第16章 帰郷の焔、沈黙の真実(後編)
◇ 夢の中
目を開けると、
そこは家の中だった。
夜。
雨の音が、静かに屋根を叩いている。
スレイは、
自分の部屋の扉の前に立っていた。
理由は分からない。
身体が、動かない。
廊下の先。
居間に、明かりがついている。
――人影が、二つ。
姉と、
ラスティナ。
二人は、
少し距離を空けて、
向かい合って立っていた。
近づこうともしない。
手も、伸ばさない。
姉は、
驚いた顔をしていなかった。
ただ、
ひどく静かで。
覚悟を決めた人みたいな、
目をしていた。
泣きそうなのに、
それでも、
笑おうとしている。
ラスティナは、
いつも通り無口で。
でも、
視線は落ち着かず、
どこにも、定まっていない。
腕には、
あのテディベア。
抱えている、というより、
離せなくなっているみたいだった。
一歩だけ、
前に出る姉。
でも、
それ以上は、
近づかない。
声は、
聞こえない。
それでも、
何かを
“確認している”ように見えた。
――本当に、
ここまで来たのか。
――もう、
戻れないのか。
そんな問いを、
飲み込んだまま。
ラスティナは、
何も答えず、
ただ、
わずかに首を振った。
その仕草だけで姉は、
すべてを理解したみたいだった。
ゆっくりと、
息を吐く。
それから、
ほんの一瞬だけ、
視線が揺れた。
まるで、
この先に起きることを
思い描いてしまったみたいに。
ラスティナの腕の中で、
テディベアのガラスの目に、
水が溜まる。
ぽた、と。
床に落ちる。
その音だけが、
やけに大きく響いた。
スレイは、
叫ぼうとする。
声が出ない。
姉がこちらを見た――
気がした。
ほんの一瞬。
まるで、
「見るな」
と言うみたいに。
次の瞬間。
闇がすべてを覆った。
◇ 燈ノ井村・宿/朝
――はっ。
スレイは、息を吸い込んで目を覚ました。
胸の奥が、まだ少しだけざわついている。
夢の輪郭は曖昧なのに、
嫌な感触だけが残っていた。
(……最悪)
布団の中で、身体を丸める。
視線を横にやると、
すぐ隣に――小さな背中。
シオン。
規則正しい寝息。
完全に無防備。
スレイは、少しだけ迷ってから。
――むぎゅっ。
後ろから、
パジャマのまま抱きついた。
ぎゅー。
その瞬間。
シオン
「……あつい」
低く、即座。
シオン
「……なに……
きも……」
スレイ
「ちょっと待ちなさい、
それはひどくない?」
シオン
「……よっきゅう不満?」
もぞ、と肩を動かす。
シオン
「……朝から……
ようじょに手を出す……」
スレイ
「犯罪者みたいに言うな!!」
ぎゅー。
シオン
「……はなれて」
腕を引きはがそうとするが
びくともしない。
スレイ
「やだ」
シオン
「……あつくるしい」
スレイ
「それは知ってる」
シオン
「……朝から、
あかいのが、
よっきゅう発散してる……」
スレイ
「私は獣じゃないから」
シオン
「……じゃあ、
なんで、だきついてるの……」
スレイ
「……それは……」
一瞬、言葉に詰まる。
シオンは、
ちらっとだけ視線を動かして、
スレイの腕を見る。
一拍。
シオン
「……また、
へんな夢……」
スレイ
「……」
否定しない。
その沈黙で、
空気が少し変わる。
シオンは、
小さく息を吐いた。
シオン
「……だったら、
じぜんに言って……」
スレイ
「……無理よ」
即答。
スレイ
「目が覚めた直後に、
予約なんてできるわけないでしょ」
でも、
離れない。
シオン
「……でも……」
一拍。
シオン
「……きょうは、
しゃーなし……」
スレイ
「……!」
シオン
「……あかいの、
かお、やばいし……」
スレイ
「そこ評価基準なの?」
シオン
「……うん」
でも、
抵抗はしなくなった。
スレイの腕の中で、
そのまま大人しくしている。
スレイ
