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第19章 裁きの外の祝宴

◇ タナトスロア・大広間/夕


夕方の光が、高い天窓から差し込み、

石造りの床に長い影を落としている。


長机が並び、白布の上には料理と杯。

湯気と香りが、空間を満たしていた。


祝宴――

そう呼んでいい空気だった。


三日前。

戦いが終わった直後、白羽が戻ったときは、

もっと騒がしかった。



「ただ……いま……」


その瞬間、

周囲の気配が、いっせいに息を止めた。


そこに、白羽がいた。


一歩、踏み出しただけで、

“戻った”という事実が、ようやく現実になる。


次の瞬間。


シオンは泣いた。

声にならず、息ごと泣いて、

ヴォイドの膝から落ちそうな勢いで身を乗り出す。


シオン

「……しろ……」


シオン

「……白い……

 おねえちゃんっ」


名前の形をした嗚咽。

抱っこをねだる子の泣き方じゃない。

“いなくなる”を知ってしまった子の、泣き方だった。


スレイは、白羽を見て、

ほんの一瞬だけ目を細める。


それから、短く息を吐いた。


スレイ

「……ほんっとに、心配したんだからね」


それだけ。

責めるでも、慰めるでもない。

戻ってくると分かっていた人間の、

最後の確認みたいに。


ヴォイドは――

何も言わなかった。


言葉が要らないと決めたように、

ただ白羽の前まで歩いていく。


一歩、二歩。

距離が、消える。


白羽は、そこでようやく

自分が“帰ってきた”ことに気づいたみたいに、

肩を落とした。


白羽

「………っ」


うまく声が出ない。

喉の奥で、砕ける。


白羽は、謝ろうとした。

反射みたいに。


白羽

「……ごめ――」


言い切る前に、

ヴォイドの腕が、白羽を抱き留めた。


強くない。

逃げられないほどでもない。

でも――


体温だけが、確かだった。


白羽の膝が、そこでやっと抜ける。

張りつめていた何かが、音もなくほどけていく。


白羽は、ヴォイドの胸元に額を押し当て、

声にならないまま、息を震わせた。


涙は遅れて来た。

遅すぎるくらい、遅れて。

でも一度落ちたら、止まらなかった。


シオンが、さらに泣いた。

言葉を真似して、泣いた。


シオン

「……もどった……っ

 もどりました……!」


雛は、少し後ろにいた。


白羽の手首に触れていた指を、

そこで、すっと離す。


連れてきた人の手の離し方じゃない。

“返した”人の、離し方だった。


「……送り返したわよ」


短い。

それだけ。


でも雛は、視線を逸らさなかった。

白羽が泣いて、呼吸を取り戻すまで。

責任だけを足元に残して、

自分は半歩、影に退いていた。


――だから今日は、

ようやく、息をついて笑える夜だった。



スレイは、

すでに席についている。


目の前には、

異様な量の料理。


皿、三枚。


肉。

野菜。

煮込み。

パン。


すべてが、山。


スレイは腕を組み、じっと眺めてから――

満足そうに、ひとつ頷いた。


スレイ

「……よし」


ナイフとフォークを手に取る。

位置確認。

角度確認。


スレイ

「いつでも来い……」


白羽が、少し離れた場所から気づく。


白羽

「……スレイさん、それ全部食べる気ですか?」


スレイ

「は?」


即座に視線を上げる。


スレイ

「当たり前でしょ。

 むしろ足りない可能性すらあるわ」


雛が、鼻で小さく笑った。


「胃袋、災厄クラスね」


スレイ

「褒め言葉として受け取る」


即答。


その少し奥。


ヴォイドは椅子に腰掛けている。


その膝の上――

シオン。


ちょこん。


シオンは、

ヴォイドの服の端を小さく掴みながら、

周囲を見回していた。


シオン

「……ひと、いっぱい」


ヴォイド

「そうだな」


短く。


シオンは、料理の山に視線を向ける。


シオン

「……あかいの、たべすぎ」


スレイ

「聞こえてるわよ!!」


即ツッコミ。


スレイ

「今日は祝宴なの!

 これは“儀式”みたいなものなの!」


シオン

「……ぎしき」


少し考える。


シオン

「……こわすやつ?」


スレイ

「違う!!

