第15.5章 外伝 〜落ちてきたのが、あなたでよかった〜
◇ 机の前・朝/雛の小屋
朝の光は、
木の隙間を縫うように、小屋の中へ入り込んでいた。
乾いた土の匂いと、
夜の名残が、小屋に沈んでいた。
白羽は、
目を開けたまま、
しばらく天井を見ていた。
昨夜のことを思い出して、
胸の奥が、ほんの少しだけ重くなる。
雛の小屋。
簡素な寝床。
それでも、不思議と落ち着く場所。
視線を横にやると、
隣で雛が眠っている。
髪はほどけ、
いつもより無防備で、
呼吸は静かだ。
白羽は音を立てないように起き上がり、
上着を整える。
(起こさないように……
そーっと)
そう思ったその時。
小さく身じろぎする雛。
雛
「……ん……」
白羽
「……あ」
だが、目を開けない。
そのまま、
寝返りを打って、
また静かになる。
白羽
(……助かりました)
小さく息を吐き、
視線を逸らす。
机の方へ。
小屋の隅に置かれた、
簡素な木机。
昨夜は暗くて気づかなかったが、
朝の光の中では、
机の上がよく見える。
無意識のまま、一歩近づいた。
紙と封筒が、
机の上にきれいに揃えられていた。
書きかけの一枚。
インクは、まだ乾いていない。
(……雛の、手紙)
雑に置かれた紙ではない。
一瞬だけ迷って――
視線を落とした。
◇
紙の上に、
整った文字が並んでいる。
丁寧で、
少し古風で、
雛らしい筆跡。
無意識のまま、最初の一行を追った。
──────────────────────────────
親愛なる、ヴォイド様へ
──────────────────────────────
白羽
「…………」
一拍。
「……ヴォイド、様?」
黒い外套。
無表情。
会話が最短距離で終わる、あの人。
(……あの、ヴォイドさん?)
思わず、
小さく声に出してしまう。
慌てて口を押さえるが、
雛はまだ眠っている。
白羽
(一旦落ち着きましょう)
深呼吸。
もう一度紙を見る。
敬称。
文頭。
言葉遣い。
間違いない。
白羽
(雛とヴォイドさんが……
手紙?)
記憶を辿る。
会話はあった。でも、
こんな改まったやり取りがあっただろうか。
白羽
(……私の知らないところで?)
ごくり、と喉が鳴る。
突然、空から風を切る音。
ばさばさばさっ
屋根を叩く音。
白羽
「……?」
小屋の外で、
羽ばたきが収まる。
反射的に入口を見る。
――だが。
背後で、布の擦れる音。
雛
「……おはよ……」
白羽
「お、おはようございます」
一拍。
雛の視線が、
白羽の手元――
机の上に、落ちる。
次の瞬間。
雛
「――――っ!?」
空気が、
一気に変わった。
視線が机の上に釘付けになる。
次の瞬間。
雛
「――っ、ちょ!?」
声が裏返った。
顔が一気に赤くなる。
それはもう耳まで。
一瞬で。
雛
「な、なに見てるの!?
それ、だめだから!」
白羽
「えっ」
雛は布団から飛び降り、
机に駆け寄る。
ばさっ。
手紙を掴もうとして、
指が滑る。
雛
「あっ、ちょ……っ
もう最悪……!」
紙が一枚、
白羽の視界に残ったまま。
雛
「ちがっ、ちがうから!
