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第14章 Forbidden Contact(フォビドゥン・コンタクト)(後編)

◇ 因果観測第2研究所《サイト2》/地下研究区画・格納庫


百音は、

スカートの内側に手を差し入れた。


太ももに沿って固定されたホルダー。

そこから、細い金属を三本引き抜く。


針。


刃と呼ぶには細すぎる。

ただ、通すためだけの形。


百音はそれを、

慣れた動作で指と指の間に挟んだ。


人差し指と中指。

中指と薬指。

薬指と小指。


三本が、

指の延長のように揃う。


白羽は、

その光景から目を離せなかった。


胸の奥が、

ぎゅっと締め付けられる。


思考より先に、

声が出た。


白羽

「も、百音さん!」


自分でも驚くほど、

声が上ずる。


白羽

「庶務って……

 研究所の庶務っていうのは……」


言葉が、詰まる。


白羽

「……嘘だったんですか!?」


百音は、

針を挟んだまま首を傾げた。


きょとん、とした仕草。


百音

「え?」


百音

「うそじゃないですよ~」


あっさり。


百音

「仮契約ですけど」


白羽

「……え」


スレイが、

小さく舌打ちする。


百音は、

楽しそうに続けた。


百音

「ちゃんと書類も出してますし、

 手続きも通ってます」


百音

「だから“庶務”は本当ですよ」


白羽の頭が、

追いつかない。


白羽

「じゃあ、

 これって……」


百音は、

にこっと笑った。


百音

「でも」


百音

「わたし、

 本当の仕事があるんです」


針が、

わずかに光る。


百音

「こういうの」


そう言って、

百音は針を挟んだ指を、

ほんの少しだけ――床の方へ向けた。


白羽の視線が、

反射的にそちらへ落ちる。


白骨。


白羽の足が、

一歩、下がりかけて止まる。


(……ひっ……)


喉が、

ひくりと鳴る。


白羽は、

言葉が出なかった。


百音は、

それ以上、何も言わない。


ただ、

にこにこと笑ったまま、

白羽の反応を待っている。


――説明はいらない。

――もう、分かっているでしょう?


そう言われた気がした。


白羽の呼吸が、

一気に浅くなる。


スレイが、

無言で一歩、前に出た。


白羽より、

半歩。


百音の視線が、

白羽からスレイへ移る。


百音

「あなた達のことも……」


百音

「ちゃんと、

 把握してますよ~」


白羽の背中に、

冷たいものが走る。


百音

「―――X-0マテリアル」


一拍。


百音

「ゼロ因子を、

 回収しに来たんですよね?」


スレイ

「……っ!」


全て見通されていた。


百音は、

針を挟んだ指を軽く振った。


百音

「残念ですけど―――

 ここまでです」


百音が、

一歩、前に出る。


距離が、

詰まる。


スレイ

「……白羽ちゃん」


低い声。


スレイ

「下がって!」


百音は、

にこっと笑った。


百音

「はい」


百音

「お仕事の時間ですね~」


――戦闘が、始まる。



スレイは同時に、

床を蹴った。


感情は使わない。

怒りも、焦りも、全部沈める。


必要なのは――

場を握ること。


スレイ

「――焔臨《旋獄せんごく》」


足元から、焔が立ち上がる。


燃え広がらない。

爆ぜもしない。


流れる。


焔は渦を描き、

百音を中心に円を作る。


直線が、歪む。

踏み込みが、殺される。


上へ。


渦は天井へと巻き上がり、

見えない檻の形を成す。


百音は、

ぴたりと足を止めた。


スカートの裾を、

ひらりと摘む。


百音

「わあ……」


百音

「これ、

 触ったら熱そうですね~」


指先が、

焔の縁をなぞる。


じ、と音がして、

肌が焼ける。


それでも、

百音は引っ込めない。


百音

「動けないや~」


スレイの喉が、

静かに鳴る。


(……封じた)


(これで、

 百音の動きは――)


