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第17章 越境者たちの分岐点

◇ 街道/朝


街道は、朝の光に少しずつ温められていた。

三人の足音が、一定のリズムで続いている。


スレイは、歩きながら――

ふと、肩に当たる感触を意識した。


左右で、揺れる。

きちんと結ばれたツインテール。


灰色の石の髪留めが、朝日に鈍く光る。


(……うん、

 今日もばっちりツインテール)


一人で納得してから、

スレイは、何でもないふうを装って――

両腕を、背中で組んだ。


歩調をほんの少しだけ落として、

前を行くヴォイドの横へ。


下から、覗き込む。


スレイ

「……ねぇ、ヴォイドさん」


ヴォイド

「何だ」


スレイは、

首を傾げる。


その拍子に、

ツインテールがふわりと揺れた。


スレイ

「私のツインテールってさ」


一拍。


スレイ

「……かわいいよね?」


間。


スレイは、

すぐに視線を外して、

しれっと付け足す。


スレイ

「ていうかさ」


スレイ

「私、かわいいよね?」


一瞬の沈黙。


シオンが、

ぴくっと反応した。


ヴォイド

「……」


数秒。


ヴォイド

「視認性は高い」


スレイ

「そこ!?」


即、振り向く。


スレイ

「今の流れで

 視認性!?」


ヴォイド

「戦闘時に位置把握がしやすい」


スレイ

「全部戦場基準なのやめて!!」


横から、

冷静すぎる声。


シオン

「……つまり」


スレイ

「なに」


シオン

「……ぱぱは、

 あかいのを、

 “かわいい”で見てない」


スレイ

「言い方!!」


スレイ

「じゃあ何で見てるのよ!」


シオン

「……うるさいもの」


スレイ

「最悪の分類!!」


ヴォイドは、

前を見たまま、短く言う。


ヴォイド

「……否定はしない」


スレイ

「否定して!?」


その瞬間。


――ぴょこ。


スレイ

「……?」


――ぴょこ、ぴょこ。


横を見ると、

シオンが無言で

スレイのツインテの房をつまんでいた。


上下に。

ぴょこぴょこ。


スレイ

「ちょ、なにしてんの!?」


シオン

「……ゆれる」


スレイ

「観察対象みたいに言うな!」


ぴょこぴょこぴょこ。

今度は両側。


スレイ

「やめなさいって!!

 それ私の!!」


シオン

「……あかいの、

 かわいいかどうか、

 かくにん中」


スレイ

「自分の手で検証するな!!」


――ぐしゃ。


スレイの手が、

即座にシオンの頭へ。


シオン

「……!」


スレイ

「人の髪いじるなら、

 いじられる覚悟しなさい!!」


ぐしゃぐしゃ。

容赦なし。


シオン

「……ぼさぼさ……」


スレイ

「はいはい!

 あんたも十分かわいいわよ!!」


シオン

「……よくない」


でも、

逃げない。


少し乱れた髪のまま、

シオンはぽつりと言う。


シオン

「……でも」


スレイ

「なによ」


シオン

「……ツインテは、

 にあってる」


一拍。


スレイ

「……」


顔を背ける。


スレイ

「……今さら言われても

 別に嬉しくないし」


シオン

「……うそ」


スレイ

「ふざけんなああああ!!」


即、振り向く。


スレイ

「今の流れで

 それ嘘にするの

 意味わかんないんだけど!?」


スレイ

「じゃあさっきの何!?

 社交辞令!? 幻!?」


少しだけ、

低い声。


ヴォイド

「……静かにしろ」


ぴたり。


一拍。


シオンが、

小さくスレイを見る。


シオン

「……あかいののせいで、

 おこられた」


スレイ

「は?」


即座に被せる。


スレイ

「どこがよ!!