それは、その……!」
言葉が続かない。
雛は紙束をかき集め、
胸にぎゅっと抱きしめる。
雛
「……見ないでって、
言ったのに……」
声が小さくなる。
白羽はその様子を見て、
思わず瞬きをした。
白羽
「……それ、
すごく大事なもの、ですよね」
雛
「~~~~っ!」
顔を覆いそうになるのを、
必死でこらえる。
雛
「……だ、
大事に決まってるでしょ……」
その言い方は、
強がっているのに、
全然強くなかった。
一度だけ目を伏せてから、
そっと続ける白羽。
白羽
「……あの」
雛
「な、なに……」
白羽
「もしかして……」
一拍。
白羽
「ヴォイドさんと、
手紙のやり取り、してます?」
正解。
雛
「――――!!」
声が出ない。
否定も 言い訳も、
一瞬、全部遅れた。
完全に、
間に合っていなかった。
◇
沈黙。
雛は固まり、
白羽は困った顔で首を傾げる。
白羽
「責めてるわけじゃないです」
雛
「……ほんと?」
白羽
「はい。ただ、気になっただけで」
――その直後。
白羽
「それで」
雛
「……うん?」
白羽
「ヴォイドさんと雛って、
前から何か関係ありましたっけ?」
雛
「か、かんけい!?」
白羽
「特別な意味じゃなくて」
雛
「今の言い方がもう特別!!」
白羽
「……そうでした?」
雛
「そう!!」
一息。
雛
「……ただの……
知り合い……」
白羽
「“ただの”にしては」
視線が、抱えられた紙束へ。
白羽
「博物館みたいですね」
雛
「だから言わないで!!」
真っ赤。
白羽は、少しだけ微笑んで言う。
白羽
「安心してください」
雛
「……?」
白羽
「まだ、“どういう関係か”までは
聞いてませんから」
雛
「――――っ!?」
安心では、なかった。
◇
雛は、
しばらく黙っていた。
抱えていた手紙を、
そっと机に置く。
雛
「……命、助けてもらったの」
白羽
「はい」
雛
「そのあと……
行く場所、なくて……」
そこで、言葉が途切れる。
雛は、
視線を落としたまま、
小さく肩をすくめた。
雛
「……一緒に、住んでただけ」
一拍。
雛
「……それだけよ」
白羽
「なるほど」
一拍。
白羽は、
とても穏やかな声で言った。
白羽
「つまり」
雛
「……なに……」
白羽
「私が無人島で、
必死に生きてる間」
雛
「……」
白羽
「雛は、
ヴォイドさんと二人で
いちゃいちゃ生活して」
雛
「い、いちゃいちゃ!?」
白羽
「その後、
丁寧に文通してた、と」
雛
「……っ」
白羽
「へぇ」
完全に棒。
白羽
「いいですね」
雛
「棒読み!!」
白羽
「そんなことないです」
雛
「ある!!
今の“へぇ”、
感情ゼロだった!!」
首をかしげる白羽。
白羽
「……何か」
白羽
「私に、
言うことはありませんか?」
雛
「…………」
完全沈黙。
雛
「……あの……」
白羽
「はい」
雛
「……い、いちゃいちゃして
ごめんなさい……?」
白羽
「…………」
雛
「…………」
白羽は、
一瞬だけ目を閉じてから――
ふっと息を吐いた。
白羽
「ふふ……冗談です」
雛
「……え」
白羽
「だってヴォイドさん、
とても優しいですし」
それと、と続く。
白羽
「雛も……
大変だったようですし」
雛
「白羽……」
一拍。
白羽
「でも、次は……」
雛
「……次は?」
ごくり。
白羽
「死祟……でちゃうかも?」
雛
「怖いって!!」
白羽
「ふふっ
これで、おあいこです」
笑顔。
雛
「……も、もう!
あんたって子は……」
これから気をつけよう。
再び手紙を抱え込む雛。
その様子を一度見てから、
白羽は、そっと視線を外した。
◇
白羽
「……そういえば」
雛
「……?」
白羽
「先ほど、
外で羽音がしました」
その瞬間。
雛の頬が、
ふっと――分かりやすく緩んだ。
目が、ほんの少しだけ見開かれて、
口元が、隠しきれずに上がる。
雛
「……あ」
声まで、軽い。
雛
「たぶん……
ヴォイド様」
立ち上がるのが早い。