次の瞬間。


百音が、

渦の中へ踏み出した。


百音

「……っ」


短く、

息を吸う音。


ゴオォォォ―――


焔が脚を包む。


焼ける。


確かに焼けている。


それでも。


百音は笑った。


百音

「んんっ……♡」


喉の奥で、

押し殺した声。


焔の渦を、

力任せに踏み切る。


スレイ

「……!」


流れを無視し、

熱を受け入れ、

身体を焼かれながら――


百音は焔を通過した。


距離が、

一足で消える。


白羽

「――っ!」


悲鳴が、

思わず漏れる。


針。


三本。


百音

「あははは」


一直線に、

スレイの胸元へ。


刺さる――


針が、

“スレイ”を貫く。


確かな手応え。


だが。


――焔臨《灼影しゃくえい


焔が、

スレイの形を取る。


像が崩れ、

炎となって弾ける。


熱が、

百音の頬を撫でる。


同時に。


反対側。


焔の揺らぎの向こうに、

本体のスレイがいる。


スレイ

(はぁ……はぁ…

 ぎりっぎり間に合った)


百音は、

ゆっくりと振り返った。


百音

「……ああ」


百音

「なるほど」


脚も腕も火傷している。

でも、楽しそうに。


百音

「そういう“逃げ方”なんですね」


旋獄が軋む。

焔の流れが乱れ始める。



百音

「スレイちゃん?」


焔の向こうで、

首を傾げる。


百音

「たしか、

 元終徴管理局タナトスロア

 処理官でしたよね~?」


スレイ

「……そうだけど?」


百音

「一体———」


一拍。


百音

「何人の“少女”を、

 殺しました?」


スレイ

「……っ!」


百音

「わたしはですね」


百音

「何人殺したか、もう忘れました」


小さく笑う。


百音

「数える必要、なかったので」


焔が、ぱち、と弾ける。


百音

「ねえ」


百音

「いったい、わたしとあなた」


百音

「何が違うんでしょう?」


スレイは下を向いたまま、

顔を上げれずにいる。


すると―――


白羽が、一歩前に出る。


白羽

「あ、あなたのことは、

 正直、分かりません」


白羽は、

百音から目を逸らさずに言った。


白羽

「でも……」


白羽

「スレイさんとは、

 一緒に旅をしてきました」


白羽

「戦って、

 逃げて、

 何度も一緒に、生き延びて……」


言葉を選ぶ。


白羽

「強くて、

 それでいて……優しい人だって、

 知りました」


百音ではなく、

スレイを見る。


白羽

「そ、それに……

 分かったんです」


白羽

終徴管理局タナトスロア

 何を背負わされていたのか、を……」


息を吸う。


白羽

「だから……」


白羽

「わたしは、

 スレイさんを信じます」



百音は、

白羽の言葉を聞いたまま、

ほんの一瞬だけ黙っていた。


焔が、

周囲で低く唸る。


百音

「ふ~ん」


百音

「ずるいな~

そう来るんだ」


感心したように、

軽く笑う。


そして。


百音

「もういいや――」


百音

「ここで、

 殺しちゃおう~」


次の瞬間。


百音の足が床を蹴る。


焔の揺らぎを裂くみたいに、

一気に距離が縮まる。


白羽

「スレイさん――!」


声が遅れる。


スレイは、反射で身を引いた。


スレイ

(くっ……早いっ!)


