表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
24/33

第15章 夜空にほどける涙

◇ ???/???


冷たい。


最初にそう思った。


背中に伝わる感触は硬くない。

でも柔らかすぎもしない。


……土?


目を開ける。


ぼやけた視界の向こう、

揺れている影。


しばらくして、

それが――葉だと分かる。


木の葉。


重なって、

空を隠している。


「……」


声を出そうとして、

一度、やめる。


まずは、

自分の体。


指を動かす。

腕。

足。


……動く。


痛みも、

強くはない。


ゆっくり、

上半身を起こす。


落ち葉が

かさ、と音を立てた。


その音に、

少しだけ身構える。


……誰も、来ない。


あたりを見回す。


木ばかりが、視界を埋めている。

遠くまで緑と茶色。


でも――


同じ木、ではない。


葉の形が、

少しずつ違う。


太い幹の横に、

細い枝が絡みつくように伸びている。


根が地表にむき出しのまま、

絡み合っている。


(……生え方、変じゃないですか)


下草も、

人が刈った形跡がない。


踏み固められていないのに、

道だけが残っている。


(……勝手に、

 生きてる、感じ)


理由は分からない。


でも――

ここは、

人が整えた森じゃない。


建物も、人の気配もない。


(……外?)


喉が、

からからだ。


一度、

深呼吸。


空気が湿っている。


土と、

草と、

葉っぱの匂い。


ここで、

ようやく――

声を出す。


「ヴォイドさん」


少し、大きめに。


「スレイさん!」


間を置いて。


「シオンちゃん!!」


森に、

声が吸い込まれていく。


返事は、

ない。


「……いない」


ぽつりと、

呟く。


もう一度、

あたりを見渡す。


足跡。

……自分のしか、ない。


ポータルの痕跡も、

見当たらない。


(飛ばされた、

 ってことですよね……)


考えながら、

立ち上がる。



◇ どこかの森/獣道


とりあえず、

歩く。


森の出口を探すなら、

同じところに立ってても仕方ない。


方角は――

太陽、見えない。


上も横も、

葉っぱ。


(……まあ、

 森ってそういうものですよね)


適当に、

まっすぐ。


足元を確認しながら歩く。


……踏むけど。


びくっとして、

立ち止まる。


……誰も、いない。


(……気にしすぎ、かな)


歩く。


数分。


……なんだろう。


さっきから、

視線。


見られてる、

気がする。


振り返る。


木。

影。

何も、ない。


(動物……?)


そう思うことにして、

また歩く。


……ぐぅ。


お腹が鳴った。


「……」


思わず、

口を押さえる。


誰もいないのに、

恥ずかしい。


(そういえば、

 最後に食べたの……)


思い出せない。


カバンを、

そっと前に回す。


中を探る。


指に触れるのは――

布。

硬いもの。

それから……。


(……食べ物、

 ないですね)


分かってはいたけど、

ちょっと、がっかり。


カバンを戻して、

歩く。


……また。


視線。


今度は、

背中に貼り付く感じ。


(……ほんとに、

 なんなんですか……)


周囲を見回す。


木の根元。

低い枝。


……あ。


見覚えのある形。


(木の実……)


慎重に、

一つ、二つ。


次は、

足元。


(これは……

 大丈夫なやつ)


キノコ。


無人島で学んだ。

お腹壊したこともあったけども。


色。

裏。

匂い。


(……うん、大丈夫そう)


少し集めて、

近くの岩に腰を下ろす。


問題は――

火。


(どうやって、

 焼きましょう……)


少し考えて、

ポケットを探る。


……あ。


小さな金具。


カバンの端に付けてた、

簡易の火打ち。


(あ、これ

 あの時の……)


落ち葉。

乾いた枝。


どれも乾いているのに、

不思議と朽ちていない。


(……強いですね、この森)


石の上に小さく積む。


カチ。


……カチ。


火花。


もう一度。


カチ。


ぱち、と。


小さな火。


「……よし」


枝を足して、

弱いけど、十分。


木の実とキノコを、

石の上であぶる。


じゅ、と音。


香ばしい匂い。


岩に座ったまま、

それを眺める。


……少し待って。


手でつまんで、

息を吹きかけて。


ぱく。


「……っ」


思わず、目を見開く。


(おいし……)


