第16章 帰郷の焔、沈黙の真実(前編)
◇ 街道・朝
どん。
地面が鳴った。
スレイは歩きながら、
脇腹をさすっている。
さす。
さす。
また戻る。
(……あの針)
あの女、百音。
乙女の柔肌?
知るかって顔で、躊躇なく貫いてきた。
スレイは舌打ちして、服をぐいっとたくし上げる。
縫合跡。
赤黒い線。
17歳の肌に、
どう考えても似合わない傷。
――じーっ。
視線。
シオンが止まって、
じっと見ている。
瞬き、なし。
スレイ
「……なに」
じーっ。
スレイ
「見ないでよ」
じーっ。
スレイの耳が、じわっと赤くなる。
スレイ
「だから見んなってば!」
シオン
「やわはだ?」
スレイ
「ち、違うわ!」
シオン
「……むに?」
――つん。
スレイ
「っ!?!?」
スレイ
「なにしてんのよ!」
シオン
「確認してる」
スレイ
「何のよ!」
――つんつん。
スレイ
「くすぐったい!
やめろって!」
シオン
「……やわ……」
スレイ
「やわじゃない!!」
一瞬。
スレイの目が、すっと細くなる。
スレイ
「……あー、そう」
スレイ
「やる気ね」
一歩踏み出す。
――つん。
シオン
「……っ」
腰が跳ねる。
――つんつん。
シオン
「……っ、や……」
一歩下がる。
スレイ
「逃げるんだ」
シオン
「……!」
くるっ。
シオンが走る。
スレイ
「待てこらぁ!」
即、追う。
二人、そのまま――
ヴォイドの周りをぐるっと回り始めた。
ぐるっ。
ぐるぐる。
ヴォイドは、無言。
一切動かない。
シオンは、
器用にヴォイドの横から腕を伸ばして、
――つん!
スレイ
「ちょ、また!」
――つんつん!
スレイ
「だから触るな!」
ぐるっ。
足音。
笑い声。
ぜいっ。
ぜいっ。
スレイ
「……っ、や……
やるわね……!」
シオン
「……つかれた」
その瞬間。
――ごん!
スレイ
「っっ!?」
頭を押さえてしゃがみ込む。
スレイ
「いったぁ!?
なにすんのよ!」
ヴォイド
「俺の周りを回るな」
淡々。
スレイ
「なんで
あたしだけ!?」
ヴォイド
「お前の頭が
殴りやすい形をしている」
スレイ
「殴りやすい形って
なによ!?」
その瞬間。
シオン
「隙あり」(小声)
――むに。
スレイ
「っ!?」
スレイ
「このマセガキがああああ!!」
二人、ぜいぜいになる。
スレイ
「……はぁ……
もう無理……」
シオン
「……きゅー」
◇
二人、道の真ん中で立ち止まる。
スレイ
「ほんっとさ」
まだ肩で息をしながら。
スレイ
「その悪戯っぷり、
ろくでもない大人になるわよ」
シオン
「……?」
スレイ
「絶対、
周り振り回すタイプ」
シオンは、
少し考えてから言った。
シオン
「だいじょうぶ」
スレイ
「何が」
シオン
「ぱぱと、
一生いるし」
やけに自信満々。
スレイ
「……は?」
シオン
「困らない」
スレイ
「いや困るでしょ」
前を歩いていたヴォイドが、
一言。
ヴォイド
「問題ない」
スレイ
「問題しかないわよ!」
スレイは、
ふっと嫌な想像をする。
スレイ
「……あー、見える見える」
シオン
「なにが?」
スレイ
「五年後のあんた」
声色が変わる。
スレイ
「ぱぱ?」
シオン
「……なんだ」(低音)
スレイ
「このバッグ、
買っていい?」
シオン
「いいぞ」(低音)
スレイ
「即答!?」
スレイ
「ちょっとは考えなさいよ!
値段とか!用途とか!」
シオン
「かわいいから」
スレイ
「理由が雑!!」
続いて。
スレイ
「ぱぱ?」
シオン
「……なんだ」(低音)
スレイ
「今日も、
一緒に寝ていい?」
シオン
「いいぞ」(低音)
スレイ
「軽っ!?
将来が怖すぎるんだけど!?」
スレイ
「ねえ聞こえてる!?