――焔臨《灼影しゃくえん


焔が、スレイの輪郭をなぞる。


百音の目が、細くなる。


百音

「あ、それ」


百音

「さっき、見ました」


言い終わる前に。


百音が――

跳ね上がった。


旋獄の焔を大きく越え、

高く、高く。


空中で身体をひねり、

腕だけが滑らかに振り抜かれる。


針。


三本。


今度は直線。

歪まない。


スレイ

「――っ!!」


避ける。


間に合わない。


一本が、胸を掠める。

もう一本が、空を切る。


そして残りが――


脇腹を、深く抉った。


スレイ

「――ああああっ!!」


絶叫。


膝が崩れる。


血が、遅れて噴き出す。


その間に。


百音は、すとん、と着地した。

スカートがひらりと舞い上がる。


足音が、妙に軽い。


百音

「その幻みたいなの~」


火傷の跡が見える。

それでも、楽しそうに。


百音

「焔の中じゃないと、

 出ないやつなんですね」


にこっと笑う。


百音

「覚えちゃいました」


その言葉の直後。


百音は、

着地の反動を殺しきる前に、

もう動いていた。


一歩。


距離が、消える。


スレイが息を整える暇もない。


百音の足が――

容赦なく踏み込む。


胸。


ぐ、と体重がかかる。


スレイ

「――っ、うぁ……!」


肺が潰される。


同時に。


脇腹の傷口から、

血が――ぶしゃっと噴き上がった。


床に、赤が広がる。


百音

「あっは♡」


スレイの身体が、

完全に固定される。


逃げ場はない。


白羽

「や……やめ」


恐怖で声がでない。


百音は、

感情のない視線で見下ろした。


次の動作は、

一切の迷いもなく。


自分の胸元に手を入れる。

服の内側。


そこから、

短いナイフを引き抜いた。


刃は細く、

光を反射しない。


刺すためだけの形。


百音は、

逆手に持ち替える。


狙いは、

正確に――心臓。


百音

「じゃあ……」


ほんの一瞬。


百音

「さようなら」


刃がゆっくりと――


振り下ろされる。



その瞬間———


白羽の喉が、

震えた。


止めたい。


ただ、それだけ。


声になる前に――

解放された。


地面が鳴る。


黒い波動が、

床を這った。


走らない。

跳ねない。


ただ広がる。


影のように。

水のように。


刃が振り下ろされる、その刹那。


黒が、

百音の腕に絡みついた。


ナイフを持つ、

その細い腕。


百音

「――」


声にならない音。


腕の先から、

何かが崩れる。


色が、落ちる。

張りが、失われる。


皮膚がただれ、

血管の輪郭が歪み――


生の流れを断ち、

断流点から終わりを逆流する。


命奪断流めいだつだんりゅう刹那せつな》。


百音

「……あ」


カラン……


ナイフが床に落ちる。

金属音がやけに大きく響いた。


侵食が止まらない。


腐るように。

壊れるように。


百音の表情が、

初めて変わった。


驚きでも、怒りでもない。


――理解。


百音

「……これ」


百音

「切らないと、

 ダメなやつですね」


次の瞬間。


百音は迷わなかった。


自分の反対の手で、

前腕を掴む。


肘の少し下。


侵食がまだ届いていない位置。


一閃。


百音

「……っ!」


音もなく腕の先が落ちた。


手首から下。


ナイフを持っていた腕が、

床に転がる。


鈍い音。


黒い波動は、

切断面で――止まる。


百音は、

一歩、引いた。


呼吸は乱れていない。


だが。


失った腕の先を、

一瞬だけ見て――


ゆっくりと笑った。


百音

「……なるほど」


白羽は、

立っていられなかった。

膝をつき、 息を荒くする。


スレイは、

胸を押さえたまま、

目を見開いていた。


百音

「これは――」


視線が白羽を捉える。


百音

「本気で殺す顔ですね」



その次の瞬間。


百音の姿が、

消えた。


音が遅れて届く。


白羽

「――っ」


言葉になる前に。


衝撃。


顎が跳ね上がり、

視界が反転する。


百音の蹴りが、

白羽の顔を正確に捉えていた。


床。


顔面から、

叩きつけられる。


白羽

「――っ、あ……!」


息が抜ける。


百音の足が、

白羽の後頭部を踏みつけた。


ぎ、と力が入る。


頭が床に固定されて、

そのまま体重を預ける百音。


逃げ場はない。


視線を落とすこともなく、

自分の腕へと手を伸ばした。


裂いたスカートの布。


血に濡れたそれを、

無造作に巻き付ける。


ぎゅ、と。


締める。


百音

「これで、よしっと」


白羽の頭が、

わずかに沈む。


白羽

「……う、うぐっ……」


百音

「あ、動かないでくださいね 」


百音

「足元くるって頭蓋骨、

潰しちゃうかもなので〜」


淡々と。


白羽の呼吸が、

乱れる。


百音は腕の処置を終えると、

ゆっくりと足を離した。


一歩、下がる。


床に突っ伏したまま動けない白羽。


百音は視線を巡らせた。


スレイ。

白羽。


そして――