雛
「この時間、
だいたいいつも、そうだから」
言いながら、
もう入口に向かっている。
足取りが、
いつもより少しだけ弾んでいる。
ふふん~
鼻歌まで。
外に出ると、
灰色の鳥が枝に止まっていた。
雛は慣れた様子で腕を差し出し、
顔を近づける。
その時、
完全に笑っていた。
頬が上がって、
目が細くなって。
嬉しいのを、
まるで隠す気がない。
筒を外す指先も、
どこか楽しそうだ。
小屋に戻ってきた雛は、
紙を胸の前で持ったまま――
はっとしたように立ち止まる。
一拍。
雛は、
慌てて口元を引き締めた。
雛
「……ごめん」
何に、とは言わない。
雛
「……ちょっと、
読ませて」
白羽
「いいですよ」
胸の奥で、
何かが動いた気がした。
手紙を取り出す。
──────────────────────────────
雛殿
小屋での暮らしには慣れたか。
不便な日々は心と技を磨く時間になる。
それを乗り越えて強くなれ。
それと
白羽がカナリア原生林に飛ばされた。
悪いが匿ってやってほしい。
追伸。
久々に語り合うといい。
こちらのことは気にするな。
以上。
──────────────────────────────
雛は、
最後まで読み終えると、
しばらく黙ったまま、紙を見つめていた。
白羽
「……前と、違いますね」
雛
「……ええ」
二人とも、
同じことを思っている。
前はもっと短くて用件だけで。
安心だの、成長だの、
そんな言葉はなかった。
追伸の行に、
もう一度目を落とす。
「久々に、語り合うといい」
雛
「……余計なこと、
書くようになったね」
白羽
「……らしいです」
小さく笑った。
(……前と違う)
でも。
頬がゆっくり緩む。
(……でも、嬉しいな)
一拍。
少しだけ表情を緩める白羽。
白羽
「とても……
気にかけてくれてますね」
こくり。
小さく頷く。
白羽
「……ありがたいですね」
雛
「……そうね」
二人とも、
それ以上は言わない。
でも、どちらの声にも
同じ温度の安心があった。
手紙を胸元に引き寄せてから、
そっと引き出しにしまう。
今度はさっきほど慌てていない。
雛
「……だったら」
雛
「白羽。
今日は、ゆっくりしよ」
白羽
「……不束者ですが、
よろしくお願いします。」
雛
「……ええ、こちらこそ」
ふふっと笑う。
小屋の中に、
静かな時間が戻ってきた。
その場にあった“急ぐ理由”は、
確かに消えていた。
◇ 洗濯場/雛の小屋の裏
小屋の裏手。
簡単に作られた洗い場に、
水桶が二つ並んでいる。
水桶の横で、
雛は白羽の服を手に取った。
びろーん。
布地が、
遠慮なく引き延ばされる。
白羽
「……ちょっと」
雛
「なに?」
雛は白羽の服全体を広げて、
まじまじと眺める。
淡い色合いの、
動きやすそうなワンピース。
ヴォイドに、
似合ってると言われて以来ずっと、
白羽のお気に入り。
本来であれば、
かなり可愛い部類だ。
――本来なら。
雛
「……」
泥。
血。
乾いた染み。
雛
「……絵になるわね」
白羽
「や、やめてください!」
雛
「だって」
雛は、
靴まで持ち上げる。
雛
「普通ここまで汚れる?」
白羽
「……戦闘、
してましたので……」
雛
「それは分かるけど」
雛は、
ふっと笑う。
雛
「可愛い服が、
台無しなのがいいのよ」
白羽
「よくありません!」
雛は、
楽しそうに桶に水を張る。
そして、
ゆっくりとため息をついた。
一拍。
雛
「……ねぇ」
白羽
「はい」
雛
「あんた、
一体どんな戦いしてきたのよ」
白羽
「……いろいろと」
雛
「“いろいろ”で
済む量じゃないでしょ、
この血しぶき」
靴を持ち上げる。
ぽた、と泥水が落ちた。
雛
「災厄級?」
白羽
「いえ」
雛
「原初級?」
白羽
「いえ」
雛
「……じゃあ、何?」
白羽は、
一瞬だけ言葉に詰まってから――
視線を逸らした。
白羽
「……百音という人に」
雛
「……人?」
白羽
「はい。
