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第20.5章 外伝 〜湯上がりに、ほどけた帯〜

◇ ユルゼン村/白煙の湯・女湯(露天)


夜の山は、静かだった。


遠くの木々が風で揺れて、

枝が擦れる音が、薄く残る。


その上に、

湯の音だけがある。


ざぁ……

とろ……


白い湯気が、

岩肌の輪郭をぼかして、

空へゆっくり溶けていった。


湯船の中に、すでに三人。


雛は岩に背を預け、

目を閉じている。


息を吐くたびに、

肩が少しずつ下がっていく。


「……はぁ……」


「やっと、ゆっくりできる……」


隣でスレイが、

湯面に腕を投げ出すみたいに伸ばした。


スレイ

「わっかる……」


スレイ

「今日の疲れ、

 全部ここに置いていきたい……」


「……野営続きだと、

 この温度が沁みるわね」


スレイ

「沁みる……」


スレイ

「川だとさ、

 “洗った気”は出るけど、

 “休んだ気”は出ないのよ」


「表現が雑」


スレイ

「事実だから!!」


シオン

「……あったかい」


一拍。


シオン

「……生きてる」


湯気の向こうで、

スレイが小さく笑う。


スレイ

「ね~」


スレイ

「これが“生存確認”ってやつよ」


雛は目を閉じたまま、

短く頷いた。


「途中で立ち寄っただけなのに、

 当たりを引いたわね」


スレイ

「ほんと」


スレイ

「街道から少し外れただけで、

 このクオリティ」


「……誰もいないようだし、

 ゆっくりできるわ」


少しだけ間を置いて。


一拍。


スレイ

「……ぷぇ~……」


声が完全に溶けている。


雛は目を閉じたまま、

少し間を置いて言う。


「……あんた」


一拍。


「いつもに増して、

 面白い顔になってるわよ?」


スレイ

「はぁ!?」


ぱっと目を開ける。


「事実を言っただけ」


スレイ

「違うでしょ!

 私は可愛いの!

 今のは“可愛い顔”なの!!」


「……かわいい?」


シオン

「……かわいい?」


スレイ

「そこ疑問形でハモるな!!

 (※心が二回折れる音)」


雛は、

湯気の向こうでふふっと笑う。


「安心して」


「崩れ方が、

 可愛い方向にいってるだけだから」


スレイ

「最初からそう言いなさいよ!!」


その端で。


シオンは胸元まで湯に浸かり、

じっと湯船の端を見ていた。


シオン

「ここ、ひろい」


一拍。


シオン

「およげって、言ってる」


「……ん?」


次の瞬間。


ばしゃっ!!


湯が、

勢いよく跳ね上がった。


ばしゃばしゃばしゃっ!!


シオンが、

全力のバタ足で突進してくる。


スレイ

「ちょっ――!?」


「……っ!」


顔に。

肩に。

髪に。


遠慮という概念が存在しない水しぶき。


ばしゃっ。

ばしゃばしゃ。


スレイ

「ちょ、シオン!!

 なんで一直線に私!?」


雛は目を細め、

額の水を拭いながら言う。


「シオンは元気ね」


スレイ

「評価それだけ!?」


シオン

「気持ちいい」


ばしゃばしゃばしゃ。


さらに容赦ない追撃。

完全に狙われている。


スレイ

「こらぁぁぁ!!

 ここは遊泳禁止区域!!」


「……これは」


「教育が必要ね」


スレイ

「全面的に賛成!!」


一拍。


「ねぇ、シオン。

 知ってるかしら」


「ここで泳ぐと、

 悪いお姉さんに

 こちょこちょされるの」


シオン

「……?」


理解していない顔。


シオン

「……こちょこちょ?」


「ええ」


スレイ

「すごいやつ」


シオン

「……?」


首を傾げた、その瞬間。


二人同時に、距離を詰めた。


むぎゅっ。


シオンは左右から、しっかり捕縛される。


シオン

「……あ」


雛の指が、脇腹に。


スレイの指が、肋のあたりに。


同時。


「こちょこちょこちょこちょ……」


シオン

「……っ!?」


一拍遅れて。


シオン

「……っ、ひゃ……!」


肩が跳ねる。


足がばたつく。


しかし――

逃げ場は、ない。


スレイ

「ほら来た」


「暴れると、

 増えるわよ」


シオン

「……っ、や……!」


「“や”?」


指が、少し強くなる。


スレイ

「“や”は、

 続行の合図ね」


シオン

「……っ、ちが……!」


こちょこちょこちょ。


左右から。

容赦なく。


シオン

「……っ、は……!

 ……っ、や、やだ……!」


声が、くぐもる。

笑いと抵抗が混ざる。


足が空を蹴る。


湯が、ちゃぷちゃぷ跳ねる。


スレイ

「はいはい、

 泳ぐとどうなる?」


シオン

「……っ、

 ……こちょこちょ……!」


「誰に?」


シオン

「……わるい……

 ……おねえさん……!」


即答。


ぴたり。


二人の指が止まる。


スレイ

「よろしい」


「反省した?」


雛とスレイは、そっと手を離した。


シオンはそのまま、

湯にぽすんと沈む。


シオン

「……もう……

 およがない……」


スレイ

「えらい」


「命が助かったわね」


シオン

「……こちょこちょ……

 こわい……」


一拍。


シオン

「でも……

 泳ぎたりない……」


「次は倍にするわよ」


シオン

「……むぅ」


その後。


湯船は、

何事もなかったように静かになった。



そのとき。


木の戸が、

きぃ……と小さく鳴った。


湯気の向こうに、影。


一拍遅れて、

白羽の声。


白羽

「……し、失礼します……」


白羽の背筋は直角。

まるで処刑台に上がる直前の姿勢だった。


白羽

「……その……

 えっと……」


スレイ

「まだ?」


白羽

「ま、待ってください……

 心の準備が……」


「心は、

 もう全部声に出てるけど」


白羽

「出てません!!