「……ありがとう」
小さく。
シオン
「……べつに……」
少し間を置いて。
シオン
「……つぎは、
言ってから……」
スレイ
「善処はするわ」
シオン
「……あやしい」
朝の光が、
障子の隙間から差し込む。
昨日より、
ほんの少しだけ明るい。
シオン
「……起きる?」
スレイ
「……もう少し」
シオン
「……あつい」
スレイ
「我慢して」
シオン
「……ほんと、
めいわく……」
そう言いながらも、
逃げない。
スレイは、
その背中に額を預けて、
もう一度だけ、ぎゅっとした。
怖い夢の余韻が、
少しずつ、薄れていく。
朝は、
そんなふうに始まった。
◇ 燈ノ井村・宿/朝食
湯気の匂いで、
宿の広間はもう朝だった。
焼き魚と汁物。
長卓を囲んで、村人と旅人が箸を動かしている。
スレイは、もぐもぐと食べていた。
勢いだけは、いつも通り。
「朝から元気だねぇ」
スレイは口いっぱいのまま、親指を立てる。
スレイ
「元気出さないと、やってられないから」
冗談みたいな声。
隣で、シオンが椀を両手で持っている。
シオン
「……あつい」
スレイ
「猫舌」
シオン
「……うん」
短いやりとり。
卓の端で、
ヴォイドは静かに食べていた。
半分ほど進んだところで、
箸を置く。
ヴォイド
「……先に行く」
スレイは、ちらっと視線を上げる。
スレイ
「もう?」
ヴォイド
「ああ」
一拍。
ヴォイド
「お前は、お前のやることをやれ」
命令でもなく、確認でもなく。
スレイは、少しだけ笑った。
スレイ
「了解」
ヴォイドはそれ以上何も言わず、立ち上がる。
戸が閉まる音が、朝に溶けた。
しばらくして。
スレイは箸を置く。
スレイ
「……よし」
シオンを見る。
スレイ
「終わった?」
シオン
「……おわり」
スレイ
「じゃあ行こ」
宿を出る。
村は、もう完全に朝だった。
スレイ
「……確認しに行く」
シオン
「……どこ」
スレイ
「村の奥」
それだけ。
シオンは一瞬だけ黙ってから、
シオン
「……ふーん」
二人は並んで歩き出した。
聖域へ向かう道に、
もう迷いはなかった。
◇ 燈ノ井村・森の奥/午前
宿を出て、
村の裏手から森へ入る。
木々が密になり、
光が葉に遮られて、
地面にはまだらな影が落ちていた。
スレイは、
足を止めながら周囲を見回す。
倒れた木。
露出した根。
不自然に積まれた石。
どれも、
「それっぽい」だけで、
決定的なものはない。
スレイ
「……ないわね」
シオン
「……ない」
二人は、
少しずつ場所を変えながら、
森の中を歩き回る。
スレイは、
木の根元を覗き込み、
落ち葉を足で払ってみる。
シオンは、
少し離れた場所で、
しゃがんで地面をつついている。
シオン
「……これ、ちがう?」
スレイ
「それ、ただの石よ」
シオン
「……まぎらわしい」
スレイ
「同感」
風が吹く。
葉が擦れる。
鳥の声が、
時々、頭上を横切る。
しばらくして。
スレイは、
軽く息を吐いた。
思ったより、
時間が経っている。
スレイ
「……日記の言う“村の奥”って、
やっぱり適当ね」
シオン
「……奥っぽい、
ところは、全部見た」
スレイ
「ええ。今のところは」
――でも。
スレイは、
足元の土を一度だけ踏みしめた。
……乾いた、軽い音がした。
中が空っぽみたいな。
(おかしい)
森の奥。
もっと、
踏み込んだら引き返せない感じが
あるはずだった。
ここは、
ただの“森”だ。
スレイ
「……ねえ、シオン」
言いかけて――
「――あっ」
シオンの短い声。
次の瞬間、
足元の落ち葉が、
音もなく沈んだ。
シオン
「……っ!?」
とっさに、
近くにあったものを掴む。
――スレイの腕。
スレイ
「ちょ、ちょっと!?」
引っ張られる。
踏ん張る暇もなく、
二人まとめて前のめり。
視界が一回転して――
どすん!!