 なんで全部破壊前提なのよ!!」


ヴォイド

「……静かにしろ」


スレイ

「無理!!」


ヴォイドの周囲。


白羽と雛が、

自然に、左右を囲む形になっている。


白羽

「でも、三日経って

 こうやって集まれるのは

よかったですね」


「確かに。

 誰も欠けてないし」


白羽

「……欠けてない、ですか」


「何よ」


白羽

「いえ。

 その言い方が、ちょっと……」


「現実的でしょ?」


肩をすくめる。


「それに――」


ちら、とシオンを見る。


「この子も、ちゃんとここにいる」


シオンは、

その視線に気づいて、首を傾げる。


シオン

「……なに」


「いい子にしてるわね、って話」


シオン

「……ぱぱのひざ」


ヴォイド

「……ああ」


白羽は、

そのやり取りを見て、

少しだけ微笑んだ。


大広間の前方。


演台の手前。


レイファは、

腕を組み、深く息を吸っていた。


レイファ

「……まだ、緊張してます」


横に立つガルドは、

低く笑う。


ガルド

「顔に出てるな」


レイファ

「出さないようにしてるつもりなんですが……」


ガルド

「無理だな」


即答。


ガルド

「だが、それでいい」


レイファは、

ちら、と横を見る。


レイファ

「……いいんですか」


ガルド

「完璧な長官の言葉より、

 “ちゃんと考えて出した言葉”のほうが、

 兵は信じる」


一拍。


ガルド

「それに――」


レイファの頭を、

ごつん、と軽く小突く。


ガルド

「今日は“処理”の話じゃねぇ。

 “守る”って決めた話だろ」


レイファ

「……はい」


背筋が、少し伸びた。


料理の音。

杯の触れる音。

小さな笑い声。


まだ、

正式な言葉は出ていない。


けれど――


誰もが、

「ここに集められた意味」を、

なんとなく察している。


レイファは、

演台を見上げる。


一歩、踏み出す前に。


ガルド

「……行ってこい」


短く。


レイファ

「……ありがとうございます、お父様」


小さく。


その背中を、

多くの視線が追っていた。



杯の音が少しずつ、静まっていく。


ざわめきが、自然に引いていく。


誰かが合図したわけでもない。

ただ――

レイファが、演台に立ったからだ。


一段、高い位置。


けれど、

威圧するための高さではない。


レイファは、

一度だけ、大広間を見渡した。


兵。

隊員。

そして――


前列。


スレイ。

皿を抱えたまま、動きを止めている。


ヴォイド。

膝の上にシオン。


白羽と雛。

それぞれ、視線を上げている。


レイファは、深く息を吸った。


レイファ

「……今日は、集まってくれてありがとう」


声は、張りすぎていない。

けれど、はっきりしている。


レイファ

「約1か月ほど前のことになります」


レイファ

「タナトスロアの最重要機密――

 X-0マテリアルが、

外部に流出しました」


ざわり、と空気が動く。


一拍。


レイファ

「ですが」


視線が、

自然と前列に落ちる。


レイファ

「皆さんのご協力のおかげで」


レイファ

「先日、

 無事に奪還に成功しました」


レイファは、

少しだけ姿勢を正した。


レイファ

「……この功績を称え」


声が、

わずかに低くなる。


レイファ

「タナトスロアは、

 白羽、シオンに対する

 “処理観察状態”を――」


一瞬、

空気が張る。


レイファ

「正式に、棄却します」


はっきり。


レイファ

「今後は、

 保護体制へ移行します」


白羽が、

息を呑む。


シオンは、

ヴォイドの服を、きゅっと掴んだ。


その直後。


雛が静かに一歩、前に出た。


「私は―――」


空気が、

ぴたりと止まる。


白羽が、思わず振り向く。


白羽

「雛……?」


雛は、肩をすくめる。


「私は、処理対象のままでいいわ」


即断。


「いつでも、かかってきなさい」


冗談めかした口調。

だが、視線は逸らさない。


レイファ

(原初の第五災《枯滅》……)


演台の上で、

雛をまっすぐに見る。


レイファ

「……雛」


名前だけ。


「なに?」


レイファ

「その覚悟を、

 今ここで言う必要はありません」


「私、守られる側に、

 全部まとめられるのは――

 性に合わないの」


一瞬、

大広間の空気が張りつめる。


その横。


スレイが、

ゆっくり手を挙げた。


スレイ

「はいはいはい!!」


一気に、空気を割る。


スレイ

「難しい話はあと!!

 今それ言うと、

 料理が冷めるから!!」


「……あんたね」


スレイ

「あとでいくらでも殴り合えるでしょ!

 今は食べる時間!!」


白羽

「殴り合い前提なのは

 否定しないんですね……」


ヴォイド

「……静かにしろ」


スレイ

「無理!!

 もうお腹ぺこぺこ!!」


空気が、

ゆるりと戻る。


レイファは、

その様子を見てから――

小さく息を吐いた。


レイファ

「……そうですね。

 雛の話は、また改めてしましょう」


雛を見て、

一度だけ、はっきり頷く。


レイファ

「今日は、

 “裁定の日”ではありません」


それから、杯を取る。


レイファ

「今日は、

 感謝の気持ちとして、

 ささやかなパーティを用意しました」


視線が、料理に向く。


スレイの皿。


レイファ

「……すでに、

 ささやかの域を超えている人も

 いますが」


スレイ

「えっ」


即反応。


スレイ

「それは主観では?」


「客観ね」


即。


レイファは、

小さく笑ってから――

杯を取った。


レイファ

「今日は、

 立場も役割も、

ひとまず置いて」


レイファ

「ただ、

 無事を喜んでください」


杯を、高く掲げる。


レイファ

「……それでは」


一拍。


レイファ

「乾杯」


「「「かんぱーい!」」」


声が、

大広間に広がった。


音が戻る。

笑いが戻る。


スレイは、

即、フォークを動かした。


シオンは、

ヴォイドの膝の上で、

小さく杯を見上げている。


シオン

「……ぱぱ」


ヴォイド

「何だ」


シオン

「……おまつり?」


ヴォイド

「……そうだな」


短く。


宴は、

静かに、そして確かに――

始まった。



◇ 白羽、スレイ、雛テーブル


音は、完全に戻っていた。


杯がぶつかり、

椅子が軋み、

笑い声が天井に反射している。


その中で――

一ヶ所だけ、物理法則が死んでいた。


スレイの前。


皿が減っている。

いや、消えている。

そして次の皿が湧く。


肉。

煮込み。

パン。


次の瞬間には、

別の皿がそこにある。


白羽は三度見て、

三度瞬きをしてから、

ようやく口を開いた。


白羽

「……スレイさん、その量……」


スレイ

「祝宴よ? タダよ?

 ここで抑える理由ある?」


「あるわよ。人としての上限」


スレイ

「災厄が上限語るな」


「胃袋が災厄な女に言われたくない」


白羽

「二人とも落ち着いてください!」


スレイは肉を噛み砕きながら、

ふと雛を見る。


視線が、鋭くなる。


スレイ

「……てか、あんた」


「なに?」


スレイ

「なんでそんな“最初からいましたけど?”