 心は心です!!

 別枠です!!」


深呼吸する白羽。


吸って。

吐いて。

もう一回。


白羽

「い、いきますよ……」


足を――

一歩。


――つるっ。


白羽

「え?」


次の瞬間。


石鹸、

裏切る。


完璧な裏切り。


「――――っ!?」


声にならない悲鳴。


前のめり。


白羽

「まっ――」


ばしゃっ。


……では、ない。


一瞬、止まる。


空中。

湯気。

世界がやたら静か。


スレイ

「……あ」


「……あら」


シオン

「……?」


三人、完全に同時。


見えたのは一瞬。


湯気越し。

輪郭。

勢い。


でも――

誰も、

「見えなかった」とは言わなかった。


次の瞬間。


白羽

「~~~~~~~~~~~~~~~~~~っ!!!!!」


赤。


一気に赤。

首まで赤。


白羽

「み、見ないで!!

 今の全部!!

 今すぐ忘れてください!!

 思い出さないでください!!」


スレイ

「注文が多い!!」


「しかも時系列が逆ね」


白羽

「ふぇ~~ん」


――ざぱん!!


湯船へ直行。


完全入水。

即・現実逃避。


湯気が、

白羽を完全に飲み込む。


数秒後。


湯の中から、

消え入りそうな声。


白羽

「……し、死にたい……」


スレイ

「……」


一拍。


スレイ

「白羽ちゃん」


白羽

「な、なんですか……

 今、話しかけないでください……

 精神的に瀕死なので……」


スレイ

「今のさ」


白羽

「言わないで!!絶対に!!

 比喩もダメ!!

 感想も禁止です!!」


「安心して」


白羽

「……ほんとですか……?」


「今日の出来事は、

 “事故”として処理しておくわね」


白羽

「……事故?」


スレイ

「うん。

 転倒事故」


「滑落未遂」


スレイ

「空中静止」


白羽

「増えてません!?

 事故、増えてません!?」


「大丈夫。

 重要なのは“見たかどうか”じゃないもの」


白羽

「……?」


「“どう見えたか”よ」


白羽

「それ一番ダメなやつじゃないですか!!」


スレイ

「ちなみに私は――」


白羽

「聞いてないです!」


スレイ

「――“何も言わない”派」


「私も」


白羽

「その沈黙が一番怖いんですけど!!」


白羽は、

湯の中で限界まで縮こまる。


白羽

「もう……今日は無理

 立ち上がりません……

 社会的に無理です……」


スレイ

「結果的に、

 一番印象に残る入浴だったけどね」


「初見の破壊力が高すぎたわ」


白羽

「評価しないでください!!」


一拍。


白羽

「……ふぇ……」


完全に溶けた声。


「切り替え、早すぎ」


白羽

「……あったかいです……

 もう……どうでもよくなってきました……」


肩が、すとん。


恥も。

抵抗も。

諦めも。


全部、

湯に沈む。


スレイ

「はい」


スレイ

「これで全員、

 同じ“溶け具合”」


「白羽は、

 精神的に多めだけど」


白羽

「そこ差をつけないでください……」


湯気の中。


四人は、

完全に同じ温度。


女湯は静かに――


……落ち着いた。

落ち着いた、はずだった。



湯気が少し落ち着いた頃。


スレイが、湯船の縁に肘をついて、

にやっと笑った。


スレイ

「ねえ、雛」


「……その顔やめて?」


スレイ

「まだ何もしてないんだけど?」


「“これから何かする顔”よ」


スレイ

「失礼な。

 ただの好奇心」


「その好奇心が、だいたい問題を起こすの」


スレイは立ち上がって、

しきり板の前へ。


スレイ

「ねえ雛」


スレイ

「あんなに強い人がさ、

 今めちゃくちゃ無防備なんだよ?」


「……だから何」


スレイ

「これ、襲われちゃっても

 文句言えなくない?」


スレイ

「私みたいな女の子にさ」


「自覚してるならなお悪い」


スレイ

「でも~男の人って鍛えた身体、

 見られるの嫌いじゃないでしょ?」


「その話、どこ調べ?」


スレイ

「私調べだけど」


一拍。


「……で、スレイ」


スレイ

「なに?」


「彼氏、いたことは?」


――沈黙。


湯の音だけが、やけに大きい。


スレイ

「今それ聞く!?」


「経験談じゃないなら、

 ただの“妄想”ね」


スレイ

「ぐっ……!」


胸を押さえる。


スレイ

「やめて!