鈍い音。
衝撃。
二人同時に、
尻から落ちた。
スレイ
「いっっった!!」
シオン
「……っ!!」
落ち葉と土の上。
それでも、
きっちり痛い。
二人は、
そのまま座り込んで固まる。
一拍。
スレイは、
そっと自分のお尻に手を当てた。
スレイ
「……痛……」
シオンも、
もぞ、と動いて。
シオン
「……いたい……」
声が、
少しだけ震える。
二人とも、
じわっと目が潤んだ。
スレイ
「……何なのよ、今の」
シオン
「……すべった……」
スレイ
「腕、引っ張らないでよ」
シオン
「……そこに、腕あった……」
スレイ
「“非常用取っ手”じゃないから!!」
言いながら、
横を見る。
シオンは、
完全に座り込んだまま、
涙目。
シオン
「……おしり、痛い……」
スレイ
「……ええ、私もよ」
じんじんする。
情けない沈黙。
それから、
二人で周囲を見回して――気づく。
ここは、
ただの地面じゃない。
落ちた先は、
自然にできた穴の中。
思ったより、
広くて。
そして――
奥へ、続いている。
二人は、
まだ少し涙目のまま、
そろそろと立ち上がった。
石探しは、
思いがけない形で――
下から続くことになった。
足元は、
湿った土と、
崩れた落ち葉。
一歩踏み出すたびに、
靴底が、ぐに、と沈む。
スレイ
「……やだ、これ……
絶対、服汚れるやつ」
シオン
「……もう、汚れてる……」
スレイ
「知ってるけど言わせて」
壁際には、
木の根がむき出しになっていて、
ところどころ、
人ひとりがやっと通れるくらいに
狭くなっている。
身体を横にして、
根を避けて、
慎重に進む。
シオン
「……せまい」
スレイ
「今さら言わないで……」
天井は低く、
油断すると、
額や肩を打ちそうだった。
何度か、
曲がって。
何度か、
下って。
時々、
わずかに上る。
方向感覚が、
少しずつ、曖昧になる。
スレイ
「……ねえ、これ、
本当に“自然の穴”?」
シオン
「……ひと、通ってる……」
確かに、
足元には、
踏み固められた跡があった。
しばらく進むと、
空気が少しだけ変わる。
湿り気が減って、
代わりに、
冷たい水の匂いが混じった。
どこかで、
ぽた、ぽた、と
水が落ちる音。
スレイ
「……地下水?」
シオン
「……かも」
さらに奥へ。
今度は、
緩やかな上り坂。
足に、
じわじわと疲れが溜まる。
さっき打った尻が、
遅れて主張し始める。
スレイ
「……地味に、
長くない?」
シオン
「……うん」
そのまま、
もう少し進んだとき――
前方に、
わずかな光。
苔に覆われた割れ目から、
細く外の光が差し込んでいる。
風が、
通り抜けた。
二人は、
思わず足を止める。
スレイ
「……出口、っぽい」
シオン
「……たすかった……」
近づくと、
割れ目は思った以上に狭い。
スレイ
「……いててて、ここ本当に道!?
せっま! 髪、引っかかったって!」
身体を捻って、
膝をついて、
這うように進む。
土が落ちる。
苔が、服に擦れる。
ようやく――
外の空気。
二人は、互いに顔を見合わせてから、
静かに、外へ這い出した。
◇ 燈ノ井村・村の最奥/聖域
森を抜けた瞬間、
空気が、はっきりと変わった。
二人は、同時に足を止める。
ひんやりとして、
湿った土と水の匂いが混じる。
ここだけ、村から切り離されたみたいだった。
足元には、
透き通った水が細く流れている。
スレイ
「……ここ……」
言葉が、途中で止まる。
こんな場所が、
村の奥にあったなんて。
シオン
「……きれい」
スレイ
「……うん」
風が水面を揺らす。
(……お姉ちゃんが言ってたのって……)
今なら、
あの日記の言葉が、この空気と重なる。
二人は、中央へ進んだ。
そこにあったのは、
根に絡まれた石の祭壇。
長いあいだ、
人の手が入っていない場所。
その中央に、
はっきりとしたくぼみがあった。
スレイは息を詰めて覗き込む。
……ない。
そこにあるはずのものが、なかった。
シオン
「……ない、ね」
スレイ
(……外された?)