 どう考えても

 あんたの“うそ”のせいでしょ!!」


シオン

「……」


一瞬だけ考えてから。


シオン

「……でも、

 おもしろかった」


スレイ

「反省しなさいよ!!」


ヴォイドは、

それ以上触れずに言う。


ヴォイド

「……行くぞ」


一拍。


スレイ、シオン

「「……はーい」」


ほぼ同時。


三人は、

また同じ歩幅で歩き出す。


喧嘩みたいで、

でも後は引かない。


ツインテールは、

さっきより少しだけ、

大きく揺れていた。



◇ 街道・サイト1視界圏(廃墟輪郭)/夕


夕暮れの街道は、

もう完全に“足に来る時間帯”だった。


スレイは、

へとへとで歩いている。


足取りは重く、

肩は落ち、

呼吸も少し乱れている。


スレイ

「……はぁ……

 ……はぁ……」


一歩。

また一歩。


明らかに、

限界が近い。


その横――


シオンは、

無言。


しかも。


ヴォイドの肩の上。


いわゆる――

肩車。


シオン

「……たかい」


落ち着いた声。


ヴォイドは、

歩幅も速度も変えない。


スレイは、

その光景を横目で見て――

一瞬、理解を拒否した。


スレイ

「……え?」


瞬き。


もう一度、見る。


スレイ

「……は?」


状況は変わらない。


シオンは、

ヴォイドの肩の上で、

景色を眺めている。


スレイ

「……なんで?」


シオン

「……つかれた」


スレイ

「いや、

 それは分かるけど!」


スレイ

「なんで“あんた”が

 運ばれてて――」


指を自分に向ける。


スレイ

「私は自力なのよ!?」


シオン

「……ぱぱ、

 あいてた」


スレイ

「判断基準が雑!!」


ヴォイドは、

何も言わない。


ただ、

歩いている。


スレイは、

唇を噛んで――

次の瞬間、限界を迎えた。


スレイ

「……もう無理!!」


前に出る。


そして。


――がしっ。


ヴォイドの腕に、

しがみついた。


スレイ

「私も!

 私も無理だから!!」


ヴォイド

「……」


一切、

反応なし。


ヴォイドは、

そのまま歩く。


スレイは、

しがみついたまま。


ずる。

ずるずる。


スレイ

「ちょ!?

 止まって!?

 止まってくれない!?」


足が、

地面を引きずる。


砂利が、

しゃりしゃり鳴る。


スレイ

「人を!

 荷物みたいに!!」


シオンは、

上から覗き込む。


シオン

「……いきてる?」


スレイ

「生きてるけど

 尊厳が死んでる!!」


ヴォイドは、

淡々と言う。


ヴォイド

「……離せばいい」


スレイ

「離せる体力が

 あったらこうなってない!!」


必死。


しがみつき、

引きずられ、

文句を言う。


完全に、

絵面がひどい。


それでも、

ヴォイドは止まらない。


シオンは、

少し考えてから。


シオン

「……がんばれ」


スレイ

「応援いらない!!

 席を譲れ!!」


夕焼けの中、

三人は進む。


一人は歩き。

一人は担がれ。

一人は引きずられ。


しばらくして――


スレイは、

ふと顔を上げた。


視線の先。


夕日に沈む影。


岩肌と、

人工構造物が混ざる、

不自然な輪郭。


スレイ

「……あ」


街道の先。


因果観測第1研究所。

《サイト1》。


もう、

はっきり見える距離だった。


スレイは、

息を整えながら、

しがみついたまま呟く。


スレイ

「……近いね」


ヴォイド

「ああ」


シオン

「……おっきい」


三人の歩みは、

止まらない。


夕焼けの中、

サイト1は静かに、

そこにあった。



サイト1が、

はっきりと“目的地”として

視界に収まった頃。


スレイは、

まだヴォイドにしがみついたままだった。


ずる。

ずるずる。


スレイ

「……ねえ」


ヴォイド

「何だ」


スレイ

「……本当に、

 そのまま引きずる気?」


ヴォイド

「歩いている」


スレイ

「論点そこじゃない!!」


文句は言うが、

力を抜く気配はない。


疲労が、

もうそれを許さなかった。


シオンは、

肩車されたまま前を見ている。


風に揺れる髪。

夕焼け。


サイト1は、

もう“廃墟”としての輪郭を隠していない。


崩れた外壁。

剥き出しの鉄骨。

沈黙。


スレイは、

引きずられながら、

その光景を見上げた。


スレイ

「……ほんとに、

 使われてるように見えないね」


シオン

「……うん」


スレイ

「地下、だっけ」


スレイ

「研究続いてるの」


言葉にすると、

喉の奥が少し重くなる。


ヴォイド

「……ああ」


短い肯定。


それ以上は、

説明しない。


今は、

余計な言葉が要らない気がした。


街道の周囲から、

人の気配が消えていく。


鳥の声も、

いつの間にか聞こえない。


風だけが、

低く流れている。


その変化に、

最初に気づいたのは――

ヴォイドだった。


歩幅は変えないが、

足の運びがわずかに慎重になる。


視線が、

前方から左右へ。

それから、

もう一度、サイト1へ。


何かを、

“測っている”。


スレイは、

しがみついたまま――

遅れて、その違和感を拾った。


(……あ)


冗談を言う気が、

一気に消える。


肩車の上で、

シオンも同じ方向を見ている。


無言。


でも、体が少しだけ強張った。


三人の間に、

言葉のない間が落ちる。


夕日が、

さらに低くなり――

サイト1の影が、

長く、地面に伸びた。


その影の向こうに、

“何か”がある。


まだ、姿も名前も見えない。


けれど。

確実に距離は詰まっていた。


そのとき。


スレイは、

腕の力を緩めて地面に降りる。


一歩。

二歩。


足を揃え直して――

無意識に、もじっとする。


スレイ

「……ねえ、ヴォイドさん」


ヴォイド

「何だ」


スレイは視線を外し、

一瞬言い淀んでから。


スレイ

「先、行っててくれる?」


シオン

「……?」


スレイ

「ちょっとだけ……

 その……」


言葉を探して、

また足を入れ替える。


シオンが、

じっと見る。


数秒。


そして、

ぽつり。


シオン

「……おしっこ?」


――。


時間が止まる。


スレイ

「っ!!?」


顔が、

一気に熱くなる。


スレイ

「ちがっ――

 ちがう!!」


即、両手で顔を覆う。


スレイ

「ちがうけど!!