声には、出さない。


でも、口の端が勝手に緩む。


ぱく、ぱく。


木の実。

キノコ。


どれも、

すごく美味しいわけじゃない。


でも。


(あったかい……)


お腹に、

ちゃんと、落ちていく。


胸の奥まで、

じんわり。


「……ふふ」


小さく、笑ってしまう。


……しばらくして。


火は、

いつの間にか消えている。


残るのは、

ほんのり温かい石と、

静かな森の音。


白羽は、

一度、大きく息を吸った。


「……よし」


お腹に手を当てる。


まだ満腹、

というほどじゃないけど。


ちゃんと、

動ける。


ちゃんと、

考えられる。


「まずは……

 ここを、出ないとですね」


立ち上がって、

肩のカバンを軽く叩く。


中身の重さを、

確かめるみたいに。


「えい、えい……」


小さく、

拳を握って。


「……おー」


誰に聞かせるでもなく、

そう言って。


白羽は、

森の奥へと歩き出した。



一方、ヴォイド視点。



◇ 因果観測第2研究所/正面出口


自動扉が、

しゅ、と音を立てて閉まった。


研究所の中と外で、

空気が、はっきり違う。


冷たい夜気。

静かな風。


その正面。


――三人、並んでいた。


しっかり系。

距離感バグ系。

おどおど系。


全員、

妙に姿勢がいい。


距離感バグ系は、

すでに両手を振っている。


距離感バグ系

「お疲れさまでした~!!

 道中お気をつけて~!!」


スレイ

「…………」


しっかり系

「本日はご協力、

 誠にありがとうございました」


深々と、

一礼。


おどおど系

「あ、あの……

 そ、その……

 気をつけて……ください……!」


声、ほぼ消え入りそう。


スレイは、

数秒、固まって――


次の瞬間。


スレイ

「あ・ん・た・た・ち・ねぇ!!」


全力。


スレイ

「今の状況、

 分かってる!?」


スレイ

「私たちの仲間が一人、

 どこかに飛ばされた直後なんだけど!?」


距離感バグ系

「えっ、

 だからこそ元気に!」


しっかり系

「送り出しは、

 士気の維持に有効かと」


おどおど系

「す、すみません……

 笑顔の練習、

 してきちゃって……」


スレイ

「練習するな!!」


ヴォイドは、

そのやり取りを

黙って見ていた。


両腕には、

謎のケース。

謎の袋。

謎の“生きてる何か”。


距離感バグ系

「あっ、それ!」


距離感バグ系

「よかったら

 お土産にどうぞ!」


スレイ

「誰が受け取ると思ってんのよ!!」


しっかり系

「正式な廃棄処分前の

 副生成物です」


スレイ

「言い方変えても

 危険物は危険物だから!」


シオンは、

ヴォイドの隣で

小さく手を上げた。


シオン

「……かわいい」


距離感バグ系

「ですよね!!」


即意気投合。


スレイ

「シオン!?