胸の奥が、静かに沈む。
スレイはしゃがみ込み、
くぼみの縁を指先でなぞった。
――ざり。
石じゃない感触。
スレイ
「……?」
苔と土を、そっと払う。
石に埋め込まれた、
細い金属。
円を描くように並んだ刻みと、
使い古した擦り傷。
一拍。
スレイの指が、止まる。
(……これ)
村の中央。
篝火の縁で触った、
あの冷たい感触。
同じだと、言い切れるほど見てはいない。
でも、指先だけが覚えている。
(……なんで、こんなところに)
答えは出ない。
スレイは、黙って手を引っ込めた。
◇
そのとき。
――ぱさ。
肩に、軽い感触。
スレイ
「……?」
視線を落とすと、
左右で揺れていたはずの髪が、肩に落ちていた。
ツインテールが、ほどけている。
無意識に、後ろへ手を伸ばす。
……ない。
――ころ。
足元で、小さな音。
石の上を転がり、
小さな髪留めが止まった。
スレイは、それを拾い上げる。
姉にもらったもの。
ずっと、結び続けてきたもの。
鈍い灰色の石と、
それを囲む細い金属。
シオン
「……?」
顔を上げると、
シオンが少し困った顔で見ていた。
シオン
「……だれ?」
スレイ
「は?」
シオン
「……あかいの、どこ?
いつもの、あかいの」
スレイ
「いや、いるでしょ!?
ここに! ほら!」
一拍。
シオンは、スレイの顔をじっと見てから、
首を傾げる。
シオン
「……なんか、ちがう」
スレイ
「ちがうって何が!?」
シオン
「……無個性」
スレイ
「ちょ!?
私、ツインテールで認識されてたの!?」
シオン
「うん」
即答。
スレイ
「うん、じゃないわよ!!」
声が、思ったより響いた。
聖域の空気が、
一瞬だけ、ぴんと張る。
スレイは、はっとして口を閉じた。
一拍。
手の中の髪留めを見る。
ひんやりとした石。
欠けた縁。
擦れた金属。
祭壇のくぼみ。
金属の刻み。
篝火の縁。
重ねるつもりはないのに、
視線が勝手に比べてしまう。
似ている。
……いや。
無関係だと言うには、
出来すぎている。
スレイは、くぼみを見た。
それから、手の中の石を見る。
(……形が)
恐る恐る、
灰色の石を、くぼみの上にかざす。
シオン
「……はめる?」
スレイ
「……まさかとは思うけどね」
言い訳みたいに言って、
そっと落とした。
――ガポッ。
音が、消えたみたいに静かだった。
ぴたり。
隙間がない。
回らない。
浮かない。
最初から、
そこにあるべき形だった。
スレイ
「……そんな」
指で押すと、
石の冷たさが、祭壇の底へまっすぐ逃げていく。
完璧に噛み合う感触。
(……これ、髪留めじゃない)
夕方。
縁側。
姉の指が、髪を分けて結ぶ。
「ほら、結べた。
ツインテールだよ」
それから、
石を握らされた。
『落としちゃだめだよ』
当時は、
ただのお守りだと思っていた。
でも今なら――
スレイは、静かに息を吐いた。
スレイ
「……お姉ちゃん」
スレイ
「これ……
ここにあったんだ」
シオンが、
祭壇と石を交互に見る。
シオン
「……もともと?」
スレイ
「うん」
スレイ
「永い間、ここに“置かれてた”もの」
一度だけ石を見てから、
そっと引き抜く。
――すっ。
何も起きない。
(……まだ、足りない)
二人は、来た道へ向き直る。
シオンが手を差し出し、
スレイは一瞬だけ迷ってから、それを取った。
温かい。
二人は、手をつないだまま森を抜けていく。
背後で、水が流れる。
聖域は、
何も変わらず、そこに残った。
けれど。
スレイの中には、
答えにならない違和感が、
確かな手触りを残していた。
夜が、近い。
◇
森を抜けながら、
二人は手をつないで歩いていた。
足音と、
葉擦れの音だけが続く。
シオン
「……かお、こわい」
スレイ
「……そう?」
シオン
「さっきから。
ずっと」
スレイは、