 今それ言う!?」


スレイ

「核心つきすぎだから!!

 そういうのは

 ぼかすやつでしょ普通!!」


シオン

「……あってた」


スレイ

「言うなああああ!!」


ヴォイドは、

一拍だけ置いてから。


ヴォイド

「……分かった」


何も聞かなかったことにする声。


ヴォイド

「先行する」


シオン

「……ちゃんと、

 あとでくる?」


スレイ

「くる!!

 絶対くるから

 今すぐ行って!!」


必死。


ヴォイドは、

それ以上触れずに歩き出す。


シオンは、

肩車されたまま振り返る。


シオン

「……がんばれ」


スレイ

「励まし方!!」


二人の背中が、

夕焼けの中へ遠ざかる。


スレイは、

完全に見えなくなってから――

大きく息を吐いた。


スレイ

「……もう」


顔を覆ったまま、

小さく呟く。


スレイ

「最悪……」


それでも、

視線は自然と上がる。


サイト1の影。


その“影の向こう”。


今度は――

一人で、

向き合う番だった。



夕焼けが、

一段、暗くなった。


スレイは、

まだ息を整えきれていない。


顔の熱と胸の鼓動。


(……落ち着け)


そう思った瞬間だった。


――ぞわり。


背中を、

冷たいものが撫でた。


音も気配もない。

それなのに。


(……来る)


思考より、

反射が先に動いた。


スレイ

「――っ!」


地面を蹴る。


同時に。


スレイ

「焔臨《灼影》!」


言葉と同時に、

赤い焔が足元で弾けた。


爆発じゃない。

展開。


焔が影のように伸び、

スレイの輪郭を歪ませる。


次の瞬間。


――がつん。


さっきまで

スレイの“首があった位置”を、

何かが薙いだ。


空気が裂ける。


一瞬遅れて、

地面に深い線が走った。


スレイは、

焔に押し出されるように

横へ転がる。


砂利を蹴散らし、

木の影へ。


(……本気)


立ち上がるより早く、

視線を向ける。


そこに――

“人影”。


距離は、

十数メートル。



人影は止まった。


にこにこしたまま――

左腕を、だらりと下げる。


指は動かない。


肘から先が、

まるで“繋がっているだけ”みたいに。


スレイの視線が、

そこに落ちる。


百音

「あ~」


百音

「これですか?」


自分の腕を、

ぶらんと揺らす。


百音

「くっつきましたけど~」


百音

「まだ、

 ちゃんとは動かないんですよね」


残念そうでも、

困っている様子でもない。


百音

「ま、

 いいですけど」


百音

「あなたくらいなら――」


一拍。


百音

「片手で、

 十分なので」


にこっ。


空気が、

はっきりと敵意に変わる。


スレイ

「……舐めてる?」


百音

「はい」


即答。


百音

「だって」


百音

「この前、

 あなた達のせいで

 失敗しちゃって~」


首を傾げる。


百音

「そのせいで、先生、

 よしよししてくれなかったんですよ」


声は軽い。

でも、

そこに感情がないわけじゃない。


――不満。

――苛立ち。

――私怨。


百音

「だから、

 あなたと白羽ちゃんには」


一歩、前へ。


百音

「ちゃんと、

 責任取ってもらわないと」


百音は、

胸元へ手を入れた。


服の内側。


ゆっくりと――

ナイフを引き抜く。


細く、短い刃。

反射しない。


“刺すためだけ”の形。


百音

「これからですね~」


百音

「あなたを、

 切り刻んで」


刃を、

くるりと指で回す。


百音

「家畜のえさに、

 してあげますよ~」


にこにこ。


本気で、

そう言っている。


スレイは焔を強めた。


百音は、

その赤を見ても、

表情を変えない。


百音

「へ〜逃げないんですね」


スレイ

「……」


百音

「……いいです」


百音

「そのほうが、

 楽しいので」


左腕は使わない。

右手だけで、

ナイフを構える。


重心が、

前に落ちる。


百音

「じゃあ――」


一歩。


完全に、

殺しに行く距離。


百音

「始めましょうか」



赤い焔が、スレイの足元を舐めている。


踏み出すたび、

床が焦げ、火花が散る。


百音の姿が――消えた。


次の瞬間。


背後。


スレイは反射で肘を振る。

焔が爆ぜる。


百音の肩が焼けた。


だが同時に、

刃が閃く。


――ざく。


脇腹。


スレイ

「……っ!」


肉を裂き、骨に当たって止まる。


スレイは歯を食いしばり、跳ね退く。


回し蹴り。

焔を纏わせた踵。


百音は、蹴りの軌道“内側”に踏み込んだ。


ナイフを引く。


――ぎり。


刃が、スレイの太腿をえぐる。


筋を断たれ、

脚が一瞬、抜ける。


スレイ

「うぐぅ……」


百音はそのまま距離を詰め、

空いた脇へ体を滑り込ませた。:


ナイフは使わない。


首。


細い腕が、正確に回る。


喉ではなく血管。


血流が止まり、

視界が暗くなる。


(く、くるしっ……!)


