイが“見せ”の突進で視線を取る。

雛が横から踏み込む――今度は拳。

白羽が背後へ回る。

シオンが――とてとてと、腹へ。


迷いがない。

最初から、そこしか見ていない。


ぽすっ


小さくて弱い。

でも、狙いは正確。


その瞬間だけ、ヴォイドの視線が落ちた。

ほんの一瞬、重心が動く。


白羽

(今――!)


白羽が踏み込む。


距離が――縮んだ。


一瞬だけ。

本当に、一瞬だけ。


(……届く)


そう、思えた。


だが。


ヴォイドは“避けた”のではない。


“最初からそこに居なかった”みたいに、半歩ずれた。


白羽の指は空を撫でる。


白羽

「……っ!」


次の瞬間、ヴォイドの掌が白羽の肩に置かれる。


とん。


押されたわけじゃない。

ただ“置かれた”だけ。


なのに白羽の体は崩れた。


足が絡まり――

結んだスカートを踏む。


白羽

「……っ!」


びりっ。


布が裂け、白羽は転がった。


スレイ

「白羽ちゃん!!」


「白羽!」


止まったら終わり。


焦りで、雛が前に出る。


「ヴォイド様――!」


低く、速い蹴り。

今度は足元を狙う。


だが――


また、足首。


「……っ、また……!」


捻られる。

宙を舞う。


裂けた裾が、さらに裂ける。


びり、びりっ。


(……あ……これは……)