少しだけ視線を落とした。
歩きながら、
無意識に髪留めを指でなぞる。
スレイ
「ねえ、シオン」
シオン
「なに」
スレイ
「私さ……」
一拍。
スレイ
「“近づいた”気はするの」
シオン
「……わかった?」
スレイ
「ううん。
まだ」
短く、息を吐く。
でも、と。
スレイ
「日記と」
一つ。
スレイ
「あの祭壇と」
もう一つ。
スレイ
「この髪留め」
三つ目を、
指で軽く握る。
スレイ
「全部、
同じ方向を向いてる」
シオン
「……どっち?」
スレイ
「“村の奥”」
しばらく、
葉擦れの音だけ。
スレイ
「お姉ちゃんは、
何かを背負って、
そこに通ってた」
スレイ
「ラスティナは、
それを知って……
姿を消した」
言い切らない。
でも、迷ってもいない。
スレイ
「偶然だとは、
思えない」
シオン
「……でも?」
スレイ
「うん」
一歩、踏み出す。
スレイ
「まだ、“理由”が足りない」
木々の向こうに、
村の灯りが見え始める。
スレイ
「だから……
確かめに行く」
シオン
「……どこ?」
スレイ
「村の中央」
灯りが、
少しずつ近づく。
二人は、
手をつないだまま、
歩みを止めなかった。
前を向いて。
広場の手前、
影の中でヴォイドが待っていた。
「戻ったか」それだけ言って、
歩き出す。
◇ 燈ノ井村・村の中央/篝火
夜だった。
月は高く、
村の中央に据えられた篝火は、
相変わらず沈黙している。
薪は積まれている。
油も、十分に染みている。
それでも、
火だけが立たない。
――まるで、
もうここで燃える必要はないと、
最初から決められているみたいに。
スレイは、
その前に立っていた。
隣にはシオン。
ヴォイドは少し離れたところに立っている。
誰も口を挟まない。
今ここで話すなら、
スレイ自身が言葉を見つけるしかなかった。
しばらく、
篝火を見つめたまま。
スレイは、
小さく息を吐く。
スレイ
「……ね。
ずっと、引っかかってたの」
誰に向けたとも分からない声。
スレイ
「火を灯す場所なのに、
火を拒んでる感じがして」
スレイ
「材料が足りないわけでもない。
壊れてるわけでもない」
一歩、近づく。
スレイ
「なのに、
最初から“いらない”って
言われてるみたいで」
指先が、
篝火の縁に触れる。
冷たい。
スレイ
「……これ、
“灯せない”んじゃない」
スレイ
「“灯す必要がなくなった”だけよ」
シオンが、
小さく息を吸う。
スレイは、
そのまま縁をなぞった。
スレイ
「村の奥の祭壇、覚えてる?」
スレイ
「触ったときの感じ。
この篝火と、そっくりだった」
スレイ
「石の質も、
加工の仕方も」
一拍。
スレイ
「……たぶんね」
スレイ
「この村、
最初から普通じゃない」
スレイ
「こんなものが偶然、
村の真ん中と奥に置かれるわけない」
スレイ
「厄介な“何か”を隠すために、
"後から"村が作られた」
ヴォイド
「……続けろ」
短いが、
遮らない声。
スレイは、
無意識に自分の髪に触れた。
指に当たる、
鈍い感触。
スレイ
「村の奥に台座があって」
スレイ
「ここに、
それと繋がる篝火があって」
スレイ
「その間に――
“石”があった」
スレイ
「……これよ」
髪留めを外し、
手のひらに乗せる。
スレイ
「最初は、
ただのお守りだと思ってた」
スレイ
「でも、
あれだけきっちり噛み合う形、
偶然じゃない」
スレイ
「本当は――
押さえ込むためのものだった」
シオン
「……なにを……」
ヴォイド
「……ゼロ因子だ」
その一言で、
空気が一段、重くなる。
シオンが、
はっと石を見る。
シオン
「……え?」
シオン
「それ……
この石?」
シオン
「これが、
あぶないやつ……?」
スレイも、
一瞬だけ視線を落とす。
スレイ
「……うん。
たぶん」
ヴォイド
「レイファから