 みたいな顔で座ってんのよ」


「席が空いてたから」


スレイ

「そこじゃない!」


スレイ

「私が最後に見たあんた、

 白羽ちゃん沈めて、

 私の腕、消してたんだけど」


「些細な事まで覚えてるのね」


スレイ、白羽

「些細じゃない(です)!!」


スレイ

「三日で仲間ヅラは早すぎなのよ」


「経緯は伝えたでしょ?」


スレイ

「聞いたわよ!

 でも、納得するかは別!!」


「面倒な女」


スレイ

「は?」


空気が、

ぴきっと鳴る。


白羽

「ちょ、ちょっと!

 今日は祝宴で……!」


その言葉を、

雛が肘で折った。


「ねえ、白羽」


白羽

「は、はい?」


「私とスレイ、どっちが好き?」


白羽

「えっ???」


スレイ

「やめといたほうがいいわよ、

 白羽ちゃん」


スレイは、

フォークを持ったまま雛を指す。


スレイ

「その女、絶対エロいことしか考えてない。

 顔にでてる。」


「……は?」


音が一個、消えた。

皿の上の湯気だけが、場違いに元気だった。


白羽

(あ、来た。地雷原)


スレイ

「だってそうでしょ?

 ヴォイドさんと“生活してた”んでしょ?」


「してたけど?」


スレイ

「絶対、夜に襲ってる」


「決めつけが雑すぎる」


スレイ

「どうせ距離詰めて

 『寒いですね』とか言って――」


「言ってない」


スレイ

「『偶然触れました』とか――」


「してない」


スレイ

「呼吸数、数えてたでしょ?」


「……」


雛は、

一拍だけ黙った。


それから、

ゆっくりスレイを見る。


口角が、

ほんの少しだけ上がった。


「……それ、あなたの話?」


スレイ

「は?」


雛は、すぐには続けなかった。


杯に口をつけるでもなく、

料理に手を伸ばすでもなく、

ただ一度、息を吸う。


――ほんの一拍。


周囲の笑い声が、

なぜか少し遠くなる。


雛は、

視線を落としたまま、

低く言った。


「あなたもやってたでしょ」


スレイ

「なにを」


「夜の見張り中」


一拍。


「距離、詰めて」


もう一拍。


「顔、近づけて」


スレイ

「……」


「……“すー……すー……”」


白羽

(あ、これって――スレイさんの黒歴史)


爆発。


スレイ

「ぎゃあああああああああ!!!?」


椅子が盛大に鳴り、

フォークが宙を舞い、

白羽は反射的に身を引いた。


スレイ

「な、なんでそれ知ってんのよ!!?」


「え……まさか本当?」(ドン引き)


スレイ

「違う!!

 状況判断!!」


「寝息で?」


スレイ

「寝息で!!」


「変態」


スレイ

「うるさい!!」


雛は肩をすくめる。


「まあ、否定はしないのね」


スレイ

「してるわよ!!

 全力で!!」


そこで、

雛は初めて顔を上げた。


「……でも」


声は軽い。

でも、目が笑ってない。


「寝てるヴォイド様」


スレイ

「……」


「顔、可愛いわよね」


スレイ

「……っ」


「呼吸、静かすぎて

 逆に心配になるけど」


スレイ

「……分かる」


白羽

「え?」


「で、ほっぺ」


「つん、ってすると」


一拍。


「指、"むぎゅ"って捕まれる」


完全沈黙。


スレイ

「…………」


白羽

「…………」


スレイ

「……それ」


スレイ

「私もやったことある」


白羽

「あるの!?」


スレイ

「離そうとしたら

 意外と力、強いのよ」


「分かるー」


スレイ

「ねー」


白羽

「分かり合わないで!!」


三人、同時に顔を見合わせ――


一拍。


次の瞬間、一斉に吹き出した。


スレイ

「……あんたさ、

 多少は話、分かるじゃない」


「あなたもね」


白羽は、額を押さえたまま、

深くため息をついた。


白羽

「二人ともヴォイドさんのこと、

 なんだと思ってるんですか……」


一拍。


スレイ

「大好き」


「大好き」


二人の視線が、

すっと揃って、白羽を見る。


スレイ

「……で?」


「白羽も?」


空気が止まる。


白羽

「え」


逃げ場なし。

完全包囲。


白羽は一瞬だけ目を泳がせて――

観念したみたいに、肩を落とした。


白羽

「……大好き」


一拍。


スレイ、雛

「「でしょ」」


白羽

「でしょ、じゃないです!!

 ……っていうか、二人とも……!」


白羽

「寝てるヴォイドさんに、

 ちょっかい出すの、やめてください!!」


「ちょっかいじゃないわよ。生存確認」


スレイ

「そう。生存確認」


白羽

「ほっぺつんつんが、生存確認!?