“一緒に”って言ったの聞こえた!?」
シオン
「きこえてた」
スレイ
「聞こえててそれ!?」
シオン
「シオンとは一心同体」
スレイ
「強調するな!!」
一拍。
今度はシオンから一歩、
踏み込む。
シオン
「……ぱぱ」
スレイは、
その呼び方に一瞬だけ引っかかる。
スレイ
「……何だって?」
シオン
「……おやすみのキス、
ちょうだい?」
――即。
スレイ
「ダメ!!
完全アウト!!
それ私の目の前で言うな!!」
シオン
「……?」
スレイ
「その顔やめろ!!
分かってないのが一番ヤバいの!!」
一拍。
ヴォイドが、足を止める。
ヴォイド
「……そうか」
それだけ。
スレイ
「それだけ!?
もっと止めて!!」
シオン
「だめだった?」
スレイ
「ダメに決まってるでしょ!!
聞くまでもないわよ!!」
三人の足音が、
また揃う。
しばらく、
どうでもいい会話が続く。
◇
熱が、
少しずつ冷めていく。
笑い声が、途切れる。
ずん。
地鳴り。
スレイは、
歩きながら視線を落とした。
スレイ
「……ねえ」
今度は、
独り言みたいな声。
スレイ
「私さ」
一拍。
スレイ
「百音に、
負けたのは事実だけど」
誰に聞かせるでもなく。
スレイ
「前よりは、
戦えたと思う」
スレイ
「焔臨も使えたし、
逃げずに立てた」
小さく、息を吐く。
スレイ
「……でも」
一拍。
スレイ
「百音は、
その先にいた」
シオンは、何も言わない。
ヴォイドも、黙っている。
スレイ
「このままじゃ、
追いつけない」
スレイ
「また戦ったら、
たぶん――」
言葉を切る。
スレイ
「……負ける」
ヴォイド
「…………」
スレイは指を折る。
スレイ
「考えすぎて、
動きが遅れる」
スレイ
「耐えられるって思って、
踏み込みが甘くなる」
スレイ
「焔臨を出すのも、
まだ一拍、遅い」
少し間。
スレイ
「……力は、
増えたと思う」
スレイ
「でも、
自分の使い方が、
追いついてない」
ヴォイドは、
一歩、歩幅を変えた。
ヴォイド
「分かった」
スレイ
「……え」
ヴォイド
「寄り道をする」
スレイ
「ちょ、待って」
スレイ
「今の流れで!?」
ヴォイド
「必要だ」
短い。
ヴォイド
「燈ノ井村に行く」
――止まる。
スレイ
「…………え?」
一拍。
スレイ
「……ええ?」
さらに一拍。
スレイ
「……ええええええ!?」
◇ 燈ノ井村に続く街道・昼
燈ノ井村へ向かう道は、
本線から、少しだけ外れている。
舗装は粗く、
石と土が混じっている。
スレイは、
その道に足を踏み入れた瞬間、
無意識に歩幅を落としていた。
(……ここ)
理由はない。
身体が、勝手に覚えているだけだ。
道幅。
ゆるいカーブ。
脇に生えた、少し背の高い草。
昔と、
ほとんど変わっていない。
スレイ
「……懐かしいな」
独り言みたいに、漏れた。
シオンが、横を見る。
シオン
「……?」
スレイ
「私の故郷」
短く。
スレイ
「燈ノ井村」
それ以上、言葉は続かなかった。
この道は、
子供の頃、何度も通った。
朝は早足で。
夕方は、走って。
雨の日は、
水たまりを避けながら。
今は、
乾いた風が吹くだけだ。
スレイは、
足元の小石を一つ蹴った。
ころ、と転がる音が、
やけに遠くまで響く。
シオン
「……ひさしぶり?」
スレイ
「……五年ぶり」
言ってから、
少しだけ間が空いた。
五年。
長いようで、
短いようで。
考えないようにしてきた時間だ。
前を歩くヴォイドが、
足を止めずに言った。
ヴォイド
「お前は、ここを通らないと進めない」
一拍。
スレイ
「意味分かんないんだけど」
ヴォイド
「今は、それでいい」
それだけ言って、歩き出す。
スレイは一瞬だけ立ち止まり、
小さく舌打ちした。
スレイ
「……ほんと、勝手」
シオン
「……?」
スレイ
「なんでもない」
道は、ゆるやかに下っていく。
視界の先に、
見覚えのある木立が現れた。
理由は分からない。
でも――
身体だけが、覚えていた。
スレイは息を一つ吸って、
そのまま歩き続けた。
燈ノ井村は、もうすぐだ。
◇ 燈ノ井村・手前
木立が切れ、
村へ続く道が見えた、その瞬間。
スレイは、
ぴたりと足を止めた。
スレイ
「……やっぱ、やめる」
即。
シオン
「……?」
スレイ
「行かない」
スレイ
「無理無理。
だって五年よ? 五年」
一歩、後ずさる。
スレイ
「ずっと顔見せてないし。
気まずいし」
さらに一歩。
スレイ
「なんかさ、
“今さら何しに来たの?”