依頼されているものとは違う。
だが、性質は同じだ」
ヴォイド
「この村には、
人を災厄へ引きずる因子が
封じられていた」
ヴォイド
「それだけは、間違いない」
スレイ
「……虚憑」
ヴォイド
「そうだ」
シオンの手が、
無意識にスレイの服を掴む。
スレイ
「燈ノ井村の役目は、
それを封じ続けることだった」
スレイ
「何世代も、
静かに」
スレイ
「……で、
お姉ちゃんは」
一瞬、
言葉が詰まる。
スレイ
「その“確認役”に、
選ばれたんじゃないかな」
シオン
「……かくにんやく?」
シオンの方を向いて頷く。
スレイ
「石に触れて、
篝火を見て」
スレイ
「“まだ大丈夫”って、
毎日、確かめる役目」
スレイ
「だから……
少しずつ削られていった」
スレイ
「誰にも言わずに」
一拍。
スレイ
「……ラスティナ」
名前を出した瞬間、
胸の奥がきしむ。
スレイ
「お姉ちゃんは、
そのことをあの子に話した」
スレイ
「村のことも、
自分の役目も」
スレイ
「次の日、
ラスティナは消えて」
スレイ
「その次に聖域へ行ったら、
石が外されてた」
ヴォイド
「台座から外れた時点で、
封印は終わる」
スレイ
「……だから、
篝火も沈黙した」
スレイは、
石を強く握る。
スレイ
「ここからは、
私の推測」
スレイ
「石を外したのは、
ラスティナ」
スレイ
「抑え込まれてたものが、
一気に流れ込んだ」
スレイ
「……人が、
耐えられる量じゃない」
スレイ
「それで――」
スレイ
「ラスティナは、
虚憑になった」
ヴォイド
「……事実だ」
スレイ
「……そう」
目を逸らさない。
スレイ
「この石は、
もう中身がない」
スレイ
「全部が終わった、
その後に残った“殻”」
スレイ
「お姉ちゃんは、
それを分かってた」
スレイ
「でも、
ここに戻したら」
一拍。
スレイ
「また誰かが、
同じ役目を背負う」
スレイ
「だから、持ち帰って
私に託した」
シオン
「……もどらなくて、
いいように?」
スレイ
「うん」
スレイ
「次の犠牲が、
生まれないように」
篝火を見る。
スレイ
「村の役目も」
スレイ
「石の役目も」
スレイ
「もう、
終わった」
一歩、前へ。
祈らない。
構えない。
ただ、
理解したまま。
スレイ
「……受け取ったよ」
誰に向けた言葉か、
自分でも分からない。
指先に、
静かな焔が灯る。
赤じゃない。
荒れていない。
澄んだ、青。
それは、
何かを燃やすための火じゃなかった。
受け止めて、
分かって、
それでも前に進ぶと決めた者の――
答え。
青い焔が、
篝火の芯へ落ちる。
音はしない。
ただ、
そこに在る。
シオン
「……ついた」
ヴォイドが、
静かに頷く。
ヴォイド
「終わったと、
受け取れる者が来た」
スレイは、
ゆっくり手を下ろす。
焔は、消えない。
スレイ
「……うん」
一度だけ、
はっきり言う。
スレイ
「全部、
終わった」
シオンが、
そっと手を握る。
スレイは一度だけ振り返り、
篝火を見た。
それから、
前を向いた。
◇
青い焔は、
篝火の中で静かに揺れていた。
それに最初に気づいたのは、
広場の外れを通りかかった村人だった。
「……あれ?」
見慣れたはずの場所。
何度も見てきた、灯らないはずの篝火。
そこに、
色があった。
走る。
誰かを呼ぶ。
戸を叩く。
声が重なる。
「ついてるぞ」
「篝火が……!」
夜の静けさが、
一気に崩れた。
人が集まってくる。
青い焔を前に、
誰も触れようとしない。
そのとき。
輪の外にいた、
小さな子供が言った。
「……あお」
誰かが、息を止める。
子供は、
指さして、素直に言った。
「きれい」
一拍。
それから、
近くにいた大人が、
少し困ったように笑って、うなずいた。
「……そうだね」
「きれいだ」
ただ、
見上げて、
息を呑んで、