 それ、赤ちゃんにやるやつですよね!?」


「あと、頭――」


スレイ

「――ごつんって当てると」


白羽

「はい!?」


雛、スレイ

「「反発してくる」」


白羽

「二人とも同じこと言った!!」


「寝てるのに、

 ちゃんと“いや”ってするの」


スレイ

「赤ちゃんみたいで可愛い」


白羽

「謎の母性もたないで!」


一拍。


スレイ

「……でも白羽ちゃんも、やったでしょ?」


「うん、やってそう」


白羽

「や、やってませんよ?」(棒)


間。


白羽

「……っは、あはは」


耐えきれず、吹き出した。


「笑った?」


スレイ

「笑った! 白羽ちゃん笑った!」


白羽

「だって……だって二人とも……」


白羽

「ヴォイドさんを通して

 自然に仲良くなってるから……

 なんか、可笑しくって」


三人の笑いが、

祝宴の音に溶けていった。


……が。


スレイが、

笑いながら急に腹を押さえた。


スレイ

「……っ、やば」


白羽

「えっ」


「……ついに来た?」


スレイは平然を装って、

背筋だけ伸ばす。


でも口元が引きつっている。


スレイ

「……ちょっと、トイレ」


白羽

「ちょっとじゃなくないですかその顔!?」


スレイ

「平気。

 いまの私は“胃袋と和解”してるだけ」


「破局寸前の言い方するな」


スレイは一拍だけ真面目な目で二人を見る。

そして、珍しく。


スレイ

「……ごめん」


白羽

「えっ」


「……」


スレイ

「さっきの続き、あとで」


それだけ言って、早足で消えた。


白羽

「……大丈夫ですかね」


「大丈夫よ。

 あの胃袋、しぶといから」


白羽

「慰めてるんですかそれ」


雛は肩をすくめて、杯を持ち直す。

白羽も、つられて息を吐く。


――そして。


喧騒は止まらない。

別の卓の笑い声が跳ね、


椅子の足が鳴り、杯がぶつかる。


その“音の波”に押されるように、

視線がふと、奥の落ち着いた卓へ流れた。



◇ レイファ・ガルド・ヴォイド・シオンのテーブル


少し奥まった位置。

喧騒から一歩だけ離れた、落ち着いた卓。


ヴォイドは静かに食事を進めている。

向かいにはレイファとガルド。

その横――ヴォイドの隣に、シオン。


シオンは皿を覗き込み、

じっと煮込みを見つめてから、眉を寄せた。


シオン

「……ぱぱ」


ヴォイド

「何だ」


シオン

「この……草……にがい」


指差されたのは、

香草の匂いが強い煮込み。


ヴォイドは一度皿を見て言う。


ヴォイド

「体にいい」


シオン

「……きらい」


一拍。


ヴォイド

「好き嫌いはだめだ」


即断。


シオン

「……むぅ」


ほっぺが、少し膨らむ。


そのまま、

もぐ、とパンをかじった瞬間。


口の端に、

小さな食べかすが付いた。


ヴォイドは、

何も言わずに指を伸ばす。


親指で、

ぬぐう。


シオン

「……」


一瞬だけ瞬きして、

何事もなかったように飲み込む。


シオン

「……とれた?」


ヴォイド

「ああ」


短く。


次に、

シオンがスープを飲もうとして、

前に身を乗り出したとき。


長い前髪が、

そのまま椀に落ちそうになる。


ヴォイドは、

スープを持つ手とは逆の手で、

そっと髪を払った。


耳に掛けるでもなく、

邪魔にならない位置へ流すだけ。


シオン

「……ぱぱ」


ヴォイド

「こぼすな」


シオン

「……うん」


慎重に、

ゆっくりとスープを飲む。


その様子を見て、

レイファが小さく息を漏らした。


レイファ

「……ふふ」


ガルドも、肩を揺らす。


ガルド

「相変わらず、仲がいいことで」


レイファはシオンを見る。


レイファ

「ヴォイドさんとシオンちゃんって、

 本当に息ぴったりですね」


シオン

「……ぱぱとシオン、

 なかよしだって」


ヴォイド

「……ああ」


短いが、自然だった。


レイファは柔らかく笑う。


レイファ

「いいですね……そういうの」


その言葉を聞いて、

ヴォイドがふと視線を上げた。


ヴォイド

「……お前達は、どうなんだ」


突然の質問。


レイファとガルドは、

一瞬だけ目を合わせた。


ガルド

「俺か?」


レイファ

「……わ、わたしですか?」


ガルドは鼻で笑う。


ガルド

「そう言われると、

 答えに困るがな」


ほんの一拍。


ガルド

「真面目すぎるのが玉に傷だが……

 いい娘に育ってくれた!」


どん、と軽く胸を叩く。


レイファ

「……っ」


少し照れたあと、

レイファは小さく咳払いをして続けた。


レイファ

「お父様も……」


レイファ(小声)

「いい父親……

 なんじゃないでしょうか」


ぼそっと。

ほぼ聞こえない。


ガルド

「おい」


ヴォイドは、

そのやり取りを静かに眺めていた。


ヴォイド

「……悪くない」


短い評価。


空気が、少しだけあたたかくなる。


……と、

その時。


少し後ろの卓。


女性隊員たちの声が、

湯気みたいにふわっと流れてきた。


悪意はない。

ただ、浮かれている。

それが一番危ない。


女性隊員A

「ねぇ、聞いた?」


女性隊員B

「なに?」


女性隊員A

「レイファ長官ってさ――」


女性隊員A

「十五まで、おねしょしてたんだって!」


その瞬間。

四人の動きが止まった。


女性隊員B

「えっ、待って!?

 それ可愛すぎない!?」


女性隊員C

「うそでしょ!?

 長官にそんな時代あったの!?」


レイファ

「………」


表情は崩れない。

ただし――目が、笑っていない。


女性隊員A

「それだけじゃなくてさ!」


女性隊員A

「告白の練習、

 ガルド卿に聞いてもらってたらしいよ!」


女性隊員B

「きゃーー!!

 お父様に告白練習!?

 尊い!!」


女性隊員C

「え、相手誰!?