って思われるかもだし」
完全に逃げ腰。
スレイ
「……変な目で見られるかもだし」
シオン
「いつも、みられてる」
スレイ
「それは今関係ないでしょ!?」
そのまま、
くるっと踵を返そうとして――
視界が、
ふっと浮いた。
スレイ
「――え?」
次の瞬間、
腹に固い感触。
身体が、
軽々と持ち上がる。
スレイ
「ちょっ!?」
視界が逆さになる。
ヴォイドは、
何も言わずに歩き出していた。
スレイは、
肩に担がれている。
完全に。
スレイ
「な、なにしてんのよ!?」
顔が、
一気に熱くなる。
スレイ
「ちょ、待って!
その腕の位置!!」
スレイ
「……お尻!
完全に当たってるんだけど!?」
ばたばた。
スレイ
「降ろして!
今すぐ降ろしなさいってば!!」
ヴォイド
「問題ない」
スレイ
「あるわよ!!
私の尊厳!!」
――通じない。
必死に暴れるが、
一切通じない。
スレイ
「見られる!!
村の人にこの体勢見られる!!」
ヴォイド
「行くぞ」
それだけ。
スレイ
「強制連行じゃない!!」
少し後ろを歩きながら、
シオンが首を傾げる。
シオン
「よかったね」
スレイ
「なにがよ!」
シオン
「だっこ」
スレイ
「だっこじゃない!!」
即、全力。
スレイ
「これは!!
担がれてるって言うの!!」
スレイ
「だっこは!!
こう、もっと!!
優しくて!!」
ヴォイド
「同じだ」
スレイ
「違うわよ!!」
シオン
「……でも」
一拍。
シオン
「シオンがだっこされてるとこ、
うらやましそうにしてる」
スレイ
「そ、それは……」
一瞬だけ、言葉に詰まる。
スレイ
「別に羨ましくなんか……」
ヴォイド
「行くぞ」
スレイ
「話を終わらせるな!!」
そのまま、
三人は村の中へ入った。
◇ 燈ノ井村・入口
村に足を踏み入れた瞬間、
空気が、わずかに張りつめた。
――誰かが、息を呑む。
「あ……」
かすれた声。
「……え?」
次に、
少し裏返った声。
「ス、スレイちゃん……?」
その一言で、
止まっていた時間が、音を立てて動き出した。
スレイは、
ヴォイドの肩に担がれたまま、
目を見開いた。
見覚えのある家。
見覚えのある道。
そして――人。
畑仕事の手を止めたおばさん。
桶を持ったまま固まるおじさん。
通りの向こうで、立ち止まる影。
視線が、
一斉に集まる。
ざわ。
ざわざわ、と。
「……あれ、
スレイちゃんじゃない?」
「本物?」
「ちょっと、あんた……!」
次の瞬間、
人が動いた。
ぞろぞろと。
吸い寄せられるみたいに。
スレイは、
顔を上げられなかった。
スレイ
「………」
担がれたまま、
村の土だけを見つめる。
「どこ行ってたのよ、五年も!」
「何の連絡もなく!」
「本当に心配したんだから!」
言葉は強い。
でも、声は震えている。
「生きてたのね……!」
その一言で、
胸の奥が、きゅっと縮んだ。
誰も、
その体勢には触れない。
まるで、
最初からそういう登場だったみたいに。
スレイ
「……み、みんな……」
喉が、詰まる。
「急にいなくなるんだもの!」
「何も言わずに!」
「せめて顔くらい見せなさいよ!」
責めているようで、
責めていない声。
その中で、
一人のおばさんが、
少しだけトーンを落とした。
「……それなのにさ」
スレイは、
はっとする。
「村には、
ちゃんとお金が届いてた」
「毎月、
欠かさず」
別の声が、
すぐに続く。
「スレイちゃん、
いつの間にか
いなくなったのに」
「お金だけは、
律儀に送ってきてさ」
「本当に、
いい子だよ、あんたは」
ぐっと、
喉が詰まった。
スレイ
「……っ」
視界が、
にじむ。
私は村から逃げた。
だから、もう村には、
顔向けできないと思っていた。
でも。
「何言ってんの」
誰かが、
静かに言った。
「ここは、
あんたの村でしょ」
別の声。
「ずっと、
待ってたんだから」
そして。
「おかえり」
その一言で、