笑った。
「消えねぇ」
「ほんとに……ついたんだ」
誰かが酒を持ち出し、
誰かが太鼓を叩く。
理由は要らなかった。
長い間、
止まっていたものが、
ようやく動き出した。
それだけで、
十分だった。
笑い声。
手拍子。
夜に広がる灯り。
いつの間にか、
輪の中心に、
スレイがいた。
「ありがとう」
「戻ってきてくれて」
言葉が、
次々と向けられる。
スレイは、
どうしていいか分からず、
困ったように笑うだけだった。
シオンが、
そっと袖を引く。
シオン
「……なんか、
すごい」
ヴォイドが、
わずかに顎を引いた。
ヴォイド
「頃合いだ」
三人は、
視線を交わす。
誰にも気づかれないように。
でも、
逃げるようでもなく。
少しずつ、
人の輪を抜ける。
祭りの音は、
背中で膨らみ続けていた。
広場を離れ、
村外れの道へ出たところで――
声がした。
「おーい」
振り返る。
夜道の端に、
二つの影。
燈ノ井焼きをくれた、
世話焼きのおばちゃん。
その隣に、
無口なおじちゃん。
おばちゃんは、
一度だけ篝火の方を見て、
それからスレイを見た。
遠くでも分かる。
青い焔。
「……やっぱり、
行くんだね」
責める声じゃない。
引き止める声でもない。
確認みたいな、
でも――
寂しさを隠しきれない声。
スレイは、
一瞬だけ言葉に詰まってから、
小さく笑った。
スレイ
「……うん」
おばちゃんは、
ふっと息を吐いた。
「そうかい」
少し間を置いて。
「戻ってきたと思ったら、
篝火まで灯して、
すぐ行っちまうんだから」
苦笑い。
でも、目は笑っていない。
「ほんと、
忙しい子だよ、あんたは」
おじちゃんが、
短く言う。
「……また戻ってこい」
その言い方が、
命令みたいで。
でも、
願いみたいで。
おばちゃんは、
篝火の方を親指で示した。
「この火はな、
もう消えねぇ」
「……消えたら」
おじちゃんが、
言葉を継いだ。
「また灯せばいい」
おばちゃんが、
うなずく。
「そういうことだよ」
胸の奥が、
少しだけ熱くなる。
スレイは、
笑った。
スレイ
「……うん」
次の瞬間。
――ぎゅっ。
スレイは、
自分から一歩踏み出して、
おばちゃんに抱きついた。
突然のことで、
おばちゃんの身体が
少しだけ揺れる。
「ちょ……」
言いかけて、
止まる。
そのまま、
ゆっくりと、
背中に腕が回された。
おばちゃんの腕は、
思ったよりも温かくて、
思ったよりも力強かった。
スレイ
「……戻ってきたよ」
胸元に顔を埋めたまま、
小さく言う。
スレイ
「ちゃんと……戻ってきた」
おばちゃんは、
何も言わない。
ただ、
一度だけ、
背中をぽん、と叩いた。
「……分かってるよ」
低い声。
「だからさ」
少し、声が震れる。
「行くなら、
行きな」
「あんたにゃ、
やるべきことがあるんだろ?」
スレイは、
ぎゅっと、
力を込めた。
離れたくなくて。
でも、
離れるって決めていて。
スレイ
「……うん」
おばちゃんは、
小さく笑った。
「また、
腹減らして帰ってきな」
「燈ノ井焼きくらい、
いくらでも焼いてやるから」
おじちゃんが、
不器用に咳払いして、
小さく付け足す。
「……待ってる」
スレイは、
ようやく顔を上げて、
目をこすった。
スレイ
「……絶対だよ」
おばちゃんが、
眉を上げる。
「嘘つくなよ?」
スレイ
「つかない」
即答。
おばちゃんは、
もう一度だけ、
スレイを強く抱きしめてから、
ゆっくりと手を離した。
「行ってきな」
スレイ
「……行ってきます」
少し後ろで、
シオンが、
スレイの服の裾を掴んでいる。
ヴォイドは、
少しだけ先で、
振り返らずに待っていた。
スレイは、
一度だけ、
篝火の方を見る。
青い焔は、
変わらず揺れている。
ちゃんと、
ここに在る。
スレイは、
それを確かめてから、