この場。


百音

「では」


百音

「これで、

 お仕事は完了です」


その瞬間。


空気が沈んだ。


床に落ちた血が、

ぴくりと震える。


次いで。


引き寄せられる。


壁に飛び散った痕。

器具に付着した赤。

床に染みた血溜まり。


それらすべてが、

百音の周囲へと集まり始めた。


雨ではない。

噴き上がりでもない。


ただ、

静かに。


赤い粒子が、

渦を描きながら宙に浮かぶ。


百音の足元で、

円を成す。


空気が冷える。


百音の中で、

“手順”が完成する。


次に残るのは――


血に濡れた床と、

動かなくなった身体。


《血の雨が降った》。


その結果だけ。


百音はそう確信していた。


が、しかし。


その直前、

ひらりと――灰が落ちた。


雨ではない。

風でもない。


ただ、

空間に“降った”。


百音の動きが止まり、

ナイフを持つ手がわずかに揺れた。


百音

「……?」


低い声が、

背後から響く。


ヴォイド

「そこまでだ」


空気が、

一変した。


百音が構築していた“手順”が、

一斉にほどける。


《血の雨が降った》。


――その結果へ至る流れが、

根こそぎ、断ち切られた。


百音の奥義は、発動しない。


否。


“成立しなかった”。


ヴォイド

「お前は……

 やりすぎた」


百音は、

ゆっくりと振り返る。


そこにいるのは、

灰色の気配を纏った男。


百音

「……はぁ」


小さく、

息を吐く。


百音

「これは」


ほんの少しだけ、

唇が歪む。


百音

「詰み、ですか」


悔しさと、

残念さが混じった声。


百音は、

足元に落ちていた“それ”を見る。


切り落とした自分の腕。


百音は、

それを拾い上げる。


乱暴ではない。

投げやりでもない。


“自分のもの”として、

きちんと回収する。


その背後で。


シオンが、

白羽とスレイのそばに立っていた。


小さな両手が、

二人へ向けられる。


静かに。


絶界・極小展開。


白羽とスレイを包むように、

世界との接続が遮断される。


痛みも、

恐怖も、

これ以上――流れ込まない。


百音は、

それを横目で見て。


百音

「……なるほど」


百音

「そこまで、

 揃ってましたか」


空間に淡い光が滲む。


ポータル。


百音は、

一歩、そこへ踏み込む。


百音

「今日は、

 引き分け――」


一拍。


百音

「……いえ、

 あなた方の勝ちに

 しておきましょうか」


白羽とスレイに、

視線を向けて。


百音

「次は、

 ちゃんと殺しますから~」


灰が濃くなる。


百音の姿は、

ポータルの向こうへ溶けた。


静寂。


残ったのは、

血に濡れた床と、守られた二人。



ヴォイドは、

百音が消えた空間を一度だけ見てから、

二人に視線を落とした。


ヴォイド

「……無茶をしたな」


責める声ではない。

ただ、事実を確かめるように。


ヴォイド

「だが、生き延びた。」


一拍。


ヴォイド

「それだけで、十分だ。」


シオンは、

その場に立ったまま、

小さく息を吐いた。


《血の雨が降った》。

――その言葉だけが、空に残った。



「いったああああああ!!」


スレイの悲鳴が、室内に響いた。


スレイ

「ちょっ、ヴォイドさん!?

 もうちょっと加減ってものを――!」


ヴォイドは無言。

脇腹に手を当てたまま、

淡々と処置を続けている。


スレイ

「そこ、そこ!

 普通に押されたら痛いやつだから!」


ヴォイド

「動くな」


低い一言。


スレイ

「だから動いてないって言ってるでしょ!

 ……あ、ほら! 白羽ちゃん見て!」


視線が向く。


白羽は、

半透明のドームにすっぽり包まれていた。


柔らかな光。

外界の音も刺激も、

必要な分だけ減衰されている。


まるで――

超高級精密機器。


衝撃遮断。

刺激遮断。

温度一定。


完全保護。


中で白羽は、

仰向けのまま目を開けていた。


白羽

「……うるさいです」


ぼそり。


スレイ

「起きてる!?」


白羽

「起きてます

 全部、聞こえてますよ……」


ドームの内側で、

指先がもぞっと動く。


白羽

「でも……

 ここを動くとたぶん、

怒られる気がするので……」


視線だけ、

そっとシオンの方へ向ける。


シオンは、

ドームの外で小さく頷いた。


シオン

「動かないでね」


スレイ

「なにそのVIP対応!?」


スレイ

「扱いの差ひどくない!?」


白羽

「……いいじゃないですか。

 わたし、今“精密機器”なので」


スレイ

「自分で言う!?」


ヴォイド

「無駄口を叩けるなら、問題ない」


即答。


スレイ

「あんたが言うな!」


そこで何か良からぬことを

思いつくスレイ。


ニヤリと笑って、

わざと少し体を捻る。


スレイ

「てかさ、ヴォイドさん?」


スレイ

「さっきから

 手つき、いやらしくない?」


ヴォイド

「……」


スレイ

「立場利用してさ

 ちょっと楽しんでない~?