スレイは焔を爆ぜさせ、

無理やり振りほどいた。


はぁ……はぁ……


息を吸う。

だが、空気がうまく入らない。


百音

「……血」


床に落ちた赤を見る。


百音

「好きなんです」


踏み込み。


今度は、手首。


ナイフの峰。


――ごき。


骨が鳴る。


スレイ

「ぐぅっ……!」


力が抜け、

スレイの拳が落ちる。


(……まだ、動ける)


スレイは無理やり前に出る。

焔を一点に集中。


拳を叩き込む。


当たる。


百音が、わずかに後ろへ流れる。


その一瞬。


百音の足が、

スレイの足元を一閃。


――払われた


バランスが崩れた瞬間。


スレイの額に掌。


――ごん。


地面に、叩きつけられる。


スレイ

「がはっ……!」


視界が白く弾ける。


次の瞬間。


百音が、

馬乗りでスレイに跨る。


片膝で、壊れた脚を固定。

もう片方で、折れた腕を押さえる。


動けない。


ナイフが、逆手に構えられる。


刃先は、

正確に――喉。


百音

「貧困街だと」


わずかに、体重が乗る。


百音

「大人も、子供も」


刃が、皮膚を割る。


百音

「男も、女も」


血が、流れる。


百音

「こうやって、殺してました」


完全な殺しの体勢。


逃げ道はない。


百音

「先生に拾われてからは」


刃が、沈む角度。


百音

「理由を考えなくて、

 よくなりました」


ナイフが、一直線に落ちる。



その瞬間――

赤い焔が、沈んだ。


次の刹那。


――ぶわっ。


スレイの全身から、

青い焔が噴き上がった。


爆発ではない。

拡散でもない。


空間が、押し退けられる。


百音

「――これは」


至近距離。


青が、直撃した。


百音の身体が焼かれる。

皮膚ではない。

筋でもない。


殺しのために最適化された

身体そのものが削られる。


反射で、百音は飛びのいた。

床を蹴り、距離を取る。


だが――


スレイは、起き上がらない。


いや、

起き上がれない。


背中は地面に縫い止められ、

脚は言うことを聞かず、

腕も力が入らない。


意識も、ほとんど残っていない。


それでも。


――ぶわっ。


仰向けのまま、

全身から青い焔が噴き上がった。


身体は、動いていない。


動いているのは、

意思だけだ。


スレイ

「……まだ……」


声は、喉の奥で擦れるだけ。


青い焔が、

地面を、空気を、空間を押し上げる。


技でも制御でもない。


動けない身体から、

生き残ろうとする衝動だけが噴き出している。


百音は、ナイフを前に出した。


刃を盾に、

青い焔を――受ける。


焼ける。


先ほどの直撃。

そして今、

受け続けることで侵食される青。


皮膚が焦げ、

感覚が鈍り、

身体の動作精度が落ちていく。


百音

「……この焔」


一歩、下がる。


百音

「常人が、

 出せるものじゃない」


視線は、

焔の向こうに立つスレイだけを捉えている。


百音

「あなたも……」


一拍。


百音

「たどり着いたのですか」


淡々と。


百音

「――こちら側に」


評価でも、称賛でもない。

確認。


百音は、それ以上前に出なかった。


ナイフは下げない。

だが、踏み込まない。


百音

「このまま出し続ければ」


視線を逸らさずに言う。


百音

「あなたの方が、

 先に死ぬ」


事実の提示。


百音は動かないし、

追わない。


ただ、力尽きるのを待つ。


青い焔は荒れている。

制御されていない。


スレイの膝が落ちた。

呼吸が浅い。


(……もう……)


意識が沈む。


(……これ以上……)


青い焔が揺らいだ。


そのとき。


ひらり、と。


黒い羽根が、

空から落ちた。


一枚。

二枚。


静かに戦場へ降る。


空気が変わる。


そして、低く落ち着いた声。


「……よく耐えたわね」



◇ 黒い羽根の少女


「――スレイさん!!」


白羽の声が、明らかに裏返った。


駆け寄る。

躊躇なく膝をつき、身体を抱き起こす。


思ったより、重い。


白羽

「スレイさん

 スレイさん――!」


スレイ

「……ちょ……」


かすれた声。


白羽

「――っ!?」


スレイは、薄く目を開けた。

焦点は甘いが、確かにこちらを見ている。


スレイ

「……そんな顔されると……

 逆に、しんどい……」


白羽

「喋らないでください!」


即座。


その瞬間。


スレイは、残っていた力を全部使うみたいに――

白羽の服を、ぎゅっと掴んだ。


そして。


そのまま、白羽の肩に埋めて

抱きつく。


スレイ

「……ちょっとだけ……

 充電……」


白羽

「ちょ――!