堪えていたものが、
ふっと緩んだ。
スレイは、
担がれたまま、
小さく笑った。
スレイ
「……ただいま」
声が、
少しだけ震えた。
そのとき。
人垣の向こうから、
小さな声。
子供だ。
首を傾げて、
不思議そうに言う。
「ねえ」
一拍。
「なんで、
お姉ちゃん」
素直な疑問。
「変なだっこ、
されてるの?」
――一瞬の沈黙。
スレイ
「……」
次の瞬間。
スレイ
「だから言ったでしょおおお!!」
村に、
一気に笑い声が弾けた。
燈ノ井村は、
確かにそこにあった。
◇ 燈ノ井村・中ほど
ざわ、
ざわざわ。
さっきまでの笑いが落ち着いたあと、
今度は、別のざわめきが広がった。
「あのさ」
「スレイちゃん」
少し遠慮がちな声。
「あんた、
いったいどこ行ってたの?」
スレイは、
一瞬だけ言葉に詰まった。
スレイ
「……えっと」
「置き手紙だけ残してさ」
「“強くなる”って」
「急に、いなくなっちゃって」
責める口調じゃない。
でも、心配がにじんでいる。
スレイ
「……あー」
少し、照れたように。
スレイ
「終徴管理局ってとこ」
村人たちが、
一斉に瞬きをする。
「……なにそれ」
「大層な名前だねぇ」
スレイ
「でしょ?」
少し胸を張る。
スレイ
「部下もいっぱいいたし、
慕われてたりしてさ」
一拍。
スレイ
「……ちゃんと、
やってたのよ」
へへん、と笑う。
「へえ……!」
「立派になったじゃない!」
「さすがスレイちゃん!」
スレイ
「でしょでしょ!」
その瞬間。
横から、
容赦ない声。
シオン
「……でも、赤いの」
一拍。
シオン
「長官からは、
なぐられてた」
スレイ
「ち、ちょっと!?」
シオン
「あと、すぐ太るし」
スレイ
「……はぁっ!?」
シオン
「後輩にからだ、
管理されてる」
スレイ
「おい!!」
即、振り返る。
スレイ
「最悪なところだけ
切り取るな!!」
シオン
「……?」
ざわざわ。
「……身体の管理?」
「え、なにそれ」
村人たちが、
一斉に笑う。
「相変わらずねぇ!」
「全然変わってないじゃない!」
スレイ
「変わってるわよ!!
ちゃんと成長してるんだから!!」
そのとき。
今度の別の場所でざわめきがあがった。
ざわ、ざわ。
「……ねえ」
「さっきの、見た?」
視線が、
スレイとヴォイドの間を往復する。
「ほら、あの抱え方」
「普通、あれ……」
「付き合ってないと、
しないわよね」
「距離、近すぎじゃなかった?」
スレイ
「ちょ、ちょっと!」
顔が、
また一気に熱くなる。
スレイ
「ちが……!」
言いかけて、詰まる。
村人たちは、
もう止まらない。
「スレイちゃんったら、
隅に置けないわねぇ」
「昔はさ」
「鼻水たらして、
男の子追いかけ回してたのに」
「気に入らないと、
すぐ拳出てた子が」
「まあ」
「すっかり女の子、よね」
スレイ
「だからそれは……!」
完全に包囲されている。
そのとき。
――ずいっ。
小さな影が、
一歩前に出た。
シオンだ。
胸を張るでもなく、
ただ、事実を言うみたいに。
シオン
「ちがう」
村人たちの視線が、
一斉に集まる。
シオン
「ぱぱは、
「シオンが本命」
さらに一拍。
シオン
「赤いのは、
ただのあそび」
――沈黙。
風の音だけが、
一瞬、通り抜ける。
次の瞬間。
「……えっ」
「え、ちょっと待って?」
「今の聞いた?」
「本命って言ったわよね?」
ざわっ、と空気が弾ける。
「まあまあ!」
「これはこれは、
強力なライバル登場じゃない!」
「スレイちゃん、
まさかの遊び枠!?」
「これはあれね、
本命に挨拶しないといけないやつ?」
スレイ
「おい!!」
即。
スレイ
「マセガキこらぁ!!」
頭を押さえる。
スレイ
「誰が遊びよ!!」
村人たちが、
一拍遅れて吹き出す。
「ははっ!」
「すごい主張ね!」
シオンは、
首を傾げる。
シオン
「……ちがった?」
スレイ
「全部ちがう!!