前を向いた。
夜道を、
三人は歩き出す。
背後で、
おばちゃんの声が、
小さく響いた。
「……おかえり、スレイちゃん」
スレイは、
振り返らなかった。
でも、
その言葉は、
ちゃんと胸に残っていた。
◇ エピローグ
夜道を抜けて、
村の灯りが背後に小さくなった頃。
スレイは、
ふと足を止めた。
スレイ
「……ねえ」
シオンとヴォイドが、
同時に振り返る。
シオン
「……いやな予感」
ヴォイド
「どうした」
スレイは、
一瞬だけ間を置いてから、
妙に得意げに言った。
スレイ
「燈ノ井焼き、
もう一個もらってきたい」
一拍。
夜風が、
どうしようもない沈黙を運ぶ。
シオン
「……は?」
ヴォイド
「……スレイ」
スレイ
「だってさ!」
一歩、前に出る。
スレイ
「今日の私、
めちゃくちゃ頑張ったと思わない?」
指を折り始める。
スレイ
「探検して」
「推理して」
「因子の話して」
「ついでに世界救って?」
胸を張る。
スレイ
「これでお腹すかない方が
人としておかしいでしょ!」
シオンは、
無言でスレイを上から下まで見て。
一言。
シオン
「……最終的に、
ぜんぶ食欲にいく」
スレイ
「褒められた!」
シオン
「褒めてない」
一歩、近づく。
シオン
「……その前に」
視線が、腹に落ちる。
シオン
「……おなか」
――むに。
スレイ
「ぎゃああああああ!!」
飛びのく。
スレイ
「ちょ!?
なに普通に触ってんのよ!?」
シオン
「……確認」
スレイ
「何のよ!!」
シオン
「……ムニり具合」
スレイ
「最悪のチェック方法やめなさい!」
次の瞬間。
――むに。
今度は、
スレイの手がシオンのほっぺへ。
シオン
「……!?」
スレイ
「ほらほら!
あんたも十分ムニムニでしょ!!」
シオン
「……やめ……!」
――むにむに。
――むにむに。
夜道で、
どう考えても必要のない攻防が始まる。
少し離れた場所で、
ヴォイドが足を止めた。
しばらく見てから、
小さく息を吐く。
ヴォイド
「……仲がいいな」
「「よくない!!」」
声が、
ぴったり重なる。
一拍。
三人とも、
なぜか少し笑った。
スレイは、
息を整えながら、
無意識に髪に触れる。
――ぴん。
指先に当たる、
小さな感触。
灰色の石の髪留め。
スレイ
「……ねえ、これ」
シオン
「……それ」
スレイは、
またちょっと調子に乗った顔で言う。
スレイ
「つけることにしたの」
スレイ
「だってさ、
私のツインテール、
可愛すぎじゃない?」
シオン
「……じこひょうか、
天井知らず」
スレイ
「知ってる」
即答。
それから、
少しだけ声を落とす。
スレイ
「それに……」
前を向いたまま。
スレイ
「お姉ちゃんのことも」
「ラスティナのことも」
スレイ
「ちゃんと、
連れて歩ける気がするから」
指で、
もう一度だけ髪留めを確かめる。
そこに在る。
消えない。
ヴォイドは、
短く頷いた。
ヴォイド
「……前を向けるなら、
十分だ」
スレイ
「でしょ?」
くるっと踵を返す。
スレイ
「というわけで!」
スレイ
「燈ノ井焼き、取りに戻――」
ヴォイド
「却下だ」
即答。
スレイ
「即!?」
ヴォイド
「進む」
シオン
「……たべるの、
あと」
スレイ
「冷たい!
今日の私は英雄よ!?」
でも、
文句を言いながら、歩き出す。
三人並んで、
夜道を進む。
ヴォイド
「サイト1までは、
三日だ」
スレイ
「三日!?
じゃあ献立、
本気で考えないと!」
シオン
「……脳内、
ごはんだけ」
スレイ
「失礼ね!」
ヴォイドは、
前を見たまま言った。
ヴォイド
「……生きていけそうだな」
スレイは、
ちょっとだけ胸を張る。
スレイ
「でしょ?」
風が鳴る。
行く先は、
もう決まっている。
三人は、
迷わず歩き出した。
――サイト1へ。