スレイ

「雛、そのドレス完全にアウトだよ!」


「……あ、後で直すから……!」


訓練中でも、律儀。


その横で、シオンが転がった白羽のそばにちょこんと座る。


小さな手で、頬をぺちぺち。


シオン

「白いお姉ちゃん、

 だいじょうぶ?」


白羽

「……だ、だいじょうぶですよ……」


その“ぺちぺち”で白羽が起き上がるの、

完全に回復イベント。


スレイ

「やめて……今それ挟むの反則……」


「訓練中よ!」


スレイ

「精神的にくるって意味!」


そして訓練は続いた。


倒れて、立って、転がって、踏ん張って。

触れそうで、届かない距離。


勝ち筋は、見える。

でも、踏み込むたびに――

最初から塞がれている。


それでも。


誰も、止まらなかった。



――1時間後。


地面に、四人。


仰向け。


動けない。


息が荒く、喉が鳴り、

土と草にまみれて転がっている。


スレイは大の字。

腕も脚も投げ出して、ぴくりとも動かない。


雛は少し横向き。

胸元を押さえたまま、浅く息をしている。


白羽は仰向けのまま、空を見つめ、

片手だけが、弱々しく胸の上で動いていた。


シオンは、ちょこんと仰向け。

手足を投げ出して、完全に電池切れ。


――立っているのは、一人だけ。


ヴォイド。


姿勢は変わらず、

服にも、肌にも、

傷ひとつない。


呼吸も、乱れていない。


その光景を、

地面から見上げながら――


雛が、かすれた声で言った。


「……あなた」


隣のスレイを、ちらり。


「ずいぶん、

 無残な姿になってるわね」


スレイ

「……うるさ……」


顔だけ、少し動かす。


スレイ

「鏡なくても分かるって……

 これ、絶対ひどいやつ……」


雛は、自分の袖を見下ろしてから、

ドレスの裾に視線を落とす。


破れている。

ところどころ、裂けている。


土と草で、色も分からない。


スレイ

「でも……あんたもヤバいよ」


続ける。


スレイ

「その格好でパーティー行ったら、

 絶対に門前払いされる」


「………」


スレイ

「裾破れてるし。

 袖も、ほら」


スレイ

「完全に、

 戦場帰りの人の服」


「……勲章なの。

 これは!」


白羽が、かすかに息を吸った。


白羽

「……あの……」


声は弱いが、

ちゃんと届く。


白羽

「私も……」


白羽

「お出かけは、当分ムリかも……」


言葉が、途中で切れる。


袖を見れば、

裂け目。


スカートも、

結んだまま、ぼろぼろ。


スレイ

「……全滅だね」


「ええ。

 全滅ね」


シオンが、仰向けのまま、

小さく手を上げた。


シオン

「シオンも、

 もうだめ」


間。


シオン

「……ぱぱ。

 さいきょうだった」


ヴォイドは、四人を見下ろしながら、

淡々と言った。


ヴォイド

「今日は、ここまでだ」


一拍。


ヴォイド

「よく、頑張ったな」


その一言で。


四人、ほぼ同時に――


力が抜ける。


スレイ

「……もう、指一本動かせない……」


「……同感……」


白羽

「……しばらく……休ませてください……」


シオン

「……ねる……」


焚き火の火が、ぱち、と鳴る。


空は、まだ青い。


平和は、壊れていない。


だが――


四人の服は、

確実に、限界だった。


ヴォイドは、

小さく息を吐いた。


ヴォイド

「……まったく」


呆れとも、諦めともつかない声音。


だが、手は止まらない。


まず、シオンを抱き上げる。

軽い。


次に、白羽。

肩に担ぐようにして、慎重に。


雛とスレイは、左右に分けて。

片腕ずつ、雑にならない程度に。


四人分の重みを引き受けても、

ヴォイドの足取りは、変わらなかった。


そのまま、キャンプの方へ歩き出す。


その時。


白いものが、空から落ちてきた。


細かくて、

冷たくて、


手に触れると――すぐ消える。


ぱらり。


スレイの頬に落ちて、跡も残らず消えた。


次に、白羽の髪に触れ、

一瞬だけ、白く輝いて――消える。


雛が、半分眠ったまま、眉をひそめる。


「……なに……?」


答えは、ない。


空は、青いまま。

雲ひとつ、見当たらない。


それでも、

白いものは、確かに落ち続けていた。


音もなく。

気配もなく。


ヴォイドは、足を止めない。


ただ、低く息を吐き――


ヴォイド

(……始まったか)