一から百までちがう!!」
村に、
また笑い声が広がる。
ヴォイドは、
相変わらず黙ったまま。
その無言が、
なぜか一番
“既成事実”っぽかった。
◇ 燈ノ井村・中ほど
「ほら、あんたたち」
人垣の端から、
おばちゃんが手を伸ばしてきた。
「燈ノ井焼き。
さっき焼けたばっかりだよ」
紙に包まれたそれは、
ほんのり温かくて、
甘い匂いがした。
スレイ
「……あ」
受け取った瞬間、
声が漏れる。
スレイ
「これ……ほんとに懐かしい」
シオン
「……おかし?」
包みを覗き込む。
スレイ
「この村の名物なのよね。
子供の頃によく盗み食いして怒られたわ」
シオン
「ちいさい頃から、
食い意地……」
スレイ
「ちがうわよ!!
ちょっと味見しただけ!!」
ヴォイドは、
無言で一つ受け取り、
特に感想もなく口に運んだ。
一拍。
ヴォイド
「美味い」
スレイは、
ほおばっているヴォイドを見て、
思わず笑った。
それから三人は、
並んで歩きながらかじる。
外はさくっと。
中は、少しだけもっちり。
その横を、
子供たちが駆け抜けていく。
「まてー!」
「つかまえたら負けだからな!」
きゃあきゃあと、
笑い声が弾む。
一人の子供が、
勢い余って――
どんっ。
ヴォイドの脚に、
正面からぶつかった。
「……あ」
子供は一瞬固まり、
次の瞬間、勢いよく頭を下げる。
「ご、ごめんなさい……!」
ヴォイドは、
足元を見下ろしてから、
ポケットに手を入れた。
取り出したのは、
小さな包み菓子。
無言で、
子供の前に差し出す。
子供
「……え?」
一拍。
ヴォイド
「怪我はないな」
子供は、
自分の膝をぱんぱんと叩いてから、
顔を上げた。
「……うん!」
受け取った包みを、
その場でばりっと開ける。
「わ、甘い!」
隣の子供たちが、
すぐに集まってくる。
「なにそれ!」
「いいなー!」
子供
「このおじちゃんにもらった!」
指さされるヴォイド。
ヴォイドは、
何も言わない。
ただ、
少しだけ視線を逸らした。
子供
「ありがとう!」
今度こそ、
駆け出していく背中。
その様子を見て、
スレイが小さく息を漏らす。
スレイ
「ヴォイドさんって
ほんと子供には好かれるわよね」
シオン
「やさしい、
つよい、
かっこいい」
スレイ
「全部盛りか!」
◇
三人は、
村の中を歩き続けた。
歩くたび、
スレイの足が止まる。
スレイ
「あ……ここ」
屋根の端。
瓦が一枚、欠けている。
スレイは、
指でそこを示した。
スレイ
「昔ね」
少し間を置いて。
スレイ
「向こうの家の子と喧嘩してさ」
スレイ
「……むかついて、
屋根の上に石を投げた」
シオン
「……」
スレイ
「今考えると、
普通に最低だからね!?
ちゃんと反省はしてる!!」
数歩進む。
今度は、
壁に斜めに走るひび。
スレイ
「あ、ここも追いかけっこしててさ、
調子乗って全力で曲がったら」
スレイ
「……曲がれなかった」
シオン
「まがる気、なかった?」
スレイ
「違う!!
スピード出しすぎただけ!!
ちゃんと曲がるつもりはあった!!」
言い切った直後。
スレイ
「……たぶん」
さらに歩く。
スレイ
「……あ、これも」
一歩。
スレイ
「……え、ちょっと待って」
もう一歩。
スレイ
「……いやいやいや」
立ち止まる。
スレイ
「……これも、私?」
視線が、
村をぐるりと巡る。
直された柵。
補修された壁。
新しい瓦。
スレイ
「…………」
スレイ
「……もしかして」
横に並んだシオンが、
黙って指をさす。
シオン
「赤いのが、
この村こわしたの?」
スレイ
「ち、ちがうわよ!!」
即答。
スレイ
「壊したのはラスティナ!!