ほら、私の胸――」


次の瞬間。


ヴォイド

「分かった」


スレイ

「え?」


ずぼっ。


ヴォイドの手が、

一段階、深く入る。


スレイ

「ぎゃあああああ!!」


スレイ

「ちょ、ちょっと待って待って!!

 手、手がっ! 

 完全に当たってる!!」


顔を真っ赤にして言う。


ヴォイド

「動くな、と言った」


スレイ

「い、今のは違う!!

 冗談よ!! 完全に冗談だったの!!」


じー……


その様子を無言で見ていたシオン。

小さく一言。


シオン

「じぶんから当たりにいって、

 被害者ぶってる」


スレイ

「ちょっ!? 

 言い方ァ!!」


スレイ

「ちがっ……

 私は正当な抗議を――」


スレイ

「……っ」


言いかけて、

自分のさっきの動きを思い出す。


顔が、

一気に熱くなる。


スレイ

「……うるさい!

 今のはノーカン!!」


ヴォイドは処置を終え、

手を離した。


ヴォイド

「終わりだ」


スレイ

「もう、最初からそうしてよね」


でも、と続く。


スレイ

「ありがと……」


床にへたり込みながら、

スレイは白羽のドームを見た。


スレイ

「……まあ」


スレイ

「生きてるなら、

 いっか」


白羽

「……ですね。

スレイさんも、

 ちゃんと生きてます」


スレイ

「白羽ちゃんにそれ言われるの、

 なんか複雑なんだけど!?」


シオンは、

二人を交互に見てから、

小さく息を吐いた。


シオン

「……みんな、

 生きてる」


それだけで、

今は十分だった。



――約一時間後。


戦闘の痕は、まだ残っていた。


焼けた床。

倒れた器具。

乾ききらない血。


非常灯が、低く明滅している。


スレイは壁にもたれ、

腕を組んだまま口を開いた。


スレイ

「……じゃあ、

 あんた達のこれまでのことを

 整理するわね」


スレイ

「まず―――」


指を一本立てる。


スレイ

「研究所の正面入り口から入った」


二本目。


スレイ

「待合室で、若手研究員に囲まれた」


ヴォイド

「……」


三本目。


スレイ

「そのまま実験室に連れていかれて」


四本目。


スレイ

「扉が閉まって、ロック」


五本目。


スレイ

「で、天井のノズルが開いて

 ガスがぶしゃー」


一拍。


スレイ

「――ここまで合ってる?」


ヴォイド

「……正確だ」


スレイは、こめかみを押さえた。


スレイ

「つまりあれでしょ」


スレイ

「私らが百音に殺されかけてる間に、

 あんた達は別ルートで

 研究所トラップ踏んでたってわけ」


シオン

「うん」


スレイ

「ほんっと、

 ろくな施設じゃないわね」


白羽がドームの中から静かに言う。


白羽

「……そのガス、

 大丈夫だったんですか?」


一瞬、空気が止まる。


ヴォイド

「……ああ、

 その件については、

 俺から話そう」



◇ 《回想》因果観測第2研究所《サイト2》/実験室


低い駆動音。


天井のノズルが、

ゆっくりと開く。


ぷしゅー


白いガスが、

部屋に充満する。


刺激はない。

息も苦しくならない。


――だが、

空気が変わった。


制御室。


しっかり系

「反応を……確認!」


距離感バグ系

「え、え、えっ!?

 これ……!」


おどおど系

「す、成功……ですか?」


モニターの数値が、

一斉に跳ね上がる。


距離感バグ系

「きたきたきた!

 見て! この伸び!」


しっかり系

「想定値を大幅に突破してます!」


距離感バグ系

「私たちの研究、

 ついに形になった~!」


おどおど系

「じ、じゃあ……

 次、いきます?」


しっかり系

「ええ。被験体、投入」


ロック解除音。


実験室の扉が、

ゆっくりと開いた。


――――


犬。

猫。

鳥。


ケージが開き、

わらわらと入ってくる。


ヴォイドは、

無言で立っていた。


その足元。


とてとてとて。


「……じっ」(見上げる)


次の瞬間。


「……くん」(脚にすり)


ヴォイド

「……!」


わずかに、

肩が跳ねる。


「にゃ~」(当然のように合流)


「……もぞ」(ぴったり)