 湯治中の人間に急所攻撃禁止!!」


「自己申告で致命傷負っただけ」


スレイ

「くっ……!」


一拍置いて。


スレイ

「……まあいいわ」


スレイ

「理論と尊厳は死んだけど、

 好奇心はまだ生きてるから」


「反省してないわね」


スレイはしゃがみ、

ほんの少しだけ、覗く。


スレイ

「あ……」


スレイ

「泡、仕事しすぎ」


「言わないで」


スレイ

「ヴォイドさんの背中、

 地形みたいになってるよ」


「……」


スレイ

「このエッチさ、

 本人ぜったい自覚してない」


「……」


雛は、少しだけ間を置いて。


「……一瞬だけ」


スレイ

「はい来た」


「本当に一瞬だし」


スレイ

「一瞬ね。

 “女の一瞬”ね」


二人、並んで前のめり。


「……え」


「……背中、大き……」


スレイ

「でしょ!?

 もうね、動くたびに主張がある」


「……罪ね」


スレイ

「重罪」


きゃっ、と小さな声。


「今、動いたわ」


スレイ

「肩、肩見てよ!

 今の角度、反則」


「見せるつもり、絶対ないわね」


スレイ

「それがいい」


そのとき。


ぱしゃ、と小さな水音。


いつの間にか、

二人の間に――シオン。


スレイ

「うわっ!?」


「……シオン、いつから」


シオン

「ずっと」


気配ゼロ。

二人、同時に固まる。


シオン、首をこてん。


シオン

「なにしてるの?」


スレイ

「え、いや、その……」


「……確認よ」


シオン

「……ふーん」


間、ゼロ。


シオン

「……ぱぱの身体、知りたい?」


スレイ、雛

「「え」」


シオン

「……シオンね」


一拍。


シオン

「ぱぱの身体、

 世界中でいちばん知ってる」


「言い方!」


スレイ

「ストップ!!

 今の発言、完全に危険!!」


シオン

「……?」


きょとん。


シオンは、

しきり板の向こうを見る。


シオン

「ぱぱのおしり」


ごくり。

二人、同時に息をのむ。


シオン

「……ちっちゃいほくろある」


――即死。


スレイ

「は?」


「……」


スレイ

「待って、待って待って」


「……色は?」


スレイ

「ちょっ、雛!?」


シオン

「茶色」


スレイ

「あんたも普通に答えるな!!」


「……場所は?」


シオン

「右」


スレイ

「もうやめて!!

 頭の中に地図できた!!」


「……脳内に焼き付いたわね」


スレイ

「どう責任取るのこれ!?」


その後ろで、

白羽が湯船から慌てて声を出す。


白羽

「や、やめましょう!?

 これ以上はだめですって!」


スレイ

「白羽ちゃん」


白羽

「な、なんですか……?」


スレイ

「ヴォイドさんのエッチな姿」


白羽

「……」


「一瞬だけ、なら?」


白羽

「…………」


白羽

「……い、一瞬……」


スレイ

「よし」


白羽もそっと立ち上がる。


白羽

「ほ、本当に一瞬ですからね……」


三人、同時に前のめり。


白羽

「……っ」


白羽

「きゃ……!」


スレイ

「何見た!?」


白羽

「な、何も!!

 何も見てないです!!」


「じゃあ、なぜ赤いの?」


白羽

「……視界が……強すぎて……」


スレイ

「ダメだ、処理落ちしてる」


白羽

「で、でも……」


小さく。


白羽

「……すごいです……」


「感想が抽象的」


スレイ

「語彙が蒸発してる」


その瞬間。


向こうで、気配が動く。


スレイ

「振り向くかも!」


「くる――」


白羽

「――っ!!」


ぷしっ。


白羽

「……あ」


「……鼻血」


スレイ

「早っ!?

 まだ三秒も見てないのに!?」


白羽

「ち、違います!!

 見たんじゃなくて……

 想像が……勝手に……!!」


――そのとき。


ぎし……。


低く、嫌な音。


三人とも、

一瞬だけ固まる。


「……」


スレイ

「……」


白羽

「……え?」


ぎし、ぎし……。


しきり板が、

目に見えて――

ゆっくり、前に傾いた。


スレイ

「あ、これ」


「……まず!」


白羽

「ちょ、ちょっと待ってくださ――」


ぎぃぃぃ……。


完全に、

限界。


がたんっ!!


外れる音。


一瞬の浮遊。


三人同時に、

前のめり。


「「「――――っ!!!」」」


ばしゃーーーーーっ!!


盛大な水音。

湯が跳ね、

湯気が爆発的に吹き上がる。


――男湯。


一拍。


湯気の向こう。

誰も動かない。


沈黙。


……。


ぴちゃ。

ぴちゃ。


水を踏む、足音。


一歩。

また一歩。


重い。

近い。


三人、同時に理解する。


(――死んだ)