 それ一番大事じゃない!?」


女性隊員A

「言っちゃていいのかな……」


わざと溜める。


女性隊員A

「ヒントは、

黒い外套。無表情。無口。だって」


女性隊員B

「誰だろうね~?」


女性隊員C

「そんな人、隊にいたっけ?」


女性隊員A

「しかもね」


女性隊員A

「その人見てる時だけ、

 長官、視線が一点固定になるんだって」


女性隊員B

「……かわ……」


女性隊員C

「可愛い!!

 それ完全に恋じゃん!!」


女性隊員A

「私さ、それ聞いて

 もっと長官のこと

 好きになったんだけど!」


女性隊員B、C

「私もー!」


きゃぴきゃぴ。

悪意ゼロ。

逃げ場、ゼロ。


――致命傷。


レイファは、

ゆっくりと椅子から立ち上がった。


音は立てない。

でも、空気が立った。


にこ。


そのまま、

ガルドの肩に手を置く。


ゆさ。


もう一度。


ゆさゆさ。


レイファ

「……お・と・う・さ・ま?」


声は柔らかい。

笑顔も完璧。

目だけ、氷。


レイファ

「……なにか私のこと、

 拡散しました?」


ガルドは、

一切迷わず答えた。


本当に、一切。


ガルド

「ん?

 あぁ、したぞ」


ヴォイド

「……」


シオン

「……」


ガルド

「お前の可愛いところをな」


胸を張る。


ガルド

「わけぇもんに、

 どーんと教えてやった」


一拍。


完全な沈黙。


レイファ

「………」


目が、

すっと細くなる。


レイファ

「も~っ!!」


次の瞬間。


がしっ。


ガルドの襟元を掴み――


ゆさゆさゆさ!!


レイファ

「なんでそんな恥ずかしいことを

 堂々と言うんですか!!」


レイファ

「お父様の馬鹿馬鹿!」


ガルド

「お、おい!?

 褒めたつもりだぞ!?」


ゆさゆさゆさ!!


ガルド

「首っ!

 俺の首が取れる!!」


ヴォイドは、

視線だけで状況を把握した。


シオンは、

パンをかじりながら観察している。


シオン

「……くまおじさん、

 ぐらぐらしてる」


ガルド

「おいシオン、

 見てないで止めろ!!」


だが――

その様子を見ていた、例の女性隊員たちが。


顔を見合わせて、

小さく頷き合う。


そして――

おそるおそる、近づいてきた。


女性隊員B

「――あ」


女性隊員C

「長官……!?」


女性隊員A

「わ、わわっ……」


一斉に背筋が伸びる。


そして、慌てて。


女性隊員A

「あの!

 す、すみません!

 悪意とか全然なくて……!」


女性隊員B

「よ、よければ……

一緒にお話しませんか!

 さっきの、すごく可愛くて……!」


女性隊員C

「私もです!

 もっと好きになりました!」


一拍。


レイファ

「……え?」


完全に予想外。


目を瞬かせる。

それから――


ゆっくり、理解する。


誘われている。


“普通に”。


レイファ

「……私、ですか?」


女性隊員B

「はい!

 長官とお話ししたくて……!」


女性隊員A

「はい!

 その……仕事の話じゃなくても……!」


レイファの頬が、

一気に弱まる。


嬉しさが、隠しきれていない。


レイファ

「……え、ええ。

 ぜひとも!」


声が、

ほんの少し弾んだ。


レイファ

「では……

 席を移動しましょうか」


るん。


足取りが、明らかに軽い。


去り際――

ちらっと振り返る。


レイファ

「素敵なお父様?

 あとで、ゆっくりお話ありますので」


にこり。


声は優しい。

笑顔も完璧。


――完全に、死刑宣告。


レイファは、そのままくるりと踵を返した。

足取りは、明らかに軽い。


女性隊員たちも、

きゃっと小さく声を上げてついていく。


ガルド

「……?」


ガルド

「……俺、何か悪いこと言ったか?」


ヴォイドは、スープを一口。

嚥下してから、淡々と答える。


ヴォイド

「言った」


ガルド

「何を!?」


ヴォイド

「全部だ」


ガルド

「雑すぎるだろ!」


シオンは、ガルドをじっと見上げる。

ほんの一瞬、首を傾げてから。


シオン

「……くまおじさん」


ガルド

「どうしたシオン」


シオン

「くまおじさん、

 “お父様ポイント”

 ぜんぶ燃やした」


ガルド

「ポイント制!?」


シオン

「でも……

 レイファさそわれて、

 ちょっと嬉しそうだった」


ガルド

「……あ」


ようやく、線がつながる。


ガルド

「つまり俺は……

 結果的に、役に立った?」


ガルド

「……いい父親ってやつだな?」


ヴォイド

「偶然だ」


シオン

「たまたま」


間髪入れず、即否定。


ガルド

「ひどくねぇか!?」


シオンは少し考えてから、

小さく、こくりと頷いた。


ガルド

「それと、あとで“ゆっくり話がある”って」


ヴォイド

「逃げるな」


ガルド

「逃げたいんだが!?」


シオン

「くまおじさん」


ガルド

「なんだ……」


シオン

「いのち、

 だいじに」


ガルド

「ぐっ……!」


喧騒の向こうで、

レイファの笑い声が聞こえた。


ガルドはそれを聞いて、

少しだけ、複雑そうな顔をする。


ガルド

「……まぁ」


ガルド

「笑ってるなら、

 結果オーライ……か?」


宴の音は続く。



◇ タナトスロア・大広間/夜


ざわめきが、一段階上がった。


誰かが卓を叩き、

誰かが笑い、

誰かが杯を掲げる。


その中心で――

若い隊員が、声を張り上げた。


隊員

「――それではっ!!」


一拍。


隊員

「ここからは、お待ちかね!!