 そっち行かないで!」


おどおど系

「あ、あの……

 無事を……

 祈ってます……!」


しっかり系

「次にお会いする際は、

 もう少し安定した条件で」


スレイ

「次がある前提で

 話すな!!」


ヴォイドは、

研究所を一度だけ振り返った。


そこに、

白羽はいない。


だが、

言葉は出さない。


距離感バグ系

「それでは~!」


三人同時に、

深々と一礼。


研究者としては、

たぶん正しい。


状況としては、

だいぶおかしい。


スレイ

「……もういい」


小さく、

息を吐く。


ヴォイド

「行くぞ」


スレイは、

はいはいと言う。


シオンも、

一歩、前に出る。


背後で、

三人の研究員が

いつまでも手を振っている。


あまりにも、

平和な見送りだった。


スレイ

「……あの人たちって……」


何かを言いかけて、

言葉を探す。


ヴォイドは、

歩きながら、

淡々と答えた。


ヴォイド

「彼女たちは、

 この件について、

 何も知らなかった」


一拍。


ヴォイド

「ただ、純粋に」


ヴォイド

「研究をしていただけだ」


ヴォイド

「そういった者たちも

 いるということだ」


スレイは、

それ以上、何も言わなかった。



◇ スヴォーク湿原外縁/森道


研究所から、

少し離れた、

行きにも通ってきた場所。


人工の舗装が途切れ、

土の感触に変わったところで――

ヴォイドは、足を止めた。


スレイも、

シオンも、

それに倣う。


しばらく、

誰も口を開かない。


夜風が、

草を揺らす。


ヴォイドは、

視線を落としたまま――

一言、呟く。


ヴォイド

「……ポータルが、閉じる直前」


スレイ

「?」


ヴォイド

「白羽の向こうに、

 森が見えた」


短く。

事実だけ。


シオン

「……森?」


ヴォイド

「そうだ。

 人工構造物ではない。

 管理圏でもない」


一拍。


ヴォイド

「少なくとも――

 百音たちの手が、

 即座に届く場所ではない」


続ける。


ヴォイド

「白羽は、

 ……今この瞬間に限って言えば、

 安全圏にいると判断できる」


スレイは、

それを聞いて、

小さく息を吐いた。


スレイ

「……なるほど。

 一瞬で殺される状況じゃない、

 ってことね」


ヴォイド

「ああ」


スレイ

「よ、よかったぁ」


胸をなでおろす。


ヴォイド

「白羽が飛ばされたのは、

 結果に過ぎない」


ヴォイド

「原因は、

 まだ生きている。」


ヴォイド

「そこで……」


一拍。


ヴォイド

「俺たちは、

 サイト1に向かう」


シオン

「……サイト1」


ヴォイド

「そうだ」


スレイは俯いて、

一瞬だけ拳を握る。


スレイ

「…………」


そして、

何かがふっきれたように

顔を上げる。


スレイ

「白羽ちゃんのこと、

 本当は心配だけど」


スレイ

「でも―――」


スレイ

「ヴォイドさんが

 そこまで言うなら、

 信じるしかないわね」


そして、

自分の顔をパンと叩く。


スレイ

「白羽ちゃんは、

 白羽ちゃんで頑張る!」


スレイ

「私たちは、

 やるべきことをやる!」


シオン

「……シオンも、

 いく」


迷いはない。


ヴォイドは、

一度だけ、

森の方向を見た。


ポータルの向こうに見えた、

あの景色を思い出す。


特徴的な植生。

人の管理を拒むように残り続けた、

"カナリア原生林"でしか見られない。


そして。


——あそこなら、あいつがいる。


思考は、

そこで止める。


ヴォイド

「行くぞ」


低く。


ヴォイド

「サイト1へ」


一歩、

踏み出そうとした瞬間。


スレイ

「あ、ちょっと待って」


ヴォイド

「?」


スレイは、

一度、息を吸って――


スレイ

「……こういう時は、

 あれでしょ」


シオン

「……えい、えい?」


スレイ

「そう、それ!」


スレイは、

強引にヴォイドの腕を引っ張る。


スレイ

「ほら、ヴォイドさんも!」


ヴォイド

「必要ない」


即答。


スレイ

「必要なの!!」


シオンは、

もう片方の手を取って、

ぐいっと上に上げる。


シオン

「……えい」


一拍。


スレイ

「えい、えい――」


シオン

「……おー」


二人の手が、

空に上がる。


ヴォイドは、

一瞬だけ固まって――


小さく、

息を吐いた。


(……おー)


ほとんど、聞こえない声。


スレイ

「声ちっさ!!」


スレイ

「もう一回!!」


三人分の手が、

揃う。


スレイ

「えい、えい――」


シオン

「……おー」


ヴォイド

「……おー」


静かな森に、

妙に間の抜けた声が、

少しだけ響いた。


三人は、歩き出した。



そして場面は白羽に戻る。



◇ カナリア原生林/獣道


白羽は、

森の奥へと歩きながら――

ふと、足を止めた。


「……」


しん、とした空気。


さっきまで聞こえていた、

虫の音も、

葉の擦れる音も、

少し遠い。


(……静かすぎると、

 逆に落ち着きませんね)