反射で正座する。


背筋は直角。

視線は床。


白羽は鼻を押さえたまま。


ヴォイドの影が、

目の前で止まる。


低い声。


ヴォイド

「……何か言うことは」


間、ゼロ。


「「「すみませんでした!!!」」」


完璧な同時発声。


拳骨。


ごつん。


ごつん。


ごつん。


均等。

容赦なし。


誰も声を上げない。


湯気だけが、

何事もなかったかのように、

また、ゆっくり立ち上っていく。



◇ 白煙の湯・休憩所


湯気の外は、

思った以上に涼しかった。


夜気が、

火照った肌をゆっくり冷ましていく。


休憩所には、

低い木椅子と長椅子。

素朴な卓。

湯上がり用の飲み物が並んでいた。


淡い果実水。

薬草を冷やした、香りの強い茶。


湯織に着替えた四人が、

順に腰を下ろす――


……前に。


シオンが、

自分の背中を振り返り、

ぱっとヴォイドを見た。


シオン

「ぱぱ、これ、むすんで」


帯を、

両手で差し出す。


ヴォイド

「……ああ」


ごく自然にしゃがみ込み、

慣れた手つきで帯を整える。


きゅっ。


無駄のない動作。

無駄のない結び目。


シオン

「……できた」


満足げ。


それを見た瞬間。


スレイ

「じゃ、ついでに私もお願い!」


食い気味。


雛も、

間を置かず。


「……ヴォイド様。

 私のも、お願いします」


ヴォイド

「……順番だ」


淡々。


まずスレイ。


帯を結ばれながら、

なぜか落ち着きがない。


スレイ

(近い近い近い。

 数えるな、呼吸を数えるな私)


結び、完了。


次は雛。


(ヴォイド様の息……

 今、かかった)


結び、完了。


二人とも、

一歩下がって、妙に姿勢がいい。


スレイ

「ありがと!」


「ありがとうございます」


ヴォイド

「……ああ」


そこで、

自然に視線が白羽へ向く。


白羽は、

反射で一歩下がった。


白羽

「い、いえ!!

 私は、その……

 自分で大丈夫ですので!!」


早口。


ヴォイド

「……そうか」


白羽

「は、はい!!

 お手数ですし!!

 もう十分ですし!!」


帯を、

ぎゅっと自分で押さえる。


スレイ

「えー?

 せっかくだし、やってもらいなよ」


白羽

「いえ、本当に!!

 今は大丈夫なので!!」


「……白羽。

 それ、やっぱり緩くない?」


白羽

「だ、大丈夫ですよ!!

 ちゃんと結びましたから!!」


実際には、

“結んだ”というより、

“巻いて留めた”に近い。


だが、

誰もそれ以上は言わなかった。



湯気の向こうの夜気が、

ひんやりと心地いい。


木の床。

低い卓。

壁際には長椅子。


その少し離れたところで――


湯織を着たシオンが、

ヴォイドの前に立っていた。


シオン

「ぱぱ、みて」


一拍。


くるっ。


裾がふわりと広がる。


もう一回。


くるくる。


夜気と一緒に、

湯織の裾が軽く舞う。


シオン

「どう?」


ヴォイド

「……似合っている」


短く、確実に。


シオン

「……えへ」


満足そうに、

もう一回だけ回る。


くるっ。


その様子を――

少し離れたところから、

三人は見ていた。


一拍。


スレイ

「……」


「……」


白羽

「……」


スレイ

「……あれさ」


「ええ」


スレイ

「ずるくない?」


「可愛さの暴力ね」


白羽

「……守りたい……」


三人、同時に息を吐く。


シオンは満足したのか、

そのままヴォイドの横にちょこんと座った。


そこでようやく。


四人はそれぞれ、

飲み物を手に腰を下ろす。


スレイは、

椅子に深く座り込んで――

脚を前に投げ出した。


スレイ

「はぁ~……

 生き返る……」


湯織の裾が、

無防備に揺れる。


雛は、

自分の湯織の袖を少し引きながら、

ふと呟いた。


「この湯織って着物だけど」


指先で、生地をつまむ。


「デザイン可愛いわよね」


スレイ

「ん?

 あー、分かる」


自分の裾を、ひらっと揺らす。


スレイ

「形がさ、

 ちゃんと身体に沿うのに、

 堅くない」


「……動くと軽いし」


白羽も、こくりと頷く。


白羽

「いいですよね。

 肌触りもやわらかくて」


「ただ」


一拍。


「脚、出すぎじゃない?」


スレイ

「それな」


即答。


スレイ

「油断すると、

 普通に太ももまでこんにちはする」


「……隙間も」


胸元に、視線を落とす。


「動くたび、

 すーすーするし」


スレイ

「分かる分かる。

 風通し、良すぎ」


白羽

「それがちょっと、

 落ち着かなくて……」


無意識に、

自分の湯織の前を押さえる。


白羽

「でも……」


ちらっと、スレイを見る。


白羽

「スレイさんのいつもの服の方が、

 これより短くないですか?」


スレイ

「ん?」


きょとん。


一拍。


スレイ

「あー……」


雛が、

すっと視線を向ける。


「……自覚ある?」


スレイ

「なにが?」


「あなた、あの服」


間。


「色々、見えてるの知ってる?」


スレイ

「……」


一拍。


スレイ

「え?」


「胸元も。

 脚も。

 あと、動いたときの――」


スレイ

「はいストップ」


ひらひらと手を振る。


スレイ

「別に、

 あんたたちに見せてるわけじゃないし」


「じゃあ、誰に?」


スレイ

「……」


ほんの一瞬、

視線を泳がせてから――

さらっと。


スレイ

「ヴォイドさん専用」


空気が、

ぴしっと固まる。


「……は?」


白羽

「えっ」


「……今、なんて?」


スレイ

「だから」


もう一度、軽く。


スレイ

「ヴォイドさん専用」


白羽

「せ、専用……?」


「……」


一拍。


「……なるほど」


スレイ

「なにその納得」


「露出狂じゃなくて、

 指名制だったのね」


スレイ

「言い方!!」


「……やっぱり痴女だわ」


白羽の喉が、

ごくっと鳴った。


スレイ

「ひどくない!?」


即。


スレイ

「私これでも、

 “誰でもいい”タイプじゃないんだけど!?」


「誇るところじゃないわ」


スレイ

「そこ!?