それは間違いない!!」
……が。
視線が、
子供たちの笑い声に戻る。
スレイ
「…………」
スレイ
「……でも」
小さく。
スレイ
「……私も、
一端は担ってた気がしてきたのが、
一番イヤなんだけど」
シオン
「やっぱり」
スレイ
「やっぱり言うな!!
そこは黙っといて!!」
言い切ったあとで、
自分でも可笑しくなって、
スレイは息を吐いた。
スレイ
「……まあ」
スレイ
「元気にしてたってことで、
許してもらえるなら、
それでいいわ」
シオン
「はかいで?」
スレイ
「元気にしてたってことで!!」
強調。
三人は、
また歩き出した。
笑い声と、
子供たちの足音を背に。
◇ 燈ノ井村・篝火
……ふと。
笑い声の向こうで、
スレイの視線が止まる。
村の中央。
人の輪が、そこで途切れている。
ぽっかりと、空いた円。
――篝火。
焚き火、という言葉が合わない。
石で囲われた炉は、
小さな家ひとつ分ほどの広さがあった。
黒ずんだ石の縁。
内側には、薪というより
丸太が梁みたいに組まれている。
なのに、
そこだけが妙に冷たい。
(……あれ)
昔は、当然のように
火がついていた気がする。
(ここの火を見てるだけで、
なんとなく落ち着いたんだよね)
スレイは、眉をひそめた。
スレイ
「……あそこ、火つかないの?」
近くにいたおばちゃんが、
一瞬だけ困った顔で笑う。
「つかないのよ」
「薪も油も、ちゃんとしてるんだけどね」
少し間があって。
誰かが、思い出すみたいに言う。
「……昔はさ、
あの火があるだけで、
魔除けになるって言われてたでしょ」
笑い声が混じる。
でも、すぐに散った。
スレイは、
無意識に一歩、篝火へ近づく。
石の縁は、
腰の高さほどもある。
触れると、煤が指についた。
その内側。
――ざり。
指先に、
石とは違う感触。
スレイ
「……?」
煤を、軽くこすり落とす。
石の縁に、
細い金属が打ち込まれている。
模様のようで、
模様にしては規則正しい。
等間隔の刻み。
意味を持たせるために、
わざわざ揃えたような線。
焚き火の縁に、
こんな加工は要らないはずだ。
ただの村の篝火にしては、
やけに“手が入りすぎている”。
スレイは、
指を引っ込めた。
胸の奥に、
言葉にならない違和感だけが残る。
篝火は、
相変わらず沈黙したままだった。
◇
村の中ほどを抜けると、
人の気配が少しずつ薄れていく。
賑やかな声は後ろに残り、
代わりに聞こえるのは、
風に揺れる木の葉の音。
足音が、
自然と揃わなくなる。
スレイは、
歩きながら、
周囲を見回していた。
スレイ
「……この辺、
変わってないな……」
独り言みたいに、
小さく。
曲がり角。
低い石垣。
壁に残る、古い傷。
一つ一つが、
覚えている。
覚えすぎていて、
逆に、目を逸らしたくなる。
スレイは、
ふっと足を止めた。
ほんの一瞬、
立ち止まっただけ。
でも、
身体の方が先に分かっていた。
スレイ
「……あ」
視線の先。
少し奥まった場所に、
見慣れた屋根がある。
派手さはない。
立派でもない。
でも――
スレイ
「……ここ」
声が、
少しだけ掠れた。
シオンが、
横から覗き込む。
シオン
「……?」
スレイ
「……私の家」
それだけで、
胸の奥が、
ぎゅっと縮む。
五年。
戻らなかった場所。
戻れないと思っていた場所。
近づくにつれて、
足取りが、わずかに重くなる。
戸の前で、
スレイは立ち止まった。
手を伸ばしかけて、
一度、引っ込める。
スレイ
「……おばちゃんが、
たまに掃除してくれてるって
言ってたけどさ」
誰に言うでもなく。
スレイは、
小さく息を吸って――
戸に手をかけた。
◇ 燈ノ井村・スレイの家
――ぎい。
戸を開けた音が、
やけに大きく響いた。
中に一歩入った瞬間、
外のざわめきが、
すっと遠のく。
スレイ
「……うわ」
思わず、声が漏れた。
スレイ
「……ほんと、そのまんまだ」
床も。
壁も。
低い天井も。
変わってない。
変わらなすぎて、
胸の奥が少しだけ痛む。
シオンが、
靴を揃えながら中に入ってきて、
きょろきょろと辺りを見る。
シオン
「……せまい」
スレイ
「でしょ」
くすっと笑ってから、続ける。
スレイ
「でもさ、
当時の私はこれで十分だったの。」
スレイ
「むしろ、広いと走り回るから、
怒られてた」
少し歩いて、居間。
何も置いていないのに、
空気だけが、やけに馴染んでいる。
スレイは、
立ち止まって天井を見上げた。
スレイ
「そういえば、
いっつもここで怒鳴られてた」
シオン
「なんで?」
スレイ
「なんでって……」
一拍。
スレイ
「喧嘩したり?