脚が、

動物で埋まる。


一切、逃げない。

逃げられない。


ヴォイドは、

しばらく硬直していたが――


ゆっくり。


本当に、ゆっくり。


片手を、

犬の顎の下へ。


もう片方を、

猫のお腹へ。


おそるおそる。


……触れる。


「……ふぅ」(※気持ちいい)


「……ごろ」(※もっとしてほしい)


逃げない。


むしろ、

寄ってくる。


ヴォイド

「……」


無言。


だが。


シオン

「……?」


シオンは、

その光景を見て、

首を傾げた。


シオン

「ぱぱ?」


一拍。


シオン

「うれしい?」


ヴォイドは、

犬と猫に埋もれたまま、

少し考えて――


ヴォイド

「……ああ」

(※めちゃくちゃ嬉しそう)


即答。


「……わふ」


「……にゃ」


「……ぴ」


完全同意。


制御室では、


距離感バグ系

「見てよ、あの二人の表情……!」


おどおど系

「ここ……

 天国……でしょうか……?」


しっかり系

「私たちが長年追い求めた

《ラブリーアニマル因子》……」


しっかり系

「ついに……成功です!」


実験室の外では、

三人が静かにガッツポーズ。


研究員達は、

ヴォイドとシオンに報告する。


しっかり系

「実験は無事、成功しましたよ!」


しっかり系

「これで、

動物に嫌われる自分とは

 “さよなら”ですよ」


実験室の中は、

完全にもふもふ。


ヴォイドは、

もう動こうとしなかった。


動けないのではない。


――動く理由が、なかった。



◇ 《回想終了》


研究所の非常灯が、

赤く、ちかちかと瞬いた。


長い沈黙。


スレイ

「………」


白羽

「………」


一拍。


次の瞬間。


スレイ

「ふざっっっけんなあああああああ!!」


声量、限界突破。


研究所の壁が、

びりっと震えた。


スレイ

「なにその展開!!

 なにその流れ!!」


スレイ

「怪しすぎる研究所で

密室に閉じ込められて!

 しかもガスまで噴射されて!?」


スレイ

「どう考えても、

 ここから地獄展開でしょ!?」


白羽

「完全に、

 そういう空気でした……!」


スレイ

「なのに何!?

 ラブリーアニマル因子って!?

しかも、ゼロ因子研究してる横で!」


スレイ

「ジャンル変わってんじゃない!!

 一丁前にもふってんじゃないわよ!」


白羽

「しかも、研究員の皆さん

 成功をしっかり喜んでました……」


スレイ

「喜ぶな!!

 そこでテンション上げるな!!」


スレイ

「せめてさ!!

 せめて、もっと神妙にやってよね!!」


スレイ

「“きたきたきた!”じゃないのよ!!」


二人の視線が、

同時にヴォイドへ突き刺さる。


スレイ

「で!!」


スレイ

「あんたは、

 その謎空間のど真ん中で

 何してたのよ!!」


ヴォイド

「……」


一拍。


ヴォイド

「ああ」


スレイ

「なによ!!」


ヴォイド

「動物は、いいぞ」


スレイ

「黙れ!!」


白羽

「今その感想ですか!?」


ヴォイド

「満たされる」


スレイ

「満たされるな!!

 こっちは、情緒が迷子なのよ!」


シオンが、

二人を見上げて首を傾げる。


シオン

「ぱぱ、

 たのしそうだった」


スレイ

「追撃やめろ!!」


ヴォイド

「……不可抗力だ」


スレイ

「不可抗力で

 もふもふするな!!」


三人の声が、

研究所に反響する。


警告灯が、

場違いにちかちか瞬いた。


スレイ

「もういい!!」


スレイ

「この研究所!!