 そこ突っ込む!?」


「でもまあ……」


視線を上下に走らせてから。


「自覚がある分、

 まだマシね」


スレイ

「それ、

 フォローの皮を被った追撃なんだけど」


雛は答えず、

すっと視線を外す。


スレイの脚。

胸元。


そこから――

自然に、隣へ。


白羽の帯。


「問題は、こっち」


白羽

「……え?」


「その結び方」


白羽

「……?」


「無自覚で、

 無防備で、

 しかも緩い」


白羽

「えっ」


白羽はようやく、

自分の帯を見下ろした。


スレイ

「……あー」


「?」


スレイ

「白羽ちゃん、

 それね」


一拍。


スレイ

「“事故る人の結び方”」


白羽

「……っ!?」


白羽はまだ、

その言葉の意味に――

完全には、気づいていなかった。



ヴォイドが、卓の向こうで立ち上がった。


ヴォイド

「……そろそろ、部屋に戻るか」


その一言で、空気が切り替わる。


スレイ

「ん、了解」


「そうね」


シオン

「……かえる」


白羽

「はーい」


全員が、同時に腰を上げた。


――その瞬間。


白羽の背中で、

きゅるっと、嫌な感触。


白羽

「……え?」


次の瞬間だった。


帯が、

抵抗なく――負けた。


結び目が外れ、

布が、重力に負けて前へ。


白羽

「――――――っ!!?」


完全に理解するより先に、

湯織がばさっと開く。


下に着ていたものはある。

あるが――隠すものが何もない角度。


一瞬の静止。


次の瞬間。


白羽

「きゃあああああああああ!!!!!」


顔が、一気に真っ赤。


両手で必死に前を押さえながら、

方向も確認せず――


白羽

「見ないでくださいぃぃぃぃ!!」


だだだだだっ!!


半泣き、半パニックのまま、

その場から全力離脱。


廊下の向こうへ、

そのまま消えた。


――残された空間。


沈黙。


風の音。


どこかで、戸が閉まる音。


スレイ

「……」


「……」


ヴォイド

「……」


一拍。


スレイ

「……今の」


「ええ」


スレイ

「見えたとか、

 そういう以前に――」


「本人の中では、

 世界が終わった顔だったわね」


スレイ

「うん……」


間。


スレイ

「……もう。

 恥ずかしがらずに

 素直に結んでもらっとけば」


「……まぁね」


その横で。


シオンが、きょとんと首を傾げる。


シオン

「……ぱぱ」


ヴォイド

「……なんだ」


シオン

「いまの、みた?」


雛とスレイが、

ぴたりと同時にヴォイドを見る。


一瞬だけ、

空気が止まる。


ヴォイドは、

ほんのわずか間を置いてから――


ヴォイド

「……状況は、把握した」


スレイ

「それ、“見た”でしょ」


「把握、なさった…と。」


静かな声。

だが、逃がさない。


ヴォイド

「……必要以上の詳細は控える」


二人、

自然に距離を詰める。


一歩。


また一歩。


シオンが、

きょとんとした顔で見上げる。


シオン

「……ぱぱ?」


スレイ

「ねえヴォイドさん」


「――責任は、

 取っていただけますよね?」


ヴォイド

「……何の責任だ」


スレイ

「色々」


「主に、

 今この場の空気に対して、です」


シオン

「ぱぱ、にげられないね」


完全包囲。


一拍。


ヴォイド

「……善処する」


逃げ道は、

もうどこにもなかった。



◇ 宿の部屋


部屋の隅。


白羽は、

壁と布団の境目みたいな場所に、

ちょこんと座っていた。


湯織は着ている。

一応、着てはいる。


……が。


帯が、

どう見ても――負けている。


結び目は、

もう「結び目」と呼んでいいのか怪しい。

輪っかと余り布が、

各自、自由行動中。


白羽

「……」


ぎゅっと、

自分の腕を抱える。


白羽

「……見られた……」


声が、

自分でも驚くほど小さい。


思い出す。


休憩所。

立ち上がった瞬間。

背中に走った、あの感触。


――ゆるっ。


白羽

「……」


ばふっ。


力が抜けて、

そのまま布団に倒れ込む。


白羽

「……私の……」


ごろっ。


白羽

「……貧相な……」


一拍。


白羽

「……」


がばっ。


白羽

「――じゃないです!!」


勢いよく起き上がる。


白羽

「ち、違います!!

 まだ途中なだけです!!」


拳を、

ぎゅっと握る。


白羽

「成長途中ですし!

 今は“準備期間”なだけですし!