物壊したり?
言い返したり?」
シオン
「……」
スレイ
「まぁ、ガキだったのよ。
あの頃は」
◇
廊下の奥。
二つ並んだ、小さな部屋。
スレイは、少しだけ足を止めてから、
左の戸に手をかけた。
スレイ
「……ここが」
戸を開ける。
スレイ
「お姉ちゃんと、私の部屋」
並んだ机。
高さの違う椅子。
スレイは、自然と大きい机の前に立った。
スレイ
「あっ……これ」
指で、机の縁をなぞる。
少しだけ、ためらってから、
引き出しに手をかけた。
――ぎい。
中に、ノートが一冊。
スレイ
「……?」
声が、詰まる。
シオン
「なに?」
スレイ
「これ、たぶん……日記」
言った瞬間、
視界が、ふっと揺れた。
◇ 《回想》
湯気の立つ食卓。
狭いけど、
四人分の距離がちゃんとある。
母の声。
「……あんた、
また喧嘩したでしょ?」
スレイ
「だって!
向こうが先に言ったの!
男の子みたいって!」
父が、箸を置いて笑う。
「まぁまぁ。母さん、
子供なんてそんなもんだ」
姉が後ろから近づいてきて、
スレイの頭に手を置く。
「大丈夫だって。
スレイにも、そのうちできるよ」
スレイ
「なにが?」
姉
「ちゃんと心を許せる友達」
スレイ
「……ほんと?」
姉
「ほんとほんと」
母が、思い出したように言う。
「そういえば、あんた
最近、日記書いてるでしょ?」
姉
「えっ」
母
「この前、部屋入ったら見えたの」
姉
「ちょ、勝手に見ないでよ!」
少しだけ頬を赤くして。
姉
「……でも、
最近ね、仲いい子ができたの」
姉
「すごく静かで、優しい子」
少し照れた笑顔。
「今、結構……幸せかも。
だから、書いてるの」
◇
ぱたん。
音がして、現実に戻る。
机。
埃のない引き出し。
手の中の日記。
スレイは、しばらく動かなかった。
スレイ
「………」
息を、ひとつ吐く。
そして、
ゆっくりとページをめくった。
――――――――――――
*** 姉の日記 ***
――――――――――――
きょうも、
朝からスレイがうるさい。
喧嘩して、
怒られて、
それでも笑ってる。
お父さんは
「元気だなあ」って言ってた。
ちゃんと食べてる。
ちゃんと生きてる。
それだけで、
今日はいい日だと思う。
***
夜になると、
スレイはよく私の部屋に来る。
何も言わずに、
ただ座ってる。
頭をなでると、
少しだけ安心した顔をする。
強いけど、
まだ子供。
……私が守る番。
***
最近、
村の奥へ行くことが増えた。
そこに行くと、
小さな水の音がして、
空気がひんやりする。
土が湿っていて、
深く息をすると、少し楽になる。
帰りは、
息が苦しくて、
手が冷たくなる。
だから、
村の中央まで回る。
篝火は、
今日もちゃんと灯っていた。
手をかざすと、
指先が戻ってくる。
……今日も、大丈夫。
***
村の外れで、
知らない子に会った。
静かで、
少し不思議で、
目がやさしい。
ラスティナ、って言った。
何度か会った。
話さなくても、平気だった。
スレイとは全然違う。
でも、
大切だと思った。
***
きょう、
テディベアを渡した。
夜に、こっそり縫った。
ちょっと歪んでる。
ラスティナは、
ぎゅっと抱きしめて、
「大事にする」って言った。
……よかった。
次は、
スレイの分も作りたい。
***
きょう、
ラスティナに
私のことを話してしまった。
言うつもりは、
なかったのに。
でも、
ずっと見られていた。
手が冷たくなるのも、
息が浅くなるのも。
隠せなかった。
***
それから、
ラスティナは来なくなった。
テディベアを抱えたまま、
最後に見せた顔が
忘れられない。
あれは、
さよならだったと思う。
***
次の日。
村の奥へ行った。
……そこにあるはずのものが、
なかった。
代わりにそれは、地面に落ちていた。
拾う。