一度、喉を鳴らして。


白羽は、

小さく息を吸った。


「……よし」


誰に向けるでもなく。


そして――

歌い出す。


♪ きょうは なにを たべようかな〜

♪ きのこか きのみか それとも……


自分でも、

何の歌かは分からない。


即興。

完全に、その場の気分。


♪ あしたは どこへ いこうかな〜

♪ もりを でたら ひとやすみ〜


少し、調子に乗って。


歩きながら、

枝を避けて、

石を跨いで。


♪ えいえい おーで がんばろう〜

♪ なんとか なるって しんじよう〜


(……うん)


(ちょっと、元気出ました)


満足そうに、

一度、頷く。


「何の歌よ、それ!!」


ばっ。


枝を弾き飛ばして、

黒い影が――

前に出た。


「えっ」


白羽の声が、裏返る。


目の前。

数歩先。


長い黒髪。

鋭い視線。

見覚えのある――


喉が、

ひくりと鳴る。


「……雛、さん?」


影から現れた少女は、

自分で言ってから、

はっとしたように口を押さえた。


(……しまった)


雛は、

一瞬だけ目を泳がせ――


そのまま、

硬直した。


静かな森の中。


歌の余韻だけが、

まだ、空気に残っていた。


白羽の思考は、

一瞬――

完全に、止まっていた。


「……え」


声が、

自分のものだと分かるまでに、

少し時間がかかる。


目の前。

数歩先。


黒髪。

鋭い視線。

森に溶け込むような気配。


(……?)


(……え?)


理解が、

追いつかない。


「え、あの……?」


口が勝手に動く。


「い、今の歌……

 へ、変でした……?」


違う。

そうじゃない。


何を言っているのか、

自分でも分からない。


足が、

じり、と後ずさる。


「……あ」


そこで、

ようやく。


“誰”なのかを、

思い出してしまった。


(……雛、さん)


喉が、

ひくりと鳴る。


(……枯滅こめつ


胸の奥が、

一気に冷える。


(……私を)


(……殺しに、きた……)


言葉にならないまま、

一歩。


もう一歩。


足が、

完全に“逃げる”方を向く。


「……っ!」


踵を返す。


「ちょ――」


雛の声が裏返る。


「ま、待って!」


次の瞬間。


足元に、

急に重みを感じる。


「――え?」


スカートの裾が、

踏まれている。


理解するより先に。


バランスが、

一気に崩れた。


前。


前に。


「わ、わわ――!」


足がもつれる。

手が間に合わない。


視界が、

一気に地面に近づいて。


ずこっ。


正面から、

盛大に転んだ。


落ち葉が舞い、

鈍い音が森に響く。


「……っ!」


息が喉で止まる。


雛は、

完全に固まった。


白羽は、

地面に伏したまま。


何が起きたのかも、

まだ、理解できていなかった。



◇ カナリア原生林/ドラム風呂


白羽は――


気づけば、

ドラム缶の中で、

肩までお湯に浸かっていた。


湯気が、

もくもくと立ち上る。


……はぁ。


思わず、

息が長く漏れる。


熱い。

でも、熱すぎない。


芯まで、

じんわり。


(……気持ちいい……)


全身の力が、

するすると抜けていく。


指先。

肩。

首の後ろ。


順番に、

ほどけていく。


ドラム缶の縁に、

顎を乗せて。


目を閉じる。


(……生き返る……)


さっきまでのことが、

遠くなる。


森。

転んだこと。

黒い影。


考えようとすると、

お湯が先に勝つ。


(……後で、考えましょう……)


夜の空気が、

ほんのり冷たくて。


湯との境目が、

心地いい。


薪の匂い。

木の匂い。

湿った土の匂い。


全部が混ざって。


(……あ……)


小さく笑ってしまう。


理由は特にない。


ただ。


ここにいて。

温かくて。

ちゃんと、息ができる。


(……溶ける……)


小屋の外で、

薪が、ぱち、と弾けた。


白羽は、

何も言わず。


お湯の中で、

静かに身を委ねた。



湯気の向こうで、

足音が、止まる。


「……着替え、

 ここに置いておくわね」


低い声。

近すぎない距離。


白羽は、

はっとして目を開ける。


白羽

「……っ」


慌てて、

縁から体を起こそうとして――

やめる。


(……今さら、ですね)