 全体的に空気読め!!」


完全に制御不能。


警告灯だけが、

場違いにちかちか瞬いていた。



警告灯の点滅が、

やがて落ち着いた。


耳に残っていた高音が消え、

研究室は嘘みたいに静かになる。


誰も、すぐには喋らない。


ヴォイドは椅子に腰を下ろしたまま、

膝の上の重みに視線を落とした。


いつの間にか、

シオンがそこにいた。


しれっと。

当然の顔で。


コートの前を掴み、

膝の上にちょこんと座っている。


自然すぎて、

もはや誰もツっこまない。


そして、口を開いた。


ヴォイド

「……整理しよう」


低い声。

場を現実に引き戻す声。


ヴォイド

「X-0マテリアル――

 ゼロ因子は、

 この研究所にはなかった」


スレイ

「じゃあ、空振り?」


ヴォイド

「正確には、

 すでに移動済みだった」


ヴォイド

「持ち込まれた場所は――」


一拍。


ヴォイド

「因果観測第1研究所。

 《サイト1》にある」


白羽

「サイト1……?」


すかさずスレイ。


スレイ

「あ、あり得ないって!」


続ける。


スレイ

「サイト1は数年前の実験事故で、

完全に崩壊してるはず……」


スレイ

「それに、復旧したという話も

聞いてない!」


ヴォイド

「ああ、史実ではそのようだ」


ヴォイド

「だが――」


二人の表情が、硬くなる。


ヴォイド

「サイト1の地下区画」


スレイ

「……は?」


ヴォイド

「地下で研究は続いている」


白羽

「そ、そんなこと……

 一体誰が……」


ヴォイド

「しっかり系だ」


スレイ

「……さっきの動物の人?」


ヴォイド

「雑談の中で、

 ぽろっと漏らした」


ヴォイド

「知っているのは、

 タナトスロア関係者の中でも、

 ごく一部だけだそうだ」


一拍。


ヴォイド

「――だから、

 俺にだけ教えた」


スレイ

「信用されたってこと?」


ヴォイド

「そういうことだ」


スレイ

「……あんた達の

 動物パラダイスも、

 無駄じゃなかったわけね」


場に、わずかな重さが落ちる。


スレイ

「……百音」


スレイ

「あいつもそこに向かったのね」


ヴォイド

「可能性は高い」


白羽

「ゼロ因子の護衛……

 ですよね」


ヴォイドは頷く。


拳を握りしめるスレイ。

ただ少しだけ震えてるように見える。


スレイ

「……正直さ」


スレイ

「あの女の強さ、

 人間の域じゃないでしょ」


スレイ

「針だけで、

 こっちは壊されかけた」


焔臨を突破された記憶。

そして、脇腹を貫かれた記憶。


スレイは下を向いて呟く。


スレイ

「……まだまだ、

 私じゃ足りない」


ヴォイドは、すぐには答えない。


膝の上で、

シオンが小さく身じろぎした。


少し間を置いてから。


ヴォイド

「あの女の力は、

 才能ではない」


スレイ

「……?」


ヴォイド

「数えきれない死線を越え、

 生き残り続けた者だけが

 身につける類のものだ」


ヴォイド

「積み重ねだ。

 血と選択の」


スレイは、歯を噛みしめる。


ヴォイド

「だが」


ヴォイド

「お前たちは、

 生き残った」


一拍。


ヴォイド

「それでいい」


スレイ

「……甘いこと言うじゃない」


ヴォイド

「事実だ」


白羽

「ヴォイドさん……」


二人の顔に、

ほんの少しだけ明るさが戻った。



そのとき。


ヴォイドが、

不意に顔を上げた。


音ではない。

感覚が、引っかかった。


ヴォイド

「……これは」


短く。


ヴォイド

「サイト1だ」


スレイ

「え?」


ヴォイド

「因果観測が――

 一段階、進んだ」


白羽

「そ、それって……」


一拍。


ヴォイド

「ゼロ因子が、

 制御想定を逸脱した」


言い終わる前に、

研究所全体が軋んだ。


地面が揺れたのではない。

揺れたように感じただけだ。


空気が薄くなる。


白羽は、

理由もなく足を止めた。


白羽

「……?」


何もない空間。

そこに、遅れがある。


景色が、

一拍だけ追いつかない。


次の瞬間。


空間が、鳴った。


限界音。


世界が、

これ以上は保てないと

告げるような。


床が沈む。


いや――

沈んだように錯覚しただけだ。


実際に歪んだのは、

空間そのものだった。


円が現れる。


光ではない。

影でもない。


空間の裂け目。


白羽

「え――」


白羽の足元が消える。


スレイ

「白羽ちゃん!」


スレイは反射的に手を伸ばす。


白羽

「スレイさ――」


白羽の指先がかすかに触れた。


だが――


掴めない。


感触が、

そのまま抜け落ちる。


間に合わなかった。


次の瞬間。


白羽の身体が、