ただの人間です」
一拍。
白羽
「……負けました」
雛
「……」
白羽
「……ボロボロに」
肩がほんの少しだけ落ちる。
雛はその様子を見て――
ふん、と鼻を鳴らした。
雛
「へぇ」
白羽
「……?」
雛
「人間にしては、
なかなかやるじゃない」
腕を組んで、少し得意げに言う。
雛
「でも」
一歩、白羽に近づく。
雛
「私のほうが、
余裕で強いわ」
白羽
「……」
雛
「なんたって、
原初災厄だし」
白羽
「……それは」
雛
「今度、
白羽達の前に現れたら」
にっこり。
雛
「私が殺してあげるわ。
サクッとね」
拳を高く上げる。
白羽
「あ、ありがとうございます?」
雛
「どういたしまして!」
空気が、
一気に軽くなった。
◇
雛は、
桶に水を汲み直す。
雛
「さ、洗うわよ」
白羽
「ええ。
やりましょう!」
白羽も、
袖をまくって水に手を入れる。
雛は、
容赦なく服を水に沈めて――
ごしごし。
白羽
「……っ」
雛
「なに?」
白羽
「……その……」
雛
「?」
白羽
「……私の、服を……」
雛
「うん」
白羽
「……雛に洗われるの
……い、いえ、
なんでも……」
一拍。
雛は、
ぴたりと手を止めた。
それから――
ゆっくり、にやり。
雛
「……あら」
雛
「もしかして」
雛
「恥ずかしいの?」
白羽
「……」
雛
「自分の服とか」
ごしごし。
雛
「下着とか」
白羽
「……っ!」
雛
「ふふ」
雛
「大丈夫よ。
洗濯なんて、ただの作業だし」
白羽
「……それでもです!」
雛
「へぇ」
くぅ…
雛は、
完全に楽しんでいる。
こうなったら、
こっちも反撃するしかない。
雛
「白羽って案外可愛――」
白羽は、
無言で立ち上がり、
別の桶に手を伸ばした。
雛
「……?」
白羽
「では」
雛の服を手に取る。
ヴォイドに買ってもらった、
紺のワンピース。
雛一番のお気に入りである。
びろーん。
雛
「ちょっと!?」
白羽
「私が洗濯しますね」
雛
「ダメダメ、絶対ダメ!!」
白羽
「なぜですか」
雛
「自分でやるから!」
白羽
「先ほど、“ただの作業”と」
雛
「それとこれは話が別!」
慌てて服を取り返そうとする。
白羽
「逃げないでください」
雛
「逃げるわよ!!」
結果。
雛は白羽の服を。
白羽は雛の服を。
互いにごしごし。
雛
「……なんでこうなるのよ!」
白羽
「……私にも分かりません」
雛
「やめなさいって、
言ってるでしょ!」
白羽
「雛こそ!」
雛、白羽
「むーーっ!」
水音と、
布の擦れる音。
無意味に続く、
相互洗濯。
雛
「……ねぇ」
白羽
「はい」
雛
「これ……
誰も得してないわよね」
白羽
「……はい」
二人は同時に手を止めた。
一拍。
雛
「……ばか」
白羽
「……そっちこそ」
2人は小さく笑った。
◇ 狩り・採取/カナリア原生林・外縁
小屋を離れて、
森の外れを歩く。
雛は前で、
白羽はその少し後ろ。
狩りというより、
採取に近い。
雛は歩きながら、
木の根元や岩陰を見ては、
迷いなく手を伸ばす。
白羽
「雛、ずっと
気になってたんですが」
雛
「なに?」
白羽
「どうして、
ここに住んでるんです?」
一瞬だけ足を止めた。
それから、
特に隠す様子もなく答える。
雛
「あの小屋ね」
雛
「昔、ヴォイド様が
使ってたんだって」
白羽
「……え」
その言葉で、
白羽の記憶が引っ張り出される。
苔むした小屋。
無駄のない作り。
必要最低限の生活。
白羽
「……私も」
雛
「?」
白羽
「グレイヴェルの森」
白羽
「そこにある小屋で、
一緒に暮らしていたことがありました」
雛
「……ふふ」
雛
「あの人、
いくつ小屋持ってるのよ」
白羽
「……確かに」
二人は、
同時に少しだけ笑った。
雛は歩きながら、
地面から食べられる根を掘り出す。
雛
「ここ、好きなの」
雛
「食べるものは、
たくさんあって困らないし」
川のほうを指差す。
雛
「水も澄んでる」
少し間を置いて。