 祝宴恒例――」


間。


隊員

「ビンゴ大会を始めます!!」


爆発。


「うおおおお!!」

「来た来た来た!!」

「景品なんだろう!?」

「前回、毛布だった!」


一斉に椅子が鳴り、

札が配られ、

数字表が運び込まれる。


熱が、天井まで跳ね上がった。


その喧騒の中――

レイファは、

一歩引いた位置でそれを見ていた。


ほんの一瞬だけ、

その光景を眺める。


若い隊員たちの、

無防備な笑顔。


レイファ

「……ふふ」


小さく息を漏らす。


すぐ隣。

先ほど声を張っていた若い隊員に、

声をかける。


レイファ

「楽しそうですね」


隊員

「は、はい!

 長官も参加なさいますか!?」


レイファは、少しだけ考えて――

柔らかく首を振った。


レイファ

「今回は、遠慮しておきます」


一拍。


レイファ

「でも……今日は楽しかったわ」


視線を合わせて、

きちんと笑う。


レイファ

「次は、ゆっくりお話ししましょう」


隊員

「……は、はい!

 とても楽しかったです!

 次もぜひ!!」


レイファは、軽く頷いた。


それだけ。


それ以上は、何も言わない。


そして――

静かに、踵を返す。


レイファは、笑顔のまま――

一度だけ、指先を握りしめた。


爪が掌に食い込む。

痛みで、呼吸を繋ぐみたいに。


(……今は、笑っていなきゃ)


その“役”を続けるために、

レイファは、ほんの一瞬だけ目を伏せた。


喧騒の縁をなぞるように、

会場の出口へ。


その背中を、

ヴォイドは静かに見ていた。


ビンゴカードを受け取ったまま、

動きを止める。


数字を呼ぶ声。

歓声。

誰かの悔しがる声。


そのすべてを、

一瞬だけ背に受けてから。


ヴォイド

「……少し、外の風に当たってくる」


低く、短く。


シオンが、顔を上げる。


シオン

「……ぱぱ?」


ヴォイドは、

ポケットからカードを一枚抜き取る。


ヴォイド

「俺の分も、頼む」


シオンの手に、そっと渡す。


シオン

「……びんご」


カードを見る。

それから、しっかり頷く。


シオン

「……まかせて」


ヴォイド

「ああ」


立ち上がる。


その瞬間――

向かいの席。


ガルドと視線が合ったが、

言葉はない。

ただ一瞬、わずかに顎を上げる。


――行ってこい。


ヴォイドは、

それに、ほんのわずかだけ頷いた。


背を向ける。


扉へ。


背中で聞く。


「次! Bの――!!」

「来たぁぁ!!」

「リーチ!!」

「うそだろ、もう!?」


白羽

「雛!

 そこ空いてます!」


「ちょっと!

 私まだ見てる途中!」


シオン

「……あ!

 あった!」


ガルド

「おい、落ち着け!