 未来に期待してください!!」


誰に向けた言葉か、

本人にも分からない。


言い切ったあと。


一拍。


白羽

「……たぶん……」


声が、急にしぼむ。


白羽

「……いえ……

 きっと……」


もう一度、

布団に倒れ込む。


白羽

「……それでも……」


ごろごろ。


白羽

「……見られたのは、

 事実なんですよね……」


布団に、

顔を押しつける。


白羽

「……なんであのとき……

 『結んでください』って

 素直に言えなかったの……」


白羽

「私のバカバカバカ」


もぞもぞ起き上がり、

帯を見る。


白羽

「……これ……

 結び、ですか……?」


帯を引っ張る。


ほどける。


さらに、

わけが分からなくなる。


白羽

「……あっ」


慌てて、

もう一回巻く。


巻く。

巻くが――


さっきより、

明らかにひどい。


白羽

「あれ……?」


首を傾げる。


白羽

「……輪っか、多すぎません?」


帯は、

もはや主張の強い飾り布。


白羽

「……」


ぽすっ。


再び、

布団に倒れ込む。


白羽

「……はぁ……」


天井を見る。


白羽

「……きっと……

 “気にするな”とか

 言われるんだろうな……」


一拍。


白羽

「でも、気にしますよ……」


ごろっ。


白羽

「……しかも……

 よりによって……」


黒い外套。

低い声。

淡々とした目。


白羽

「……ヴォイドさんに……」


ごろん。


布団を引き寄せ、

顔を半分隠す。


白羽

「もう、今日は……

 誰とも目を合わせません……」


一拍。


白羽

「……帯の結び方……

 明日、聞こう……」


ごろっ。


白羽

「……いえ……

 やっぱり……」


ごろごろ。


白羽

「……聞いたら……

 思い出しそうですし……」


さらに小さく。


白羽

「……しばらく、

 結べない気がしてきました……」


最終的に。


白羽は、

布団の中で丸くなりながら――


帯が、

また少しずつずれていくのを、

見なかったことにした。


夜は、

まだ長かった。



そのとき。


――こん。(一回目)


控えめなノック音。


白羽

「…………」


心臓が、

嫌な音を立てた。


白羽

(え、今の……ノック……?)


――こん、こん。(二回目)


少し、はっきり。


白羽

(だ、だめ……

 今はだめです……)


慌てて立ち上がる。


白羽

「ま、ままま待ってください!!」


帯を見る。


輪。

垂れ。

ねじれ。


白羽

「待ってくださいって言いましたよね!?

 今、非常事態で――」


帯を引く。


逆方向。


白羽

「っ、ちが……!」


足元で、

だらりと垂れた布。


――踏んだ。


白羽

「え?」


次の瞬間。


すてーん。


派手に、

お尻からずっこける。


白羽

「――きゃっ!!」


床に転がる。


同時に、

引っ張られた帯。


ばさっ。


湯織が、

無防備に開いた。


白羽

「……っ!?」


慌てて身を起こそうとして、

さらに布を踏む。


白羽

「な、なんでですかもう!!」


完全に、

立てない。


その状態で。


――がちゃ。(三回目・強制終了)


戸が、

容赦なく開いた。


ヴォイド

「……白羽」


一拍。


視線が合う。


白羽は、

床に座り込んだまま。


湯織ははだけ。

帯は足元。


最悪の構図。


白羽

「――――――っ!!!」


顔が、

一瞬で真っ赤。


白羽

「み、見ないでください!!

 違うんです!!

 これは事故で!!

 不可抗力で!!」


両腕で必死に前を押さえる。


ヴォイドの視線は、

白羽ではなく――


床に落ちた帯へ。


それから、

状況全体へ。


ヴォイド

「……踏んだな」


白羽

「正解です……」


消え入りそうな声。


ヴォイドは、

静かに戸を閉めた。


そして、

白羽の前にしゃがむ。


白羽

「ち、近……!」


ヴォイド

「……動くな」


短く。


落ち着いた声。


白羽は、

その場で固まった。


ヴォイドは、

帯を拾い上げる。


白羽

「っ……」


肩が跳ねる。


ヴォイド

「結んでやる」


白羽

「は、はい……」


声が、

震える。


ヴォイドは、

白羽の前で一度手を止める。


ヴォイド

「……立てるか」


白羽

「……む、無理です……」


即答。


足元を見て、

観念。


ヴォイド

「……そのままでいい」


帯を整え、

丁寧に位置を合わせる。


白羽

(……近い……)

(でも……見てない……)


視線が、

一切こちらに来ない。


帯が腰に回される。


きゅっ。


布が、正しい位置に収まっていく。


距離が近い。

近すぎる。


白羽

(だめ……

 頭が……心臓が……)


次の瞬間。


ぷしっ。


白羽

「……あ」


温かい感触。


白羽

「……え?」


指で触れて、

赤。


鼻血。


白羽

「――――っ!?」


慌てて顔を上げた拍子に――

ヴォイドの湯織に、赤い跡。


白羽

「す、すみません!!

 ごめんなさい!!