雛
「……それに、
人もまず来ない」
白羽
「……」
雛
「私はね」
小さな実を摘みながら言う。
雛
「まだ、
普通の人と一緒に生活できるほど、
大人じゃないの」
白羽
「……雛」
雛の声は、
自嘲でもなく、
諦めでもなかった。
ただ、
現状をそのまま言っている。
雛
「でも」
袋の中身を確かめてから、
少しだけ顔を上げる。
雛
「ヴォイド様から、
いっぱい手紙くるし」
雛
「今とっても幸せ」
白羽
「……」
雛
「あなたみたいなのも、
落ちてくるしね」
白羽
「……落ちてきちゃいました」
雛
「ふふ」
雛
「飽きないわ。本当に」
白羽は、
その横顔を見て、
思わず口元を緩めた。
白羽
「ここ……
いい場所ですね」
雛
「でしょ」
少しだけ誇らしげだった。
二人は、
それ以上言葉を重ねず、
ゆっくりと森を歩く。
枝を拾い、
実を摘み、
必要な分だけを集める。
狩りでもなく、
戦いでもなく。
ただ、
ここで生きている時間。
森は静かで、
風は穏やかで。
白羽は、
この時間を――
悪くないと思った。
◇
二人で、
袋の中身を確かめながら歩いていた、
その時。
足元の草が、
かさ、と揺れた。
次の瞬間。
細長い影が、
するりと這い出る。
蛇
「……(ぬる)」
雛
「――――っ!?」
白羽が反応するより早く、
雛の悲鳴が森に響いた。
雛
「きゃああああああ!!」
にょろ。
白羽
「あ!蛇さん!」
白羽は、
反射的に手を伸ばし――
ひょい。
蛇の胴体を、
あっさり掴んだ。
雛
「ちょっ!?
なに自然に掴んでるの!?」
白羽
「蛇です」
雛
「分かってるわよ!!
離して!!」
蛇は、
暴れる様子もなく、
白羽の腕に巻き付いている。
白羽
「えーこの子、
毒はないですよ」
雛
「そういう問題じゃない!!」
白羽は、
蛇の目を覗き込む。
丸い瞳。
小さく舌を出す。
白羽
「懐かしいなぁ……」
白羽
「私も無人島で、
初めて蛇を見たときは」
雛
「……?」
白羽
「びっくりして腰を抜かしました」
雛
「でしょうね!!」
白羽
「でも」
白羽は、
指先で鱗をなぞる。
白羽
「よく見ると、
目とか……
鱗とか……」
白羽
「……ちょっと可愛いかも?
そう思えるようになって」
白羽
「今では、この通り。
バッチリお友達です!」
雛は、
何も言わずに聞いている。
白羽
「もしかしたら」
白羽
「私達も……
同じなのかも」
きゅっ
蛇は、
白羽の腕に巻き付きながら、
小さく体を動かす。
白羽
「知らなければ、怖い。
近づかなければ、分からない」
白羽
「でも、ちゃんと見れば」
白羽
「一緒にいられるんです」
一拍。
白羽
「意外と―――
単純なのかもしれません」
雛
「……」
白羽は、
雛のほうを見る。
白羽
「雛も……
せっかくですしもう一歩、
いきましょ?」
雛
「……え?」
白羽
「蛇さんと親友になるための、
登竜門です」
雛
「なにそれ……」
白羽
「大丈夫です」
白羽
「逃げなければ、
向こうも嫌がりません」
雛
「……」
蛇と白羽を交互に見て――
小さく息を吸った。
雛
「……ちょっとだけ」
白羽
「はい」
白羽は、
そっと手を伸ばし、
蛇の体を雛のほうへ近づける。
次の瞬間。
蛇は、
するりと――
雛の腕に、巻き付いた。
雛
「………………」
一秒。
二秒。
完全に、フリーズ。
雛
「……動いてる」
白羽
「生きてますから」
雛
「……」
逃げない。
振り払わない。
蛇は、
雛の腕に沿って、
ゆっくりと体を預けている。
雛
「……白羽」
白羽
「はい」
雛
「……これが、登竜門?」
白羽
「初級編です」
雛
「……初級……」
蛇が、
きゅ、と軽く締まる。
雛
「……っ」
それでも、
雛は動かなかった。
数秒後。
蛇
「……きゅ(またね)」
蛇は、
するりと草の中へ
戻っていった。
……と。
その後を追うように、
小さな影が二つ。
細くて、
頼りない動きの蛇。
雛
「……あ」
(親子……?)