小さく、息を吸って。


白羽

「……あ、ありがとうございます」


返事はそれだけ。


少し間があって。


足音が、

遠ざかっていく。


また、

湯気と静けさ。


白羽は、

もう一度、肩まで沈む。


(……もう少し……

 もう少しだけ……)


熱が、

指先まで回る。


疲れが、

溶けていく。


さっきまでの不安も、

恐怖も。


全部、

お湯の底に沈めて。


……十分に、温まって。


ざばっ


白羽は、

ゆっくりと立ち上がった。



◇ カナリア原生林/雛の小屋


白羽は、

用意されていた服に袖を通して、

小屋の中に腰を下ろした。


体の芯が、

まだ、ぽかぽかしている。


頬も、

少し熱い。


(……あったか……)


テーブルの上に、

湯気の立つカップ。


雛が、

いつの間にか置いていたものだ。


「……どうぞ」


短い声。


両手でカップを包む。


白羽

「あ、ありがとうございます」


指先に、

じんわりとした熱。


ふー、と息を吹きかけて。


一口。


「……」


思わず、

目を瞬かせる。


(……おいしい……)


紅茶の香りが、

鼻に抜ける。


強すぎず、

でも薄くもなくて。


体の中に、

すとん、と落ちていく。


白羽

「……はぁ……」


今度は、

ちゃんとした息。


肩の力が、

完全に抜けた。


小屋の中は、

静かで。


薪が、

ぱち、と小さく鳴る。


雛は、

少し離れたところに立ったまま、

こちらを見ていない。


でも、

ちゃんと同じ空間にいる。


それだけで。


白羽は、

カップを持ったまま、

小さく息を吐いた。


(……少し、落ち着きました……)