裂け目の向こうへ引きずり込まれた。


音もなく。

反転。

分離。


そして――

裂け目は閉じた。


研究室には、

静寂だけが残る。


焦げたような匂い。

熱の名残。


そこにいないのは、

白羽だけだった。



◇ エピローグ


白い室内だった。


無機質で、清潔で、

それでいてどこか――落ち着かない。


机の上。

精密な器具に囲まれて、

一つのクリアケースが置かれている。


中には、石。


歪な鉱石。

光を反射するたび、

色が一拍だけ遅れてついてくる。


女性は、

その前に立っていた。


白衣。

長い髪を、無造作に肩へ流し。

手袋を嵌めた指で、

計測器を軽く操作する。


「……ふふ」


小さく、楽しそうな声。


「すごいですね。

 まさか、ここまで安定しているとは

思いませんでした」


独り言のように言いながら、

石の数値を確認する。


「本当に……

 なんでこの子が、

 そんな“悪いこと”をしちゃったんでしょう?」


困ったように、首を傾げる。


声音は明るい。

柔らかい。

誰かを責める調子でもない。


けれど――


机の端には、

使用済みの試料。

削られ、砕かれ、

もう“元に戻らない”形の痕跡が残っている。


それを見ても、

女性の表情は変わらない。


「でも、仕方ありませんよね」


そう言って、

また笑った。


「こうなってしまった以上、

 きちんと役に立ってもらわないと」



空間が、わずかに歪んだ。


音はしない。

気配だけが、

後ろに“現れる”。


「先生、もどりました~」


軽い声。


女性は、

振り返る前に口を開いた。


「あ、ちょうどいいところに――」


そして、振り向いて。


「……え?」


視線が止まる。


そこに立っている少女。

服は破れている。

血の跡も残っている。


そして――

片腕が、ない。


「……ちょ、

 ちょっと待ってください」


目を見開く。


「百音ちゃん!?

 腕、どうしたんですか!?」


百音は、

にこっと笑った。


「切り落としました~」


さらっと。


「必要だったので」


女性は一瞬、言葉を失い――

次の瞬間、慌てて歩み寄る。


「だ、だめですよそんなの!!

 見せてください、断面を……!」


しゃがみ込み、

切断面を覗き込む。


「……ああもう。

 スパッといきすぎです!」


真剣な顔。


「これ、まだ間に合いますよ。

 ちゃんとした治癒士に診せれば――」


百音は、

その様子を眺めながら、

のんびりと首を傾げた。


「それより先生」


「研究の方は進んでますか~?」


話題が、

すっぱり切り替わる。


女性は、

一拍遅れて顔を上げた。


「あ……はい」


立ち上がり、

クリアケースの方を見る。


「ええ、いい具合ですよ」


少し、誇らしげに。


「七割、といったところでしょうか」


百音

「おお~

流石は先生ですね~」


女性

「百音ちゃんが、

時間を稼いでくれたおかげです。 」


百音の方を向いて微笑む。


「 それで――

一体、何人処理したんです?」


「タナトスロアから、

かなりの兵が来たようですけど」


百音

「内緒ですよ〜」


百音は満足そうに言う。


そして一拍。


百音

「でも、ついに……」


百音

「私たちの夢が、叶うんですね」


女性は、

一瞬だけ目を細めた。


「……そうですね」


静かに。


「ついに、です」


そして、

はっと思い出したように振り向く。


「――って、

 そんなこと言ってる場合じゃありません!」


百音を指さす。


「あなたは今すぐ治療です!

 ほら、まだ繋がりますから、その腕!」


百音は、

少しだけ不満そうに口を尖らせた。


百音

「ええ~

それよりも〜」


一歩近づいて、

甘えるように言う。


百音

「いつもみたいに

 “ぎゅっ“てしてほしいです」


女性は、

ぴしっと背筋を伸ばした。


「めっ、です」


即答。


「そんなことしてる場合じゃありません」


「腕のいい治癒士、

 ちゃんと紹介しますから」


百音の肩を、

ぐいっと押す。


「早く行ってきてください!」


百音は、

少しだけ残念そうに笑った。


百音

「……は~い」


ポータルが、

再び開く。


去り際、

百音は振り返った。


百音

「先生?

ちゃんと完成させてくださいね~」


女性は、

にっこりと笑った。


「もちろんです」


「任せてください」


ポータルが閉じる。


残されたのは、

白い室内と、

静かに光る石。


女性は、

それを見下ろして――


「……ふふ」


また、

楽しそうに笑った。


「本当に」


「悪い子ですね、あなたは」


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