三匹は、
同じ方向へ――
森の奥へ消えていく。
少しの沈黙。
白羽
「……ね」
雛
「……」
白羽
「蛇さんも……
今日を生きてます」
雛は、
小さく頷いた。
雛
「……そうね」
雛は、
さっきまで巻き付いていた腕を見る。
そこに、
もう何もない。
それでも。
雛は、
小さく息を吐いた。
雛
「……悪く、ないわね」
白羽
「雛、それ、
ヴォイドさんっぽいです」
雛
「え?
た、確かにそう……かも?」
2人は笑う。
森は、
静かに息をしていた。
◇ 夕食/雛の小屋
日が落ちると、
森は一気に静かになった。
小屋の中。
簡素な机の上に、
いくつかの皿が並ぶ。
焼き色のついた鶏肉のソテー。
香草を散らした根菜のスープ。
森で採れた実のサラダ。
それと、
少し硬めのパン。
湯気が、
ゆっくり立ち上っている。
白羽
「……お料理すごいですね」
雛
「でしょ」
雛は、
少しだけ胸を張る。
雛
「ちょっと頑張った」
白羽
「ありがとうございます!
じゃあ……このお肉から」
一口。
白羽
「……!!
とてもおいしいです!」
雛
「……ほんと?」
白羽
「はい。
鶏肉、外は香ばしくて、
中はちゃんと柔らかいです」
雛
「ふふ」
雛
「それ、
火加減が大事なのよ」
白羽
「……さすがです」
スープを飲む。
白羽
「……スープも、
すごく落ち着きます」
雛
「野草、
ちゃんと下処理したから」
白羽
「……雛、
料理上手なんですね」
雛
「……まあね」
照れたのを隠すように、
自分の皿に視線を落とした。
少しの沈黙。
食器が触れ合う音。
薪がぱち、と鳴る。
そして、
パンをちぎりながら、
何でもない風に言った。
雛
「……そういえば、白羽」
白羽
「はい」
雛
「ヴォイド様のこと、
好き?」
――ぶっ。
白羽
「……っ!?」
完全に不意打ち。
白羽
「げほっ……!
ちょ、ちょっと……!
雛!?」
雛
「あ、ごめん」
雛
「今、
飲んでると思わなくて」
白羽
「今じゃなかったです……!」
白羽は、
慌てて布で口元を拭く。
顔が、
分かりやすく赤い。
雛は、
そんな様子を見ながら、
何事もなかったように
スープを一口飲んだ。
雛
「……で?」
白羽
「……で、とは」
雛
「答えは?」
白羽
「……」
火の音が、
やけに大きく聞こえた。
ぱち、と鳴った。
白羽は、
まだ言葉を探している。
雛は、
その沈黙を待たなかった。
雛
「私は、好き」
白羽
「……」
雛は、
白羽を見ない。
皿の上の鶏肉を、
フォークで軽く押しながら言う。
雛
「生きてていいって、
教えてくれた人だから」
白羽
「……」
雛
「強いとか、
優しいとか」
雛
「そういうのもあるけど」
少しだけ、
声が低くなる。
雛
「それより前に」
雛
「“ここにいていい”って、
最初に言ってくれた」
一拍。
雛
「……私にとっては、
それだけで十分なの」
雛は、
ようやく顔を上げる。
表情は、
照れてもいないし、
怯えてもいない。
ただ、
まっすぐだった。
雛
「だから」
雛
「好き」
白羽は、
手に持ったスープの匙を、
そっと机に置いた。
言葉が、
すぐには出てこない。
火は、
変わらず燃えている。
雛は、
それ以上何も言わず、
静かに食事を再開した。
今すぐには答えを求めていない。
白羽は、
その横顔を見ながら胸の奥が、
少しだけ熱くなるのを感じていた。
◇
少しだけ背筋を伸ばす白羽。
雛のほうを見る。
視線は逸らさない。
白羽
「……私も」
白羽
「ヴォイドさんのこと、
好きです」
声は落ち着いている。
でも、
迷いはない。
白羽
「助けてもらったから、
だけじゃありません」
雛
「……」
白羽
「一緒に過ごして、
一緒に歩いて、
そして。
一緒に生きてきて」
一拍。
白羽
「……この人となら、
どこにいてもいいと、
思えたんです」