 スレイさん!?」


抵抗しようとして、

でも、止まる。


体温と震え。

そして、呼吸の重さ。


怪我人のそれだ。


白羽

「……もう」


小さく、ため息。


白羽は、

そっと受け止めた。


スレイの手が、力を失う。


スレイ

「……ありがと」


それきり。


完全に、眠った。


白羽

「……ほんとに……

 ずるい人……」


文句のはずなのに、

声は、やわらかかった。


白羽は、そのまま動かない。


抱えた身体が、

きちんと呼吸しているのを感じながら。


白羽

「……雛!」


顔を上げずに、声だけを飛ばす。


白羽

「こっちは大丈夫です!」


はっきりと。


白羽

「目の前に、集中してください!」


命令ではない。

でも、迷いのない声。


その様子を、

少し離れた場所から雛は見ていた。


一拍。


それで、十分だった。


雛は視線を上げる。

向ける先は、ただ一人。


百音。


「へぇ」


乾いた声。


「あんたが、

 白羽が言ってた――

 やたらと強い人間ね」


百音は、刃先は雛を捉えたまま

ナイフを下ろさない。


距離は、

互いに“殺せる”位置を外したまま、

固定されている。


百音

「……誰ですか、あなた」


問いというより、

対象確認。


雛は、肩をすくめる。


「名乗るほどでもないわ」


百音

「……」


視線が、

雛の足運び、重心、呼吸へと滑る。


測っている。


百音

「あなたも、

 先生の邪魔をするなら――」


一拍。


百音

「殺しちゃいますよ?」


声音は軽い。

だが、刃の角度は変わらない。


雛は、

その“踏み込まなさ”を見て、

わずかに口角を上げた。


一歩、前へ。


床を踏む音は、しない。

それでも、空気が軋んだ。


「その割には――」


視線が、百音ではなく、

地面に倒れたスレイへ一瞬だけ落ちる。


「あなた、

 あの子の“青い焔”に

 手も足も出なかったじゃない」


張りつめる。


百音の指が、

ナイフの柄を、きゅっと握り直す。


「だから、これは」


一拍。


「あなたの負けよ」


百音の呼吸が、

ほんの一瞬、乱れた。


雛は、それを見逃さない。


「安心しなさい」


声は低い。


「せっかくの上客のようだし、

 退屈させないわ」


間合いは、まだ詰めない。


「次は――

 あたしが相手よ」


百音と雛。


二人の間に、

音のない圧が落ちる。


殺意が、形を持たないまま、

互いを縛り合っていた。


――だが。


その均衡に、

ごくわずかな“ズレ”が走る。


この場のものではない。

別の場所で、

同時に生じた因果の揺らぎ。


百音の指が、

ナイフの柄をわずかに締める。


雛の視線が、

ほんの一瞬だけ遠くを見る。


次に動くのは――

この場ではない。



◇ タナトスロア・長官室/午前


執務机の上は、整然としていた。

報告書。

承認待ちの端末。

規定に沿った備品の配置。


乱れはない。


――乱れがないように、整えている。


机上の端、書類の束から少しだけ外れた場所に、

一通の手紙が置かれていた。


封は切られている。

宛名はヴォイドからだ。


外部連絡の規定を踏み越えないために、

言葉は必要最低限に圧縮されている。


それでも――

必要なことだけは、届く形になっている。


レイファは、椅子に深く腰掛けたまま、

手紙を読み終え、静かに机へ戻した。


レイファ

「やっぱり……」


手紙の最後に残った固有名が、

喉の奥に引っかかる。


リゼ・アウレリア。


タナトスロア0期生。

そして、かつて――“元”対災厄適応局 局長。


レイファ

「盗んだのはリゼだったのね」


声は平らだ。

長官の声として成立している。


けれど、その言葉が“判断”であることを、

レイファ自身が一番よく分かっていた。


確信は、まだ完全ではない。

だが、否定する余地も残っていない。


もし、ここで自分が動けば。

因果が定まり、状況は“確定した形”で転がり出す。


――だから動けない。


長官という肩書きは、自由ではなく重しだ。

石の危険さを知っている者ほど、

軽率に踏み出せない。


机上の端末に視線を落とす。

訓練状況。補給申請。巡回ログ。

“守れている”数字が並ぶ。


それでも胸の奥では、

別の計算が走り続けている。


ヴォイドは現場にいる。

白羽とシオンとスレイもいる。


彼らに任せた。


任せたくて任せたわけじゃない。

自分が動けないから頼んだ。


……長官である限り、

守るべきは“現場”ではなく“全体”になる。


それが、こんなにも苦い。


レイファは、指先で紙の角を整え直した。

無意味な動作。

でも、手が止まると、余計な感情が表に出る。


ふと。

机の端に伏せられていた写真に、指先が触れる。


裏返す。


五人の少女が並んで写っていた。


タナトスロア0期生。

まだ組織という形すら曖昧で、規定も、制服も、

“終わりを扱う覚悟”だけが先にあった頃。


中央に立つのは、レイファ。