冷たくて、
少し重くて、
縁が欠けていた。
理由は考えなかった。
考えたら、
戻れなくなりそうだったから。
そのまま、引き返した。
指先が、
ずっと冷たかった。
***
だから――
このままじゃ、
守れない気がして、
スレイの髪を結った。
ほどけないように。
邪魔にならないように。
かわいいから、
だけじゃない。
“ここに、
戻らなくていいように”
スレイが、
同じ場所に立たなくて
済むように。
私にできるのは、
ここまでだった。
――――――――――――
日記は、
そこで終わっていた。
その先のページは、
白いままだった。
――あの頃。
私は、何も知らずにいられた。
それ自体が、
誰かに守られていた証だった。
◇
スレイは、その場に立ったまま、
日記を閉じることができなかった。
息を吸おうとして、
胸が途中でつかえる。
視線を落とす。
文字は見えているのに、
意味が、うまく入ってこない。
家族。
笑っている父。
怒っている母。
頭をなでる姉。
そして――
ラスティナ。
姉の友達。
静かで、
やさしくて。
誰かを傷つけるところなんて、
想像もできなかった。
……それでも。
あの夜、
家族を殺したのは、
確かにラスティナだった。
胸の奥で、
二つの像が、
うまく重ならない。
スレイは、
日記の端を強く握った。
姉は、
最後まで家族のことを書いている。
スレイのことも。
守るって。
続けばいいって。
なのに――
自分のことだけが、
ほとんど書かれていない。
どこへ行っていたのか。
何をしに行っていたのか。
なぜ、日に日に衰弱していったのか。
その部分だけが、
避けられているみたいに、
ぽっかりと空いている。
姉は、
村の奥へ通っていた。
それは、
日記の端々から分かる。
でも――
何のために?
胸の奥に、
小さな棘みたいな疑問が刺さる。
そして、
その疑問のそばに、
ラスティナの顔が浮かぶ。
姉はあの子に何を話したのか。
そして、あの子はそれを聞いて何をしたのか。
答えは、
ここにはない。
胸の奥が、
静かに冷えていく。
考えても、
書かれた文字を追っても、
もう、先には進めない。
――村の奥に。確かめに行かないと。
そんな考えが、
言葉になる前に、
身体の奥に沈んだ。
そのとき。
背後から、
突然。
シオン
「わっ」
スレイ
「ぎゃあああああ!?」
派手な悲鳴。
びくっ、どころじゃない。
反射的にのけぞり――
どさっ。
完全にひっくり返って尻もち。
スレイ
「いったぁ!?
な、なに!?
敵!?もう来たの!?」
足ばたばた。
その視界の先。
――仁王立ち。
シオンが、
腕を下ろしたまま、
どっしり立っている。
無表情。
シオン
「おどろいた?」
スレイ
「驚いたじゃないわよ!!
心臓止まるかと思ったんだけど!?」
がばっと起き上がる。
スレイ
「絶対わざとでしょ!!」
――むにっ。
勢いのまま、
シオンの頬を両手でつかむ。
むにむにむに。
スレイ
「そうやって!!
人が!!
重たいこと!
考えてるときに!!」
――むにむに。
シオン
「……」
仁王立ちのまま、
されるがまま。
スレイ
「ほんっと!!
タイミング最悪!!」
――むにっ。
シオンは、
じっとスレイを見てから、
ぽつり。
シオン
「赤いの」
スレイ
「なによ!」
シオン
「さっきから暗い」
ぴたり。
スレイの手が止まる。
シオン
「あかるいほうが……すき」
仁王立ちのまま、
淡々と。
スレイ
「……」
一拍。
スレイ
「……ずるいわ、ほんと」
でも。
日記を持ったまま、
ゆっくり立ち上がる。
考えるのは、
後でいい。
今は――
スレイ
「……外、出よっか」
シオン
「……うん!」
二人は、
部屋を出た。
日記は、
スレイの腕の中にある。
重たいまま。
でも、
もう一人じゃない。
――前編・了