もう一口、

紅茶を飲む。


ようやく――

一息、つけた気がした。



雛は、

テーブルの向こうに立ったまま、

腕を組む。


一度、

紅茶から視線を外して。


白羽ではなく、

少しだけ横を見る。


「……まず」


低く、

落ち着こうとする声。


「今日の話を、

 私の認識で整理していいかしら」


白羽は、

カップを持ったまま、

小さく頷いた。


雛は、

淡々と続ける。


「昼。日課の狩りをしていたの」


「そしたら――

 突然、森の中に

 強い気配が落ちてきた」


白羽の指が、

ぴくっと動く。


雛は、

気づかないふりをして続ける。


「この森には、

 普段、そんな“質”の気配は出ない」


「だから、

 様子を見に行ったの」


一拍。


「……そうしたら」


雛の視線が、

ようやく白羽に戻る。


「見覚えのある顔が、

 そこにあった」


白羽は、

反射的に背筋を伸ばす。


雛は、

一つずつ指を折る。


「服は、

 泥と血でぐちゃぐちゃ」


「なのに、

 妙に落ち着いた動きで

 サバイバルを始めて」


「木の実とキノコを焼いて、

 普通に食べてる」


白羽は、

目を逸らす。


雛は、

ため息を一つ。


そして。


雛は、

最後にぽつりと付け足す。


「挙句の果てに―――」


「この状況で、

 謎の歌を歌い出す」


沈黙。


薪が、

ぱち、と鳴る。


雛は、

こめかみを軽く押さえた。


「……ねえ」


少しだけ、

本音が滲む声。


「私、夢でも見てるのかしら」


白羽が、

思わず顔を上げる。


雛は、

真剣な顔のまま。


「さすがに、

 現実じゃないわよね」


紅茶の湯気が、

二人の間をゆらりと漂った。


「ここまでに、

 何があったのか、

 説明してくれない?」



白羽は、

カップを両手で包んだまま、

ぽつぽつと話し始める。


雛は、

途中で口を挟まなかった。


ただ、

最後まで聞いてから、

小さく息を吐く。


「なるほどね」


視線を落とし、

指先でカップを回しながら。


「サイト2、という場所で

 ゼロ因子を追っていた」


「そこで、

 百音という女に

 こっぴどくやられた」


一拍。


「その最中に、

 ポータルが開いて――

 気づいたらここにいた」


雛は顔を上げる。


「……にわかには、

 信じられない話ね」


でも、と

続けて。


「信じるわ」


白羽が、

少しだけ目を見開く。


雛は、

静かに言葉を重ねる。


「ここ最近、

 世界の空気が

 おかしいのは確かよ」


「因果が、

 無理やり

 ねじ曲げられている感じ」


「あなたの話は、

 それと一致する」


一拍。


それから、

ほんの少しだけ、

口元を緩めた。


「それに――」


一拍。


「あなたが

 そんな嘘をつくとは、

 思えないもの」


紅茶の湯気が、

二人の間で、

ゆっくりと薄れていく。



白羽は、

カップを持つ指に、

少しだけ力を込めた。


湯気が、

もうほとんど消えている。


一口、

紅茶を飲んで――

それから、

ゆっくりと息を吐いた。


白羽

「……雛さん」


声は、

思ったよりも落ち着いていた。


雛は、

視線を上げる。


白羽は、

真正面から、

その目を見る。


逃げない。


白羽

「一つ、

 確認してもいいですか」


雛は、

答えずに待った。


白羽は、

言葉を選ぶように、

少しだけ間を置いてから――


白羽

「……今でも」


喉が、

小さく鳴る。


白羽

「私を、

 殺すつもりはありますか」


空気が、

一段、冷えた。


責める声じゃない。

挑む声でもない。


ただ、

確認するためだけの声。


雛は、

口を開きかけて――

閉じた。


視線を落とす。


言葉が、

見つからない。


「…………」


言葉が続かない。


「……それは」


指先が、

無意識に

テーブルの縁をなぞる。


「……簡単には、

 答えられないわ」


白羽は、

何も言わず、

待った。


雛は、

眉を寄せたまま、

しばらく沈黙する。


白羽は静かに待つ。


雛は拳を握った。


「三千年分の後悔を、

 一言で説明できるなら……」


「私は、

 こんなところに

 いない」


白羽の肩が、

ほんの少しだけ強張る。


「でも」


言葉が、

詰まる。


「……今の感情を表現する言葉が、

 見つからないの」


一拍。


雛は、

ゆっくりと顔を上げる。


「……だから」


深く、

息を吸って。


「私と――

 戦って」


白羽の目が、

わずかに揺れる。


「言葉じゃなくて」


「力で、

 在り方で、

 終わり方で」


「私の想いを、

 受け取ってほしい」


沈黙。


白羽は、

しばらく雛を見つめていた。


恐怖も、

警戒も、

確かにある。


でも――

それ以上に。


白羽は、

小さく頷いた。


白羽

「……分かりました」


静かな声。


白羽

「戦いましょう」


雛は、

一瞬だけ目を見開き――