 わ、私……!!」


完全にパニック。


ヴォイドは、

一瞬だけそれを見ると――


何事もなかったように、

白羽の手首を取った。


ヴォイド

「……気にするな」


白羽

「で、でも……

 汚れて……」


ヴォイド

「問題ない」


そう言って、

白羽の頭を軽く押し下げる。


そのまま、

膝の上へ。


白羽

「――――っ!?」


思考停止。


ヴォイドは布を取り出し、

慣れた手つきで鼻に当てる。


優しく。

確実に。


ヴォイド

「……少し、押さえろ」


白羽

「は、はい……」


視界いっぱいに、

湯織の袖が広がる。


距離ゼロ。


白羽

(恥ずかしいのに……)

(……安心する……)


胸の奥が、

ぎゅっと締めつけられる。


ヴォイドは、

白羽の頭を支えたまま、

片手で帯を整える。


布が揃えられ、

位置が合わされ、

結び目が締まる。


きゅっ。


結び目が、

きちんと収まった。


ヴォイド

「……これでいい」


白羽

「……で、できてます……?」


声は、

膝の上から、

かすれるように。


ヴォイド

「……問題ない」


白羽

「……ありがとうございます……」


まだ顔は上げられない。


ヴォイド

「……次からは、

 踏む前に呼べ」


白羽

「……はい……」


返事は小さい。

頭はまだ膝の上。


恥ずかしくて。

逃げたくて。


でも。


胸の奥に、

小さく残った――安心。



白羽は、

ヴォイドの膝に頭を預けたまま、

視線を落としていた。


帯はまだ少し歪んだまま。

指先が、

湯織の裾をぎゅっと掴んでいる。


白羽

「……私……」


一拍。


白羽

「……いつも……

 ……迷惑ばかりかけてて……」


声が、

わずかに震える。


白羽

「今回も……

 ヴォイドさんを困らせちゃった……」


自嘲気味に、

小さく笑おうとして――

途中で崩れる。


ヴォイド

「……そんなことはない」


一拍。


ヴォイド

「俺達には、お前が必要だ」


言葉が、胸の奥で止まる。


白羽

「……っ……」


息を吸おうとして、

詰まる。


白羽

「……ひっ……」


涙が、

ぽろぽろ落ちてくる。


白羽

「……そんな……」


白羽

「……そんなふうに言われたら……」


顔を伏せるが、

ヴォイドの湯織に、

涙が染みていく。


白羽

「……わたし……」


ヴォイドは、

何も言わない。


ただ、

膝の上の白羽を、

静かに支えたまま。


――そのとき。


がちゃ。


扉が開く音。


スレイ

「ヴォイドさん、

 仲直りできた~?」


三人が、

ほぼ同時に中を覗く。


そして――


一瞬で、

状況を理解する。


スレイ

「あ~あ~あ~」


「……これは」


シオン

「……」


視線は、

自然と――

ヴォイドの膝の上へ。


泣き跡の残る白羽。

頬はまだ赤く、

まつ毛が少し濡れている。


その身体を、

無言で支える腕。


――言い逃れ不能。

完璧な証拠。


スレイ

「白羽ちゃん、

 泣かせちゃったね~」


白羽

「ち、違います!!」


慌てて顔を上げる。


白羽

「これは、その……

 わ、私が勝手に……」


語尾が小さくなり、

視線が落ちる。


スレイ

「でもさ」


一拍。

わざと間を作ってから。


スレイ

「これはもう、

 “何かしてあげないと”

 だよね?」


「そうね」


雛の声は静か。

でも、優しい。


スレイは、

膝の上の白羽の方へ

少しだけ身を屈める。


スレイ

(白羽ちゃん、いい? 

 こんなチャンス滅多にないから

 甘えちゃえって)


目線を合わせて、

にこっと。


スレイ

「ヴォイドさんにさ、

 してほしいこと――ある?」


白羽

「……」


すぐには答えない。


指先が、

湯織の裾をきゅっと掴む。


一瞬迷って。


それから、

小さく息を吸って。


白羽

「……ぎゅって……」


声は震えている。

でも、逃げない。


白羽

「……してもらえたら……

 うれしいです……」


言い切ったあと、

耳まで赤くなる。


空気が、

ぴたりと止まる。


3人がほぼ同時に、

ヴォイドを見る。


シオン

「……ぱぱ?」


「……どう、なさいますか?」


丁寧だけど、

逃がさない。


スレイ

「白羽ちゃん、

 ちゃんとお願いしてるよ?」


にこっと、背中を押す笑顔。


ヴォイドは、

小さく息を吐く。


ヴォイド

「……分かった」


そのまま、

膝の上の白羽を

引き寄せる。


ぎゅっ。


腕が回る。

距離が消える。


白羽

「……っ……」


一瞬、驚いて――

それから。


そっと、

腕を回し返す。


白羽

「……えへ……」


泣き跡の残る顔で、

小さく、照れた笑顔。


スレイ

「いや~」


スレイ

「やっぱりさ」


親指を立てて。


スレイ

「ここぞって時、

 やる男だよね」


「さすがです!