その横には、笑っている者、緊張している者、強がっている者。


そして――右端に、リゼがいた。


いちばん静かな笑い方で。


白衣ではない。

研究者になる前の姿。

それでも、目だけは落ち着いている。


距離を取っているのに、

なぜかいちばん全体を見ている。


レイファの胸の奥で、

“名前”より先に“声”が蘇る。



◇ 《回想》五年前


訓練区画。


まだ白線も薄く、

床の補修跡がそのまま残る時代。


若い隊員たちが、

規定外の装備を抱えて右往左往している。


能力が暴発する者。

反動で倒れる者。


“使える”と“使いこなせる”が、

まだ別物だった。


その中心で、

リゼが端末を操作していた。


淡々としているのに、

声だけはやけに柔らかい。


リゼ

「……ふふ。大丈夫ですよ」


隊員

「だ、大丈夫って……!

 出力が……!」


リゼ

「出力が強いのではありません」


リゼ

「成立条件が揃っていないのに、

 発動させているだけです」


隊員

「で、でも……!

 早く戦力に――」


リゼ

「急がなくていいんです」


リゼ

「条件を揃えれば、

 同じ力は“再現”できますから」


“再現”。


その言葉が、

当時のレイファには異様に聞こえた。


能力は、才能で、偶然で、祈りで――

そういうものだと思っていたから。


レイファ

「ねえ、リゼ」


リゼが顔を上げる。


にこり。


穏やかな笑顔のまま、

目だけが真面目だ。


リゼ

「はい、どうしました?」


レイファ

「あなたは、

 どうしてタナトスロアに入ったの?」


一拍。


リゼ

「何も分からないまま……

 それが、どうしても嫌だったんです」


レイファ

「分からないまま?」


リゼ

「ええ」


リゼ

「災厄が“そういうもの”だと、

 誰かが決めてしまう前に――」


リゼ

「ちゃんと、確かめたかったんです」


リゼは少しだけ首を傾げる。

困ったように、でも楽しそうに。


リゼ

「分からないのに裁くのって……」


リゼ

「すごく、嫌じゃないですか」


その時のレイファは、うまく返せなかった。

言葉の意味が難しかったのではない。


“その優しさの形が、妙に鋭かった”からだ。



現実に戻る。


写真が、静かに伏せられる。


レイファ

「……リゼ」


レイファの胸の奥に、

怒りとも悲しみとも違う、

鈍い痛みが沈む。


レイファ

「……貴女は誰よりも、

 正しかったのに」


そのとき。


コン、コン。


扉の向こう。


カレン

「長官。至急、ご報告があります」


レイファは一拍置き、顔を上げる。

迷いを表に出さない速度で。


レイファ

「……入りなさい」


カレン

「失礼します」


カレンの報告は、

簡潔だった。


カレン

「外縁第三区画。

 災厄化した幻影が多数出現。

 先兵隊が迎撃中です」


レイファは、返事をしない。


長官室を出る。

歩幅は一定。

早足でも、駆け足でもない。


ただ――迷いがない。


外縁区画へ続く通路。

途中で、剣を取る。


鞘から抜く音すら、立てない。



◇ タナトスロア・外縁第三区画


叫び声。

金属音。

切迫した足音。


幻影が――多すぎる。


タナトスロア兵

「くそ……!

 さっき倒したばかりだろ……!」


斬る。

消える。

だが、間を置かず、同じ場所が歪む。


また出る。


タナトスロア兵

「再生してるんじゃない……

 “生成”されてる……!」


背後。


気づくより早く、

影が伸びる。


タナトスロア兵

「――っ、来る!!」


防御姿勢。

だが、間に合わない距離。


その瞬間。


何の音もなく、

幻影の腕が――落ちた。


次の瞬間には、

胴体が上下に分かれている。


タナトスロア兵

「……え?」


理解が、追いつかない。


剣が振られた感覚もない。

衝撃も、風圧もない。


ただ、

「斬られている」という

結果だけがそこにある。


レイファが、そこにいた。


隊員

「ちょ、長官……!?」


声が裏返る。


レイファは答えない。

視線は、前。


次ーの幻影が、五体。

同時に距離を詰める。


タナトスロア兵

「後ろ!!」


――遅い。


世界が、一拍、抜け落ちた。


五体の幻影が、

同時に“存在を失う”。


一体ずつではない。

連続でもない。


最初から、

そこにいなかったかのように、

切断面だけが残る。


タナトスロア兵

「……五、体……?」


誰かが、呆然と呟く。


レイファは、

剣を納めたまま言う。


レイファ

「下がって」


短い声。

だが、はっきりとした命令。


レイファ

「安全圏まで退避しなさい」


タナトスロア兵

「は、はい!」


迷いはない。

全員が即座に動く。


その背後。


さらに、幻影が湧く。

数が明らかにおかしい。


レイファは立ち止まり、

剣に手をかける。


レイファ

(リゼ……)


(ゼロ因子の解析、

 終わらせてしまったのね……)