火がぱち、と鳴った。
白羽
「だから」
白羽
「思いきって告白も、
しました」
雛の肩がぴくっと震える。
白羽
「……うまく、
かわされましたけどね」
ほんの少し、
苦笑。
白羽
「それでも」
白羽
「好きです」
言い切る。
言い逃げもしない。
言い訳もしない。
雛はしばらく黙っていた。
そして――
小さく、息を吐く。
雛
「……そっか」
その声は、
静かで。
雛
「……じゃあ」
ゆっくり笑った。
雛
「私たち……同じね」
火は静かに燃え続けている。
夜はまだ深くならない。
◇
食事は終わり、
静かな時間が流れる。
焚き火が、
小さく音を立てている。
雛は、
仰向けのまま、
天井を見ていた。
雛
「……ね、白羽」
白羽
「どうしました?」
雛
「三千年前のこと」
少しだけ、間。
雛
「ほとんど、覚えてないの」
白羽
「……」
雛
「どんな会話をしたのかも、
どんな日々を送っていたのか、も」
雛
「全部が断片的」
焚き火が、
ぱち、と鳴る。
雛
「記憶は有限だもの。
三千年も経てば、
次第に忘れてゆくし」
雛
「思い出したくないことも
……いっぱいある」
白羽
「…………」
雛
「でも」
人形のほうを見る。
雛
「私、思うの」
白羽
「……?」
雛
「三千年前も」
雛
「もしかしたら……
こんな感じだったのかなって」
白羽は、
少し考えてから答える。
白羽
「……たぶん、
そうだったと思います」
白羽
「きっと」
白羽
「些細なことで、
喧嘩して」
白羽
「泣いて」
白羽
「笑って」
白羽
「そうしたら、
また喧嘩して」
白羽
「その繰り返し、
だったんじゃないかなって」
白羽
「……でも」
白羽
「最後まで私達は、
幸せだったと思います」
人形を静かに見つめたまま、
小さく息を吐いた。
雛
「……そっか」
一拍。
雛
「そうに、
違いないわね」
それ以上、
言葉はいらなかった。
◇ エピローグ/翌朝・雛の小屋
朝の光が、
小屋の中を満たしていた。
昨日の夜が、
嘘みたいに澄んだ空気。
机の上には、
一羽の伝書鳩。
もう、筒は外されている。
手紙を畳んで置く雛。
雛
「……なるほどね」
白羽
「状況は、
把握しました」
雛
「思ったより、
派手にやってるみたい」
白羽
「らしいですね」
二人とも、
それ以上は言わなかった。
もう、
迷う段階ではない。
雛は戦闘用の黒いドレスを身に纏い、
白羽もそれに合わせて装備を整える。
出発の準備は、
ほとんど終わっている。
白羽は、最後に鞄を持ち上げた。
留め具を外し、
中身を確かめる。
そのとき――
指先に、
柔らかい感触。
白羽は、
一瞬だけ動きを止めた。
そのまま鞄を閉じようとして――
ふと、口を開く。
白羽
「……雛」
雛
「なに?」
白羽は、
鞄の中に手を入れたまま、
視線を落とす。
白羽
「この人形ですけど」
一拍。
白羽
「本当に、私が持ってていいんですか?」
雛は、手袋を締めていた指を止め、
白羽を見る。
それから、
少しだけ間を置いて言う。
雛
「……ええ、勿論」
雛
「白羽に持ってて欲しいの」
白羽
「……雛」
一拍。
雛
「でも、無くしたら殺すからね」
冗談めかした声。
白羽は、
一瞬だけ目を瞬かせて――
それから、ほんの少しだけ口元を緩めた。
白羽
「……はい。
絶対に大事にします」
雛
「ふふ、ありがと」
白羽は人形を鞄の奥に収め、
留め具をきちんと閉じた。
迷いは、
もうなかった。
小屋を出る二人。
雛
「じゃあ、行くわよ」
白羽
「はい」
雛
「しっかり、
捕まってなさい!」
次の瞬間。
黒い羽が、
風を裂く。
枯滅の黒羽が、
雛の背に広がり――
ふわり、と浮き上がる。
白羽は、
迷いなく掴まった。
白羽
「お願いします、
雛!」
雛
「任せなさい、
白羽!」
二人は、
朝の空へ飛び出した。
――仲間のもとへ。