それから、静かに頷いた。


二人は、

言葉を交わさないまま、

小屋を出る。



◇ 2つの死、向かうところは


夜。


小屋の外に出る。


空は――

不自然なくらい、

澄み切っていた。


雲一つない。

月もない。


その代わり。


無数の星が、

静かに、

冷たく、

降るように瞬いている。


森は眠っていた。

風も、

虫の音も、

遠い。


白羽と雛は、

数歩の距離を挟んで

向かい合う。


言葉は、

もういらなかった。


合図もない。


互いに、ただ立つ。


星明かりが、

二人の影を地面に落とす。


その瞬間、

空気が変わった。


白羽の胸の奥。

ずっと沈んでいたものが、

ゆっくりと――

浮かび上がる。


死祟。


かつて、

世界の終端に立った存在。


「……」


息を吸う。


それだけで、

周囲の温度が

わずかに下がった。


一方。


雛の足元から、

黒い気配が

静かに滲み出す。


枯滅。


生命を刈り、

終わりを告げるもの。


二つは同じ系統。


同じ“死”を、

異なる形で抱え続けた力。


だからこそ。


今は互いを否定しない。


逃げない。


白羽の背後に、

淡い影が揺らぐ。


雛の周囲に、

星の光が歪む。


音はない。


だが、確実に――


死が、

世界に顔を出した。


白羽の瞳が、

静かに細まる。


雛の呼吸が、

一度だけ深くなる。


言葉は、

もう完全に途切れている。



白羽が、

一歩、踏み出す。


その瞬間。


足元から、

淡い“輪”が浮かび上がった。


円。

いくつも、

いくつも。


重なり合いながら、

静かに回転する。


命奪輪転。


奪うための力ではない。

巡らせ、

終わらせ、

次へ渡すための死。


空気が、

ゆっくりと冷えていく。


一方で。


雛の背後、

星明かりが――

沈んだ。


光が消えたわけじゃない。

“終わり”が、

そこに定義された。


生滅終焉。


生まれ、

育ち、

朽ちる。


そのすべてを

一つの線として閉じる力。


雛は、

目を閉じない。


逃げない。


白羽も、

視線を逸らさない。


二つの力が、

世界に完全に現れた。


死が、

二種類あることを

証明するように。


次の瞬間。


命奪輪転が、

前へ。


輪が、

空間を削りながら

滑るように進む。


同時に。


生滅終焉が、

応える。


雛の周囲から、

黒と銀の境界が広がり、

世界そのものを“終わらせる位置”に固定する。


衝突。


――音は、ない。


だが、

衝撃は確かにあった。


森が一斉にざわめいた。

星空が歪む。


輪は砕けない。


終焉は呑み込めない。


同質だからこそ、

打ち消せない。


白羽の膝が、

かすかに揺れる。


雛の呼吸が、

乱れる。


命奪輪転は、

奪わない。


生滅終焉は、

終わらせない。


互いに、

“相手を殺さない”死。


それが限界だった。


圧が、

一気に抜ける。


輪が、

ほどける。


境界が、

崩れる。


そして―――


二人は、

同時に力を失った。


白羽の身体が、

前に倒れる。


雛の足が、

もつれる。


星空を仰いで、

二人は

地面に倒れ込んだ。


決着は付かなかった。


星の瞬きが、

ほんの一拍遅れて、

元の速度に戻る。



◇ 三千年を超えた先に


息が、

荒い。


胸が、

上下する。


沈黙。


しばらくして――

それを破ったのは、

嗚咽だった。


「……っ」


喉の奥で、

押し殺そうとした音が、

そのまま零れる。


「……ごめんなさい……」


声が、

掠れる。


「ずっと……

 ずっと……」


言葉の途中で、

息が詰まる。


「……私……

 怖かった……」


「壊れるのが……

 世界が……

 あなたが……」


「全部……

 分からなくなって……」


指先が、

地面を掴む。


「弱くて……

 何も選べなくて……」


「歪められた真実に……

 そのまま……

 従うしかなくて……」


声が、

震える。


「あなたは……

 それでも……」


「最後まで……

 私を……

 守ろうとして……」


「……止めてくれたのに……」


涙が、

止まらない。


言葉と一緒に、

次々と落ちる。


白羽は何も言わずに

ただ、雛の影が揺れるのを見ていた。


「それなのに……

 私は……」


喉が、

引きつる。


「……あなたから手を……

 離して……」


「……殺した……」


声にならないはずの言葉を、

無理やり、

吐き出す。


「……どんな理由でも……

 どんな言い訳でも……」


「……赦されない……

 ……赦されるわけが、ないのよ……」


肩が、

大きく揺れる。


「……だから……

 謝っても……

 意味なんて……」


「……それでも、言わないと……

 ……言わないと……

 壊れてしまう……」


声は、

もうほとんど

形を保っていない。


それでも、

雛は――

顔を上げる。


涙に濡れたまま、

白羽を見る。