 番号は逃げねぇよ!!」


笑い声。

歓声。

紙を叩く音。


すべてを背に。


ヴォイドは、扉に手をかける。


最後にもう一度だけ――

大広間を振り返らずに、聞いた。


そして、扉が閉まる。


どん。


熱と音が、

一気に遮断された。


廊下の空気は、

ひどく静かだった。


外の風が、

ゆっくりと流れている。



◇ 展望ベランダ/夜


夜風が、低く流れている。


遠く、タナトスロアの灯り。

祝宴の熱は、もうここには届かない。


手すりに、レイファが寄りかかっていた。


肩が、小さく揺れている。


声は出さない。

ただ、呼吸が乱れている。


そこへ――

足音。


振り向かなくても、分かる。


……ヴォイドさん。


声にした瞬間、

胸の奥が、さらに崩れた。


やっぱり、

あなたは来てくれるんですね。


手すりに、しがみついている。


冷たい金属。

指が、白くなるほど握っているのに、

足に力が入らない。


膝が折れ、

そのまま床に崩れ落ちた。


涙が止まらない。

いや、最初から止まっていなかった。


夜風が頬を撫でる。

でも、寒さは感じない。


レイファ

「……私は……」


声が、喉で潰れる。


レイファ

「……罪を……犯しました……」


言い切った瞬間、

胸の奥が、空洞になる。


床に落ちる涙が、

石に弾く。


レイファ

「……最初は、殺すつもりでした……」


言った瞬間、

喉の奥が、ひゅっと鳴る。


レイファ

「長官として、それが正しいって……

 そう信じて……」


でも――


手が震えた。


止まらない。

笑えるくらい、止まらない。


レイファ

「……リゼの目の前に立ったら……」


レイファ

「……手の震え……止まらなくて……」


息が切れる。


レイファ

「……大層な理由を並べて……」


レイファ

「……逃がしました……」


一拍。


言い訳の形をした沈黙。


レイファ

「……友達を……」


声が折れる。


レイファ

「……手をかけるのが、怖かった……」


涙が床を打つ。


レイファ

「……大切な部下が……」


レイファ

「……何人も……死んだのに……」


それ以上が言えず、

ただ、嗚咽だけが残る。


もう、立っていられなかった。


身体が、前に倒れそうになる。


その瞬間――

腕が、何かを掴んだ。


硬い。

確かな感触。


レイファは、

考えるより先に――


ヴォイドに、抱きついていた。


額を胸に押し当てて。

縋るように。


服を掴んで。


泣き声が、抑えきれず溢れる。


レイファ

「……私は……もう……」


言葉が崩れる。


その上から、

低い声が落ちてきた。


ヴォイド

「罪かどうかは……

 あいつら次第だ」


抱きつく力が、

わずかに強くなる。


ヴォイド

「裁く資格があるかどうかは……

 死んだ連中が決める」


レイファ

「……っ」


ヴォイド

「だが」


声は、近い。


ヴォイド

「もし、その日が来たら」


レイファの肩に、

吐息がかかる距離。


ヴォイド

「俺が、お前を裁いてやる」


その言葉で。


レイファは、

はっと、顔を上げた。


涙で濡れた視界の向こう。


近い。


あまりにも、近い。


息が、触れる。


ヴォイド

「俺以外の手出しは」


低く。


ヴォイド

「絶対にさせん」


自分でも分かるほど、

頬が熱くなる。


唇が震える。


視線が無意識にそこに落ちる。


距離が、

さらに詰まる。


あと、ほんの少し。


触れてしまう――

その手前。



――じー……。


夜風とは違う。

背中に、妙に具体的な気配。


静かすぎる。

だから――


聞こえた。


柱の影。

四つの気配。


白羽。

雛。

ガルド。

シオン。


誰も、隠れる気がない。

ただ、息を殺して見ている。


――じー……。


最初に口を開いたのは、

ガルドだった。


ガルド(小声)

「……よし」


一拍。


ガルド(小声)

「いいぞ、レイファ

 その調子だ」


次。


雛(小声)

「……ヴォイド様、駄目よ」


低い。

はっきり。


雛(小声)

「……それ以上は、ダメ」


雛(小声)

「距離が近いって」


ガルド(小声)

「いや、近くていい」


雛(小声)

「よくない」


ガルド(小声)

「父親目線で言ってる」


雛(小声)

「それ、一番危険だから」


シオンは、

少し遅れて、状況を理解した。


目を輝かせる。


シオン(小声)

「……ちゅー?」


白羽(小声)

「シオンちゃん!!

 声が大きいです!!」


シオン(小声)

「だって……

 さっきより、くっついてる」


白羽(小声)

「実況しないでください!!」


シオン(小声)

「……でも」


一拍。


シオン(小声)

「顔、まっか」


白羽(小声)

「言わなくていいです!!

 見れば分かります!!」


――じー……。


視線。

距離。

息遣い。


全部。


レイファの背中に、

容赦なく突き刺さっていた。


理解する。


見られている。

しかも――


全員に。

応援付きで。


レイファ

「~~~~~~っ……!!」


次の瞬間。


がばっ、と。

文字通り、跳ねるように。


ヴォイドから距離を取った。


二歩。

三歩。


背中が、手すりにぶつかる。


レイファ

「ま、また――」


息が、詰まる。


レイファ

「また、懲りずに貴方たちは!?」


柱の影。


――全員、ばっちり目が合った。


ガルド

「ん?」


きょとん。


ガルド

「俺は初めてだが?」


「私も初めてね」


淡々。


シオン

「……シオン、2回目?」


首を傾げる。


白羽

「わ、私も2回目かも」


レイファ

「そこ、どうでもいいです!!」


びしっと。


声が裏返る。


レイファ

「問題は!!」


指を振り切るように、

全員を指す。


レイファ

「なぜ!!」


レイファ

「こそこそ!!」


レイファ

「覗いて!!」


レイファ

「いるんですか!!」


一拍。


静寂。


――そして。


ガルド

「……いや」


肩をすくめる。


ガルド

「父として、

 止める理由がなかったんでな」


「私は止めようとしたけど、

 世論がそれを許さなかった」


白羽

「世論!?」


シオンは、

じっとヴォイドとレイファを見比べてから。


シオン

「……ちゅー、しないの?」


レイファ

「し、しません!!」


否定。


ヴォイド

「……違う」


全員の視線が、

一斉にヴォイドへ集まる。


ヴォイド

「お前たちは勘違いしている」


ざわ、と空気が一瞬だけ動いた。


ヴォイドは、

視線を逸らさずに続ける。


ヴォイド

「レイファは、酔っただけだ」


レイファ

「……!?」


一斉に、目が向く。


ヴォイド

「祝宴の酒だ。

 普段、飲まない量を口にした」


一拍。


ヴォイド

「気分が悪くなったから、

 外の風に当たっていた」


「……それで泣いてた?」


ヴォイド

「あぁ。

 酔うと、感情が出やすくなる」


即答。


ガルド

「……ああ。

 確かに、あの酒は強いが」


ゆっくり、納得したように頷く。


ヴォイド

「俺は、たまたま通りかかった」


視線を、

ほんの一瞬だけベランダの奥へ向ける。


ヴォイド

「レイファの様子がおかしかったから、

 声をかけただけだ」


間。


ヴォイド

「以上だ」


「……なるほど」


腕を組む。


「確かに、それなら筋は通る」


ガルド

「酔って感情が溢れて、

 隊長が通りがかって、

 ちょっと距離が近くなった」


白羽

「……全部、説明つきますね」


シオン

「……ちゅーは、なし?」


白羽

「なしです!!」


ヴォイド

「……お前達」


全員を見る。


ヴォイド

「勝手な憶測を立てて、

 レイファを困らせるな」


静かだが、断定的。


ヴォイド

「ここでの話は、

 ただの“介抱”だ」


その一言で。


空気が、すっと落ち着いた。


レイファ

(ヴォイドさん……ありがとう)


(……今回は酔ったことにしておきます)