白いものは、

やまない。


この世界には、

本来――

存在しないはずの、現象だった。



◇ 野営地・キャンプ内/夜


焚き火は、もう落ち着いていた。

赤い火の芯だけが残り、

ぱち、ぱち、と小さく音を立てている。


テントの中。

毛布が四枚、並べられている。


ヴォイドは、まず――

一番軽い存在から、慎重に下ろした。


シオン。


抱えられたままでも起きない。

指はヴォイドの服を、無意識に掴んだまま。


ヴォイドは、そっとその手を外し、

毛布を肩まで掛ける。


シオン

「……ぱぱ……」


寝息混じり。

意味も分からず、ただ呼んでいる声。


シオン

「……ずっと……

 いっしょ……」


ヴォイドは、ほんの一瞬だけ動きを止め――

何も言わず、頭を撫でた。


次に、白羽。


肩に担がれても、表情は苦しそうで、

眉が少しだけ寄っている。


地面に下ろすと、白羽は小さく身じろぎした。


白羽

「……だめ……

 ……触ったら……」


息が浅い。

夢の中でも、まだ“条件”に縛られている。


ヴォイドは、白羽の手を取らない。

ただ、指先が届かない距離で、毛布を整える。


白羽

「……でも……

 ……ヴォイドさん……」


その名を呼んだ瞬間、

眉の力が、すっと抜けた。


呼吸が、落ち着く。


三人目。

雛。


裂けたドレスは、簡単に直されている。

それでも、戦いの名残は残っていた。


横向きに寝かされると、

雛は無意識に、両手を胸元で組んだ。


「……ヴォイド様……」


はっきりした声。

敬語のまま、寝ている。


「……次は……

 ……ちゃんと……届くように……」


言い切る前に、寝息に変わる。


ヴォイドは、毛布を掛けながら、

ほんのわずかに目を伏せた。


最後。

スレイ。


雑に扱われるかと思いきや、

ヴォイドの動きは、変わらない。


地面に下ろされた瞬間、

スレイは大きく息を吐いた。


スレイ

「……はー……

 ずるいよ……」


夢の中でも、文句だけは健在。


スレイ

「……あんなの……

 勝てるわけ……」


一拍。


スレイ

「……でも……

 ……ついてくから……」


声は小さく、

最後はほとんど聞こえなかった。


四人。

横並び。


焚き火の明かりが、毛布の端を揺らす。


それぞれ、違う夢を見ている。

なのに――

呼ぶ名前は、同じだった。


ヴォイドは、少しだけ離れた場所に座り、

焚き火を見つめていた。


誰も起こさないように。

誰も踏まないように。


夜は、静かだった。


焚き火の火が、ぱちりと鳴る。


その光に触れた白いものが、

一瞬だけ淡く輝き――すぐに消える。


音もなく。

切れ目もなく。

空から、落ち続けている。


空気の奥で、

世界のどこかが静かに切り替わったような、

言葉にならない違和感だけが、残っている。


ヴォイドは、低く息を吐いた。


ヴォイド

「……今は、ゆっくり休め」


命令ではない。

戦場で人を動かすための言葉でもない。


ただ、

この夜だけは守れると、

そう信じていたい者の、低い願いだった。


焚き火が、もう一度、ぱち、と鳴る。


四人は返事をしない。

それぞれに傷を抱えたまま、

ただ、安心したように眠っている。


ヴォイドは、

その背中から目を離さなかった。


――そして、この夜を境に。


世界は、白で覆われた。


それは異変ではなく、

抵抗の余地もないほど静かな変化で。


まるで、

世界がずっと前から

この色へ戻る時を

待っていたかのように。



◇《エピローグ》忘れ去られた村・学校/夜


校舎には、まだ灯りが残っていた。

昼の名残みたいな埃と、炭の匂い。


机を引きずる音。

椅子を重ねる音。

三人で、後片付けをしている。


助手

「はい、これで最後です~」


先生

「助かります。

 黒板、消しますね」


遺乃は窓際で、床に落ちていた紙切れを拾っていた。

子供たちが描いた線。

形になりきらない、ただの痕跡。


遺乃

「こちらは、まとめておきますわ」


助手

「あ、ありがとうございます~」


最後の灯りを落とす。

校舎の中が、少しだけ暗くなる。


ぎぃ、と戸を開けて、三人で外へ出た。


――その瞬間。


白いものが、ひとつ。


夜の空から、静かに落ちてきた。


ぱち、と音もなく、

助手の肩に触れて、消える。


助手

「……え?」


先生の袖にも、同じもの。

触れたそばから、跡も残らない。


遺乃は足を止めた。

ゆっくり、空を見上げる。


雲はない。

星も、確かにある。


それなのに。


白いものが、もうひとつ。

次に、またひとつ。


細かくて、冷たくて、

手に触れると、すぐ消える。


助手

「……先生、これ……」


先生は答えない。

眉を寄せたまま、空を見ている。


遺乃は、そっと掌を差し出した。


冷たい感触。

そして、消える。


遺乃

「……始まりましたのね」


先生

「……心当たりが?」


遺乃は、首を振らない。

否定もしない。


遺乃

「ありませんわ」


一拍。


遺乃

「ですが……

 “無い”とも、言い切れませんの」


白は、屋根に落ちて消える。

地面に触れて消える。

髪に触れて、消える。


止む気配はない。


助手

「……中は、あったかいのに……」


先生

「外だけ、妙に冷たいですね」


遺乃は、もう一度だけ夜空を見上げた。


星も、月も、変わらない。

それでも、白は確かに降っている。


遺乃

「……帰りましょう」


三人は歩き出す。

夜の村へ。

白いものが、静かに落ちる中へ。


それはまだ、

誰の名前も持たない。



◇ タナトスロア・長官室/夜


机の上には、まだ片付いていない書類。

ランプの光が、紙の端を白く縁取っている。


レイファはペンを走らせていた。

祝宴の喧騒は、ここまでは届かない。


あるのは、

静かすぎる夜と、

規則正しい筆記音だけ。


――とん、とん。


控えめなノック。


レイファ

「どうぞ」


扉が開く。

立っていたのは、カレンだった。


顔色はいつも通り。

だが、視線だけが少し急いでいる。


カレン

「……レイファ長官」


レイファ

「どうしました?」


カレン

「すぐに、来てください」


理由は言わない。

けれど、声に迷いがない。


レイファは一拍だけ考え、ペンを置いた。


レイファ

「分かりました」


窓際へ歩く。


その途中で、

ふと視界の端を、白が横切った。


ひとつ。

また、ひとつ。


レイファは足を止める。


――落ちている。


窓の外。

夜空から、確かに。


掌を伸ばす。

窓越しでも、冷えが伝わる。


レイファ

「……これは……」


言葉が途切れる。


二人の視線が、同時に空へ向く。


雲はない。

星も、確かに見えている。


それでも。


白いものが、音もなく降っていた。


カレン

「この世界の記録には存在しません」


白は、規則正しく落ち続ける。


レイファは、胸の奥がひやりと沈むのを感じた。

理由は分からない。


ただ――

これが「始まり」だと、理解してしまった。


レイファ

「……記録は?」


カレン

「すでに。観測班にも」


一拍。


レイファ

「ありがとう、カレン」


白は、変わらず落ち続けている。


それを「意味」に結びつけるには、

まだ情報が足りない。


だが――

無視してよい種類の現象ではない。


レイファは、そう判断していた。



◇ 灰の里・外周/夜


里の灯りは、遠くで滲んでいた。

子供の声は、もう寝息に変わっている。


ガルドは、外周の見回りを終えたところだった。


足取りは重くない。

疲れはある。

それは、いつもの夜の重さだ。


――異変がなければ。


ガルド

「……よし。異常なし」


低く呟いた、その直後。


とん。


頬に、冷たいものが触れた。


手袋の甲で拭う。

白い粒。


ガルド

「……?」


もう一つ。

肩に落ちる。


外套の上に、白が残る。


指先で摘む。


――冷たい。


ガルド

「灰じゃねぇな……」


息が、わずかに白む。

夜の冷えとは、質が違う。


ゆっくり、顔を上げる。


空。

雲はない。

星が見える。


それなのに――


白いものが、落ちている。


ひとつ。

ふたつ。


音もなく。

風にも流されず。


ただ、まっすぐ。


ガルドは、しばらく瞬きを忘れた。


知らない現象だった。

だが、身体が先に理解する。


――冷たい

――白い

――空から落ちる


ガルド

「……冗談だろ」


外套に。

髪に。

地面に。


白が、少しずつ増えていく。


ガルドは、無意識に空を睨んだ。


ガルド

(……隊長)


(あんたが昔に言ってた)


(これは、確か――)


    "雪"


ガルドは踵を返し、里へ歩き出す。

何度も、空を見上げながら。


白は、変わらず落ちていた。

――灰の匂いを、かき消すように。


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