 ヴォイド様」


シオン

「せかいいちの、ぱぱ」


胸を張る。


ヴォイド

「……」


何も言わない。


ただ、

抱きしめる腕だけは、

ゆるめなかった。


夜は音もなく、

静かに続いていった。



◇ 就寝前/宿の部屋


灯りが落ち、

部屋は夜の底に沈んでいた。


外では、

風が木を揺らす音。


中では――

五人分の呼吸。


大きな寝台の中央に、

ヴォイド。


仰向け。


その右腕の中、

ぴったり収まるように――

シオン。


小さな身体を抱き込む形で、

腕を枕にしている。


すぅ……

すぅ……


安定した寝息。


指先が、

無意識にヴォイドの服を掴んでいる。


完全に確信犯。


反対側。


ヴォイドの左腕に、

白羽。


肘のあたりに頬を預け、

小さく丸まっている。


すー……

すー……


時折、

鼻をすするような音。


ヴォイドの袖に、

かすかに湿り気が残る。


白羽

「……ん……」


寝言とも、

息の抜けともつかない声。


さらに外側。


雛は、

ヴォイドの肩口に寄り添う形。


背中を向けているが、

距離はほとんどゼロ。


吐く息が、

規則正しく揃っている。


はぁ……

……はぁ……


その呼吸に合わせて、

背中が、ほんの少しずつ

ヴォイドの胸元へ寄っていく。


そしてスレイ。


ヴォイドの前腕に、

自分の腕を引っかけたまま。


指先が、

きゅ、と布を掴んでいる。


すー……

……ふー……


スレイ

「……逃がさない……」


はっきりした寝言。

指先がきゅっと強く布を掴む。


ヴォイド

「……」


低く、息を吐く。


ヴォイド

「……暑苦しい」


誰に向けた言葉かは、

本人にも分からない。


シオンが、

腕の中で身じろぎして――


さらに、

ぎゅっと密着する。


シオン

「……ぱぱ……」


寝言。

確信犯。


白羽も、

それにつられたように動く。


頬を、

ヴォイドの腕にすり、と寄せて。


白羽

「……だいじょ……ぶ……」


何が大丈夫なのかは、

本人も知らない。


雛は、

小さく息を吸って。


「……あったか……」


聞き取れるかどうかの声。


スレイは、

寝返りを打とうとして――

結局、腕を離さない。


スレイ

「……だめ……」


ヴォイド

「……」


天井を見る。


四人分の体温。

四人分の重み。


逃げ道は、

ない。


ヴォイド

「……離れろ」


もう一度、

低く。


――反応、ゼロ。


全員、

完全に熟睡。


ヴォイドは、

しばらく黙ってから。


小さく、諦めたように息を吐いた。


ヴォイド

「……寝る」


腕は動かさない。


むしろ、

無意識に抱いている腕に

少しだけ力が入る。


夜は、

静かに、深く。


五人分の寝息が、

ゆっくりと溶け合っていった。



◇ 翌朝/宿の食堂エピローグ


朝の光が、

木の床に細く差し込んでいる。


湯の匂いが抜けきらない空気に、

焼きたてのパンと、

温かい汁物の匂い。


長い卓に、五人。


白羽は――

やけに背筋が伸びていた。


白羽

「今日は、その……

 昨日のお礼も兼ねて……」


小さく咳払い。


白羽

「私が色々やります!」


即宣言。


スレイ

「おっ」


「珍しいわね」


「……帯は、今日は勝ってるの?」


白羽

「――っ!?」


一瞬で、耳まで赤。


白羽

「だ、だいじょうぶです!!

 ちゃんと……ちゃんと結んであります!!」


無意識に、

きゅっと帯に手がいく。


スレイ

「はいはい、合格合格」


シオン

「……がんばる?」


白羽

「が、頑張ります!!」


勢いだけは十分。


白羽は立ち上がり、

まずはヴォイドの皿の前へ。


白羽

「えっと……パン、取ってきますね!」


ぱたぱた。


戻ってくる。


――が。


白羽

「あ」


パンを置こうとして、

皿の縁に当たる。


ころっ。


落ちる前に――


ヴォイド

「……」


すっと手が伸びる。


受け止め。


白羽

「す、すみません!!」


ヴォイド

「気にするな」


白羽

「い、いえでも……!」


次。


白羽

「じゃ、じゃあスープを……」


柄杓を持つ。


――傾けすぎる。


白羽

「あっ」


ヴォイド

「……貸せ」


自然に横から手を添え、

量を調整。


白羽

「……」


完全に補助されている。


スレイ

「ぷっ」


「……ふふ」


白羽

「ち、違うんです!!

 これは……慣れてないだけで……!」


スレイ

「うんうん」


スレイ

「白羽ちゃん、頑張ってるねー」


「ええ。

 でも結果的に――」


「昨日より、世話されてるわね」


白羽

「うぅ……」


耳まで赤。


シオンは、

二人を見比べて。


シオン

「……いつもどおり?」


ヴォイド

「……そうだな」


白羽

「……っ」


ヴォイドは、

白羽の方を一度だけ見て、

低く言う。


ヴォイド

「無理をする必要はない」


白羽

「……」


一拍。


白羽

「……はい!」


今度は、

迷いのない返事。


白羽

「……いつも通りで、

 いきます」


その言葉に、

力は入っていない。


ただ、自然で。


ヴォイドは、

それ以上何も言わない。


シオンが、

白羽を見上げる。


シオン

「……えがお」


白羽は、

少し驚いてから――


ふっと、笑った。


スレイ

「うん」


「その顔が、一番いいわ」


白羽の笑い声が、

朝の食堂に、やわらかく溶ける。


特別な約束はない。

劇的な変化もない。


それでも。


同じ卓で、

同じ朝を迎え、

同じ道へ向かう。


それだけで、

十分だった。


旅の準備は、

もう整っている。


今日もまた――

当たり前みたいに、

一緒に進んでいく。


それが、

今の答えだった。


昨日は、

裸で、帯がほどけて、

泣いた夜だった。


今日は、

きちんと結ばれている。


それだけで、

前に進める気がした。



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