ゼロ因子。

中途半端に災厄化した“できそこない”。


だからこそ、数で押す。

だからこそ、質を捨てる。


――時間稼ぎ。


レイファは、剣を抜いた。



レイファは、一歩も動かない。


剣を腰の位置へ。

静かに居合の構え。


その瞬間。


彼女を中心に、

空気が――歪んだ。


風ではない。

音もない。


ただ、

“圧”だけが集まっていく。


周囲の幻影が、

本能的に距離を詰める。


――遅い。


レイファの親指が、

鍔を、押した。


キン。


澄んだ金属音が、

区画全体に響いた。


次の瞬間。


視界に映るすべての災厄幻影が、

同時に――


ばらり、と崩れ落ちた。


首が落ちるもの。

胴が割れるもの。

腕だけが遅れて転がるもの。


切られ方だけが、ばらばらに揃っている。


だが――

起きたのは、全部いっせいだ。


零刻《七刻零拍》。


踏み込み。

抜刀。

斬撃。

位置取り。

収束。

納刀。


本来なら、

七つの“過程”が必要な動作。


だが――

世界には、その結果だけが残る。


斬られたという事実。

終わったという状態。


それだけが、

遅れて許可された。


レイファは、

もう剣を納めている。


遅れて空気が戻り、

風が抜ける。


幻影だったものは、

何一つ形を保てず、

霧のように消えた。


沈黙。


兵士たちは、

立ったまま、息を忘れている。


誰かが、

ようやく息を吸った。


タナトスロア兵

「……終わっ……」


言葉が、

最後まで続かなかった。


――目の前が、

完全に、空だからだ。



遅れて、

カレンが区画に駆け込んでくる。


――そして、止まった。


視界に入るはずのものが、ない。

敵影も、残骸も、戦闘の痕跡すら。


あるのは、

呆然と立ち尽くす隊員たちと、

剣を納めたまま背を向けるレイファだけ。


一瞬。

理解が、遅れる。


カレン

「……状況を、報告して」


声が、わずかに低い。


返事が――遅れた。


タナトスロア兵

「……」


喉が鳴る音。

誰かが、ようやく息を吸う。


タナトスロア兵

「カ、カレン一等兵長……」


言葉が、途切れる。


タナトスロア兵

「……長官が、一瞬で……」


首を振る。

自分の言葉を、否定するみたいに。


タナトスロア兵

「……全部……消えました……」


沈黙。


カレンは、ゆっくりと前を見る。


レイファの背中。

剣は、すでに鞘の中。


息が、整っている。

戦闘後の乱れが、どこにもない。


(……あの時は)


ヴォイドの前だった。

判断の場だった。

“強さ”を測る場じゃなかった。


(でも……これは……)


カレンは、無意識に一歩踏み出す。


言葉が、漏れた。


カレン

「……隊長……」


声が、震えたのではない。

確信してしまっただけだ。


カレン

「これが……

 タナトスロアの、最高戦力……」


もう、疑いはない。


カレン

「やっぱり……」


小さく、息を吐く。


カレン

「この人は、最強です……」



――ぞわり。


空気が、再び歪んだ。


区画の奥。

崩れた壁の向こうから、

災厄化した幻影が、次々と滲み出てくる。


今度は数ではなく質だ。

さきほどより、明らかに“揃っている”。


タナトスロア兵

「……っ、また……!?」


誰かが剣を握り直す。

だが、足が動かない。


レイファは、

一歩踏み出しかけて――止まった。


胸の奥で、

零刻の感覚が、応えない。


(……さっきの反動)


自覚するより早く、

答えは出ていた。


レイファ

(リゼ……)


ほんの一瞬だけ、目を伏せる。


(あなた、私の弱点も……

 全部、分かってるものね)


それでも。

レイファは前に出ようとした。


次の刹那。


ゴオォン――!!


今度は、横。


空気が裂け、

視界の端で、幻影がまとめて押し潰された。


剣でもない。

能力でもない。


――膂力。


ただ、振るわれただけの力が、

世界を潰す。


ゴオォン――!!


空気が裂け、

視界の端で、景色ごと押し潰された。


兵たちは、立ち尽くす。


何が起きたのか、

理解が追いつかない。


見えていたはずの横薙ぎの軌道が、

「衝撃」になった瞬間、

理屈も距離も一緒に潰れていた。


だが。


レイファだけは、

その音を知っていた。


(……この、衝撃)


胸の奥が、きゅっと締まる。


(……この、空気の割れ方)