「……私は……

 ……あなたを失って……」


「……それでも……

 生きてしまった……」


「……それが……

 一番……

 苦しかった……」


言い終えた瞬間、

雛の身体から力が抜ける。


泣き声だけが夜の森に

静かに長く響いていた。



白羽は、

しばらく何も言わなかった。


雛の泣き声が、

少しずつ静かになっていく。


夜風が、

星の下を通り抜ける。


白羽は、

肩にかけたカバンに

そっと手を伸ばした。


雛は、

その動きに気づいて――

顔を上げる。


白羽の指が中を探る。


布の感触。

硬さ。

覚えのある形。


迷いはない。


ほんの数秒。


だが、その沈黙は

三千年分の重さを含んでいた。


そして。


白羽は、

それを取り出した。


小さな人形。


古びている。

色も、ところどころ褪せている。

けれど――

壊れていない。


白羽は、

雛の前にそっと置く。


それだけ。


雛の瞳が大きく揺れた。

呼吸が止まる。


「……」


声が出ない。


雛は、

一歩前に出て――

震える指で、人形を見る。


「……そんな……」


喉が詰まる。


「……それは……」


息を吸おうとして、

うまくできない。


「……私が……」


指先が、

人形の縫い目に触れた瞬間。


――世界が、反転する。



◇ 《回想》人形


揺れる光。


質素な家。

低い天井。

床に落ちる二つの影。


少女は、

小さな布人形を

胸に抱えて立っている。


少し息を整えてから、

顔を上げる。


「……ねえ」


声は少しだけ弾んでいた。


「今日ね、

 村の人に頼まれたの」


人形を持つ指が、

きゅっと力を込める。


「亡くなった人を……

 ちゃんと、送ってほしいって」


一拍。


「怖くなかったって言ったら、

 嘘になるけど……」


それでも、

少女は小さく笑う。


「でもね」


「“ありがとう”って、

 言われたの」


「私の力でも、

 誰かの役に立てるんだって」


少し照れたように。


「あなたが、

 そばにいてくれたから

 諦めずにいれた」


「だから……」


人形を差し出す。


「これ、あげる」


縫い目は歪で、

布の色も不揃い。


「上手じゃないけど……

 ちゃんと作ったの」


受け取られた人形を見て、

少女は、ほっと息を吐く。


人形を抱えた相手が、

小さく笑う。


それを見て、

少女も笑う。


「ふふ……

 いつもありがと」


「これからも……

 ずっと、一緒だよ」


二人の影が、

床に並ぶ。


人形は、

その間に置かれたまま。



◇ 《回想終わり》


雛の視界が、

一気に滲んだ。


ぽたり。


涙が人形の上に落ちる。


「……っ……」


嗚咽が止まらない。


雛は、

その場に崩れ落ちるように膝をつき、

人形を胸に抱きしめた。


その背中に――

ようやく。


白羽が、

初めて言葉を置いた。


白羽

「……原初の死祟しづくは」


一拍。


白羽

「雛さんのこと、

 恨んでなかったと――

 私は、思います」


雛の肩が、

大きく震える。


白羽

「だって」


白羽は、

人形を見つめたまま、

静かに続けた。


白羽

「友達からもらったものを、

 三千年も手放さなかったんですから」


それだけ。

それ以上は言わない。


雛は、

声を上げて泣いた。


三千年分の後悔。

三千年分の罪悪感。

三千年分の想い。


全部が一気に溢れ出す。


白羽は、

そっとその背中に手を回して――

何も言わずに静かに抱きしめた。


星空の下。


三千年越しの問いはもう、

答えを必要としていなかった。



◇ 夜更け


布の擦れる音。


小さな小屋の中、

一つしかないベッドに、

二人は並んで横になっていた。


灯りは落としてある。

窓の外からかすかに森の音。


天井を見つめたまま、

じっとしている。


雛は少しだけ身を丸めて――

ぽつりと、言った。


「……ねえ、白羽?」


白羽

「……なんですか?」


間。


「私のこと……

 “雛”って呼んで」


白羽の指がシーツの上で止まる。


白羽

「……え」


「“さん”は、

 つけなくていい」


白羽

「それは、

 ちょっと……」


雛は、

天井を見たまま続ける。


「私ね……もう

 自分の本当の名前、

 思い出せないけど」


「なんとなく、だけど……」


一拍。


「雛って呼ばれてた

 気がするの」


白羽

「………うん」


小さな声。


くすっと笑う雛。


「だからお願い」


白羽はしばらく黙って――

それから、小さく息を吐いた。


白羽

「……雛」


雛の肩が、

ほんの少し跳ねる。


白羽

「……おやすみなさい」


一瞬。


それから、

嬉しさを隠しきれない声で。


「……ええ」


「おやすみ。白羽」


ベッドの中で、

二人の距離は、

さっきより少しだけ近い。


夜は、

もう何も問いかけてこなかった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