その時。


奥から――

大広間の方向。


「ビンゴ!!」

「うそでしょ、もう!?」

「まだ二列目だぞ!?」


歓声が、夜風に乗って聞こえてくる。


白羽

「……あっ!」


白羽

「休憩時間、もう終わってます!」


「まずい……

 景品、なくなるわね」


シオン

「……まける」


白羽

「負けません!」


一斉に、踵を返す。


白羽

「レイファさん、

 今の忘れてくださいー!」


「悪かったわね、レイファ」


ガルド

「さ、戻るぞ。

 早くしねぇと本当に毛布になる」


シオン

「はしれー」


笑いながら、四人は先に行く。


足音が遠ざかっていく。



ベランダに残ったのは

また二人だけ。


夜風が、静かに流れる。


レイファ

「……私たちも、戻りましょうか」


レイファは、

深く息を吐いてから、

ゆっくり立ち上がろうとした。


伸ばされた手を、取ろうとして――


そのとき。


トン、と額を軽く。


ヴォイド

「……まだまだだな」


一瞬。


レイファ

「――っ!!」


びくっと、肩が跳ねる。

目を見開いたまま固まる。


気を取られたその隙に、

ヴォイドはもう背を向けていた。


何も言わず、

大広間の方へ歩き出す。


レイファ

「……っ」


一拍。


レイファの頬が、ぷくーっと膨らむ。


レイファ

「ヴォイドさん!」


少しだけ、幼い声。


レイファ

「ずるい! 待ってよ!!」


そのまま、小走りで追いかける。


扉の向こうから、また笑い声。


紙を叩く音。

誰かの悔しそうな叫び。


祝宴は、まだ終わらない。


夜は、穏やかに続いていく。



◇ タナトスロア内部/カレンの私室・夜


ランプの灯りは、柔らかかった。


祝宴の音は、もう届かない。

代わりにあるのは、浅い呼吸と、

林檎の皮が机に落ちる、かすかな音だけ。


カレンはベッドに横になったまま、

枕に頭を預け、天井を見ている。


顔色は少し悪い。

けれど、意識ははっきりしていた。


カレン

「……すみません、私……」


声は弱いが、はっきりしている。


カレン

「こんな時に……

 体調崩しちゃって……」


スレイは、林檎を剥く手を止めない。


視線も上げないまま、

いつもの調子で言った。


スレイ

「……そんなこったろうと思った」


くる、と皮が落ちる。


スレイ

「あんたさ、昔からずっとそうだったもん」


一拍。


スレイ

「こういうデカい戦いがあると、

 必ず一人で無理する」


ナイフの動きは、正確で、静か。


スレイ

「何日も寝れてなかったんでしょ?」


カレン

「……」


言葉に詰まる、

その沈黙が答えだった。


スレイ

「ほらね」


皮が、最後まで剥ける。


スレイ

「安心と疲労が、一気に来たのよ」


林檎を小さく切り分けながら、

声だけ少し落とす。


スレイ

「……相変わらず、分かりやすい子」


カレンは、目を閉じたまま小さく笑った。


カレン

「……でも……」


ゆっくり、目を開ける。


カレン

「スレイ先輩には……

 せっかくの祝宴なのに、

 もっと楽しんでほしいです……」


その言葉に、

スレイの手が一瞬だけ止まる。


そして、鼻で笑った。


スレイ

「もう十分楽しんだ」


林檎を皿に乗せ、

一切れを指でつまむ。


スレイ

「だから次は――」


一歩、ベッドに近づく。


スレイ

「久々に相棒との、

 静かな時間にしよっかなって」


カレン

「……」


スレイ

「いい?

 私がやりたいから、やってんの」


林檎を、そっと差し出す。


スレイ

「あんたは、大人しく看病されとけ」


カレン

「……スレイ先輩……」


声が、少しだけ揺れる。


差し出された林檎を、

カレンは両手で受け取った。


一口。


ゆっくり噛んで――

ほっと息を吐く。


カレン

「……甘い……」


そのまま、

少しだけ身をずらす。


まるで、子供みたいに。


ベッドの端に座るスレイの方へ、

距離を詰める。


カレン

「……ここに、いてください……」


囁くように。


一拍。


それから、

ほんの少しだけ、声を落として。


カレン

「先輩……」


スレイ

「なぁに」


カレン

「……ぎゅっと、してください……」


スレイは、

一瞬だけ動きを止めた。


それから――

小さく、息を吐く。


スレイ

「……ほんとにさぁ」


靴を脱ぎ、

ベッドに腰を下ろす。


完全に横にはならない。

でも、迷いはない。


腕を伸ばし、

カレンを引き寄せる。


ぎゅっ。


強すぎず、

でも、逃げ場のない距離。


カレンの額が、

スレイの胸元に触れる。


スレイ

「こういう時だけ、

 素直になるの、ずるいんだけど」


カレンは、

何も言わずに目を閉じた。


呼吸が、

ゆっくり、整っていく。


スレイは、

片腕で抱いたまま、

空いた手で林檎をもう一切れ取る。


それをかじりながら、

小さく呟いた。


スレイ

「……守られる側に回るの、

 たまには覚えなさいよ」


返事はない。


ただ――

スレイの服を掴む指だけが、

少し強くなる。


しばらくして。

呼吸が完全に落ち着いたのを感じてから。


スレイは、

カレンの頭のすぐ上で、

小さく口を開いた。


スレイ

「……でも」


スレイ

「本当に、ありがとね」


一拍。


スレイ

「大事なものを守ってくれて」


それだけ。


大きな言葉も、

英雄扱いもない。


でも――

それ以上はいらなかった。


カレンの指が、

わずかに、きゅっと動く。

それが返事だった。


ランプの灯りが、静かに揺れる。


世界はまだ不安定で、

問題は何一つ終わっていない。


それでも、この夜だけは――

二人にとって、

確かな“帰る場所”だった。



――物語・了

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