幼い頃の灰鳴旅団。


災厄と戦闘になるたび、

何度も、何度も――

背中越しに聞いてきた音。


目を閉じていても分かった。


――あ。

もう大丈夫だ、って音。


レイファ

「……この、攻撃……」


声が、わずかに揺れる。


レイファ

「……まさか……」


心臓が、

ほんの一拍、遅れて跳ねた。


レイファ

「……お父様……!?」


次の瞬間。


地面の割れ目から、

“出てきた”。


それは登場というより、

ただ――そこに立っていた。


巨躯の男。

巨大な槌を、肩に担いだまま。


一歩、踏み出す。


――それだけで、地が鳴る。


灰鳴旅団のナンバー2。


轟界のガルド。


幻影も、兵も、見ていない。

視線は、ただ一人。


レイファ。


ガルド

「……やっぱり、

 こうなってたかよ」


低い声。

状況確認みたいな一言。


続けて、間を置かず。


ガルド

「無茶、してる顔だ

 レイファ。」


その一言で、

喉の奥が、詰まる。


ガルド

「お前のこと、

 心配でな」


言い訳みたいに、短く。


一拍。


レイファ

「……ずるいです」


ガルドは、槌を地面に下ろす。


――ドン。


その衝撃だけで、

幻影が霧散する。


規格外。

力の“段”が、違う。


ガルド

「お前にはよ」


ガルド

「行くところが、

 あるんだろ?」


レイファは、答えない。


ただ、

その背中を見つめる。


――何度も、

守られてきた背中を。


ガルド

「だったら――」


槌を担ぎ直し、

にやりと笑う。


ガルド

「ここは、俺に任せて行けや」


一拍。


ガルド

「友達を、救ってこい」


――次の瞬間。


レイファは、

迷わなかった。


駆け寄り、

勢いのまま、ガルドに抱きつく。


ガルド

「……おい、部下が見てるぞ」


一瞬、驚いた顔。

だが、すぐに苦笑する。


レイファ

「……ありがとう、お父様」


短く。

でも、全部込めて。


そのまま、

ガルドが連れてきた馬へ。


鞍に飛び乗る。


ガルド

「レイファ、焦って落ちるなよ!」


レイファ

「落ちません!」


即答。


馬が、地を蹴る。


(ありがとう……

 お父様、みんな)


(そして、リゼ。

 待ってなさい……

 必ず……!)


――駆ける。


因果観測第1研究所。

《サイト1》へ。



馬の蹄音が、完全に消える。


残された区画に、

一拍遅れて――ざわめきが広がった。


「……今の」

「え、ちょっと待って……」


視線が交錯する。

剣を納めた長官の背中。

そして、そこに立つ“男”。


誰かが、声を潜めた。


「……ガルド卿って」

「レイファ隊長の……

 お父様、なの?」


ざわ、と空気が揺れる。


カレンも言葉を失っていた。

知らなかった。


いや、知っていたとしても――

“今”それを突きつけられる重みが、別だ。


(……だからなんですね)


強さだけじゃない。

あの迷いのなさ。

守ると決めたときの、あの目。


カレン

「……ちょっと似てる……かも」


思わず、口をついて出た。


そのとき。


後方から、

一人の女性隊員が、

恐る恐る声を上げる。


「……ガ、ガルド卿」


振り向く巨躯。


一瞬、隊員は息を呑み――

それでも、逃げなかった。


「以前……

 視察のときに、訓練を……」


ガルドは、目を細める。


「ああ、訓練区画での。

 よく覚えてるぞ、嬢ちゃん」


隊員は一瞬、ぱぁっと笑顔になる。

でもすぐに、背筋がぴんと伸びる。


ガルドは、

しばらく黙って隊員を見る。


逃げない。

視線も逸らさない。


ガルド

「戦う覚悟は、あるか?」


一拍。


女性隊員

「……はい!」


震えながらも、はっきりと。


女性隊員

「私も……

 タナトスロアを守りたいです!」


静寂。


その言葉を、

ガルドは遮らない。


一拍。


そして、にやりと笑った。


ガルド

「いい」


低く、確かな声。


ガルド

「いい覚悟だ」


槌を、肩に担ぎ直す。


ガルド

「――よく聞け、お前たち」


声は大きくない。

だが、区画の隅まで届く。


ガルド

「ここからは、

 レイファ長官に代わって、

 俺が指揮を執る」


隊員たちの視線が、自然と集まる。


ガルド

「先に言っておこう。」


ガルド

「俺一人でも、この場は抑えられる」


事実として告げるだけの声音。

誇示も、威圧もない。


ガルド

「だがな」


一拍。


ガルド

「それでも――

 立ちたいと言う者がいるなら」


視線が、ゆっくりと全体をなぞる。


ガルド

「俺はその覚悟を、否定しない」


隊員たちが、息を呑む。


ガルド

「守りたいものがあるなら

 前に出ろ」


静かだが、揺るがない。


ガルド

「俺は――

 その意志の、盾になる」


沈黙。


次の瞬間、

誰かが一歩、踏み出した。


それに続いて、

もう一人。


誰も下がらない。


カレンは、その光景を見ていた。


(……これが)


(……レイファ隊長が、守ってきたもの)


ガルドはその姿を見て――

小さく頷いた。


ガルド

「……いい顔だ」


ガルドは、ゆっくりと前を向く。


幻影が、再び蠢く。

数が増えている。


だが、

ガルドは気にも留めない。


槌を、両手で握り直す。


肩。

腰。

背中。


全身が、ひとつの動作に収束する。


ガルド

「――来い」


静かな声。


次の瞬間。


ガルドは、

巨大な槌を――


思いきり、振りかぶった。


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